師走ぼやき
26日の朝日新聞は、1面と2面と3面までつぶして 「個から孤へ」 なんて特集だ。
アパートで孤独死する人のなんと多きことよ、来年はそれがますます増えるだろうという記事だけど、考えてみればわたしもアパートのひとり住まいだし、これは真剣に考えなければいけない問題かもしれない。
といったって、考えるってなにをどう考えるのか。どうすれば孤独死がふせげるのか。
先日、用事があってデパートに行ったら、階段のおどり場のベンチにつくねんと座り込んでいるおばさんが数人。
手になにも持ってないから買い物に疲れた人ってわけじゃなさそうだし、どうやら家にいると光熱費、暖房費がかかるというんで、いくらか暖房のきいているデパートのおどり場で時間をつぶしている人たちらしい。
男なら叱咤激励するのもいいが、女の人じゃどうすればいいのか。
女の人の場合は男運で人生が決まってしまう場合が多い。
結婚しても亭主が甲斐性のない男だったら、いや、べつに暴力をふるうとかいうわけじゃないけど、つまりありふれた小市民的人物で、安い給料で人生を終えるような人だったら、奥さんが必死に働いたってどうにもならないんじゃないだろうか。
亭主なんかに頼らないですむような特技をもった女の人がどのくらいいるだろう。
だいたい昨今は若者でも仕事がないくらいだから、ふつうのおばさんたちは、けっきょく生活防衛のためにデパートへ毎日出勤するしかない。仕事をするためじゃなく光熱費、暖房費を節約するために。
今朝の新聞に出ていた、生活保護をもらっているひきこもりの若者なんか、仕事をさせると他人よりワンテンポ遅い性格で、生きる資格がないなんて自分で信じてしまって、ひきこもりの現在はブログに思いを書き込むだけがゆいいつの生きがいだそうだ。
これじゃわたしのことを言われているみたい。
わたしの場合は生活保護をもらってないだけもうすこしマシだけど、この幸運はたまたま彼よりも早く、いい時代に生まれただけじゃないのかって煩悶してしまう。
夕刊にはサッカー協会の岡野俊一郎最高顧問の記事が連載されていた。
この人の人生はサッカーひとすじで、ほとんどぶれたことのない堂々としたものだったらしい。
もちろんそこには多くの努力があったんだろうけど、負け犬みたいな当方としては、努力できること自体が天賦の才能だったんじゃないのかと思いたくなってしまう。
努力という言葉は知っていても、性格や能力や家庭の事情で、それをする以前に挫折する若者のほうがはるかに多いのだ。
さて来年はどんな年になるのか。
ワンテンポ遅い若者には、なにかべつの才能がひそんでいる場合が多いけど、そうした才能をひろいあげ、活用してくれる社会がくるだろうか。
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