想像の世界
朝日新聞の夕刊には、しりあがり寿さんの連載マンガが載っているけど、何日かまえのそれに、地球防衛家族の親父が息子にこんな話をするものがあった。
「この世界はすべておまえの想像かもしれないんだよ」
これをみてビックリした。
というのは、わたしもしょっちゅう同じことを考えているからである。
この世界、つまり山も川も海も、あらゆる動植物も、家も車も街も人間も家族も恋人も、地球も宇宙も、イラク戦争も太平洋戦争も、ピカソもモーツァルトも、シーザーも始皇帝も、ダーウィンの進化論もさまざまな宗教も、そしてしりあがり寿さんの連載マンガもひっくるめて、すべてわたしの想像の産物かもしれない。
それじゃあおまえは何なのだと言われそうだけど、まっ暗な空間に浮かぶ小さなICチップにすぎないんじゃないかと思うことがある。
これではSFだ。
なんでそんなアホなことを考えるのかというと、どうも最近、こうした考えに確証を与えるような、偶然にしちゃできすぎという体験がいくつもあるからなのだ。
どんな体験かというと、これがまた他人には理解できそうにないアホらしいことだし、これ以上話すと今度はオカルトになってしまう。
青少年に与える被害の甚大さを考慮して、わたしはこの話を封印するものである。
それで現在の心境をあいまいに語るとすればこんな具合になるだろうか。
わたしは宗教を信じない合理主義者のつもりだったけど、こんな体験をいくつかしたあと、人間は歳をとるほど信仰心がつよくなるっていう説も、なんとなく理解できるようになってきた。
人間はそのへんのただの動物のひとつで、生まれては死に、また生まれては死にを繰り返しているだけなのか、それともぜんぜんべつの実体のないものなのか。
死んだあとに、そのすべてがわかるような気がするので、好奇心のつよいわたしはその日が来るのを楽しみにしているのだ。
だからといってべつに急ぐ必要もない。
若くて元気なうちは、せいぜい自分のこの想像世界を楽しもうとも思っている。
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