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2011年3月24日 (木)

マルタ紀行/銃と大砲

38a

じつは半年ぐらい前まで、わたしはマルタ島について何も知らなかった。
知っていたのは映画で 「マルタの鷹」、「マルタ島攻防戦」 というのがあったこと、ハーブ・アルハートに 「マルタ島の砂」 って曲があったなってことぐらい。
これらについてはすでに、あまり旅行の参考になりそうもないとブログに書いた。

で、あらためてマルタの歴史について勉強してみることにしたけど、いったいわたしみたいな素人がエラそうなこといって誰が聞いてくれるだろう。
だいたいネット上には、勉強をする、それを発表する、そして他人の賛辞をかちえたいという素人研究者がいっぱいいるから、わたしがくだらないことを書くよりそういうものを読んでもらったほうが早い。
あまりあてにならないとされるウィキペディアにも、「マルタ共和国」 という言葉で検索すると長い記述が見つかる。
で、わたしのマルタの歴史のお勉強はネットに丸投げである。
以前にも書いたけど、調べりゃわかることはいちいち触れないのがわたしのポリシーだ。

ただひとつ、気になったことで、なおかつつまらないことを挙げると、オスマントルコの軍隊を撃退した聖ヨハネ騎士団の戦争について。
騎士なんていうと、映画好きのわたしはつい 「アレクサンドル・ネフスキー」 や 「エル・シド」 なんて映画を連想してしまい、槍や弓矢、サーベル、投石機、はしご、まさかり、ハンマー、ノコギリの戦争だったんだろうと思ってしまうけど、ヴァレッタ包囲戦は1565年で、これは日本では織田信長がそろそろ頭角をあらわしていたころである。
ということは、ヨーロッパではすでに銃が戦争に使われていたはずで、マルタ包囲戦も騎士たちによる古典的で優雅な殺し合いではなく、開拓村とそれを攻撃するインディアン戦の様相を呈していたんじゃないかしら。

またマルタのあちこちで、建物の前や海岸に大砲がそなえつけられているのを見るけど、オスマントルコは大砲もかなり使ったらしいから、こうなると鎧、兜なんかほとんど役に立たない近代戦争ということになってしまう。

ウィキペディアで 「聖ヨハネ騎士団」 を検索したら、のちに描かれたマルタ包囲戦の絵が載っていた。
この絵には銃や大砲がぜんぜん描かれてないけど、画家というものはロマンチックなものであるから、彼もそういうロマンもへったくれもない兵器の存在を信じたくなかったのかもしれない。
騎士団の宮殿の前で、わたしもいろいろ妄想にふけってしまうのである。

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