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2011年7月29日 (金)

キックツゴウガ

司馬遼太郎の 「街道をゆく/壱岐・対馬への道」 の冒頭に、「キックツゴウガ」 という言葉が出てくる。
文字化けするパソコンもあるかもしれないから、とりあえずカタカナで書いたけど、漢字では “佶屈聱牙” と書く。
意味を広辞苑で調べると、堅苦しく難解な文章とあるけど、「街道をゆく」 の中では傲岸不遜と同じような意味に使われているようである。
ただ傲岸不遜というと、おごりたかぶって思い上っているという意味になりかねないが、作家がこの本の中でこの言葉をあてはめたAさんという人物は、ガンコ偏屈であるものの、いささか変わった個性を持っていて、他人からも慕われるところがあったそうである。

キックツゴウガのAさんは、この本の中で以下のように記述されている。
「晩年の彼は伏見のアパートに住み、ほうぼうの編集をひきうけて生活していたが、どういう仕事でもそれが天下の一大事のような物狂おしさで熱中した」
「若いころから協同者というものを持たなかった」
「他人のやることがすべて気に入らないためにすべて1人でやるたちで、女房さえ持たなかった」

なんでこんなことを書いたかというと、なんだかわたしのことを書かれているような気がしてきたからである。
わたしは自分がかなりの変人だと思っているけど、Aさんのような人がいたということは、わたしの性格がけっして世界でただひとつの個性というわけではなかったのだ。

この本に登場するAさんは、孤独のまま、ある日台所で倒れて亡くなってしまうのである。
わたしもそのうち風呂場で本でも読みながらオダブツかもしれない。
死んだらそのへんの石に 「佶屈聱牙」 と書いて墓石代わりにしてもらうか。

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