着衣のマハ
観てきました、国立西洋美術館でゴヤ展を。 『着衣のマハ』 を。
今回のゴヤ展では、マハの絵以外に、 「気まぐれ」 や 「戦争の惨禍」 など版画作品が多かった。
もちろんこうした作品をぬきにしてゴヤは語れないけれど、正直いって絵画を守るために照明を落とした館内で、ハガキより二まわり大きい程度の版画を観るのは、そろそろ老眼ぎみのわたしにはひじょうにつらかった。
画集などでゴヤについて勉強していたわたしにとって、ほとんどがどこかで観たことのある絵ばかりなのもつらい。
そういうわけで版画は無視することにして、さてマハのことだけど。
「裸のマハ」、「着衣のマハ」 のマハってのは、女性の名前かと思っていたらそうではなかった。
これは小粋なスペイン娘という不特定多数をさす言葉だそうで、日本でいうところの小町娘みたいなもんらしい。
有名な 「黒衣のアルバ公爵夫人」 という絵で、夫人が着ている黒い衣装はマハの衣装、つまり当時のいきな女性たちの外出着だったそうである。
「着衣のマハ」 は、寝間着みたいなもんをまとったオンナの人が、いつでもOKよって感じでソファに横たわっている絵である。
この絵には 「裸のマハ」 という姉妹絵があって、そちらでは同じポーズで同じソファに横たわったすっぽんぽんのオンナの人が、うっふーんと誘惑するように微笑んでいる。
わたしとしては、もちろん裸のほうが観たかったけど、今回はプラド美術館で貸してくれなかったようだ。
貸さない理由は、美術館の目玉がふたついっぺんに留守になってはまずいということ以外に、いまの日本じゃ大事な絵が放射能に汚染されたら困るという風評被害によるものかもしれない。
このふたつの絵は並べてナンボの絵なので、片方だけじゃ片手落ちなんだけど、まあ、このさいだから仕方がないか。
これが描かれたころのスペインでは、ヌードの伝統のある西洋なのに、なぜかまっ裸の女の人ってのは描いちゃいけなかったそうだ。
だから着衣のほうのマハについては、官憲に踏み込まれたさいのカモフラージュとして描かれたって説がある。
そんな事情はともかく、実物のマハの絵を近接して老眼鏡でながめると、たんねんに細部まで描きこんだというより、自在な筆さばきでささっと仕上げた、ラフな職人仕事という感じがしてしまう。
それがメガネをはずしてはなれて眺めると、とたんにみごとな美人画になってしまうのだから、これはやっぱりベテラン画家のわざだなあと思う。
「裸のマハ」 がエロチックな絵であることは論を待たないけど、想像力の豊富な人にとっては、着衣のほうもなかなか、あるいはそれ以上にエロっぽい。
裸のほうのマハは、(顔はともかく) 体のほうは成熟した女のそれなので、童貞の少年が観たら恐怖を感じることがあるかもしれないけど、着衣のほうはそれぞれが勝手に衣装の下のカラダを想像できるのがいい。
服を着ているおかげで、まだまだつぼみの処女の肉体かもしれないなんて勝手に想像することもできるわけだ。
ふざけた意見で申し訳ないけど、なんせワタシ、かたっ苦しいお話は好きじゃないもんで。
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