高田敏子さん
昨日の新聞に詩人の高田敏子さんにふれた個所があった。
高田敏子なんていっても名前を知らない人が多いだろうけど、それもそのはず。評論や歴史で語られるほど古い人ではないし、文学史に残るような有名な詩を書いた人でもない。
とはいうものの詩の愛好家のあいだではかなり有名な“お母さん詩人”である。
わたしは1982年に、この人の主催する詩誌「野火」の100号記念祝賀会が、週刊朝日に取り上げられて、そこに作品が引用されているのをみて、はじめてこの人の詩を知ったのである。
作品がつまらないものだったら印象に残らないだろうけど、そのとき引用されていた詩というのは以下のようなものだった。
かくれんぼ
れんぎょうの 花下に
かくれた坊やの まわりを
お母さんが めぐっている
坊やは どーこ?
見つけるときが
早すぎも
遅すぎもしないようにと
お母さんはめぐっている
あの坊やは 怖い夢を
見ることなど まだないでしょう
見いつけた!
ほら 抱き合った母と子
れんぎょうの 花枝が揺れて
この人の詩は、ヘソ曲がりのわたしには、買ってまで読みたいものじゃないのだけど、なぜか見過ごせない魅力がある。
昨日の新聞に引用されていたのは以下のような詩だった。
おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴は おいてある
花を飾るより ずっと明るい
これは彼女の「小さな靴」という詩の一部だけど、興味のある方は全文をネットで検索して読んでみればよい。わたしのいう魅力がどんなものかわかってもらえるだろう。
わたしがこの記事を書くことができたのは、その魅力にひかれて、当時の週刊朝日のページを切り抜いておいたからなのである。
※高田敏子さんは1989年に亡くなった。
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