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2011年4月26日 (火)

すこし安心

今朝の新聞を読んでいたら、「国と東電、並んで会見」という見出しが出ていた。
原発事故では、当初、東電と原子力安全委員会や保安院などの組織がべつべつに会見を開き、情報が重複したり食い違ったりして、それがまたウソだと糾弾される原因になってきたから、これからは一元化するってことらしい。
なるほどねと思ったら、同じ新聞に、一元化されると今度は国による情報のすりあわせや組織間の関係不透明化なんてことが生じるんじゃないかと心配する記事が。

うーむ。
これが民主主義国日本の現実なんだよね。
問題は会見のやり方ではなく、誰かがこうだといえば必ずべつの誰かがああだという、いつになっても話がまとまらない民主主義の弊害なんだけど。
戦争も災害もない時なら、そりゃ民主的でけっこうなことでげすよ。
しかし、こんな緊急時にいったい何をしてんのさと言いたくもなるでしょ。
わたしがちょっとまえのこのブログで、菅クンの独断専行、おおいにやるべしといったのはこのことなんだよな。

事故発生まえまでは、保安院なんて有名無実で、なんの権限も持たされてなかったそうな。
わたしとしちゃ、保安院や原子力安全委員会を、原発の監視という本来の役目にもどすのが先決問題で、そういうところの乱立する意見を公平に聞いていれば、おのずと真実はわかってきそうなもんだから、一元化なんてしようがしまいがどうでもいいというスタンス。
ところが世間には、マスコミや一部専門家の意見をおおいに参考にしちゃう人が多くて困る。

国や東電はウソばかりつくという意見は、これホントなの?
事故のあと、米国やフランスの、学者、専門家、企業、消防隊、無人偵察機などに助言や応援や出動を求めているんだから、そういう状態で何かウソをつけるのかね。
ウソをつくというより、当初は混乱して正常な判断ができない、正しい発表ができなかったというのが正解とちがうか。
もちろんお役所化した東電に、初めのうちなんとか恥ずかしい部分を隠したいという姿勢もあったみたいだけど、これほど大きな事故になって外国の注目をあびる状態になったら、もはやウソをつくのは不可能でしょ。

最初は安全だなんていっといて、後になってからレベル7だなんて、これがウソでなけりゃなんだという人もいるかもしれないけど、わたしはいちおうチェルノブイリをリアルタイムで知った世代だ。
消防士何人かがほとんど即死みたいな状態だったソ連の原発事故と、福島が同じなんて、いまだにちょっと信じられない気分。
これってもしかすると、日本をいまだにチョンマゲ、芸者の国、極東のどこかの独裁国と同じような非民主主義国と考えている欧米の、とりあえず過大に評価しとけっていう外圧とちがうか。
ウソもごまかしもありません、日本は米国にまけないオープンな国で、言論の自由も保障されています。
ウソをついたってすぐマスコミにかぎつけられます、ってなんで言ってやらないの。

そうか。
日本のマスコミって、机の前で政府の発表をうのみにするだけで、ウォーターゲート事件みたく、自分で真実を追求しようって気概をさらさら持ってないからねえ。
うちの朝日新聞なんか、先日の地方選挙の結果を報じるのに、原発反対派で当選した全国でもめずらしい町議さんや、やっと最下位で当選した反対派の村議さんを持ち上げ、賛成派のほうは今回は主張を控えていたなんて、微妙に反対派の肩をもつ誌面作りだ。
やっぱ、真実は自分で見極めるしかないみたい。 だまされんぞ。

それでも地方選挙で、躍進すると思われた反対派が思ったほどのびなかったのは、現状では原発をやむをえず受け入れざるを得ないという、日本人の冷静な判断の結果のようで、すこしは安心してます。

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