被災地への旅/出発
今年のゴールデンウィークのはじめのころ、正確にいうと4月30日、わたしは深夜に東京を発って震災の被災地へ向かっていた。
女性にふられて死ぬつもりで最果ての稚内に行くのも旅なら、万単位の人が亡くなった被災地を見にいくのも旅である。
なんていいわけがましいことをいうのは、行くまえに友人知人たちから、物見遊山とどこがちがうのかといわれて、返す言葉がなかったからだ。
わたしが有名な報道カメラマンでもあれば、写真によって現地の悲惨さを世界に知らしめるなんてゴタクをならべるんだけど、とてもわたしにそんな力はないし、わたしのブログを見ている人の数はかぎられているからねえ。
でも、災害の被災地に行って芸者あげてどんちゃん騒ぎをしようって人はいないでしょ。
はっきりいえないけど、人間が一生にいちど体験できるかどうかという現場を見ておくってことに、何か意義があるんじゃないかしら。
どうせ家にいたってマンネリ&怠惰な生活があるだけだし、ごちゃごちゃいうまえにとにかく出かけてしまえと、今回ばかりはわたしも行動のヒト。
行くまえに考えた。
ボランティアをする予定はなかったけど、現地で空腹の被災者に出会うかもしれない。
そんなときラーメンぐらいはふるまえるように、車のトランクに簡易ガスコンロと鍋、割り箸などを用意した。
人間ばかりじゃない。飼い主を失ったイヌや身よりのないネコに出会った場合にそなえて、ソーセージやバターロール、猫缶も買いそろえた。
冷蔵庫の中にあった賞味期限切れの食物も、ちょうどいいやと放り込んだ。
こんなものを食わせたら、いくら被災者だって迷惑だろうけど、これはあくまでイヌやネコ用である。
道路情報によると、連休が始まって仙台あたりは渋滞がひどいらしい。
そこで東北道の仙台をとびこえて一関まで行き、そこから気仙沼を目指すことにした。
どちらかというと大きな都市よりも、複雑に入り組んだリアス式海岸の奥にある、小さな漁村集落の被害に関心があったもので。
大きな都市の被害はマスコミによって詳細に報道されている。
しかし、津波は大きな都市にも小さな集落にも、へだてなく襲いかかったはずなのである。
というわけで、わたしの小さな旅の始まりだ。
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