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2011年1月

2011年1月31日 (月)

立川中華街

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前項の記事を30分で書いたあと、所用があって立川まで行ってきました。
ついでに、立川の駅ビル内にある中華街がまもなく閉鎖だそうなので、そこでメシを食ってきました。
写真でご覧のように、お正月気分はなかなかのものですが、中華街といってもとくに食べたいものがあるわけじゃなし。
ま、話のタネに行ってきたってことかな。

わたしはいちおう中国通のつもりですが、本場の中華料理というのがどうもニガ手で、しょっちゅう食べるのは吉祥寺駅前にある安いスタンド形式の店のアンカケこってりのモヤシソバで・・・・・・・ということはこのブログで何回か書いてます。
この吉祥寺の店のモヤシソバは和風味付けの中華料理なんですが、なかなか美味しいし、ギョウザとセットで1000円ぽっきりというのもステキなんで、財布の軽い当方としては、ほとんど吉祥寺に出かけるたびに食べています。

立川の中華街については、しょっちゅう出かけたわけじゃないからなんとも言えないけど、こんなふうに麻薬みたいにしょっちゅう食べたくなる料理がないと、お店の繁盛はむずかしいんじゃないかな。
閉鎖ということは店員のみなさんはどうなるのかしら。
使い捨てのカイロみたいに、この寒空にほっぽり出されるのかしら。
心配だよな。
レストランの店員さんたちが、解雇反対の企業闘争をしたって話もあまり聞かないし。

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2011年1月30日 (日)

マルタ雑記

いやあ、えかった。やっぱりわたしはついている。
なにがって?
じつはもうすぐマルタ島ってところへ旅行に出かけるんだけど、この旅行は2カ月もまえに申し込んだものだ。
エジプトにしなくてよかった、ホント。
今朝の新聞をみるとエジプトは無政府状態、邦人200人が空港で足止めだって。
そりゃ楽しい体験だろうけど、わたしも仕事がある。
あんまりいつまで外国に滞在しているわけにゃいかんからね。

でもちと心配だな。
今回の混乱の発端となったチュニジアなんて、マルタと目と鼻の先だ。
余波がマルタにも伝播しなけりゃいいが。
ネットによる革命だなんて、昨今の若者は影響されやすいからねえ。
いやいや、マルタはイスラムの国じゃないから大丈夫って声もあるだろうけど、マルタだって一党独裁で政権が腐敗しているかもしれないし。

と思ったところで、わたしはこの国の政治体制についてなにも知らないことに気がついた。
マルタ島は日本の淡路島ていどの大きさの島らしいけど、れっきとした独立国であるそうだ。

あわててウィキペディアで調べたら、現在の大統領はジョージ・アベラ、なまいきに首相もいてローレンス・ゴンズィって人らしい。
この2人の名前からして英名とスペイン名のごたまぜみたいで、よくわからない国だ。
ウィキペディアには、マルタの国政についてけっこう詳しいことが書いてあるけど、なにしろ淡路島でしょ。
日本の市町村議会みたいなものなんだろうねえ。
べつに国民のあいだに不満がうっ積しているってこともなさそうだから、ま、なんだっていいか。

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2011年1月29日 (土)

マルタ考の4

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ネットでマルタの写真を検索すると、写真Aと同じ位置から撮影した写真によく出くわす。
これはアッパーバラッカ・ガーデンというところから撮影したもので、どうやらここは観光客が誰でも訪れる展望ポイントになっているらしい。
このポイントはヴァレッタ市街のどのへんにあるのだろう。
ヴァレッタのある半島の写真をたくさん収集して、シャーロック・ホームズになったつもりでじいっとにらんでみた。

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最初は写真Bの、□印から△印のあたりをねらったものかと思ったけど、写真Aをもういちどよく見ると、向こうに見える岬のかたちが違うから、ウーンである。
これは○印から、□印のあたりを撮ったものであるらしい。
そういえば○印の中に、背の高い、いかにも展望台みたいな建物が見える。
なるほどねと、こんなことに興味のない人にはつまんないことをしてるなとしか思えないだろうけど、旅好きにとってはなかなか楽しいお遊びだ。

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マルタ島最大の観光ポイントは、カラヴァッジョの絵がある聖ヨハネ大聖堂だろう。
ネットで集めた写真の中に神田のニコライ堂のような丸屋根の建物がよくみられるので、最初はこれ大聖堂かと思った。
しかし、googleの地図および俯瞰写真を拡大してみたら、丸屋根の建物はカルメル会の教会といって、いわくのある教会であるらしいけど、聖ヨハネ大聖堂ではないようだ。
地図で聖ヨハネ大聖堂を検索すると、これは半島のほぼまん中にあることがわかる。
騎士団長の宮殿なんて観光ポイントもあり、これはワンブロックはさんで聖ヨハネ大聖堂の向かいにあるらしい。
大きなヨット・ハーバーもあって、これはどのへんだろうといろいろ推測してみる。

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こんな調子で、ネットでいろいろ調べてから現地に行くことは、わたしみたいにひとりで街をぶらつこうという人間にはなかなか有用なことだ。
自分の想像と現地の景色がぜんぜん違っていたなんてこともあるけど、これまでのところ、まったくはじめての土地でもわたしの予想はなかなかよく当たっているのである。

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2011年1月28日 (金)

M君

わたしの友人知り合いは、梁山泊の英雄たちのように、個性ゆたかな経歴の持ち主が多いんだけど、そのうちのひとりで、かってプロの音楽家をめざしたM君が、ライブハウスで演奏している映像がみつかったので、彼の許可をえてYouTubeに載せておいた。
映像名は matsuoka jazz 001 ~ matsuoka jazz 004 までの4本。
ちなみにネット・アドレスは以下のとおり。
http://www.youtube.com/watch?v=q0LuBKgHYNM&feature=mfu_in_order&list=UL

このころの彼はフリージャズにはまっていたようだけど、うん、わたしとしちゃ、ブルースやスタンダード・ナンバーも聴きたいところなんだけどね。

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2011年1月27日 (木)

簡単じゃない

若い友人と散歩をしていたら、たまたま公園の中のコンクリート橋のてすりをつけ変える工事をしていた。
彼はそれを見て、なんで政治家は無駄な公共事業ばかりに金を使うんでしょうねえ。
そんなくらいならホームレスの人たちのために、無料の宿泊施設でも作るほうがよっぽどいいんじゃないですかといいだした。
これは無責任な弱小政党に多い意見だけど、話はそんなに簡単ではない。

