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2011年2月

2011年2月28日 (月)

マルタ紀行/イムディーナの3

えいやっ!とイムディーナの写真をぞろーり。
いちばん下は見晴しのよいバスティオン広場で、この木の向こう側に眺望が開けます。

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マルタ紀行/イムディーナの2

イムディーナにも教会がある。
イムディーナ大聖堂といって、外観、内観ともに荘厳で華麗なものだけど、中に入ってみるとその壮麗さは筆舌に尽くしがたいという表現がぴったりなので、素人が美辞麗句をならべるより、また写真をならべることで説明を省略。

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豪華絢爛なところはおわかりいただけるだろうけど、お寺というものは、日本でもそうだけど、無知な信者にハッタリをかますため、どうしても絢爛たるものになる傾向がある。
そのへんの背景を考えると、へそ曲がりのわたしにはすなおに感動しにくいところがある。
ま、観光客がみんなキリスト教徒じゃあるまいし、信濃の善光寺参りと思って納得しておくことにする。
すぐとなりにもとは神学校だったという大聖堂博物館があり、わたしにはこっちのシンプルさのほうが気にいった。
博物館の前の地面には起伏があるらしく、車がななめにかしいだまま駐車しているがおもしろかった。

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つまんないことに感心しながら歩いていたら、尼僧スタイル、もしくは民族服のきれいなお姉さんがなにかパンフレットを配っていた。
こういう人をみるとにわかに張り切ってしまうのがわたしの性格である。
写真撮っていいですかと訊く。
相手の承諾まえにシャッターを押したのでピントが合ってないけど、なんとか1枚モノにしたのがコレ。
同じツアー仲間のおばさんが、あの人なんですかとわたしに訊く。 わかりませんと答えておく。
わたしにはパンフレットをくれなかったところをみると、女性専用の店の案内か、英語の通じない相手と思われたのか。どっちにしても本物の尼僧じゃなかったようだ。

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城内の見晴し台にいく。
建物のあいだを抜けていくと、城壁の上から遠くの景色が一望のバスティオン広場に出る。
眼下には日本のどこかとあまり変わらない農村風景がひろがり、遠方に白っぽい大きな街が見える。さらにその向こうには海が見える。
イムディーナはマルタでいちばん標高の高い場所だそうだ。
いちばん高いといっても250メートルぐらいだからたいしたことがないけど、ここには古い建物を利用したシャーラパレスというホテルや、ケーキの美味しいフォンタネーラというカフェがあって観光客にも有名だそうだ。
いじわるばかりいうみたいだけど、わたしはケーキなんてきらいである。

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2011年2月26日 (土)

ヒキガエル

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暖かくなってきたせいか、今日はカエルを見た。
大きなヒキガエルである。
鳴き声で判断するかぎり、わが家の近所にカエルはたくさん生息しているようだけど、じっさいの姿を見るのはヘビよりむずかしい。
ところが今日はやっこさん、昼間から川の中をのそのそ。
どうやら生殖本能がむずむずしてきたようで、伴侶を求めてうろうろしていたのではないか。

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むかし奥秩父の山中で、道路上の水たまりに卵を産んでいるヒキガエルを見たことがある。
2、3日もすれば乾いて干上がってしまうような場所に産むのだから、よっぽどせっぱつまっていたのだろう。
春になるといてもたってもいられなくなんて、わたしにもそんな青春があったような。

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マルタ紀行/イムディーナの1

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マルタで観光客がぜったいに訪れる古都がヴァレッタとイムディーナ。
観光 1日目に見物したのはイムディーナで、ヴァレッタが建設される前まで、こちらのほうがマルタの首都だったという。
イムディーナという名前は 「静寂の街」 という意味だそうで、これが通説になっているようだけど、民放のテレビ番組ではアラビア語で 「城壁の町」 という意味だという解説がされていた。
ま、そんなことはどっちでもいい。
その静かな雰囲気が愛されるのか、ネットで探すとこの町を紹介したブログがひじょうに多い。
で、わたしのブログも2番煎じ、3番煎じ、4番、5番煎じになってしまうのはやむを得ないんだけど。

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イムディーナは城壁にかこまれた要塞都市だった。
といいたいけど、ヨーロッパでも中近東でもアジアでも、都市というのはほんらい城壁で囲まれているのがふつうであって、日本のように町が平野の中にすっとんと無防備に置かれているだけのほうがめずらしいのである。
飛行機やミサイルの発達した現代では城壁なんて役に立たない見本みたいなものだけど、イムディーナはそれがよく保存されていて、町全体が中世の骨董品みたいなものである。

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門の前の駐車場でバスを降りて歩き出す。
城内に入ると、あいかわらず建て込んだ家ばかりだ。路地に入って頭上を見上げると、空は細長いすきまからかろうじて見えるだけである。
門や建物の外壁にレリーフが彫られていて、そのまま美術館の中を歩いているようである。
日本だって東照宮の眠り猫みたいな素晴らしい彫刻があるけど、西洋人てのは建物の外壁を石の彫刻で飾るのがホント好きなんだなと思う。

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ガイドのYさんが、この城は映画の撮影によく使われますという。 「グラディエーター」 でラッセル・クロウが馬で走ったのもここですなんて。
古い都市や城郭がよく残るマルタでは、映画も重要な産業なんだそうだ。
ウィキペディアを調べてみたら
『マルタの××社は世界最大の撮影用水槽を有している』
『NHKのスペシャルドラマ 「坂の上の雲」 の第9話 「廣瀬、死す」 の旅順口閉塞作戦シーンはここで撮影された』 なんて記載があった。

