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2011年6月 7日 (火)

被災地への旅/名取川の河口

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釜石から気仙沼まで順調にたどりつき、そのまま仙台まで海岸にそって南下するつもりだったけど、ここで道路情報などを調べると、仙台あたりは渋滞が始まっているという。
東京からたったひとりでずっと運転してきたので、さすがにうんざり。
わたしにはそんなに日にちをついやしていられるほど時間があるわけじゃないし、津波の被害についてはこれまで見たきたものだけで十分だ。
そう考えて気仙沼から一関インターへ向かい、東北道に上がって、往路と同じコースで帰京することにした。
ただ、最後にどうしても見ておきたいところがあった。

仙台市の南部に名取川という川があるけど、この川の名前は古今集にもうたわれていて、まだ高速道路も新幹線もなく、京都と陸奥では人々の往来もほとんどなかった平安時代から有名だったそうである。
  陸奥(みちのく)にありといふなる名取川
            なき名とりては苦しかりけり
いい歌なのかどうかさっぱりわからないけど、この川の名前だけは当時の、平安時代の歌人たちの常識であったらしい。

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今回の震災では、そのもっとも初期に、仙台平野を襲った津波の映像をごらんになった人も多いんじゃなかろうか。
リアス式海岸の連なる三陸海岸に比べると、こちらは広々とした田園地帯で、それがまっ黒い津波にゆっくりと飲み込まれていく映像はかなりショックだった。
この田園地帯というのが名取川の河口あたりである。

わたしはこのあたりの惨状をぜひこの目で見たかった。
地図でみると、東北道から仙台南部有料道路に入れば、10数キロ走るだけで名取川の河口に行ける。
このていどなら帰りにちょいと寄り道をしてもたいして時間がかかるわけじゃないだろう。

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というわけで、わたしの最後の写真報告は名取川河口あたりの被災地について。
三陸とちがって、このあたりが広々とした平野であることがおわかりいただけると思う。

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