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2011年5月17日 (火)

また原発

ドイツと日本は似たような工業立国である。
にもかかわらず、ドイツでは原発の数が日本よりずっと少ない。
ドイツでできるなら日本でもできるんじゃないかと、そのへんが疑問でネットで調べてみたら、ドイツはじつは電力を周辺国から輸入しているなんて記事が見つかった。
なんだ、そうか。 そういうしくみがあったのかと納得していたら、最新号のCAR GRAPHIC誌に、まるっきり正反対の記事が載っていた。
CG誌によるとドイツは電力の輸出国だそうである。
えっえっえっと悩んでしまう。
いったいどっちなんだ。
ドイツが数少ない原発で輸出できるほど電力に余裕があるなら、日本だってできそうなもんじゃないか。

こういうときはわたしはまず背景を洞察する。
CG誌の記事は、ドイツに在住している日本人環境ジャーナリストの発言をもとにしているという。
環境ジャーナリストなら当然原発反対の立場の人であると思われる。
であるなら、そのぶん、CG誌の記事も割り引いて考えなければならない。
この記事にはレトリックがあるんじゃないか。 つまりごまかしがあるんじゃなかろうか。
というのも、つまりワタシは、現時点では原発ほど効率的に電気の需要量をまかなえる技術はないと信じているもので、もちろんワタシは素人だから、そうじゃないという人がいてもかまわないけど。

そう考えると、CG誌の記事はちょっと楽観的すぎるような気がしないでもない。
この環境ジャーナリスト氏にいわせると、ドイツは原発を全面廃止し、近い将来に再生可能エネルギーだけで電力をまかなえると本気で考えているという。
しかしそれが可能なら、技術大国である日本だってとうぜん考えていなくてはならない。
日本だって太陽光や風力、波力でも火山力でも念力でもいいけど、そんなうまい方法があるなら、ちゃんと研究はしているはずである。
他国が成功したら、それからおもむろに真似をして、たちまちお株を奪ってしまえばいいさという、日本流の安易な考えはとりあえず除去しておくことにしても。

こんなことをいうとすぐに、日本では原発が政治家の利権と結びついているから、なかなか他の研究が進展しないのだという人がいる。
しかし、利権構造というものが政治家と切っても切れないものであるなら、なにも原発だけが利権じゃないはずだ。
かりに太陽光発電を、原発の供給量をまかなうほどに設備しようとしたら、たとえばソーラーパネルを日本中をおおうほど並べなければならないだろうし、送電線や蓄電所などのインフラ整備にも膨大な費用がかかるだろうから、たちまち政治家の利権と結びつくことは必至だ。
再生可能エネルギーが利権と結びつくなら、政治家だってわざわざ危険な原発にしがみつく必要はないんじゃなかろうか。

わたしは原発を擁護するためにこんなことを書いているわけじゃない。
再生可能エネルギーの研究はどしどし進めるべきだと思うし、日本の政策、生活、日本人のDNAの中に節電という考えがしっかりと根をはって、電力の必要量が激減するのなら、原発なんてものはどんどん廃止してもらって結構だ。
ただ世間には、マスコミや他人の言葉に同調して、ヒステリックにわめきたてるだけの人が多いような気がするので、つい水をぶっかけたくなっちゃうのである。

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