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2011年2月25日 (金)

マルタ紀行/カートラッツ

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マルタ島には学者たちの論争のまとになっているわけのわからない遺跡もあるそうで、カートラッツもそのひとつ。
マルタ騎士団やヨハネ、パウロどころじゃない、紀元前数千年も前のものらしいけど、石炭岩の大地に2本のわだちが残されているから、いつか鉄道駅をもじってグラハム・ジャンクションと呼ばれるようになったものだそうだ。

なんのために使われたわだちなのか。
巨石神殿建設のさいの石の運搬に使われたという説もあるそうだけど、そんなむかしにレールなんか敷く必要があったのか。 そもそもレールなんかあったのか。
ガイドさんの説明では、マルタは樹木のとぼしい島なので、巨石を運ぶには丸太によるコロではなく、丸い石によるベアリングが使われたらしいとのこと。
ベアリングを転がした跡なのか。
しかし巨石神殿の近くにこんな溝は残ってないというし、つまりいまだに何のためのものかさっぱりわからないらしい。

カートラッツへ行くためには、畑の中の駐車場でバスを降りて、野の花のあいだをぶらぶら歩く。環境そのものはなかなかすてきなところである。
わたしがすてきという場合は、周囲に人工物がなにもないところの場合が多いけど、ここも畑の中のだだっ広い空地で、休憩所も看板もないし、みやげもの屋もない。石灰岩の地表がむき出しになっている荒地である。
もうすこしたてば花がたくさん咲きそうなところだけど、現時点ではおもしろがれといわれてもおもしろがりようがない。
正直にいっちゃわるいけど、この遺跡?はわたしの目には水の浸食によるただの自然現象にしか見えなかった。
並行した岩の溝なら日本の宮崎県の日南海岸にも鬼の洗濯岩なんてものがあるし、伊豆の海岸でもよく見かけるぞ。

ここで小用をもよおしたので、バスにもどるとちゅう立ち小便をしていたら、近くの農家でまぬけな顔をしたイヌがじっとこちらを見ていた。

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2011年2月24日 (木)

新傾向

アフリカ、中東で始まったドミノ倒しは、ちょっとおもしろい。
いや、人が殺されているのがおもしろいというわけじゃなくて、これまではこういう騒動が起きると、東西陣営、南北でもなんでもいいけど、かげで糸を引いていると、大国同士が口をきわめて相手を非難するのが常だったのに、今回はそうならないようだから。

バーレーンやサウジに変革の波が押し寄せると、米国は中東で貴重な同盟国を失うことになりかねないし、中国だってドミノが自国に及ぶんじゃないかと戦々恐々。
日本や欧州だって、石油が値上がりしては困るという考えの国ばかりだし、むかしは黒幕の常連だったソ連、もといロシアだってそうだ。
世界中のほとんどで、この混乱に頭を痛めていない国があるだろうか。
かげで糸を引きそうなイラン、ぜんぜんそんな可能性のありそうもない北朝鮮だって、騒乱が自分の国に伝わってくるんじゃないかと火消しに躍起。

こう考えると、かげで糸を引く国が見当たらないという点で、今回の騒動はかなり特異である。
大国のおもわくによらない、真に民衆の自発的な闘争ということになるか。
そもそものきっかけが、ツイッターやフェイスブックだったってことだから、インターネットがもたらした新しいタイプの改革ということになるのだろうか。
独裁者たるもの、これからは政権を奪取する、軍隊を掌握する、議会を自分の子分でかためるなんて従来のやり方ではなく、まったく新しい独裁方法を考えないことには、いつ統治がゆらぐことになるかわかったもんじゃない。
自分に都合のいい独裁は容認するというダブルスタンタードも通用しなくなり、米国の衰退がとまらないこともはっきりしたようだ。

これはよろこぶべきことなのか。それともそんなに期待すべきじゃないことだろうか。
わあーっと盛り上がって、政権を交代させちゃって、あげくに新しい政権に失望しちゃっている日本みたいな国もあるし。

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マルタ紀行/絶壁の教会

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ラバトのつぎに行ってみたのは、海をみおろす絶壁の上にぽつんとある教会。
この教会は派手な装飾がいっさいなく、十字架がついてなければ倉庫にしか見えない建物だけど、ゴシックだのビザンチンだのといった豪華絢爛たる名刹よりよほど感じがいい。
豪華絢爛たる教会の多いマルタだけど、派手なのはたいていカソリックで、地味なのはプロテスタントなんて聞いたことがあるから、これは新教のほうの教会だったかも。
宗教が精神修養を旨とするならば、こういう孤独やきびしさを感じさせる建物のほうがよっぽどふさわしいと思う。
長野の善光寺に信心深い老若男女が観光バスで集まるけど、お寺が行楽地になっちゃ困るよな。

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崖から見下ろすと、下のほうに菜の花が満開の農村がみえる。
あたりの風景は 「ライアンの娘」 という映画に出てきたアイルランドのどこかの寒村みたいで、荒涼とした原野が無条件でステキ。
マルタというと、どうしても古い街並みや建物に目がいってしまうけど、シティ派じゃなくトレッキング派のわたしとしては、有名な観光ポイントよりもこういうところが見たいのである。
この紀行記の冒頭にかかげた花の写真もこのあたりで撮られたものが多いのだ。

