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2011年1月19日 (水)

サントス

いまは昔なんていうと今昔物語になっちまうけど、わたしがむかし海上自衛隊にいたことは、このブログでも何度もふれている。
20歳のころ、広島の江田島にある術科学校にいて、友人のカネコといっしょにしょっちゅう呉の街をぶらついていたということも、2009年9月17日のこのブログに書いたことがある。

たまたまカネコが当直勤務でわたしと休日が重ならない日があると、あまり友人の多くなかったわたしはひとりで呉まで出かけることになる。
そのころ、呉市内にわたしの行きつけの喫茶店があった。
フェリー桟橋から1キロほどしか離れていない店なので、夜になるとそこで時間をつぶして、てきとうな時間に桟橋にいく。
桟橋からフェリーで江田島にもどり、その晩は下宿に泊まって、月曜日の朝までに術科学校へもどるというのが、わたしにかぎらず、たいていの学生たちの生活パターンだった。

行きつけの喫茶店の名前は「サントス」である。
軽いアルコールが出たり、昼間不良っぽい女子高生が群れていることもあったけど、わたしはせいぜい夜の9時ごろまでしかねばることがなかったから、そのかぎりでは、まあ、どちらかといえばふつうの健全な喫茶店だった。

この店にひとりの女の子が働いていた。
顔だちはかわいらしかったけど、色気も愛想もない、もっそりした大柄な子で、注文をとるとき以外は、ほとんどわたしと口を利いたこともない。
わたしのほうも世間づれしていないウブな若者だったから、ひとりで行ったときは店のすみっこで本でも読んでいるのがせいぜいだった。

ある晩、小雨がパラついてきた。
わたしは私服だったけど、このていどならぬれていこうというのが自衛官である。
店を出ようとすると、この娘がぼっそりと、傘ないんでしょう、送っていくわという。
時間的にもう客がほとんどいなかったので、30分ぐらい外出してもかまわないだろうと娘のほうで勝手に判断したらしいけど、じつはとってもうれしかった。
カネコがいるときは別にして、そのころのわたしは自分ひとりでは女の子に声をかけるなんて、とてもとてもできない恥ずかしがり屋だったのだ。
そういうわけで、この娘とあいあい傘で、桟橋までほんの10分か20分歩いただけのことが、わたしの呉時代のほんわりと暖かい思い出になっている。

自衛隊をやめて20年ほどのちのこと、わたしは友人の結婚式に参列するために島根まで行き、ついでに呉を訪ねたことがある。
とっくになくなっていると思った「サントス」が健在だったのにおどろいた。もちろんあの娘は影もかたちもなかったけど。
おどろくのはまだ早い。
ネットで調べると、この店は、外装はいくらか変わっているものの、現在でもまだ同じ場所にあるようなのである。

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