わたしは彼にいう。
たかがてすりの工事でも、工事を請け負った建設会社や、じっさいに作業をしている土工さんがお金をかせげる。
お金をかせいだ土工さんはスーパーで買い物をする。
するとスーパーの店員さんも助かる。
助かったスーパーの店員さんは、自分の給料を車のローンにつぎこむかもしれない。
こんどは自動車メーカーの社員が助かる。
そういうふうにお金は順繰りにあっちこっちにまわっていくだろう。

ホームレスの人たちのために無料の宿泊施設を作った場合はどうか。
たしかに寒さにふるえるホームレスの人たちは助かる・・・・・・
それっきりである。
ほんとうに必要なのはホームレスの人たちに仕事を与えることなんだけど、住まいがあっても仕事がないのでは話にならない。
だから公共事業にお金をつぎこんだり、企業に減税をして経営を助け、すこしでも仕事を増やそうという政策は、けっして無駄とはいえないんだよとわたしは若い友人に説明する。
もちろんバランスの問題だけど、公共投資や企業減税をわるくばかりいうのはちょっとねえと。

なんでこんなことを書いたかというと、わたしの年配の知り合いの中にも、この程度のことがわかってない人がいるからだ。
この程度のことを解説するなんて、わたしも池上彰さんみたいだな。

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2011年1月26日 (水)

弁解

ようやくマルタの日程表が届いた。
これによると、わたしがひとりで行ってみようかと思っていたマルサシュロックという港町も、オプションで選べるようである。
路線バスで行くほうが安いに決まっているけど、オプションの気楽さも捨てがたい。
さて、どうしようかって悩んでしまう。
マルサシュロックって町については、テレビの紀行番組で知ったんだけど、どうもこの番組自体がどこかの旅行会社のツアーをそのままなぞったらしい。
けしからん。
テレビ会社ならもっと誰も行かない場所を紹介してくれなくちゃ。

近いうちに海外へ行きますなんて、このブログでしょっちゅう宣伝してるけど、ちょっと気がかりなこともある。
この不景気な世の中で、家族の生活や子供の学費、家のローンに追われ、ついにいちども海外旅行をしないまま人生を終える人だっているだろう。
いい身分だよなという冷ややかな声も、わたしの耳に聞こえてないわけじゃないのである。
で、そのへんをなんとか弁解する屁理屈をひねくり出す。

「CAR GRAPHIC」 という雑誌がある。
1962年創刊というから日本の自動車雑誌のしにせといっていいような雑誌である。
日本ではマイカーなんてまだ夢物語だったころからある本なんだけど、当時からこの雑誌の売りものはベンツだとかジャガーなんかの試乗記だった。
若いころのわたしは国産の安い車でさえとんでもないという身分だったけど、記事そのものはなかなかおもしろかった。
で、ずるずると20年以上も購読しちまったんだけど、これは、なんというか、つまり貧乏人のあこがれを満たしてくれる本だったとでもいえばいいだろうか。
世の中にはこんなふうに、他人に自分の夢を託して楽しむという人もいるのである(と信ずる)。

わたしの場合、旅に出かける理由は、べつにブランド商品を買うわけでもないし、おいしいものを食べたいというわけでもない。
とにかく自分の知らない世界を見たいという情熱につき動かされての旅で、そのために失ったもの、世間から後ろ指さされることも少なくないのである。

そういうわけでありますんで、わたしにとって旅というものは、ほかのものを犠牲にしたゆいいつの楽しみなんだということをどうかご理解なすって、なんとか大目にみてもらいたいのである。
引き合いにされた 「CAR GRAPHIC」 には申し訳ないけど。

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2011年1月25日 (火)

GUY BILLOUT

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昨日 (月曜日) の新聞にはGLOBEというおまけ紙面がついてきて、特集は中国の80后 (バーリンホウ) という世代について。
これは1980年以降に生まれた中国の新人類たちのことで、ひとりっ子政策の下で大切に育てられたものの、いま激変する中国の中で、さまざまな新しい問題をかかえる世代でもあるのだそうだ。

とはいうものの、ここでわたしが書こうというのは、80后や中国のかかえる問題ではなく、GLOBE紙面のかたすみに掲載されている小さなひとコマ漫画について。 GUY BILLOUTというマンガ家についてである。
上手いマンガ家がヘタに描くのはむずかしいということを、このブログでも書いたことがあるけど、このマンガ家の作品も子供が描いたマンガのようにヘタである。
というと語弊がある。
この文章はわざとふざけてみただけで、わたしがマンガが上手いということはけっしてなく、この BILLOUT  というマンガ家がヘタということもぜったいにない。
つまり線を多用した一見器用なマンガ家には、単純でわずかな線しか使わないこのマンガ家の作品は真似できるものではないのである。

興味をもったのでネットで GUY BILLOUT を検索して、このマンガ家の他の作品も見てみた。
ホームページに掲載された作品を見ると、けっして単純な線ばかりのマンガ家でないことがわかる。
http://www.guybillout.com/

ここにあるのはちゃんと色づけされた、どこかシュールレアリスムの画家ルネ・マグリットを思わせる、静寂の中にユーモアと皮肉をきかせた絵ばかりだ。
80后 (バーリンホウ) の問題で、よそごとながら小さな胸をいためた当方にとって、ささやかななぐさめを与えてくれる絵なのである。

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2011年1月24日 (月)

アホらしさの証明

胃ガンじゃないかというわたしの予想はみごとにはずれてしまったようだけど、じつはわたしにはいまガンになるのはまずい事情があるのだ。
去年の暮れの 11月24日のこのブログで、カルト宗教にとりこまれちゃった若い娘のことを書いたことがある。
こういう手合いの目をさまさせるため、わたしはかなりきつい言い方で、おたくの教祖サマは大馬鹿野郎だと言い切ってやった。

