2011年12月31日 (土)
NHKのBSには、BS1とBSプレミアム (BS2) という二つのチャンネルがあって、そのうちのBS2のほうでは映画や紀行番組をしょっちゅう観るけど、BS1のほうはスポーツやドキュメンタリーが主体で、あまり観たことがなかった。
先日、BS1のほうで 「プーチンの野望」 という番組が放映されたのを観てみた。
わたしはロシアのプーチン首相のファンを公言しているけど、はたしてこの番組はどんな内容なのか。
冒頭に国際共同制作という文字が出る。
制作がどこかということはこういう番組の場合注意しなくちゃいけない。
最近西側にはプーチンの独裁がケシカランという意見が多いけど、そんな意見に同調して偏向した内容の番組になっていることがよくあるのである。
この番組の場合はわりあい公平に作られているようだった。
番組の中にこんな場面がある。
プーチンが大統領に就任した当時、原油の値上がりなどでロシアの景気は上向いていた。
それがリーマン・ショック以降の不景気で、ロシアでも左前になった工場の閉鎖が相次いだ。
工場が閉鎖されれば困るのは労働者で、各地でデモが発生した。
事態を重くみたプーチンは自ら現場に乗り込んで (このときの彼はラフなジャンパー姿である)、経営者たちを怒鳴りつけた。
なにしろもとKGBのプーチンがこめかみをピリピリさせて激怒するのだから、経営者たちは震え上がって、経営を続けますという書類にサインせざるを得なかった。
これをテレビ向けのパフォーマンスだという人もいるだろう。
もちろんわたしもそう思った。なにしろわたしは人いちばい疑い深い人間なのだから。
だいたい、怒るならなんでわざわざテレビカメラの前で怒るのか。
しかし、たとえパフォーマンスであっても、この場合事態はちゃんと動いている。
プーチンが怒鳴りつけたおかげで、工場の閉鎖はなくなり、労働者たちはクビにならずにすんだ。
いくらパフォーマンスをしてもぜんぜん事態が動かないどこかの国の政治とはわけが違うのである。
しかもこのパフォーマンスにはもうひとつ意味がある。
テレビの前で経営者たちを怒鳴りつけることで、プーチンはロシアの国民にはっきりと、やってはいけないことを示してみせたのである。
ソ連時代の無責任体質は改めなければいけないことを、テレビを通じて、いちどに広範囲に理解させたのである。
というわけで、プーチンが経営者などを怒鳴りつけるところなんか、観ていてじつに溜飲が下がる番組だった。
ロシアのためにも、わたしはもうすこしプーチンの行く末を見守りたいと思う。
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ひとっ走り街まで出かけてきたけど、バスの中でマスクをした若者に気がついた。
たちまち連想が飛躍する。
ちょっと前に東北の震災見舞いにきた、欧米人のなんとかいうカワイ子ちゃん歌手のニュースを観ていたら、彼女の公演の最中に観衆の中にマスクをした老若男女が多かった。
風邪でもひいているのか、放射能がコワイのか知らないけど、ちょっと異様な雰囲気である。
歌手のほうは飛んだり跳ねたり、がんばって観衆をノせようとしているのに、観ている人たちが無言のままマスク姿ってのはこれは不気味である。
なんかカルト宗教の秘密儀式に招かれた気のドクな芸人みたいで、観ていて歌手がカワイソウになってしまった。
いちおうの礼儀として、やっぱりコンサートを聴きにいくときはマスクははずすべきだと思う。
※画像は本文とぜんぜん関係がありません。
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2011年12月30日 (金)
この時期の新聞でよく見かけるのが、今年の10大ニュースって特集。
先日の朝日のそれによると
ぎりぎりになって北朝鮮の金サンの訃報なんてのが飛び込んできて、それが漏れているのが欠点だけど (オサマ・ビンラディンとカダフィの死は入っているのだ)、トップは文句なしに大震災、続いて原発事故である。
あの日のことを思い出す。
このブログの3月11日に書いたけど、その日のわたしは家にいた。
ぐらぐらっときて、あわててベランダに出て、庭に飛び出した階下の金髪クンと、ビックラこいたねえなどと話をした。
そのあと部屋にもどってテレビを観た。
期待していたなんていったら怒られるけど、これだけ監視カメラ、防犯カメラの完備した時代だ。 ひょっとすると津波のライブ映像が観られるかもしれないと思って。
その後の経過はご存じのとおり。
わたしのパソコンには YouTube から収集した津波の映像が満載だ。
