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2011年5月26日 (木)

被災地への旅/大船渡

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大船渡の市街地も広大な戦場のようだった。
港に三角形の大きな、もとは展望台だったらしいモニュメントがそのまんまで建っていたのが痛々しかった。
この近くにも鉄道がはしっていたから、わたしは写真を撮るために高いところに上ってみた。
津波は線路をいともかんたんに超えたらしく、海側も陸側も建物はあとかたなく消え失せていた。
かろうじて原型を保った民家のかたわらに、サイレンのついた鉄塔が立っていた。
このサイレンは震災の当日に、おそらく津波の到来を告げたものと思われる。
しかし、いったいどれだけの人が高台に避難できただろう。
たとえばわたしがこの街の住人だったとしたら、わたしはどっちかというと呑気なほうだから、そうか、津波か、じゃ2階に避難しようってな調子で、2階でようすをうかがっているうちに、これは予想以上に大きいぞと思ったときにはもう手遅れで、けっきょく家もろとも流されてしまった可能性が高い。 ヤバイ。

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被災地を見下ろす高台に幼稚園があった。
建物は被害をまぬがれていたけど、とても本来の役目は果たせてないようで、園児も保育士もいなかった。
その場所からながめると、すぐ足もとの空地で中古車屋が店を出していた。
並べられているのは軽四輪が主で、震災で車がみんな流れてしまったあとだから、需要が多く、よく売れているらしい。
それでも感心なことに便乗値上げということはあまりないようである。
車にかぎらないが、むかしならこういう災害があると、かならず品物を買い占めて儲けようという不埒な輩が出たもんだけど、なにしろ現在はインターネットの時代だ。
どこの誰それや、なんという企業が便乗値上げをしたなんてことは、ただちにネットを通じて世間に広まり、不買運動の対象なんぞにされかねないから、そういうケシカラン輩が輩出するチャンスはあまりないのである。 ザマミロ。
大船渡は地方都市なので、人々はみな顔なじみってこともあるから、あくどい商人が暗躍する余地はもともとないんだろうけど。

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