ジミヘン
わたしはいろんな話題について、まんべんなくブログに書こうと思っているけど、ちょっと確認してみたら、音楽に関する話題が5月31日のジャニス・ジョプリン以来絶えてひさしい。
そこでたまには音楽のことも書いておこうと思う。
まえから書きたいと思っていたジミ・ヘンドリックスのことを書いておこう。
不測の事故にでもあってぽっくりなんてことがあったら、彼のことが未練になって死んでも死にきれないかもしんないし。
ところでジミ・ヘンドリックス (以後ジミヘン) って誰なのさ。
そんな声が聞こえてくるよな、昨今は。
お若いの。ジミヘンて人はのう。
と、わたしもついおじいさんになっちまったことを認識させられるけど、団塊の世代にとっちゃ、この人が好きだというだけで、ロック・ファンから一目置かれるような、特別な存在のロック・ギタリストなんだけどね。
そしてわたしもまさしくジミヘン・フリークなんだけどね。
ふつう、熱心なファンというものは、とかく自分の好きなスターを美化したがるもので、たとえ欠点があっても、なんとか屁理屈をつけて、対象をあがめたてまつってしまうものである。
しかし、わたしはそんなひいきの引き倒しみたいなことはしない。ずけずけ言う。
ジミヘンという人は、どっちかというとそのへんのチンピラみたいな貧相な顔をしていて、同じロック・ギタリストで、ギターの神さまとよばれるエリック・クラプトンが、ときどき哲学者のような横顔を見せるのと大違い。
自らのグループのデビュー・アルバムでは、自分のことをぶっ壊れた顔の男といっているくらいである。
ファッションのセンスもいただけない。
ジミヘンの生前最後のコンサートになったワイト島では、フリルのついた赤い衣装という、まるでゲイのようないでたちで現れた。
彼がゲイだったという話は聞いたことないけど、こんな格好で、歯でギターを弾いたり、ギターに火をつけてぶっ壊すような、三流の芸人がやるようなパフォーマンスをやる。
サービス精神が旺盛で、えらぶったところはぜんぜんなく、初めて英国に渡ったときには、同業のエリック・クラプトンに逢わせてほしいなんてお願いしたらしい。
さらにこの人は著作権なんてものにぜんぜん無頓着だったようで、録音や撮影をしたけりゃ勝手にやんなさいという放任主義。
そういうわけでジミヘンのライブ・レコードは、海賊版を含めてはなはだ数が多い。
日本人が理想とする芸術家像とはだいぶ異なるのである。
こんな彼だが、音楽やテクニックについては他の追従を許さない。
というより、突出しているといったほうが正解かも。
エリック・クラプトンも彼のテクニックを称賛しているし、ジャズの帝王マイルス・デイビスも彼の音楽に影響をうけたひとりだった。
わたし自身は短調も長調も区別のつかない音楽オンチなので、テクニックや音楽性についてああだこうだと言えないけど、彼の音楽を聴いていると、洗練されたフランス料理ではなく、モツ煮込み定食のような人間臭さを感じてしまう。
見かけや耳ざわりではなく、人間のこころが本能的に感じる音楽なのである。
最初はその雑音のようなサウンドに驚くが、いったん聴きなれると麻薬のようにとりこになってしまう (彼の音楽のとりこになったことをわたしは後悔しないけど)。
ジミヘンを愛していることについて、こんな表現をしよう。
わたしが死ぬとき、もしも音楽を聴きながら死ねるなら、ぜひ彼の Red House というブルースをリクエストしたいものだと。
彼が死んだのは1970年だから、あ、もう40年も前だ。
光陰矢のごとし。
彼がお盆にもどってくるよりも、わたしがあっちへ行くほうが早いかも。
※添付した画像はレコードジャケットに使われていた写真。
高貴とか知性とかいうものと無縁のポートレート。
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