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2010年9月21日 (火)

中国映画

国家にとっても発展期や円熟期があるように、映画についてもそういうものがあるようだ。
日本や米国、韓国、欧米先進国の映画は円熟期といえ、わるくいえばマンネリどっぷり、ある種のワンパターンが出来あがっているという感じ。
それに比べると発展途上国の映画の中には、ときどき思い切ったような斬新な映画がみられることがある。

わたしは中国の映画について言ってるんだけど、この国については、キライ、全部がキライ、なにがなんでもキライという人も少なくない。
公正な見方のできる人なら、これほど長い歴史があって、人間や文化の多様性のある国は少ないのだから、イデオロギーや国民性を映画の世界にまで持ち込もうとは思わないはずだけど。

そんなことはさておいて。
気ちがいじみた発展を続ける中国では、映画の世界でもおどろくほどの進化がみられる。
つい数10年前までは国家のプロパガンダみたいな映画しかなかったのに、改革開放以後だけでも、まず 「芙蓉鎮」 に代表されるそれまでの国家の統制を打ち破るような映画、ついで張芸謀などの世代による 「紅いコーリャン」 などの先進国からも絶賛される映画、そのつぎには 「ふたりの人魚」 のような次世代による新感覚の映画、最近では先進国と組んだ行きすぎと思えるアホらしい歴史大作と、わずか四半世紀のあいだにこれだけ目まぐるしく変化した映画界は、世界的にみてもあまりないんじゃなかろうか。

わたしは途上国の文化や歴史に興味がある人間なんだけど、中国映画の中には、「紅いコーリャン」 のように、おくれた自国の現状をありのままに映像化して、かえって荒々しいダイナミズムを生んだもの、「麻花売りの女」 のように先進国のものとはひと味ちがったユーモア作品、「變臉 この櫂に手をそえて」 のように、歴史的文化的にも興味深い人間生活を描いたものなどがある (わたしがじっさいに観たものだけを挙げているので、探せばもっとたくさんあるだろう)。

こうした中国映画の中から、先進国のマイナープロ作品のような 「ふたりの人魚」 という映画を取り上げてみよう。
なんでこの映画かというと、おもしろいってんで、わたしはわざわざDVDを購入して持っているからだ。

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