マルタ紀行/旅の終わり
さて最終章である。
わたしのマルタ紀行は今回で終わりである。
いったいなんだ、なんだ、このくだらない紀行記はと思った人が多いんだろうけど、最後にいくらか自己弁護、意義だってすこしはあったんだぜという理屈をひねくりまわすことにする。
イギリスのヒースロー空港ではたくさんのイスラム教徒が働いていた。
空港の両替所でわたしにポンドの両替をしてくれた女性も、全身を黒い衣装でおおったイスラム女性だった。
マルタで乗った路線バスにも、まるで当たり前のようにスカーフ姿のイスラム女性が乗り込んできた。
最近の国際情勢をみていると、日本にいるわたしたちは、ついイスラムと自由主義は相容れないものと思ってしまいがちだけど、そんなことはない。
たぶんヨーロッパの多くの国で、極東の島国の人間が想像しないほどたくさんのイスラム教徒が働いていることだろう。
ぼんくらなわたしにだって、イスラム教徒を受け入れる政策と過激派への対策とのあいだで、ヨーロッパの国々はさぞかし苦労してるんだろうなあという感想ぐらいはある。
そういう現実をひとつ見ただけでも、世界観が変わってしまう。
新聞やテレビ、ネットを見ているかぎりでは争いやもめごとばかりに思えてしまうけど、大半の人々は仲良くやっているのだということを知るだけでも楽しいし、この世界にはいろんな人々がいて、なにごとをも平均化しようとするグローバル化に背を向けるように、それぞれの生き方を大切にしていることもわかる。
この紀行記を書いているとき、日本では大震災と原発事故がおこった。
日本のような先端文明にどっぷりひたった国では、産業にインフラに、そして夏の涼しい生活に、とにかくやたらに電力を必要としているのだから、原発はやむをえず必要なものであると、事故の前までわたしも信じていた。
しかし、マルタの人々を見てきたおかげで、もうすこし別の生き方があるんじゃないかと思うようになった。
さいわいというか、日本はマルタよりはるかに素晴らしい四季と自然の景観がある。
観光立国として生きる条件にこれほど恵まれている国はないのである。
世界の最先進国が、アフリカや東南アジア、南米なんかみたいな観光立国ではかなしいという人もいるだろう。 観光立国では日本のような多くの人口は養えないのだという意見もあるかもしれない。
その一方で少子化や人口減少について悩む意見もある。
なぜ悩むのか。
これまでと同じ生き方をしよう、これまでと同じ政策、生活環境を維持したままで生きよう、と思うから悩むんじゃないか。
わたしが言いたいのは、先進国と観光立国のはざまのような国家じゃだめなのかということである。
美しい自然を破壊してまでの幸福は追求せず、企業は生産性向上と品質向上の両方を同時に要求せず、暑い夏には車の窓を全開にして走るようなおおらかさを持ち、時間にしばられず、贅沢をきわめず、みんなで励ましあい、助けあい・・・・・・ これは震災の被災地で実行ずみだけど、そういう生き方ができないだろうか。 せめて模索できないだろうか。
のんびりゆったりしているマルタでも、野山に太陽の光と花は満ちあふれていた。
幸せというのはナンダロウと、わたしはいまも机の前でぼんやりと考えているのである。
こんなことを書けば、なるほど、わたしの旅にもほんのちょっぴり意義はあったみたいだなって納得してもらえるんではないか。
という手前勝手な解釈をしたところで旅の終わり。
さて、つぎはどこへ行こうかと、わたしも懲りない男だ。
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