あれから2カ月。
いまわたしがガンになったりしたら、彼女らは、それみろ、やっぱりバチが当たったなんて思うだろう。
ヘタすると彼女らの所属する宗教団体が、大喜びで機関紙で宣伝するかもしれない。
人間が長く生きていりゃガンになることもあるさといったって、彼女らがそんなものに耳を貸すはずがない。
わたしはぜんぜん望まないまま、カルト宗教の宣伝材料にされてしまうおそれがある。
だから、すくなくともここ1年か2年は、わたしはガンなんてものになるわけにはいかないのである。
わたしが無事でいることが、そのままカルト宗教のアホらしさの証明になるのだから。

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胃カメラ

行ってきました。胃カメラを飲みに。
予約はしてあったから、病院の内視鏡受付にいくと、ここにはすこぶるつきのカワイ子ちゃんナースがいて、検査のまえにあれやこれやと質問する。
ぎらぎらした眼で彼女を見つめながら、Yes、No式の質問に答えていたら、精神安定剤の注射をうちますかという項目があった。
そんなにおそろしい検査なのかと不安になったけど、カワイ子ちゃんは大きな目をぱちくりさせて、胃カメラ飲むの初めてでしょう。うっておいたほうがいいかもしれませんよと耳もとでささやく。
まだ麻酔も飲んでないのにぼうっとなったわたしは、うちますと答えてしまった。

つぎにゼリー状の麻酔薬を飲まされる。
あごをぐんと上げて薬を4分間口内にとどめておき、その後飲み込んでくださいといわれる。
しだいにのどがしびれてくるのがわかる。

そのあと、今度はタイ式マッサージみたいな小部屋にひっぱりこまれ、無愛想なベッドに仰向けに寝て、ズボンをゆるめておいたほうがいいでしょうといわれる。
期待と不安でドキドキで、新しいパンツをはいてきてよかったと思う。

でも、べつにパンツ姿になる必要もなく、さて、いよいよ胃カメラだ。
プラスチックのマウスピースをがっちりくわえると、その中へ黒いケーブルがさしこまれる。
この先端に胃カメラがついているらしい。
それが食道を通るとき、ぐえっと2回ほどこみあげたけど、あとは不快感があるものの、精神安定剤を必要とするほどショッキングなものではない。

目の前にテレビモニターがある。
とても胃ガンなんかありそうもないピンク色のきれいな肉壁がぬめぬめと動いている。
ホルモン焼きの材料としても十分に使えそうである。
担当医の顔をうかがってみたけど、末期ガンの患者に対するならもうすこし気のドクそうな顔をしそうなもんだ。
いや、べつに問題ないですねとあっけらかんといわれ、検査はものの15分か20分で終わった。

前日の夜からなにも食べてなかったから、検査が終わったあと、駅まで40分ほどぶらぶら歩き、駅前の中華料理屋でモヤシソバとギョウザを食べて帰宅した。
最近のわたしの体調は、快食快便、体重もぜんぜん変わってないから、胃ガンだなんて最初から期待してなかったけど、これでまた苦痛にみちた人生が長々と続くかと思うと、ちっと悲しい。

ほんとうのガンで苦しんでいる患者さんがこんなブログを読んだら怒るだろうなあ。
反省しなくちゃいけないかしら。

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新世紀

3、4日まえのNHKニュースで、NHKにも内部情報をリークさせるウイルス入りのメールが届いたと報じていた。
ひじょうに手のこんだ、引っかかりやすいメールだったそうで、皆さんも注意しましょうとのこと。

わたしの場合、プロバイダのほうでウイルスを阻止してくれる契約をしているから、すくなくともネットを通じてウイルスが侵入する可能性はなさそうだけど、友人とデータのやりとりなんかをすることがあるから、もうすでにウイルスに侵入されているかもしれない。
わたしのパソコンに蓄積された情報が漏えいしているとしたら、これは恐ろしいことであるってことはぜんぜんない。
漏えいして困るような情報なんてぜんぜんないのである。
イヤラシ系の画像や映像もいくらか蓄積しちゃっているけど、いまどきそういうものがぜんぜん蓄積されてないパソコンなんてこの世に存在するのかってモン。
パソコンでつまらない日記をつけているけど、犯罪行為に加担しているわけでもないし、不倫もしているわけじゃない (してみたいとはつねづね考えているがなかなかチャンスがない) から、他人の興味のマトになるような情報ではないのである。

だいたいわたしみたいな一般庶民の情報までかき集めていたら、その分析の手間ひまは膨大なものになるから、だれかがわたしの秘密を調べてるってことはないだろう。
しかし、とりあえず分析はあとまわしにしたまま、そういう情報がどこかに蓄積されていて、わたしが将来、ありえないけどかりに有名タレントにでもなったりしたら、名前から検索されて、たちまち過去が洗いざらい暴露され、隠し子がいたなんてことがバレることになるかも。

もちろんこんな大事業は、個人や特定の国家やアサンジ君がやるわけじゃなく、いまや世界的ネットワークとなったコンピューターの仕業である。
ウィキリークスが把握している情報だけではなく、世界中にはありとあらゆる場所にデジタル情報があふれている。
NHKの情報を入手しようとしたのが誰であっても、その情報は最終的にコンピューターのものになる。
そのうちそういうものがすべてネットを通じて、ただひとつのコンピューターにより一括管理される時代がくるだろう。

おそろしい時代になったものではないか。
どこか知らない土地を見たい、未知の外国へ行ってみたいというわたしの好奇心が尽きないように、パソコンという巨大な有機体が欲する知識欲は、満足するということを知らないのかもしれない。
わたしの情報を世界中の人が共有する時代がもうすぐかもしれない。
もちろんあなたの情報も同じである。
個人のものも国家のものも、隠しておきたい秘密までも含めて、世界中のありとあらゆる情報が人類の共有物となる。
それはけっこうなこと、あるいは不幸なことと思われるかもしれないけど、そのときも人間はコンピューターの主人づらをしていられるのだろうか。

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2011年1月21日 (金)

マルタ考の3

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ネットや録画したテレビ番組を観て、さらにさらにマルタ島の勉強をする。
行くまえからあれこれいっても仕方ないっていう人もいるかもしれないけど、わたしはこうやって目的地についての勉強や研究するのも旅の楽しみだと信じているので、自分の思考回路を説明するつもりなのである。

 