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ただ、すぐ近くにゴルフボールみたいなレーダーサイトがある。
300キロ彼方のアフリカから飛び立った航空機の動向まで即座にキャッチできるそうだけど、ちょっと目ざわりである。
どこか時間がとまったようにみえるマルタも、加熱する国際情勢と無縁ではいられないという証明なのか。

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2011年2月23日 (水)

マルタ紀行/ガイド

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今回の旅には添乗員のほかに現地ガイドがついた。
日本人女性のYさんで、あとでわかったけど、現地のマルタ人男性と結婚してマルタに永住している人である。
闊達で、なかなか美人でもあって、ガイドに関しては掛け値なしにプロである。
その知識はたんに名所旧跡の案内のみならず、歴史、宗教、芸術、政治、産業、社会システム、自然環境、考古学からつい最近のアフリカの騒乱、マルタ人の人生観、結婚観、男女のからみからワインの銘柄にまでおよぶ。
そりゃ丸暗記だろうといわれるかもしれないけど、たとえば説明の中に、マルタに住んでいるユダヤ教徒はほんの数家族で、シナゴーグはありませんなんてことがさりげなく出てくる。
半端な知識ではないのである。
どうしてマルタくんだりまで流れてきたのか (失礼!) しらないけど、日本にいたころの彼女はジャーナリスト志望の才媛だったのかもしれない。

そうかといって真面目いっぽうのカタブツとも思えない。
たまにマルタにある日系企業の指導にくる日本人たちの通訳をして、仕事を終えたあとはみんなでカラオケなんかでおおいに騒ぐらしい。
こういう魅力的な女性をマルタ男にうばわれちゃった日本男子よ、もって銘すべしってところである。

ガイドさんの顔、あるいは彼女の名前や電話番号を知りたいという人がいるかもしれませんけど、わたしのブログは原則として個人情報を紹介しません。

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2011年2月22日 (火)

改修工事中

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マルタ旅行のせいでだいぶご無沙汰していた野川公園の自然観察園に行ってきた。
この時期、ホタルの里にザゼンソウが咲いているけど、今年のそれは形がわるくて写真のネタにならない。
自然観察園にもザゼンソウが咲くポイントがあるので、そっちはどうかと確認に行ったんだけど、今日の観察園は木道の改修工事中で、ポイントまで近づけなかった。
わたしたちが野川公園を気持ちよく散策ができるのは、人知れず公園を改修したり手入れしたりしている人がいるおかげなので、じゃまにならないように早々に退散。

べつの場所にいまフクジュソウが咲いている。
この花は過去にも紹介してるけど、ほかに目につく花もなかったから、こいつをまた紹介しておこう。

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マルタ紀行/地下洞窟

ラバトには 「聖パウロ教会」 というものがある。
わたしは聖書に関心がないから、パウロという人についてもよく知らない。
よく知らないけど、あっちこっちで聞く名前だから、ひとりの人物の名前なのか複数の名前なのか、たぶん弘法大師の伝説みたいに時空を超えてやたらに各地に出没する人なんだろう。
関心がない人間にとっちゃどうでもいいことで、それでもいちおう教会の見学に行ってみた。

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教会は立派である。
どうも、あまり熱の入ってないほめ言葉だけど、わたしは風景として教会をふくむ特定の場所をすてきだと思うけど、教会そのものにはあまり関心がない。
ネットで探すと、旅行先の歴史や建造物について徹底的に研究しちゃっている人のブログをよく見かける。
わたしもそのくらい研究したいけど、いくらやったってしょせん2番煎じだ。
そういうわけで研究はさっさと放棄してしまったから、詳しい説明はしない。教会の由来も価値もよくわからないのである。

この教会の階段を上がったところの祭壇に、マティア・プレッティという画家が描いた絵がかかげられていた。
こんなマイナーな画家について、当然ながらわたしはなにも知らない。 今回のツアーでは有名なヴァレッタの教会にあるカラヴァッジオの絵の勉強しかしてこなかった。
プレッティさんのことをマイナーなんていうと怒られるかもしれないけど、ウィキペディアで検索しても引っかからないんだからマイナーといわれても仕方がない。 カラヴァッジオのほうはちゃんと引っかかるのである。

聖パウロ教会の地下に 「聖パウロの地下洞窟」 というものがあって、なるほど、これがそうかと見学した記憶はたしかにあるんだけど、帰国してから調べてみたら、ラバトにはべつに 「聖パウロの地下墓地」 というものもあることがわかった。
地下洞窟も地下墓地もそんなにはなれていないという。
さあ、事前勉強不足のわたしにはどっちがどっちだかわからない。
自分で撮った写真をじっとにらんでみると、聖パウロ教会の写真にはさまれて洞窟の写真があるから、わたしが見たのは教会の地下にあるほう、つまり地下洞窟らしい。
洞窟の奥にパウロさんの彫像や祭壇があったけど、洞窟じゃトルコのほうがすごかったからあまりおどろかない。

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2011年2月21日 (月)

カダフィさん

リビアのカダフィ大佐というと、国連に出席する場合でも民族服、庭に絨毯しいてテント暮らしに徹するという敬虔なイスラム教徒として知られている。
極東の島国から見ていると、最近は国際協調にも応じているし、自身も、なにしろテント暮らしだから、わりあい質朴でまっとうな独裁者じゃないかと思っていた。
ところがここのところの騒動をみていると、カダフィよ、おまえもかといいたくなる。

いまでは世界中のどこにも、不景気だ、物価高だ、就職難だなんて不満をかかえていない国民のいない時代だから、これがそれと同レベルの不満の爆発なのか、それともやっぱり政権が目もあてられないくらい腐敗しちゃっているのか、そのへんの事情はわからないけど、鉄砲をぶっ放すなんて乱暴な。

