マルタ紀行/聖ヨハネ大聖堂
聖ヨハネ大聖堂について、いまさらなにを書くことがあろうか。
ってわけで、その歴史や華麗さの公式的説明はぜんぶはしょってしまう。
ガイドのYさんの説明を残さず録音しておけば、すばらしい解説になったはずだけど、そのつもりで持っていった ICレコーダーはとっくに故障していたもんで。
ここでは入場者にヘッドホン型のレシーバーを貸してくれる。
最初はテープに録音された解説を聴くものかと思っけど、そうではなくて自分たちのガイドの説明を聴くものだった。
大聖堂の中は各国の団体ツアーが入り乱れているので、そんなところでそれぞれのガイドが声を張り上げたら、神聖であるべき聖堂が地獄の窯のような騒動になってしまう。
それを防ぐために、レシーバーで自分たちのガイドの声だけを聴くことができるのである。
もっともほかに気をとられることの多いわたしは、ややこしい説明の大半をすぐ忘れてしまったけど。
それでもわたしの雑感だけをいくつか述べてみると、おもてからみると特別に立派には見えない大聖堂であるけれど、内部の金箔や大理石を使用した壮麗さだけは誰の目にも一目瞭然。
日本でいえば安土桃山時代の豊臣秀吉に影響を与えた (かどうかは知らないけど)、黄金大消費の金ピカ寺院である。
戦争の最中にこんなものを造る余力があったのか、宗教戦争のさ中だからこそ造る必要があったのか、費用を捻出させられた市民はたまったものじゃなかっただろうなどと、いろいろ考えさせる建物だ。
騎士たちの出身地ごとにいくつかの礼拝所がある。
いろんな文様が描かれた床のタイルの下は墓になっているそうなので、そういうものの上を平気で歩く神経をもたない日本人は、歩くのにもいささか注意をしなければならない。
死者の上は平気で歩くくせに、つまらないことにはなかなか厳格で、ニットの帽子をかぶったままのわたしは、不敬であると注意をされてしまった。
Yさんの説明でいくつか記憶に残ったものでは、たとえば壁画に描かれた人物に、絵からはみだして壁にまで影が描かれたものがあり、それがために人物が画面から飛び出して見えるものがある。
いわゆるだまし絵で、いま流行りの3DですねとYさんはいう。
また壁に取り付けられた天使像のトランペットが長すぎて、わざわざ壁をけずったものがあった。
天使にトランペットがなくちゃさまにならないけど、壁をけずるのはそれほどでもないということは、わたしにもよくわかる。
大切なことはおぼえてないくせに、こういう漫才のネタみたいなことは、わたしはよくおぼえているのである。
だいたい外国旅行に行った場合、派手さやもの珍しさに幻惑されて、そのものの本質を見失いがちだ。
今回のわたしも典型的なそれで、だからいちど行ったくらいではワカラン! もういちど行きたいと思うのである。 あまりエラそうな御託は述べないことにするのである。
トイレにも行ってみた。
カギもないお粗末なトイレで、入っていますと答えるヒマもなく、神父さんにドアを開けられてしまった。
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