マルタには旧都市のヴァレッタ以外にも世界遺産が多いらしい。
ただ、ものすごく古い神殿だとかお墓だとかで、写真で見ると大きな石を組んだ、あまりおもしろそうなものではない。
トルコで見たトロイやエフェスの遺跡は、わたしがギリシャ神話を読んでいたから興味があったもので、マルタのそういう古い遺跡についてはまったく知識がない。
これではおもしろがりようがない。
そんなものを見るくらいなら市街地や田舎をよぶんに歩くほうがましだ。
※写真はネットで収集した空からのヴァレッタ市街。

 

マルタ島をあつかったテレビ番組を観ていたら、島の中央にあるイムディーナという町が出てきた。
番組では、この町の郊外にあるレストランでお茶を飲むことになっており、そのレストランのまわりは農村で高台になっていて、ここからながめる景色は絶品とあった。
これはぜひ見たいなと思ったら、今回のツアーにはちゃんとこの町の観光も含まれていた。
番組のほうはなかなか親切で、ヴァレッタからイムディーナまで路線バスが 0.47ユーロだなんてこともわかってしまった。
あまり半端な数字をおぼえるとかえってややこしくなるので、わたしは1ユーロが110円ぐらいとおぼえていくつもりだけど、これでいくと路線バスは50円ちょっとということになる。
バスの値段からすれば、日本よりだいぶ物価は安そうだ。

 

番組では続いて有名な観光スポットの 「青の門」 なんてのが出てきた。
これは浸食された海岸にある洞窟だけど、船で洞窟めぐりをするのは伊豆の堂ヶ島にもあるから、こんなものはあまり見たいと思わない。
青の門の観光ボートは7ユーロだそうだ。
ということは800円ぐらいかと、旅に出るまえにすばやく暗算をする練習にはなる。

 

番組の中でヴァレッタやイムディーナ以外に、わたしがもっとも見たいと思ったのは、マルサシュロックという港町で開かれていた魚市場だ。
大きなバラクーダや、ニシンやイカなど日本でもおなじみの魚が揚がっていて、これはおもしろそうである。
地図によると、この町はマルタ島の南東のはずれにあり、今回のツアーでは観光の予定に入ってないようだから、終日自由行動という日にコゾ島のオプションを遠慮して、ここまでタクシーをとばす手がある。
ヴァレッタやサンジュリアン地区から20キロもないようだから、わが家から都心までの距離ぐらいらしい。
これならタクシーで自由に景色をながめながら行っても、おどろくほどの料金ではないだろう。
こうやって徹底的に事前勉強をしていると、なんかもう行ってきたような気分になってしまう。

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2011年1月20日 (木)

お店の評価

前項で呉のサントスという店の思い出を書いたけど、それに関連してネットでこの店のことを調べたら、あいもかわらずレストランや料理屋の評価を、個人が勝手に採点するホームページやブログの多いこと。
さすがにけちょんけちょんにけなす評価というのはあまりないみたいだけど、おせじに毛のはえたような評価ばかり。
味にしろ、店の雰囲気、サービスにしろ、その受け取り方は個人さまざまで、誰かが美味しいと思った食事がほかの人にはそうではなかったり、こまかいサービスを期待する人にとってイヤな店でも、わたしみたいにおおざっぱな人間には、その無関心さがむしろ気持ちがいいという場合もある。

だいたい最近の日本国民の中に、ほんとに味のわかる人がどれだけいるのかい。
わたしは吉祥寺駅前にあるちっぽけな中華料理店の、あんかけこってりのモヤシソバが好物なんだけど、そんなことをいったらたいていの人が笑うだろう。
こういうブログの評価を読むと、誰が食ってもそこそこ美味しいと思えるものを美味しいといってるだけのようで物足りない。
しかも評価はとうぜん仮名か無記名という無責任。
以前、週刊朝日に「恨ミシュラン」という企画が載っていたけど、これは辛口の神足、西原両名が本音で店をけなしたりするから、味についての参考にはしないけど、読み物としてはなかなかおもしろかった。

昨日の新聞に、どこかのホテルのレストランに勤めるバイトの女の子が、店にやってきた芸能人のことをツイッターに書いて問題になったという記事があった。
最近の若者の中には、やっていいこととわるいことの区別もつかないのが多いらしいけど、お店の評価なんてのも、ネットで組織的にやっていいものか考えてしまう。

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2011年1月19日 (水)

サントス

いまは昔なんていうと今昔物語になっちまうけど、わたしがむかし海上自衛隊にいたことは、このブログでも何度もふれている。
20歳のころ、広島の江田島にある術科学校にいて、友人のカネコといっしょにしょっちゅう呉の街をぶらついていたということも、2009年9月17日のこのブログに書いたことがある。

たまたまカネコが当直勤務でわたしと休日が重ならない日があると、あまり友人の多くなかったわたしはひとりで呉まで出かけることになる。
そのころ、呉市内にわたしの行きつけの喫茶店があった。
フェリー桟橋から1キロほどしか離れていない店なので、夜になるとそこで時間をつぶして、てきとうな時間に桟橋にいく。
桟橋からフェリーで江田島にもどり、その晩は下宿に泊まって、月曜日の朝までに術科学校へもどるというのが、わたしにかぎらず、たいていの学生たちの生活パターンだった。

行きつけの喫茶店の名前は「サントス」である。
軽いアルコールが出たり、昼間不良っぽい女子高生が群れていることもあったけど、わたしはせいぜい夜の9時ごろまでしかねばることがなかったから、そのかぎりでは、まあ、どちらかといえばふつうの健全な喫茶店だった。

この店にひとりの女の子が働いていた。
顔だちはかわいらしかったけど、色気も愛想もない、もっそりした大柄な子で、注文をとるとき以外は、ほとんどわたしと口を利いたこともない。
わたしのほうも世間づれしていないウブな若者だったから、ひとりで行ったときは店のすみっこで本でも読んでいるのがせいぜいだった。

ある晩、小雨がパラついてきた。
わたしは私服だったけど、このていどならぬれていこうというのが自衛官である。
店を出ようとすると、この娘がぼっそりと、傘ないんでしょう、送っていくわという。
時間的にもう客がほとんどいなかったので、30分ぐらい外出してもかまわないだろうと娘のほうで勝手に判断したらしいけど、じつはとってもうれしかった。
カネコがいるときは別にして、そのころのわたしは自分ひとりでは女の子に声をかけるなんて、とてもとてもできない恥ずかしがり屋だったのだ。
そういうわけで、この娘とあいあい傘で、桟橋までほんの10分か20分歩いただけのことが、わたしの呉時代のほんわりと暖かい思い出になっている。