それにしても、そこまでして死守したいほど権力というのはオイシイものなのか。
オイシイものなんだろうなあ。
はじめのうちはなかなかやる気があるなと感心していた菅クンも、最近はしゃにむにしがみつこうとしているようにしか見えないし。
カダフィさんの場合は異常性格の人でもあるらしいから、ある日とつぜん、もうやめたってほっぽり出す気配もなきにしもあらず。

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マルタ紀行/ラバトの昼食

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ラバトの町を散策したあと、昼食をとった。
レストランはイタリア風で、といってもわたしにはどういうのがイタリア風でどういうのがフランス風なのかよくわからないけど、イタリアに近いところだからイタリア風なんだろうと思っただけ。もちろんマルタ風でもいいんだけどね。
とにかく女の子なんかがうれしがりそうな店だった。なにしろこっちは西麻布なんかバカにしちゃうくらいの掛け値なしの本場だぞお。

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古い町並みが残るラバトだけど、広場や教会などのまわりには、古い建物の一階を改造したこいきなレストラン、カフェ、ブティックなどが目につく。
この点はヴァレッタなどもいっしょで、日本でいえば古い家屋を利用した民芸風レストランてことになるのか。
このこと自体はわるいと思わない。古いものと新しいものがひとつになると、べつの魅力をもったものが創造されるように思うので。

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昨夜はホテルに深夜に到着したので、シャワーをあびてさっさと寝てしまったから、このレストランで飲んだのがマルタにおけるワインの飲みはじめ。
しかしここまで読んだ人には、とっくにわたしがワインについて何かいう資格のないヒトであることがわかったと思うから、ここでは4人用テーブルでたまたま相席になった同じツアー仲間の女の子が、とってもカワイかったってことぐらいしか書きません。
そのかわり、またラバトの町の写真をずらり。
絵ハガキっぽい写真ばかりでつまらないけど、ようするにこんな感じの町ですよって。
いちばん最後は市内を循環している観光用の汽車ポッポ。 マルタには本物の鉄道はありません。

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2011年2月19日 (土)

マルタ紀行/ラバト

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トルコに行ったときは毎日が民族大移動みたいでうんざりしたけど、マルタはもともと小さな島なので、そんなハードな日程ではなかった。
到着した日はゆっくり寝て、午後からツアーである。 怠け者のわたしにはある種理想的な旅だったかもしれない。

マルタ観光の最初はラバトという町へ。
ホテルからこの町まで1時間もかからない。小さなマルタ島ではどこへ行くにしたって1時間か2時間あれば十分だ。

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ラバトはすてきな町だった。
わたしはかってマカオに行ったとき、その南欧ふうにごたごたと建て込んだ町並みに感心して、ぜひもういちど行きたいと切望していたものだけど、今回ラバトを訪問してマカオなんかどうでもよくなってしまった。
ここにはマカオと同じような、日本人にはものめずらしい風景がてんこ盛りだ。
ベージュ色の石造りの、これはマルタで産する建材だそうだけど、ベランダやバルコニーのある四角な民家が、せまい路地の両側にびっしりと建ち並んでいる。
そんなせまい路地に自家用車が停まっていたり、植木鉢がひっそりと置かれていたりする。
あちらこちらに教会ふうの建物があり、民家の壁やドアにキリストやマリアの飾りがとりつけられていたりする。
全体として、マカオほど派手ではなく(派手な都市でも魅力的なところはあるけど)、色彩が統一されていて、むしろこっちのほうが落ちついていて気持ちがいい。

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ただ、せまいところに家が建て込んでいるせいで、どうしても縦長の写真が多くなる。
これはブログに載せるときスペースの点で問題があるので、縦長写真の場合は2枚でひと組みにすることにした。
この町のたたずまいは木造建築の国の住人たちからみると、圧倒されるくらい感動的らしく、ネット上にもたくさんの写真があふれている。そんな写真の多くが縦長というのも納得。
わたしの写真なんかいまさら見たって仕方ないでしょうけど、いちおう紹介しときます。

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2011年2月18日 (金)

マルタ紀行/添乗員

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トルコに行ったときの添乗員はかわいい女の子だった。
マルタでは男性である。
ヒヒ親父のわたしとしては、どっちかといえばやっぱり若い娘のほうがいいんだけど。
でも今回の添乗クンはなかなか楽しい人だった。
顔だちは俳優の役所広司に似ていた。
そのことを同じツアー仲間の若い娘にいったら、そうですかあとけげんな顔をされたから、わたしだけの偏見かもしれない。
写真は、小さすぎてよくわからんと思うけど (よくわかると肖像権なんて問題が生じてしまうのだ)、役所広司似の添乗クンだ。

旅好きなわたしにとって、添乗員というのはあこがれの職業である。
もっともあこがれと現実とは異なることはちゃんと知っている。
移動また移動ばっかりのきつい旅程でも、誰よりもあとから寝て、誰よりも早く起きなければならないのだから、これは体育会でなければ勤まりそうもないハードな仕事だ。
大変なんですよと添乗員クン。
ホントかウソかわからないけど、南米なんかいくと、たいてい1人か2人ぶっ倒れますしという。
今回だって帰国のおりに空港でパスポートがないなんて騒ぐ人が出て、いや、ホント、大変だったんだから。

