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2011年4月29日 (金)

いちゃもん

週刊新潮を読んでいたら、東京大学のなんとかいう準教授が書いた 「日本史教科書・再読ドリル」 という連載ものの記事が目についた。
今週は徳川家康についての文章で、歴史好きなわたしのことだからどれどれとおおいに関心を持って読んだけど、こりゃ納得しかねる文章だ。

こんなふうな文章である。
『関西人であることを誇りにしていた司馬 (遼太郎) の、家康嫌いがうかがえる評価だ』
『家康の先見の明を示す最大の事例が、江戸という場所の選定である』
つまり、司馬遼太郎は大阪府生まれだから、関東 (じっさいは愛知県) 人の徳川家康がキライであり、その家康の偉さは江戸という場所を首都に定めたところにあると、準教授サンはいうのである。

わたしは司馬遼太郎の 「街道をゆく」 のファンだけど、この作家が関西人であることをことさらに誇りにしていたとは思えない。
「街道」 の中には、自分が関西人であることで、商売が上手だろうと初対面の人から思われることに閉口している部分もあるくらいだ。
徳川家康についても、とくに嫌いとか好きとは書いてないはずである。
昭和の軍人たちについてはかなり辛辣なことを書いたこともあったけど、明治維新より前の歴史上の登場人物に対しては、信長も秀吉も家康も、そこにただ存在したという客観的評価しかしていない (とわたしは思う)。

家康が江戸 (関東) に首都を置いたのも、家康の考えではなく、むしろ秀吉の提案だったそうである。
「街道をゆく」 にそのへんの事情が書かれていて、あるとき秀吉が連れションに家康を誘い、ふたり並んで小便をしながら、あなたは江戸を開いたらどうかと提案するくだりがある。
小便をしながらなんていうといかにもフィクションみたいだけど、当時は秀吉の天下がようやく定まったころで、いかに重臣として地位をかためつつあった家康でも、自分で勝手に領地を決めるわけにはいかなかっただろうから、秀吉の提案というほうが話がわかりやすい。
将来、好敵手になりかねない家康を、秀吉は自分の勢力圏の近畿から、できるだけ遠くへ追いやるという魂胆もあったと考えてもいい。

もちろんその後の江戸の繁栄は、家康の領地政策やインフラ整備によるところが大きいけど、このようなことは当時の大名ならたいていはやっているから、彼の場合は秀吉も想像しなかった江戸という土地の利便さと、秀吉亡きあとの戦略や幸運もあったのではないか。

むしろ準教授サンのほうが、わたしは関東人だからと余計なことを書いて、やたらに家康を持ち上げている。
これは歴史を書く人の態度じゃない。
先輩の作家に対する尊敬の念がさらさらうかがえないし、どうもこの準教授サンは、他人の成功をすなおに喜べない人のようだ。
こういう人に教わる学生の人格が心配になってしまう。

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