浅井家の3姉妹
ぜんぜん興味がないのはNHKの大河ドラマだけど、今年のそれは 「江 (ごう)」 という物語だそうだ。
江というのは織田信長の姪っ子の名前で、彼女には2人の姉がいた。
この3人姉妹の運命はなかなかドラマチックである。
番組に興味がなくても、わたしは歴史にはおおきな興味をもっているから、話のあらましは知っているのである。
司馬遼太郎の 「街道をゆく」 シリーズのひとつにも、彼女らにまつわる話が出てくる。
織田信長によって滅ぼされた悲運の武将浅井長政には、3人の娘がおり、彼女たちのその後によって、長政の血脈は途絶えることなく、日本史にかかわり続けていったという記述だった。
この3人の姉妹というのが信長の姪たちである。
信長は長政に自分の妹をくれてやったのである。
彼女たちの父親、浅井長政は、妹を嫁にくれるほど信頼していた織田信長に反旗をひるがえし、そのためにけっきょく滅ぼされてしまった。
信長はこの反旗がよっぽど憎かったのか、長政の頭蓋骨を器にし、酒を呑んだという逸話もある。
これはちょっと極端だけど、信長だったらそういことをしても不思議じゃないと思わせるところがコワイ。
信長という人は、ときに豪胆繊細さをみせるものの、そのじつ猜疑心がつよく、恨みを根にもつタイプの人物であったらしい。
独裁者にはこういうタイプが少なくないようで、同じような傾向をもった独裁者に、ヒトラーや蒋介石がいる。
3人の姉妹のうちでは、江よりも長女の茶々のほうがよく知られている。
信長の妹のお市の方に懸想した豊臣秀吉は、彼女にふられ続け、彼女が亡くなったあとは、その娘で母親にうりふたつの茶々に目をつけた。
それまでの因縁を考えると、茶々がよろこんで秀吉と結婚したとは思えないし、2人の年齢差は30以上あったらしいから、ヒヒ親父、いや秀吉の場合はサル親父というべきか。
うらやましいことである。
秀吉と結婚した茶々は、淀君 (淀殿) となって、秀吉亡きあと、せがれの秀頼とともに大阪城の灰燼の中に没した。
歴史というものは非情なもので、戦国の女の人は自分で相手を選べるわけじゃなし、ヘタな相手を押しつけられると、亭主とともに自刃しなければいけないこともある。
誰だって死ぬのはイヤに決まっている。
それが武将の妻のたしなみじゃ、宿命じゃという人がいるかもしれない。
しかし、たとえば3人姉妹の母であるお市の方は、浅井長政が死んだあと、生きながらえて柴田勝家に嫁した。
NHK大河ドラマの主役である江ちゃんにいたっては、3回も結婚していて、最後の旦那の徳川秀忠とはたくさんの子供をもうけているから、このあたりは戦国の女性もなかなかドライである。
最近の大河ドラマのヒロインはノーテンキでお気楽な女性が多いけど、「江」 もそういうタイプらしい。
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