添乗クンにつぎのツアーの予定を聞いたら、いやあ、トルコ・エジプトって仕事が入ってたんですけどね。
今回の騒動 (ムラバク退陣デモ) で中止になっちゃってとぼやく。
一見はなやかだけど、添乗員という仕事は、ひとつこなしてナンボの契約社員みたいなもんかもしれない。
世の中あまくない。

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2011年2月17日 (木)

正哲クン

今日の新聞を読んでいたら、北朝鮮の金正日総書記の次男がエリック・クラプトンの公演に姿をあらわしたと。
次男は正哲クンといって、後継の正恩クンとはべつの人物だけど、兄弟そろって破たん国家なんざ気にしないところは似ているようだ。
彼はクラプトンの熱狂的なファンだそうで、この点だけはわたしにも似ている。
そういえば親父の正日サンはかって映画製作に凝ったことがあるそうだから、この家族は政治よりも芸術のほうのセンスがあるのかもしれない。
気のドクに、北朝鮮なんぞに生まれなければ、いまごろは音楽プロデューサーとして辣腕をふるっていたのかも。

わたしのほうはここんところ青春回帰みたいで、車のオーディオで「クリーム」のCDを大音量で聴きまくっている。
何度聴いてもこれがギター1本の演奏とは、いまさらいうのもナンだけど、信じられない。
評論家がクラプトンをして天才であると説明していたけど、そうだよなあ。
クリームの音楽プロデューサーをしていたフェリックス・パパラルディという男が、クリーム解散後にクリームと似たような編成で似たような演奏をしていたけど、やっぱりぜんぜん違うものねえ。

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マルタ紀行/チップ

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外国に行くとチップの問題で頭を悩ませる人がいる。
チップが要る場合、あらかじめ添乗員から説明があるはずだけど、マルタのホテルに着いたときそれがなかった。
朝起きたときどうすればいいですかとこっちから訊いてみた。
添乗クンのいうのには、マルタのホテルじゃチップは要りません。わたしはこれまでいちども払ったことがありませんとのこと。

マルタは原則としてチップ不要の国であるらしい。
わたしの知り合いにも、海外旅行に出るとかならずチップを置くという人間がいるけど、へんに外国づれした人間がそういうことをしたがるものである。
わたしは大陸中国に何度も行っているけど、備えつけのグラスを割ったとか、トイレを詰まらせたなんて場合をのぞいて、まずチップなんか払ったことがない。中国のトイレはよく詰まるんだけど。

ただ例外もある。
マルタのツアーのなかに丸一日自由行動という日があって、午前中観光をしたわたしは、昼ごろいったんホテルへもどった。
まだベッドが出かけたときのままだった。
チップを払わないからこんな目にあうのかと思っていたら、まもなく服務員がやってきた。
ぶっきらぼうな顔をした若い娘である。
たぶん毎日毎日同じような仕事を繰り返して、いささか倦怠を感じているのであろう。
彼女の目には豊かな国の日本からきた横柄な客がどんなふうに映っているのか。
罪の意識に耐えられなくなったわたしは、たまらず彼女に2ユーロのコインをにぎらせていた。
とたんに彼女はにこやかになって、部屋を出ていくときチャオ!なんて挨拶していった。
2ユーロ (250円足らず) でこんな平和な光景を発生させられるなら、チップを払うのも払わないのもあなた次第である。

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2011年2月16日 (水)

マルタ紀行/ホテル

空港からホテルまで20分ほどで、着いたときは深夜の〇時をまわっていた。
それでもこの日の観光は午後からなので、たっぷり寝られる。やはりこういうゆとりのあるツアーがいい。
                         
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マルタのホテルはセント・ジュリアン地区というところに集中している。
わたしたちの泊まったホテルは、パックツアーだから贅沢いえるものではないけど、安くても贅沢をいう日本人が泊まるのだからけっしてひどいものではなかった。
すぐとなりに、日本の恵比寿にもある5つ星のウェスティン・ホテルがある。
こっちは海辺じゃないけど、あっちは海に隣接している。
というとだいぶ開きがあるみたいだけど、こっちだって歩けば徒歩1、2分で海岸だから、立地条件はそんなにちがうわけじゃない。
わたしの部屋はシービュー・ルームで、というとかっこつけすぎで、たしかに海は見えるけど、窓のすぐ下にはきたならしい建物の屋上しかなかった。
しかし新婚旅行でリゾートに来たわけじゃあるまいし、気楽という点では、わたしはむしろこっちのホテルのほうがよかった。

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写真は上がこっちのホテル、下がウェスティン・イン・マルタ。 その右側の道をまっすぐ行くとつきあたりがカジノになっていた。

わたしのホテルから5分ほど歩くとヒルトン・ホテルもある。
こちらはすごい。 海をホテルの庭に引き込んであって、庭からちょくせつクルーザーで海に出ていける。
まるでフランス映画の舞台みたいで、女の子が喜びそうだけど、こんなところに泊まるなら飛行機もビジネス・クラスじゃないとまずいだろうし、四六時中つっぱってなければいけないんだろうなあと貧乏人の当方は心配になってしまう。

ホテルに冷蔵庫はあったけど、お湯やそれを沸かすポットがなかった。
お湯がないということは、持参したカップラーメンを食べることができない。
いえばもらえるだろうけど、マルタの水は飲めないとか、沸かせば大丈夫かもしれないとか、いろんな考えがどうどうめぐり。
わざわざミネラルウォーターを沸かしてもらうのもナンなんで、持っていったラーメンはむなしく日本とマルタの間を往復したのでありました。