自衛隊をやめて20年ほどのちのこと、わたしは友人の結婚式に参列するために島根まで行き、ついでに呉を訪ねたことがある。
とっくになくなっていると思った「サントス」が健在だったのにおどろいた。もちろんあの娘は影もかたちもなかったけど。
おどろくのはまだ早い。
ネットで調べると、この店は、外装はいくらか変わっているものの、現在でもまだ同じ場所にあるようなのである。

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2011年1月18日 (火)

胃ガンの2

病院へいく。
胃ガンかどうか気になったので。

病院で待合室に置いてあった週刊誌を読む。
文春のエッセイで作家の椎名誠さんが、ビールをやめられず痛風になったとぼやいていた。
知り合いの痛風もちに電話したら、そうか、おまえもいよいよか、オメデトウといわれたそうだ。
こんな記事を読んで、むふふとほくそえんでいるのだから、わたしも相当に人がわるい。

ところで胃ガンだけど、人間の死に方としてはわるくないんじゃないか。
よく、理想的な死に方は、ある日とつぜんポックリいくことだなんていう人がいる。
しかしわたしみたいにマルタ島旅行を申し込んで、費用も払い込んだ人間が、出発直前にポックリいったらどうなのか。
これはくやしい。これじゃすなおに成仏できないぞ。

家も建てた、息子も成人した、いくらかの蓄えもできた。
さあ、定年後は晴耕雨読で、自分の趣味に生きるんだとはりきっている旦那。
会社をやめたとたんにポックリいったらどうするのか(じっさいにわたしの知り合いにそういう人がいた)。
奥さんはよろこぶかもしれないけど、本人は未練が残るよなあ。

それがガンで余命1年といわれた場合はどうなのか。
なにしろ1年ある。
貯金なんか全部おろしてしまってかまわない。
世話になった人たちにお別れをいう時間もたっぷりあるし、海外旅行も2、3回できるかもしれない。
芸者をあげてどんちゃん騒ぎをしたっていい。
野坂昭如さんの小説では、そうなったらワシ、恥も外聞もないわ。女子高生を強姦したるなんていう中年おやじが出てくるけど、そこまでやるのは乱暴としても、渋谷のハチ公まえ広場をまっ裸で走りまわってもかまわない。
意外とこういうこと、いちどはやってみたかったっていう人、多いんじゃないか。

えっ、わたしのこと?
胃ガンの可能性もないじゃないけどという診立てで、けっきょく何がなんだかさっぱりわからないから、来週は胃カメラを飲むことになりました。

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2011年1月17日 (月)

胃ガン

去年の12月に健康診断を受けたんだけど、結果が届いた。
ガーン!
上部消化管X線検査に陰影あり、だって。
上部消化管てのは胃袋のことじゃないか。
これは、つまり、あのあのあの、胃ガンのことじゃないか。
知らんぞ。 来年のいまごろは、わたしもいよいよお亡くなりになっちゃっているのかも。
とすれば余命 1年か。
年内に出撃を命じられた特攻隊員の心境だな。
このブログも闘病日記にころも替えして、カウントダウンでも始めるか。

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2011年1月16日 (日)

浅井家の3姉妹

ぜんぜん興味がないのはNHKの大河ドラマだけど、今年のそれは 「江 (ごう)」 という物語だそうだ。
江というのは織田信長の姪っ子の名前で、彼女には2人の姉がいた。
この3人姉妹の運命はなかなかドラマチックである。
番組に興味がなくても、わたしは歴史にはおおきな興味をもっているから、話のあらましは知っているのである。

司馬遼太郎の 「街道をゆく」 シリーズのひとつにも、彼女らにまつわる話が出てくる。
織田信長によって滅ぼされた悲運の武将浅井長政には、3人の娘がおり、彼女たちのその後によって、長政の血脈は途絶えることなく、日本史にかかわり続けていったという記述だった。
この3人の姉妹というのが信長の姪たちである。
信長は長政に自分の妹をくれてやったのである。

彼女たちの父親、浅井長政は、妹を嫁にくれるほど信頼していた織田信長に反旗をひるがえし、そのためにけっきょく滅ぼされてしまった。
信長はこの反旗がよっぽど憎かったのか、長政の頭蓋骨を器にし、酒を呑んだという逸話もある。
これはちょっと極端だけど、信長だったらそういことをしても不思議じゃないと思わせるところがコワイ。
信長という人は、ときに豪胆繊細さをみせるものの、そのじつ猜疑心がつよく、恨みを根にもつタイプの人物であったらしい。
独裁者にはこういうタイプが少なくないようで、同じような傾向をもった独裁者に、ヒトラーや蒋介石がいる。

3人の姉妹のうちでは、江よりも長女の茶々のほうがよく知られている。
信長の妹のお市の方に懸想した豊臣秀吉は、彼女にふられ続け、彼女が亡くなったあとは、その娘で母親にうりふたつの茶々に目をつけた。
それまでの因縁を考えると、茶々がよろこんで秀吉と結婚したとは思えないし、2人の年齢差は30以上あったらしいから、ヒヒ親父、いや秀吉の場合はサル親父というべきか。
うらやましいことである。

秀吉と結婚した茶々は、淀君 (淀殿) となって、秀吉亡きあと、せがれの秀頼とともに大阪城の灰燼の中に没した。
歴史というものは非情なもので、戦国の女の人は自分で相手を選べるわけじゃなし、ヘタな相手を押しつけられると、亭主とともに自刃しなければいけないこともある。
誰だって死ぬのはイヤに決まっている。
それが武将の妻のたしなみじゃ、宿命じゃという人がいるかもしれない。
しかし、たとえば3人姉妹の母であるお市の方は、浅井長政が死んだあと、生きながらえて柴田勝家に嫁した。
NHK大河ドラマの主役である江ちゃんにいたっては、3回も結婚していて、最後の旦那の徳川秀忠とはたくさんの子供をもうけているから、このあたりは戦国の女性もなかなかドライである。
最近の大河ドラマのヒロインはノーテンキでお気楽な女性が多いけど、「江」 もそういうタイプらしい。

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2011年1月15日 (土)

