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2011年10月21日 (金)

熊本への2

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熊本といえば熊本城である。
熊本城は縄張り (築城) の名人といわれた加藤清正が、豊臣時代に築いた堅固な大城で、明治になってからの西南戦争では難攻不落の本領を発揮したこともあるそうだ。
現在では国の特別史跡に指定されているそうであるから、名所旧跡なんてものにあまり関心がないわたしでも、いちどは観ておかないと話にならない。
そういうわけで熊本訪問のついでに見学したんだけど、いや、想像以上にでっかい城で、だいぶ疲れた。

いちばん上の写真は、熊本城のうち、オリジナルの木造建築がよく残る宇土櫓。
2番目は難攻不落をよく物語る射撃台。
塀と石材をつらぬく板の上に横板を置いて、その上に立った射手が塀の外の敵を射撃するのだそうだ。

翌日は熊本県から大分県まで足をのばして、滝廉太郎の 「荒城の月」 のモチーフになったとされる竹田の岡城跡にまで行ってみた。
こちらは残念なことに石垣しか残ってないけど、そういうわけで今回の旅は城めぐりみたいなもん。

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ところで、例によってへそまがりを言うわけじゃないけど、「荒城の月」 のモチーフになっとされる城はほかにもいくつもあるそうである。
これだけ有名になり、しかも作詩家、作曲家の言質もあいまいだと、あっちこっちからいろんな説が出てくるのは仕方がない。
まず歌詞のほうだけど、つくったのは明治の詩人・土井晩翠で、モチーフになった城については仙台の青葉城、会津若松の鶴ヶ城だなんて説もあるそうである。
曲のほうでも、竹田の岡城以外にもこっちが本家だなんて城があるそうだ。
確かな証拠がないかぎり、そして古い歌の場合そんなものはない場合が多いから、こういうものは早い者勝ちであり、すこしでも作詩者や作曲家に縁のある土地で、さっさと歌碑を建ててしまったほうが由来を独占できるのである

もちろん岡城にも立派な歌碑がある。
どの城かなんてせんさくよりも、感動してほしいのがこの歌の歌詞である。
美しい七五調で起承転結の4つの部分に分かれた歌詞のうち、3番のたたみかけるように韻を踏んだ部分を聴くと、ワタシ、いつも思わずうっとりしてしまう。
 いま荒城の夜半の月 変わらぬ光誰がためぞ
 垣に残るはただ葛 松に歌うはただ嵐
 
いまどきの若いモンにはちょっとむずかしいかもしれないけど、さすがに古典や漢詩を駆使できた明治の知識人の作であるなと思う。

3番目の写真は岡城跡のこけむした石垣。天上影は変わらねど、栄枯は移る世の姿っていう歌詞のまんま。
4番目は 「荒城の月」 の歌碑。あっちこっちにあるそうですよ。

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