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2010年11月11日 (木)

2010

2010

あ、また2001だ。
「2001年宇宙の旅」 については、わたしは市販されているDVDも持っているし、アナログ時代にテレビ放映されたものを録画して、DVDに焼いたものも持っている。
なんてことは1カ月ぐらいまえに書いたばかりだけど、それがまたまたテレビで放映された。
1カ月まえに、デジタル時代になってはじめての放送だってんで、録画してDVDに焼いたわたしだけど、さすがにもういくらなんでもうんざりだ。
で、今回はべつの話題。

「2001年」 の続編に 「2010」 という映画がある。
「2001年」 はそれだけで完結した大傑作と信じているわたしは、どこのどいつだ、続編なんか作ったアホはと思って調べてみた。
監督はピーター・ハイアムズというアホだったけど、ぬけぬけと続編なんか書いた原作者のアーサー・C・クラークにも責任がありそうだ。

「2001年」 では宇宙船やその船内、宇宙服のデザインが秀逸で、それだけでもわたしは感動したというのに、続編のほうが先輩よりも退化してるってのはどういうことなのだ。
リアルにこだわるとそうなるというんかい。
どうせリアルにこだわるなら、最後までリアルでいってほしいやね。
「2010」 の飛行士のまえにボーマン船長があらわれるなんて、オカルト映画じゃあるまいし。
わたしならこんなストーリーを考えるぞってわけで、自称SF作家のわたしのアイディアを紹介してしまう。

行方不明になったボーマン船長の消息を求めて木星までやってきた 「2010」 の乗組員たちは、そこで無人のディスカバリー号を発見する。
無人の、ああ、あのなつかしき精子型宇宙船に乗りこんだ飛行士たちは、そこでボーマンの残した手紙 (USBメモリでもいい) を発見して、彼がたったひとりで木星探査に乗り出したことを知るのである。
ま、ここまでは続編として、べつにおかしなところはない。

ボーマンの足取りをたどろうという 「2010」 の飛行士たちは、2人ばかり代表 (もちろん男と女だ) を選んで、木星探査に出発させるのである。
米国では大統領をやったとか、女を20人猟奇的に殺したなんて異常な体験をしたヒトは、手記を書いてすごいお金持ちになれるのだ。
であるから、このさい、誰が選ばれるかって飛行士たちが殺しあう人間くさい描写があってもいいし、女がイロ仕掛けで代表に選ばれる設定にすると観客がよろこぶだろう。

選ばれた2人はやがてボーマンと同じようにスペースゲートに迷いこみ、その先で見たものは豪華なホテルの1室ならぬ、荒涼とした原始の地球の姿だった。
「2001年」 のボーマン船長はスペースチャイルドに変身して、つまり人類の1歩先をゆく存在にレベルアップしたのだけど、こちらの2人の場合は、はっと気がつくとヒト猿に退化していて、映画はまた骨を武器に同類をぶちのめすというスタート場面にもどるのである。

これじゃ喜劇だという人がいるかもしれない。
喜劇だってキューブリックの 「博士の異常な愛情」 みたいな傑作もある。
わたしの原作のほうがクラークよりずっとマシじゃないか。
そう思わないか。

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