被災地への旅/陸前高田の2
震災まえの陸前高田には、防波堤が完備していたものと思われる。
思われるだけで、それがどんなものだったのか、部外者のわたしには想像することができない。
というのは、もちろんこのあたりが徹底的に破壊されちゃったからだけど、さいわいネット上の、たとえばグーグルの地図や航空写真を参照すれば、あるていどは想像できる。
そう思ってグーグルの航空写真をのぞいてみたら、陸前高田の航空写真はちゃんと津波のあとの写真にさしかえてあるようだった。
本来ならいちばん海ぎわにあったはずの道路は海になってしまっていた。
海岸にもお寺があったようだけど、海はその場所にまで入りこんでいるから、お寺も海の藻屑になっちゃったわけだ。
この旅に出かけるまえのわたしは、津波というものはせまい入江や湾のほうが高さを増すものだと信じていた。両側が山になっているようなところでは、波は圧縮されてより高くなる。
しかし、事実はそうであっても、そういうところではもともと民家が少ないから、被害もそれだけ目立たない。
陸前高田の惨状から、また認識を新たにした。
圧縮されない津波であっても、平地ではあらゆるものを広範囲に押し流してしまうから、被害は目にみえて甚大なものになるのである。
地図によると、この海岸には高田松原という公園があり、そのあたりに運動場や海水浴場、ショッピングセンター、道の駅、ミュージアム、ユースホステル、ドラゴンレールとよばれる大船渡線の線路などがあったらしいから、街の繁華な部分はほとんどこのあたりに集中していたといっていいだろう。
それがことごとく廃墟になり、鉄道は断絶し、いまその場所にぽつんとキャピタルホテルが建っている。
わたしはこの晩の宿を探さなくちゃいけないのだけど、とてもとてもこのホテルは泊まれる状態ではなかった。
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