軍人たちの野望

新聞にちょっと気になる記事があった。
中国の次世代ステルス戦闘機の試験飛行のことを、胡錦濤国家主席が知らされてなかったようだとのこと。
新聞でも中国ではシビリアン・コントロールが機能してないんじゃないと書いていたけど、ありうるなあと不安になる。
だいたい胡主席って、最近なんか影がうすいもんな。
そのくせ、中国の軍備が増強なんて記事はここんところしょっちゅうだし。
文民統制が機能してないってことになると、中国の軍隊、軍人はコワイぞー。

改革開放後の中国では、軍人あがりの政治家ではない、民主主義や経済に通じた新しい世代の政治家がようやく台頭してきた。
グローバル化された国際社会で先進国に太刀打ちするのは、軍人あがりの政治家の手にあまるから、これはいい傾向だけど、その一方でそんなテクノクラートになめられてたまるかという勢力も依然として存在するらしい。
まずいことに軍隊という暴力組織(仙石クンにいわせると)をにぎるのは、そういうなめられてたまるかの勢力なのだ。

だいたい中国って国では戦前の軍閥に象徴されるように、各地に軍隊が存在して、それぞれ独立の気概をもっている場合が多かった。
軍隊が中央に従わないのはいまに始まったことではなく、あの天安門事件のときでさえ、北京の軍隊と広州の軍隊は一枚岩ではなかったという説もある。
事件の首謀者らがやすやすと国外に逃亡できたのは、広州軍区に中央の命令をきかなかった勢力があったからだそうだ。

そのていどならまだしも、今回のように勝手にやりたいことを始めると、それが中国の場合は、なんといってもいまや米国に肩をならべようっていう大国だから、ひじょうにコワイことである。
軍隊が政府をさしおいて権力をにぎるという例は、途上国に数えきれないほどあるし、北朝鮮だって実質的に権力をにぎっているのは軍隊だ。
中国はすでに国際協調の枠組みに組みこまれた大国だから、そんな乱暴なことはするまいと思っていたけど、ここんところの状況は軍人たちの野望の萌芽のようにみえる。
軍人が自国の中だけでわがままをいってる分には、他国はひややかに傍観しているだけでいいけど、力をつけた暴力組織が、過去の屈辱的な歴史の意趣返しでも思いたたないという保証はない。
なんだか今回のブログは櫻井よしこさんみたいな論調になってしまった。

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2011年1月14日 (金)

マルタ考の2

ブログのネタがないときは、旅のことでも書いているにかぎる。
楽しいし、役にたつこともある。
で、またマルタのお勉強。

海外旅行をする場合、気になるのはどんな服装で行けばいいかということだ。
南海の孤島ならTシャツでいいし、南極に行くならダウンやラクダのももひきが要る。
マルタ島の場合はどうすればいいのか。
地球儀をくるくるまわしてみたら、マルタというのは東京とあまり変わらない緯度にあった。
しかし東京はだだっ広い太平洋に面しているのに対し、マルタはなんとなく暖かいというイメージの地中海のまん中にある。
しかも、とっても熱いというイメージのアフリカ大陸がすぐ目の前だ。
これでは単純な比較はできないのではないか。

で、またネットでいろいろ調べてみた。
2月の平均気温が、昼間で15度ぐらい。
夜は10度前後らしい。
これは東京より7、8度暖かいということで、マルタの2月は東京の4月ぐらいの気温になるらしい。
これなら冬用のコートはいらないだろう。
ということで、わたしは今度の旅行に、春もののコートをひっかけていくことにする。
もちろん世界的に天候不順の昨今だから、2月のマルタに氷河期がこないともかぎらない。
用心のためにユニクロのヒートテックも準備してある。

冬のマルタは雨が多いそうだ。
この点は気にいらないけど、それでも調べてみると、10月から12月にかけてのピークを越したあと、乾季の6月7月にむかって雨はじょじょに減少する傾向にあるようだ。
それでもどうしても雨が降りたいというなら、ホテルで本でも読んでいるかパソコンで遊んでいることにする。
わたしはせっかく来たのだから全部見たいという標準的観光客とはちがうんだし、部屋ごもりにそなえてミニ・ノートパソコンを持っていくから心配はいらない。
そんな心配より、目下の悩みはカップラーメンを持って行ったほうがよかんべかということ。
西洋料理の攻勢に1週間も耐える自信がないもんで。

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2011年1月13日 (木)

アンドロイド

昨夜の 「クローズアップ現代」 がロボット (アンドロイド) を取り上げていた。
念のため説明すると、ロボットは、たとえば自動車メーカーの溶接ロボットのように、機械そのもので人間に似ている必要はないけど、アンドロイドというのは人間に似せたロボットということになる。
日本はこの分野で世界の最先端をいってるそうである。
そのうちマンガよりこっちのほうが日本を代表する文化になるかもしれない。

番組に制作中のアンドロイドが出てきたけど、これは制作している研究者の顔に似せて作ってあり、研究者がアンドロイドにつきそってああだこうだと説明すると、そのうちどっちがアンドロイドなのかわからなくなってしまった。
疑惑は疑惑を生んで、他の出演者もどれが人間でどれがアンドロイドなのか混乱した。
ひょっとするとキャスター国谷裕子さんも本人なのかと心配になってしまうくらい。

おっそろしい時代がもうすぐである。
現在でも女と思って話をつけたら、オカマだったってトラブルがたまにあるみたいだけど、そのうちホテルへ連れ込んだ相手が、アンドロイドだったという気のドクな事件もおこるかもしれない。
ずうっとまえに 「空気人形」 という映画を観たことがあるけど、これはビニール製の精巧なダッチワイフのことだった。
この世界では精巧であればあるほど歓迎されるようだから、アンドロイドが世界一の産業になり、雇用の拡大や貿易黒字におおいに貢献する可能性もある。
うん、日本の未来は明るいぞ。

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2011年1月12日 (水)

ハタリ!

