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2011年6月 4日 (土)

被災地への旅/トラウマ

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帰り道、とちゅうで車を停めて海をながめてみた。
海からはなれた高台で、ここから見る三陸の海は津波の影響をぜんぜん感じさせない。
よく見ると、海面に牡蠣の養殖イカダがばらばらになって浮かんでいたけど、それ以外は遠方に見える小さな入り江も平和そのものである。
このおだやかな海の中に、無数の遺体がただよっているかもしれないとは、とても思えなかった。
また考えてしまう。 悩んでしまう。

いったい人間の生死を分けるものはなんだろう。
まじめに生きたとか、信仰にあついとか、先祖を大切に祀ってきたとか、家族を養ってきた、子供を育ててきた、義理人情を大事にしてきた、不倫も浮気もしなかった、そういうことはぜんぜん配慮されないのだろうか。
なにしろわたしは、そういう点ではつねづね忸怩たる思いをいだいてきた人間だから、運命の不条理さによけい感じ入ってしまう。

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この旅ではあちらこちらで、平然と無事なままのお寺や神社、あるいはキリスト教の教会を目にした。
いったいこの神様たちはなにをしていたのか。 これもまた人間に対する試練や警鐘であるとでもいうんだろうか。
どこかの知事さんが天罰だなんていって物議をかもしたけど、震災で亡くなった人たちはまったく無作為に選ばれたとしか思えないではないか。
このブログを読んでもおわかりと思うけど、わたしは筋金入りの無神論者である。
本来ならわたしみたいな人間がまっ先にオダブツになるべきじゃないか。
それがそうならない。
信仰に厚い人もバチ当りも、まったくランダムに亡くなっているようにみえる。
わたしのまわりでさえ、わたしよりまっとうで、人間としての責務をきちんと果たしていたと思われる人が、何人もわたしより先に死んでいる。
わたしのようなごくつぶしが、なぜ? どうして?

いくら考えても悩んでも、とてもここでは結論を出せそうにない。
わたしの信念や哲学にも関わることなので、この問題はこのブログでまた将来取り上げることになると思う。

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