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2011年1月 5日 (水)

機微

本棚の本を始末している最中だからといって、ほかの本を読まずにはいられない。
青春のころに読んで、ぜんぜんおもしろいと思わなかった三島由紀夫を、また読んでみたくなった。

彼の遺作になった豊穣の海のうち、早く発表された 「春の雪」、「奔馬」 を初めて読んだのはそうとうに昔だけど、それらの中身をほとんどおぼえてないのは、やはりつまらなかったからにちがいない。
しかしあれから何年もたって、わたしも当時よりはすこしは精神的に成長したのではないか。
いま読めばまた感想が変わるかもしれない。
で、何を読もうかと考えたけど、数年まえにタイに旅行して、これが三島由紀夫が描いた暁の寺ですなんて説明を聞いて、それを読んでないのを残念に思った 「暁の寺」 を読んでみることにした。

というわけでこの正月はこれを読破したんだけど、結論を先にいわせてもらうと、ロクなもんじゃなかった。
こういう言い方がわるければ、わたしの求める小説じゃなかった。

読むまえに心配だったのは、華麗な出自と学習院、東大卒なんて経歴を持つこの作家に、庶民の生活や人生の機微が描けるのかということ。
川端康成の 「伊豆の踊子」 の中に、天城峠の茶屋で踊り子一座においついた学生に、踊り子が自分が座っていた座布団をそっとひっくり返して、どうぞとすすめる場面がある。
ほんのささいな描写だけど、これだけで当時の女性のつつしみ深さや、踊り子の置かれていた階層的に下位という状況が推察できてしまう。
わたしのいう人生の機微というのはこういうことである。

森鴎外は出自経歴の華麗さでは三島由紀夫におとらない作家だけど、たとえば彼の 「雁」 という小説のなかにはこんな描写がある。
金貸しの妾になった娘が年取った父親のところへひさしぶりに里帰りすると、うれしさのあまり狼狽した父親は、女中に 「早くお茶を入れてくるのだ、あの棚にある青い分のお茶だ」 と叫ぶ。
これもほんのささいな描写だけど、わざわざお客さま用にとってあるお茶を出させるというセリフがじつにこまやか。
鴎外の 「雁」 には人生の機微がてんこ盛りで、しかもそのひとつひとつが作家本人によって詳細に解説されるので、興味のある人は読んでみるといい。

「暁の寺」 にはそんな感心するような描写がほとんどなかった。
文章自体はきれいに飾り立てた和洋折衷料理みたいに華麗なものだけど、主人公が他人の部屋をのぞき見する設定なんて三流小説みたいだし、豊穣の海の主テーマである輪廻転生についても、楳図かずおの 「イアラ」 なんてマンガのほうがよっぽど内容が深い。
とはいうものの、三島由紀夫という作家の評価を 「暁の寺」 だけで決定するのはやめよう。
たまたま読んだ作品がわるかったのかもしれないし、ほんの数冊だけでああだこうだいっちゃ失礼である。
だから彼を知るためには、もっとほかの作品を読んでみなくちゃいけないんだけど、わたし向きでないことがわかって、それでもさらに読むのはツライね。

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