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マルタ紀行/マルタ航空

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なかなかマルタに着かないけど、ヒースロー空港から乗り換えたのは、しっぽに赤いクサビ十字 (マルタ十字) のマークがついたマルタ航空機。
と書いたものの、わたしはマルタ航空についてなにも知らない。
記事をでっちあげようとウィキペディアを調べてみたけど、ネタになりそうなエビソードもなさそう。
なければ書かなければいいものを、ものには順序というものがあるので、マルタ航空にだけふれないのでは片手落ち。

意地になってネタ探しをしているうち、ネット上に航空会社の機内食について研究しているブログがあることがわかってしまった。
マルタ航空の機内食をみると、飛行距離によって食事に差があるようで、ロンドン~マルタ間では惣菜、パン、ケーキなどの4点セットでも、ローマ~マルタではサンドイッチ2枚だけ。
ローマとマルタじゃ近すぎて腹もへらんだろうけど、それにしてもつまらんことを研究している人がいるもんだ。
それを読んでブログ・ネタをひねくるわたしに他人のことをいう資格はないけど。
http://www.kinaishoku.com/archives/cat_km.html

写真は帰りに撮ったもの。

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2011年2月15日 (火)

マルタ紀行/時差

1年まえトルコへ行ったとき、生まれてはじめて時差というものに遭遇してめんくらった。
わたしはそれまでに何度も海外に出かけていたけど、もっぱら中国、ほとんど東南アジアばっかりで、本格的な時差なんて経験したことがなかったのである。

今回のマルタもそういう点では大変だ。
東京をお昼に出発して、夕方、飛行機の窓からちょいと外をうかがったら夕焼けらしいものが見えた。
ふつうならそのまんま夜になるのが当然という人生を、わたしはこれまでずうっと、なんの疑問ももたずに生きてきた。
ところが数時間ほどしてまた外をうかがったら、まっ昼間になっていた。
飛行機はスカンジナヴィア半島を縦断していたから、これが北欧名物の白夜ってもんかしらと思ったけど、そんな不健康なものではなく、太陽はきわめて能天気に輝いていた。

けっきょくそのままずっと昼間飛行で、乗り換えの英国に着いたのは現地時間の午後4時ごろ。
このあたりで、もう今日は何日かという疑問には関わらないことにした。

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上の写真は英国までの足に使ったヴァージン・アトランティック機の鼻っつらだけど、キティちゃんと2003年10月というほっぺたのタトゥーはどういう意味があんのかしら。

こんなことは、仕事で世界を飛びまわっているビジネスマンにはめずらしくもなんともないと思われるけど、わたしはすなおに感動してしまう。
つまらないことに感動するのが詩人というものである。
日本から英国へということは、とるに足りないちっぽけな人間のわたしが、すこしづつ世界を知りながら、ついにユーラシア大陸を横断するところまできたということになり、わたしの世代には、あのビートルズさまの国に到着したという感慨もあるのである。

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下の2枚の写真は英国ヒースロー空港の2景。女王陛下の郵便ポストと、ターミナルビルを走り回る、かっての藩属国インドの男女を運ぶカート。

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マルタ紀行/飛行機

今回のツアーはトランスファー (乗り換え) の英国まで12時間半もかかる。
時間つぶしに備えていろんなグッズを用意した。
まずミニノート・パソコンがあるけど、こいつはバッテリーがそんんなにもたないから、時間つぶしには不適切。
つぎに双眼鏡。
わたしは飛行機に乗ると飽かずに下界をながめているほうだから、こいつで何か楽しい景色がながめられるかもしれない。
しかし、最後部のまん中へんのシートに押しこめられて、この計画はとん挫。

いちばん役に立ったのは ICレコーダーだ。
飛行機の中に録音するような音はありそうにないけど、こいつは iPodやウォークマンの代わりになるのである。 オーディオ機器になるのである。
そういうわけで、MP3の音源をしこたま詰め込んで持っていった。

機内では映画が観られる。
ヴァージン・アトランティックでは、なんと60本もの映画が選べる。
映画好きなら狂喜乱舞というところだけど、わたしは映画にもこだわりをもつ男なので、ぜひ観たいという映画は 1本もなかった。

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ヒマなときは、これがもっとも安価でお手軽な方法だけど、思索で時間をつぶすという手もある。
今回の思索では飛行機が墜落した場合の状況を考えてみた。

たとえばの話、飛行機が水平飛行をしているあいだはいいけど、機首を下にして垂直に落下する場合はどのような状況になるだろう。
そのとき安全ベルトをしめてなかったら、わたしは重力の法則にしたがって、最後部から機首方面へまっさかさまということになる。
首をのばして通路からのぞくと、いちばん前まで 100メートルぐらいありそうだ。
そうなると、とちゅうにあるトイレの壁に激突して、はねかえって、あばら骨の2、3本もへし折りながら落ちていくんじゃないか。
いや、かろうじてそのへんのシートにしがみつき、そんなわたしに青い眼の美女がしがみつき、やがて耐え切れずして、2人とも絶叫とともに落ちていくのかも。

縁起でもないという人がいるかもしれないけど、災難は忘れたころにやってくるということわざもある。
墜落するんじゃないかと心配をしている飛行機にかぎってなかなか落ちないものなのである。

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2011年2月14日 (月)

