モヒカン族の最後
昨夜のBS映画劇場は 「ラスト・オブ・モヒカン」。
最近は映画の配給会社にむかしのような詩人・文豪がいないとみえて、安直に直訳したカタカナの映画タイトルがめだつけど、これもそのひとつ。
「モヒカン族の最後」 という、わたしが幼少のみぎりからなれ親しんだ、有名なタイトルがあるのに残念なことだ。
幼少のみぎりからというのはオーバーじゃない。
わたしは小学校低学年のころ、杉浦茂という当時の人気漫画家が描いた、この小説の翻訳マンガを読んだことがあるのである。
マンガだけではなく、子供向けの翻訳小説も読んだ。
いずれもタイトルは 「モヒカン族の最後」 になっていて、この言葉に郷愁を感じる大人も多いんじゃないかと推測する。
モヒカン族というのは、米国東部の山岳地帯に居住していたアメリカインディアンの一部族の名前で、縦にまん中だけ残してまわりを刈り上げるという、その独特のヘアスタイルが有名だ。
アメリカインディアンでは、西部の平原に住むアパッチやシャイアン、スーなんてのがよく知られているけど、モヒカン族は東部の山岳地帯の部族なので、勢力範囲は異なっている。
しかるに映画 「ダンス・ウイズ・ウルブズ」 を観ていたら、スー族の住む平原にモヒカン族のようなインディアンが悪役として登場してきた。
これは実在したポーニー族ってことだそうだけど、恰好からしたらモヒカンみたいで、しかも悪党づら。
そんなのありかよってわけで、わたしはこれだけで 「ダンス・ウイズ・・・・」 がアカデミー賞に値しないと決めつけてしまった。ケビン・コスナーもきらいだし。
映画 「ラスト・オブ・モヒカン」 については、どこにモヒカン族が出ていたのっていいたくなるような駄作なので、論評はシマセン。
原作は初期の開拓時代をあつかったジェイムズ・F・クーパーの歴史小説で、子供のころはたんなる冒険活劇と思っていたけど、大人になったいま考えると、英国とフランスの植民地争いにまきこまれた少数民族の悲劇という読み方が正解のようだ。
読んだのがそうとうに昔のことなので、はっきり内容をおぼえていないけど、モヒカン族の最後の勇者が敵対する部族のために殺され、ついに一族が絶滅するラストシーンは、子供ごころにも悲しみを誘われたおぼえがある。
たしか勇者の象徴は胸に彫られたカメの甲羅のマークだった。
もうひとつおぼえているのは、植民地争いに敗れた英国の兵士とその家族たちが、砦を追われ、集団で移動中に、敵方のインディアンに襲われて全滅するシーン。
これはじっさいにあった事件だそうだけど、森を知りつくしたインディアンが、ひとりまたひとりと兵士たちを消していくさまがとても怖かった。
だからといって英国に同情する必要はない。
最終的に勝利をおさめ、現在のアメリカの主みたいな顔をしているのは彼らの末裔だし、植民地争いのカタがついたあと、彼らがやったことは協力的だったインディアンを始末することだったのだ。
現在、アメリカインディアンは、部族を問わずほぼ絶滅危惧種であるらしい。
つまり狡兎死して走狗煮らるってことになっているのである。
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