竹久夢二
土曜日の夜に風呂に入りながら司馬遼太郎の 「街道をゆく・本郷界隈」 を読んでいたら、むしょうに本郷あたりを歩きたくなって、昨日の日曜日は本郷・根津のあたりをぶらついてきた。
※写真は東京大学構内の三四郎池と根津神社のツツジ。
赤門から東京大学の構内に潜入し、三四郎池のわきから弥生門に抜けると、出たところに立原道造記念館と竹久夢二美術館が寄り添うように並んでいる。
同じような資質の詩人と画家だけど、どっちかを見るとしたら、やはりビジュアル系の竹久夢二である。
両方観ればもっといいんだろうけど、時刻はすでに午後4時をまわっていたもんで。
夢二美術館では、常設の夢二の作品のほかに、この日は藤田ミラノという画家の特設展をやっていた。
この画家は、女の子の絵で人気を博したという点が夢二と共通しているってことらしいけど、わたしには抒情という点でもの足りない。
もうちっと悲しみみたいなものがないとなあとつぶやいて、とりあえずミラノさんのほうは無視。
夢二については、常設の美人画のほかに、この日は 「花をえがく・花をうたう」 という彼の描いた花の絵の特集がされていた。
紺地に花を白抜きしただけの単純な色彩の絵がステキだったけど、これだけでは誰が描いたのかわからない。やはり夢二の場合は美人画である。
彼の作品の中には室之津懐古や平戸懐古なんていう懐古シリーズの絵があって、これなんか絵のタイトルだけで、もうどこか悲しくなってしまう。
本郷の美術館に展示されていたものは、古い雑誌の表紙や挿絵が多かったけど、そのくすんだ作品がくすんでいるだけで、もうたまらないくらい悲しみを感じさせる。
人間が単純すぎるんじゃねえかっていわれてしまいそうだけど、抒情ってのはこうこなくちゃ。
夢二は画家であると同時に、いまでいうイラストレーター、グラフィックデザイナーともいえる人で、この職業が女の子に絶大な人気のあることは、大正時代も同じだったらしい。
そこへもってきて若いころの夢二はなかなかハンサム、待てどくらせど来ぬ人をなんて宵待草の歌詞でもわかるように、詩人としての素養もあったから、これじゃ若い娘がほうっておかない。
けっして女をもてあそぶというタイプではないし、相手にいれこんでしまうところが欠点だけど、そういうわけで、若いころの夢二はなかなかのプレイボーイだったようである。
ただ、館内に夢二の最晩年の写真も飾ってあって、それはわたしが想像していた夢二とはちがっていた。
わたしは夢二がもっと若くして亡くなったとばかり思っていたけど、死ぬ直前の彼はすごくおじいさんのように見えた。
多くの女性と浮名を流したプレイボーイの末路がこれだなんてと、わたしはまたも悲しみにつつまれてしまったのである。
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