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2010年11月23日 (火)

天才と凡才

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わたしはネット上で、これと思うような写真や絵画をみつけると、専用のフォルダに保存しておくことにしている。
芸術 (アダルトっぽいものもある) を鑑賞するのはわたしのひそかな趣味なのである。
前項でマンガ家、映像作家の近藤聡乃さんについてふれたけど、彼女の絵もじゅうぶんに保存に値する。
というわけでネットにちらばっている彼女の絵を40点以上集めてウケに入っているところだ。
彼女はその世界ではすでにかなり有名な人らしいので、知るのが遅すぎたきらいはあるけれど。

この聡乃さんという人は、ただの絵ではなくストーリーのあるマンガも描くところをみると、努力の人ではなく天才なんだろうなと思う。
なぜなら、絵とストーリーを両立させるのは絵だけを描くよりむずかしいからである。
絵を描くだけなら、あるいは努力でなんとかなるかもしれないし、わたしだってどうにかなっていたかもしれない。
こうみえても若いころはせっせとマンガを描いていたのである、ワタシゃ。

経歴を調べてみたら、聡乃さんも若いころつげ義春のマンガに衝撃をうけ、「ねじ式」 のパロディなんかを描いたこともあるらしい。
わたしもつげ義春のマンガに衝撃をうけたひとりである。
同じように衝撃をうけたということは、わたしだってまがりなりにも傑作の傑作たるゆえんを見抜いていたことにならないだろうか。
「ねじ式」 みたいな作品が描けないものかと、わたしはせっせとマンガを描いた。
しかし傑作を理解するのと、自分もそんな作品が描けるかどうかということはぜんぜん別の問題である。
他人の作品のすばらしさはよくわかる。しかし、同じようなものがどうしても自分には描けない。
これは絵描き、マンガ家、その他もろもろの創作活動に従事する人間にはとてもつらいことである。
つらさが嵩じてノイローゼになりかけたり、いっそ首でも吊っちまおうかと考えたこともある。
わたしが屈折していて、他人に対してひじょうに辛辣なのは、このころの体験によるものじゃあるまいか。

そんなことはどうでもいい。
同じように「ねじ式」に衝撃をうけ、同じようにせっせとマンガを描いたにもかかわらず、一方はマンガ家として大成し、一方は挫折して相応の人生にあまんじているというのは、やっぱり天才と凡才の違いなのである。

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コメント

女性の裸 ヌード 画像 多いですね。
人類は 今 何を 求めているのだろうか

投稿: 村石太ちゃんマン | 2010年11月24日 (水) 14時53分

おお、なんと壮大なことを考えてるお方。
人類はなにを求めているのか・・・・・・
ワタシも若いころはそんなことをよく考えました。
最近じゃもっぱら実物大のオンナを求めておりますが。
ムナシイ。

投稿: 酔いどれ李白 | 2010年11月24日 (水) 18時26分

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