ゴヤ展
今回は版画についてはほとんど無視してしまったけど、大きな絵だけを観ていて気がついたことをひとつ。
堀田善衛の 「ゴヤ」 という理屈っぽさそうな本を読んだことはこのブログにも書いた。
そこではゴヤの最初の奥さんだったホセーファ・バイユーという女性の肖像画 (上の画像) について、子供を何人も生んで所帯やつれしているとか、おとなしく家庭を守った女性のうらみ節みたいなものが見てとれるとか、いろんなことが書いてある。
ところが近年の見解では、この絵は、じつは最初の奥さんではないとされているという。
となると堀田さんの本は大幅に修正を余儀なくされてしまう。
といってもこの本がつまらないというわけじゃ、決してないけれど。
だいたいわたしは 「ゴヤ」 を読んだ当初から疑問に思っていた。
たとえば有名な 「カルロス4世の家族」 という絵があり、堀田さんはゴヤが国王をまぬけづらに、お妃をいじわるそうに、息子は能無しに描いたなんて書いているけど、ホントに絵を観ただけでわかるのか。
これってあとづけの意見じゃないのか。
わたしはこれまでの人生で、いじわるそうな人が意外と親切だったり、まじめそうな会社員が会社の金を使いこんだり、人は見かけによらないという実例をたくさん見てきた。
だから絵の中の静止した人物を観ただけで、とてもその人となりまで断定することはできない。
「フェルナンド7世」 という肖像画もある。 カルロス4世の息子のその後を描いたものである。
人間の本質を見抜くことにたけた偉大な画家のゴヤは、彼をチビで間抜けで執念深い人物に描いたと、堀田さんは書く。
しかしわたしたちは後世の人間だから、じっさいのフェルナンドって人がどんな人だったか知っている。
彼は王政復古をめざし、自由主義者を弾圧した愚劣な王というのが歴史的評価である。
だから堀田さんはその通説にしたがって文章を書いたんじゃないか。
下の画像はフェルナンド7世の絵だけど、なんの予備知識もなしに、これが間抜けで執念深い人間だと断言できる人がいるだろうか (そういわれればそう見えなくもないけど)。
人間の評価なんてみる人によってぜんぜん変わってしまう。
山本周五郎は従来悪役とされてきた仙台・伊達藩の原田甲斐を、「樅の木は残った」 で正反対の忠臣として描いた。
ゴヤ展で、画家の奥さんであるとされていた絵がそうではないと知ったとき、わたしはあらためて通説にしたがうのは危険だと思ってしまった。
またへそまがりといわれてしまいそうだけど、わたしのいわんとすることは、世間の常識やエライ人の意見などを丸のみにするのは危険だということなのである。
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