Hat

古い映画だけど 「ハタリ!」 という、アフリカで野生動物を捕獲をするのが商売の男たちを描いた映画を観た。
野生動物を捕獲するというと、ジョン・ヒューストンの 「荒馬と女」 なんて作品もあるけど、あちらがシリアスなのに対し、こちらは深刻な部分がまったくない健全スポーツみたいな映画である。
それでも監督がハワード・ホークスだから、ポンコツ・ジープで動物を追いかけて、首に縄をひっかけるという動物の捕獲シーンはそうとうの迫力だ。
追跡する場所はサバンナの道なき道だから、危ねえなと思っていたら、案の定そのうちジープが横転してしまった。
まだコンピューター・グラフィックのない時代の映画だから、俳優もしくはスタントマンも命がけである。

サイを捕まえるシーンでは、そんな危険なことをするより麻酔銃でも使ったほうが早いんじゃないかと思ってしまうけど、野生動物にいきなり麻酔を使うと、薬の分量がわからず動物を殺してしまうことが動物園でもけっこうあったそうだから、この映画のやり方は正しい。 と思っておく。

この映画の中にチーターが出てくる。
野生をとらえたテレビ番組なんかにもよく登場する、世界最速の足をもつとされるネコ科の動物である。
これが俊足をとばしてカモシカなどを捕まえるシーンなんかみると、おっそろしい猛獣という感じがするけど、じつはチーターは人間に馴れやすいおとなしい動物である。
そんなことは知らなかったむかしのこと、動物カメラマンの岩合光昭さんが、鼻つきあわせるように正面近距離からチーターの写真を撮っているのをみてビックリしたことがあった。
これはチーターだからできることで、ライオンだったらそうはいかない。

チーター以外では、野生のゾウの子供を育てるなんて、そんなにうまくいくのかよとつっこみを入れたくなる場面もあるけど、なにしろ健全スポーツだから、この映画に関しちゃお固いこと言いっこなしだ。
野生動物や原住民とのふれあい(そしてちょっぴり女優さんのお色気)も取り入れられていて、「ハタリ!」 は自然科学の番組が好きなわたしにも十分楽しめる映画だった。

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2011年1月11日 (火)

魚影の群れ

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この季節になると、散歩道のわきの小川で見られる小魚のたぐいがめっきり減ってしまう。
と思っていた。
ところが今年の冬は、よく注意していると、けっこうあちこちで小魚の群れを見る。
いままで気がつかなかっただけなのか、それとも今年は特別なのか。
いずれにしてもカワセミやサギの仲間もひもじい思いをしなくてすみそうで、ご同慶のいたり。

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2011年1月10日 (月)

マルタ考

2月にマルタ島というイタリアの先のほうにある島に行ってみるつもりなので、事前にいろいろ調べている。
旅好きにとって、この下調べは楽しいひとときである。

Malta_map2

まずネットでマルタ島の地図を入手した。
島の全図(左側)と、マルタでもっとも見たい世界文化遺産の旧都市ヴァレッタあたりの拡大図(右側)である。
右側の地図のまん中あたりに、ななめ右上にむかって突き出したのがヴァレッタのある半島で、わたしが泊まる予定のホテルは、サンジュリアン地区というから、その上のほうに突き出した半島の中にあるらしい。
この地図をにらむだけで、ヴァレッタの位置や大きさはわかるけど、もっと実感的なものを知りたい。

Valletta2

そこで、つぎにマルタの写真を入手した。
写真は海側から俯瞰したヴァレッタで、中央やや右側の、むこうからこちらへのびた半島のなかに旧都市はある。
地図と写真をじいっとながめる。
このふたつを交互ににらんでいると、いろんなことがわかってくる。
ヴァレッタのある半島の先端から根もとまで、いいとこ2キロ。
ということは、わたしの家からだいたいあのスーパーあたりまでかと頭のなかで想像する。
毎日散歩をこころがけているわたしにとって、旧都市をぶらぶらするのはそんな大変じゃないはずである。

わたしの泊まるホテルからヴァレッタ市街まではどのくらいあるだろう。
ヴァレッタのある湾はひじょうに複雑なかたちをしているので、海岸をたどっていたらけっこうな距離になってしまう。
日本ならすぐに湾口に橋をかけてしまうところだけど、マルタじゃそうはいくまい。
それでもホテルが、サンジュリアン地区の、ヴァレッタからもっとも遠い場所にあったとしても、道に迷わなければせいぜい3~4キロじゃないか。
このていどなら、めずらしい景色をながめたりお店をひやかしているだけで着いてしまう。いやならタクシーや路線バスを利用してもいいし、3~4キロなら、タクシーだって浪費といわれるほど高いわけじゃないだろう。
湾内には連絡船もあるだろうから、そういうものに乗ってみるのもおもしろいかも。
くたびれたらどこかそのへんの、きれいな娘のいるカフェにでも飛び込むとか。
むふふと、空想はどんどんふくらんでしまう。
でもオレって、女の子をくどけるほど英語やイタリア語が得意じゃないもんなと、いささか気がかりな点もあるけれど。

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2011年1月 8日 (土)

カモメのジョナサン

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ここんところ鳥の写真ばかりだけど、うちの近所には冬になるとカモメもよくやってくる。
多摩川をさかのぼってくるとしたら、うちから東京湾まで30キロはあるぞ。
でもこんなことぐらいで驚いちゃいられない。

わたしは以前、群馬県の沼田のあたりで、川面をカモメが飛翔しているのを見たことがある。
ひたすら新潟のほうへ向かっているように見えたから、あれは三国峠を越えて日本海まで飛んでいったのかもしれない。
ひょっとすると平凡な日常に飽きたヘソ曲りのカモメが、未知の世界を求めて探検と冒険の最中だったかも。

ヘソ曲りのカモメといえば、むかしブームになった 「カモメのジョナサン」 が有名だ。
これはなんとかいう米国の作家が書いたカモメが主人公の本で、日本でも翻訳されたからもちろんわたしも読んでみたけど、平凡なカモメ生活に飽きたカモメが、カモメの新しい生き方を模索するという、ちょっと聞くとおもしろそうで、芸術作品にも思えてしまうというアホらしい本だった。
それでも挿絵がわりに写真がいっぱいついていたから、写真の好きなわたしの書斎にしばらく置いてあったけど、その後の定期的な本箱粛清で、ゴミ箱にたたっこまれていつのまにか姿を消した。

カモメというのは馬鹿なのか利口なのか (たぶん馬鹿なんだろうけど)、世間づれしていてあまり人間をおそれない。
うちの近所でも野鳥にエサをやる人がいて、それが目当てなのか、エサなんかやる予定のないわたしの周辺をひらりひらり。
沼田のあたりで見かけたカモメは、こういうエサひとすじの生き方とは一線を画し、新天地をめざしたヘソ曲りのジョナサンだったかもしれない。
うん、なんか共感を感じてしまうなあ。