マルタ紀行/花の島-2

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かって香港へ行ったとき、現地のガイドさん (若い娘だったけど) が、開口一番、ワタシは花の名前に詳しくありません。ワタシに花の名前を質問しないでくださいとのたもうた。
これはつまり、外国に行くと花の名前を質問する日本人が多いということなんじゃなかろうか。
つまり、それだけ日本人は花が好きだってことの証明じゃなかろうか。
中国じゃ田舎に行ってもめったに花なんか見ない。
そのくせウシやヒツジやブタは豊富だ。
確たる学術的根拠があるわけじゃないけど、これは中国人が花より食べもののほうが好きだという証拠じゃあるまいか。

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そんなことはどうでもいいけど、とりあえずわたしのマルタ紀行では、最初に花の写真をずらりと並べてしまう。
わたしと同じように、冬のマルタなんてつまらないと誤解している人のために。
念を押しておくけど、これは2月はじめの旅である。

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2011年2月13日 (日)

マルタ紀行/花の島-1

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マルタ紀行の予告に、「この季節のマルタの印象をくつがえすものかもしれません」 という写真を添付したけど、それは雨の多いはずのマルタが晴天だったという意味じゃない。

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じつは出発まえにネットを駆使して、マルタの情報、写真などを集めたんだけど、古い街並みや教会の写真はたくさん見つかったものの、郊外や野山の写真はあまりなかった。
それで、まあ冬のさなかの旅ではあるし、マルタも日本と同じように緑の乏しい、うら枯れた景色ばっかりなんだろうと思っていたわけ。
ところが現実のマルタは予想をくつがえす花がいっぱいの島だった。 冒頭の 「印象をくつがえすものかも」 というのはこのことなのである。

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この季節のマルタでいちばん目立つのは、黄色い、日本でいうところのカタバミの仲間で、日本のそれが地表すれすれにピンクや黄色の花の群落をつくるのに対し、マルタのカタバミは長い柄の先に花をつける。
この花は、日中でも日かげにあるときはがっくりうなだれていて、陽があたるとしゃっきりするところがユニーク。
葉はハートの切れ込みが深く、わたしにはどこかマルタ航空の飛行機のしっぽに描かれているクサビ十字の紋章を連想させた。 あっちは十字、こっちは三つ葉だけど。

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2011年2月12日 (土)

マルタ紀行/写真

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マルタ島のツアーに参加したメンバーの中に、いまどきめずらしいフィルム・カメラを持参したおじさんがいた。
わたしもフィルム写真に愛着をもつものだけど、さすがに時代遅れといわざるを得ない。
だいいち費用が大変だ。
このおじさんはフィルムを20本用意したってことだけど、帰国してからの現像や焼き付け費用を考えたら、これは頭がいたい (はず)。

最近のわたしはコンパクト・デジカメ 1本やりで、今回持参したのもソニーのサイバーショットと、これが壊れた場合にそなえて、以前使っていたパナソニックのルミックスを用意した。
なんか家電製品みたいなカメラばかりだけど、撮った写真はブログで公開できればいい、それ以上はのぞまないというスタンスだからかまわないのである。

記録メディアとして用意した4ギガと2ギガのSDカードが満杯になり、ルミックスの予備カードまで使ったから、撮影枚数は 1000枚を超える。
最近やったことがないから、フィルム・カメラでこれを現像焼き付けした場合いくらになるか見当もつかない。

このブログではこれまで自分の写真を、左側にある 「大沢村写真集」 という場所で公開してきた。
しかしこれだけの枚数の写真を載せたら、大沢村写真集がマルタ島写真集になってしまう。
そこでマルタの写真にかぎり、その大半を写真集には載せず、本文の記事に添付するだけにした。
これでもクリックすればあるていど大きくなるし、もっと大きな写真が欲しいという人には、そういうキトクな人はあまりいないと思うけど、別途に対策を講じることとしよう。

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まなざし

旅行中止めてあった9日分の朝夕刊を3時間かけて読み終えたとこ。
日本じゃ政治も大相撲もおどろくような進展はなかったみたいだし、ま、いいことなんだか悪いことなんだか。
留守中に気になっていたエジプトも、今朝の新聞を見るかぎりようやく大統領を追い出したみたいだけど、大喜びをしている国民を見ていると、ちょっとまえの日本みたいで将来が案じられるよなあ。

人間喜劇みたいなそんな変わり映えのしないニュースばかりの紙面のかたすみに、世界報道写真コンテストの結果についての小さな記事が。
今回の大賞を受賞した写真の悲惨さにうたれる。

新聞に掲載されていたものよりもっと大きなその写真を見たかったから、ネットで検索してみたけど、見つかるのはまだ前回の受賞作品ばかりのようだ。
しかしこのコンテストの結果はだいたいネットで公開されるのが通例のようだから、この写真もまもなく、たくさんネット上に見つかるようになるだろう。
美しいアフガンの女性が、こちらをきりりとしたまなざしで凝視している写真である。
それがどうして報道写真コンテストの大賞を受賞したのか、こころして待たれよ。

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2011年2月10日 (木)

マルタ紀行/予告

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帰ってきました。 マルタから。
この季節は雨が多いということで、事実わたしたちと入れ替わりで帰国したグループは、降りこめられてさんざんなようだったけど、わたしたちには幸運の女神がずっとつきっぱなし。
写真はバスで移動中に撮った写真だけど、この季節のマルタの印象をくつがえすものかもしれません。

わたしにはこれから写真や文章の整理がたっぷり待ち構えているので、ブログでの報告は、とりあえずこの写真だけでお茶をにごしておきましょう。

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2011年2月 3日 (木)

