ふたりの人魚
「ふたりの人魚」 は上海を舞台にした、夢と現実が入りまじったような不思議な映画である。
この映画の公開当時、わたしは中国フリークで足しげく上海に通っており、自分が見てきた街がどんなふうに描かれているのかと、いろんな面で興味があった。
映画の内容は、声しか出てこない主人公と、べつの若者と、そしていつか人魚に生まれ変わると信じている少女の三角関係みたいな愛憎劇だけど、人魚という抒情的なものから想像できないほど、映画はまるでプライベート・フイルムのような荒々しいタッチに終始する。
物語の柱のひとつは、声だけの主人公ともうひとりの若者が、水商売に手をそめている同じひとりの少女に恋をするというもの。
べつの物語が同時進行のようなかたちで現れるけど、そちらでは犯罪者グループに引き込まれた若者が、この少女とうりふたつの金持ちの娘を誘拐する。
ところが、娘は若者の手から逃れて蘇州河に身を投げてしまう。
逮捕されて刑期をつとめあげた若者は、またこの少女とうりふたつの娘と知り合い、同じ河で心中をしてしまう。
水商売をしている娘は、自分自身にそっくりな娘の水死体を見て衝撃を受けるのである。
こんなストーリーを説明したってさっぱり意味がわからない。
この映画は、内容は観衆の自由な解釈におまかせという現代詩のような映画なので、わたしはこう思うなんてことをべらべら吹聴しても仕方がない。
いえるのは、わたしは観終わったあと、しばらく茫然としてしまったということ。
わたしの世代の特権かもしれないけど、ジャン・リュック・ゴダールの映画に通じるような虚無感を感じたということである。
ひとり三役を演じた少女役の女優さんはなかなか根性がある。
彼女は外白渡橋から蘇州河に飛び込むのである。
外白渡橋というのはかっての租界時代に、この橋のたもとに 「中国人と犬は入るべからず」 という立て看板があったことで知られる、中国人にとって屈辱的かつ不名誉な歴史的名所だ。
ここから飛び込むにはそうとうの根性が必要だ。
というのは、高さがあるというよりも、そこがえらく汚い河だからである。
映画を観ればわかるけど、この場面ではけっしてスタントなんか使っていない。
それだけ競争が激しいということかもしれないけど、中国の女優さんはほんとに大変だなと、変なところに感心してしまった。
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