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2011年1月 7日 (金)

ウサギ

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散歩していたらアオサギがいた。
その向こうのほうではウ (鵜) が潜水して魚を追っていた。
ウとサギが異常接近、と大騒ぎするようなことではないけれど、ウとサギである。
ウとサギ・・・・・・・ ウサギ・・・・・・・
はからずも今年の干支がそろっちゃったという写真。

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2011年1月 6日 (木)

サギ2景

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こんな季節に餌なんかいるのかと心配になってしまいますが、橋の上から見下ろしたら、サギがじっと思案顔。
もう1羽は、高い木のこずえで冷たい風に吹かれながら思案中。
サギもおだてりゃ木に登るってところだけど、みなさん、いろいろ悩みはつきないようで。

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2011年1月 5日 (水)

機微

本棚の本を始末している最中だからといって、ほかの本を読まずにはいられない。
青春のころに読んで、ぜんぜんおもしろいと思わなかった三島由紀夫を、また読んでみたくなった。

彼の遺作になった豊穣の海のうち、早く発表された 「春の雪」、「奔馬」 を初めて読んだのはそうとうに昔だけど、それらの中身をほとんどおぼえてないのは、やはりつまらなかったからにちがいない。
しかしあれから何年もたって、わたしも当時よりはすこしは精神的に成長したのではないか。
いま読めばまた感想が変わるかもしれない。
で、何を読もうかと考えたけど、数年まえにタイに旅行して、これが三島由紀夫が描いた暁の寺ですなんて説明を聞いて、それを読んでないのを残念に思った 「暁の寺」 を読んでみることにした。

というわけでこの正月はこれを読破したんだけど、結論を先にいわせてもらうと、ロクなもんじゃなかった。
こういう言い方がわるければ、わたしの求める小説じゃなかった。

読むまえに心配だったのは、華麗な出自と学習院、東大卒なんて経歴を持つこの作家に、庶民の生活や人生の機微が描けるのかということ。
川端康成の 「伊豆の踊子」 の中に、天城峠の茶屋で踊り子一座においついた学生に、踊り子が自分が座っていた座布団をそっとひっくり返して、どうぞとすすめる場面がある。
ほんのささいな描写だけど、これだけで当時の女性のつつしみ深さや、踊り子の置かれていた階層的に下位という状況が推察できてしまう。
わたしのいう人生の機微というのはこういうことである。

森鴎外は出自経歴の華麗さでは三島由紀夫におとらない作家だけど、たとえば彼の 「雁」 という小説のなかにはこんな描写がある。
金貸しの妾になった娘が年取った父親のところへひさしぶりに里帰りすると、うれしさのあまり狼狽した父親は、女中に 「早くお茶を入れてくるのだ、あの棚にある青い分のお茶だ」 と叫ぶ。
これもほんのささいな描写だけど、わざわざお客さま用にとってあるお茶を出させるというセリフがじつにこまやか。
鴎外の 「雁」 には人生の機微がてんこ盛りで、しかもそのひとつひとつが作家本人によって詳細に解説されるので、興味のある人は読んでみるといい。

「暁の寺」 にはそんな感心するような描写がほとんどなかった。
文章自体はきれいに飾り立てた和洋折衷料理みたいに華麗なものだけど、主人公が他人の部屋をのぞき見する設定なんて三流小説みたいだし、豊穣の海の主テーマである輪廻転生についても、楳図かずおの 「イアラ」 なんてマンガのほうがよっぽど内容が深い。
とはいうものの、三島由紀夫という作家の評価を 「暁の寺」 だけで決定するのはやめよう。
たまたま読んだ作品がわるかったのかもしれないし、ほんの数冊だけでああだこうだいっちゃ失礼である。
だから彼を知るためには、もっとほかの作品を読んでみなくちゃいけないんだけど、わたし向きでないことがわかって、それでもさらに読むのはツライね。

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2011年1月 3日 (月)

マルタの旅

413000

マルタ島について調べている
マルタ島は長靴のかたちをしたイタリア半島の、つま先にあるシチリア島の、そのまた先っちょにある小さな島である。
べつに学問的に関心があるわけじゃなく、安いツアーを見つけたので、そのうち出かけようと思っているのだ。

そのためにいろいろ情報収集をしようと思っているんだけど、現時点ではマルタ島の知識なんてほとんどない。
「マルタ島の砂」 という歌があるけど、あれってハーブ・アルバート&ティファナ・ブラスでしょ。
アメリアッチとイタリアじゃ連想が結びつかないんだけど。

映画のほうじゃ 「マルタの鷹」 や 「マルタ島攻防戦」 んてのがある。
「マルタの鷹」 は傑作だけど、マルタ島とは関係ないみたいだし、「マルタ島攻防戦」 は観たことがないしねえ。
マルタ騎士団なんて言葉もあるけど、これもいまではマルタ島とは関係ないようだ。

なんかネコが多い島らしい。マルチーズって犬はここが起源らしい。
ネコもイヌもきらいじゃないから、べつにかまわんけど、これはぜひマルタでなけりゃっていうほどのもんでもない。
でも首都のバレッタという街は、いちおう世界遺産らしい。
首都があるくらいだから、この島はいちおう独立国であるらしい。

今年の1月にトルコへ行って、それはそれなりおもしろかったけど、団体旅行でスケジュールがいっぱいつまっていたので、やたら急がされるのには閉口した。
今回見つけたツアーはもっとゆったり。
だいたいマルタ島というのは日本の淡路島とおなじくらいの小さな島だそうで、そこに7日間というのだから、スケジュールを詰めこみようがない。
7日間のうち3日間は往復の飛行機の中だけど、それでも4日ぐらいは島でのんびりできる。
オプションがいくつか組まれているけど、そんなものは無視してホテルでずっと寝ていることにしよう。
寝ているだけでは何しに行ったのかわからないから、たまにはホテル周辺を徹底的に歩きまわってやろうと思う。
なんかひさしぶりにわたし流の旅ができそうな気がするぞ。

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2011年1月 2日 (日)

新年

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あけましておめでとう。
今年の最初は新年らしい写真から。
頭が赤ければおめでたいタンチョウに見えなくもないダイサギですが(無理か)、それがないために
  めでたさも中くらいなりおらが春

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