旅立ち前夜

明日の夜にはもうわたしは飛行機の中のはずだけど、今回のマルタ島ツアーは、日程表どおりならロンドン経由ということで、そうだとすればそこまで12時間半もかかるらしい。
こうなると飛行機の中でいかにしてヒマをつぶすかということが大事な問題になる。

これが上海あたりだと、ビールを飲み、機内食を食い、トイレで排泄でもしていれば、そろそろ到着だ。
12時間半ではこうはいかない。
最近の飛行機では機内で映画が観られたり音楽を聴いたりできるのがふつうだけど、なにしろわたしはそういうものにマニアックなこだわりのある男である。
最近のCGを使った派手なドンパチ映画はぜんぜん観る気がしないし、音楽についても、ジャズならだれそれ、ロックならあいつとやかましいことをいうから、平均的大衆向けの音楽なんか聴く気がしないのである。

さあ、どうするか。
飛行機の中をひきこもりの書斎と考えると、これだけの時間とパソコンがあれば、ヒマつぶしに短編小説の3つぐらい、ブログ記事の10コぐらい書けそうな気もする。
そういうわけでいちおうミニノートを持っていくつもりだけど、バッテリーがそんなにもつかしら。
予備のバッテリーは2万円ぐらいするそうである。
悪徳商法まがいじゃないのか、えっ、ソニー、おまえのことだよとぼやいてみてもどうにもならない。
たかがヒマつぶしにそんな金は使えないということで、こちら方面についてはあっさり断念した。

パソコン以上にヒマつぶしになりそうなのが、電子辞書だ。
わたしは英語の能力が小学生なみなので、今回はその点がちと不安。
そこで、泥縄のきわみだけど、飛行機の中で電子辞書を使って英語の勉強をすることにした。
これでマルタの女の子がくどけるかどうかしらんけど、むふふ、話のきっかけぐらいはつくれるかもしれないなあ。

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2011年2月 2日 (水)

タクアンとチョコレート

行く行くといってなかなか出発しないけど、お待ちどうさま。
わたしのマルタ旅行は、この金曜日に出発です。

ネットでいろいろ情報を集めてますが、マルタは物価が安いので50ユーロでさえ大きすぎて使いにくいとか、コンセントはBF型だとか、ホテルや飛行機の中で使う簡易スリッパを用意しておくと便利だとか、いろんなことがわかります。
レンタバイクを借りたなんて情報もあって、そんなら免許証を国際免許にしておくんだったと、これはあとの祭り。
女の子や新婚さんが書いた情報には、どの店の料理が美味しかったなんていう記事もあるけど、横文字の料理名なんかならべられてもわたしにゃわからんからね。

みやげものなんか買う気ない気がなかったんだけど、最近友人からタクアンをもらってしまった。
この友人は自宅でタクアンを漬けていて、以前その味をほめたら、その後もしょっちゅう、わざわざ持ってきてくれるのである。
そんな話をアパートの大家さんに話したら、おお、タクアンが好きかい。ウチも漬けてるよ、食べてみなといって、こちらからも1本もらってしまった。

世間の常識の通じないわたしだけど、やはり人から何かもらったらお返ししなければいけないことぐらい知っている。
知っているからこそ、これまでは旅に出るまえにあまり人の世話にならないようにしてきたんだけど、今回はまだタクアンの記憶がなまなましい。
友人も大家さんもぜんぜん酒を呑まない人なので、チョコでも買ってくるか。
タクアンがイタリア製のチョコレートに化けるとしたら、だんだんわらしべ長者のお話みたい。

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添付した画像は、最近つり銭とまちがえてもらってしまった英国の2ペンス硬貨。
ペンスというのは1ポンドの1/100らしいけど、1ポンドってのはいくらだ。
調べてみたら130円ぐらいらしい。
ということは、2ペンスは2円半ぐらいか。
マルタで通用するかどうか知らないけど、とてもチョコは買えそうにない。

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2011年2月 1日 (火)

エジプトの政変

エジプトで政変。
他国の国民が自らの意思でやっていることだから、日本人のわたしが口を出すべきことじゃないけど、すくなくともこれまで、この国の政権は日本をはじめとする西側先進国とうまくやってきた。
何年かまえにテロがあったことは知ってるけど、治安もいいし、中東の国の中では欧米人でも安心して旅行のできる国のひとつだから、わたしもいつか行ってみたいと思っていた。
だからムラバク大統領がきちんと公平で、透明性のある政治をしていれば、これほど自体は悪化しなかったのにと愚痴も出てしまう。
ムラバクさん側からいわせれば、新燃岳みたいな活火山状態にある中東で、西側寄りのスタンスを保つのはひじょうにむずかしい、あるていど軍事力を使った抑圧的な政治も必要なのだと、ぼやきのひとつも出るかもしれない。

それにしても心配なのは、指導者さえ変えればよくなると、安易に考える国民が世界中のあちこちに増えていること。
不景気や失業者をいっぺんになくすような政策がそうかんたんに見つからないことを、米国や日本の国民はつくづく知らされたはずだけど、エジプトの場合はどうなのか。
市民と軍隊が暴力を自制していることや、博物館を自発的に結成された自警団が防備しているなんて聞くかぎり、さいわいエジプト国民の理性は保たれているようだけど、かりにムラバクさんが退陣したとしても、新しい指導者が公平で透明性のある民主政治をやれるんだろうか。
エジプトの周辺には混乱と破壊を愛する組織がうようよしているのだ。
わたしの希望は(ちと無責任ながら)エジプトがいつまでも日本人観光客を安全に迎えてほしいということだけなんだけど。

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