それを編集して、自分なりの津波映画を作って今後の教訓にしたい、と思っても仕方ないんだけどね。
わたしがつぎの津波まで生きていられる保証ないし、胃ガンかも知んないし。
原発事故も10大ニュースの2番目に入っていて、原発、原子力発電所なんか廃止すべきだという意見が大勢のようだ。
大勢にさからってまでいいたくないけれど、わたしはあいかわらず世間とかい離した考えを、こころのどこかに隠し持っているのである。
10年100年単位でものを考える人が原発に反対するのは結構だ。
しかし千年後、万年後をにらみ、人間が宇宙を飛びまわる未来について考察するなら、原子力が使われてないはずがないと思ってしまうのである。
人間が文明をもってせいぜい数千年、しかも原子力を使い始めてまだ100年も経ってないではないか。
万年単位で考えれば、原子力が現在の石油ストーブなみに、一般家庭でも安全にコントロールできる時代がこないと誰がいえるだろう。
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2011年12月28日 (水)
ロシアでプーチン人気にかげりだとか。
日本でじたばたしたってどうなるもんでもないけど、プーチン・ファンのわたしとしてはちと気になる。
ロシアの国民の中にはプーチンを独裁者とよぶ人がいるらしいけど、独裁者でなければ動かせない国家というものが現実に存在していて、たとえば中国なんかもそうだろうし、あるいは橋下クンの大阪府なんかもそうかもしれない。
民主国家だなんてほざいている現在の日本、米国、EUなんかも、独裁者が果断速攻でものごとを決めたほうが、すっきり動きそうな気がすることもある。
プーチンにすれば、ロシアの近代化にはもっと時間がかかるということではないだろうか。
そのためにもっと大統領を続けたいが、任期6年という法律は自らが率先して順守しなければならない。
そこで彼が考えた苦肉の策が、大統領と首相を交互に務めるという、一見ずるがしこい手法。
ずるがしこいけど、これまでの彼の努力を無にしないためにも、わたしはこの手法に理解を示している。
ところが最近は世界同時不況、しかもどの国でも国民は飽きっぽく、単純で、最高権力者を変えればなんとかなるとすぐ考える。
いったいロシアの人民に聞きたいけど、現在よりもソ連時代のほうがよかったといえるのか。
最高権力者がケシカランとデモなんかやって、シベリア送りにもならずにすんでいるのは誰のせいだ。
まあ、この点はロシア国民もわかっているようで、いまなお過半数の国民はプーチンを支持しているようだ。
人民のほんの少しが不満をならべてデモに動員されただけで、それ、プーチン人気にかげりだなんて大騒ぎする日本の新聞のほうがいけないのだ。
人気凋落を心配してやるなら野田クンにしてやったらどうか。
えっ、朝日新聞。おまえのことだよ。
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2011年12月27日 (火)
アメリカじゃ女の子が下着姿でやるフットボールがあるそうだ。
ウソだろうと思ったら本当だった。
男が考えることはどこの国でも同じだなあと思う。
んならば女子サッカーも下着でやってほしいと思う男は多いだろうし、なでしこの川澄チャンの下着姿が見たいって男もきっと多いにちがいない。
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いいたくないけど、また非常識な意見だ。
政治家も知識人もけっして口に出せない、ブログが炎上しかねない危険思想だ。
先日の新聞に大きな見出しで 「予算が過去最大」、「借金千兆円突破」 という記事。
名目上は前年度より少なくなったってことらしいけど、実質的には、ヤッパリ、増えちゃっているらしい。
お金の使い道では公共事業が大きく増えるのが特徴だそうで、八ッ場ダムだとか、外環道建設の再開なんてことがやり玉に上がっている。
ただ、わたしはむげにそういうものに異論をとなえない。
公共事業につぎこむ税金はムダという人が多いけど、ホントにそうか。
ダム建設にしても道路工事にしても、それを切望しているのは、まず現地の行政だってのはどういうことか。
公共事業が増えれば地方に税金は落ちるし、雇用の促進にもなるし、末端の肉体労働者も助かるし、とにかく誰かが金をじゃんじゃん使わなければ景気はよくならないとケインズも言っている (かどうか知らないけど)。
そんなことに金を使うなら福祉や厚生事業に使えっていう意見もある。
しかし死にかけた老人の医療費を補助したり、家にひきこもりがちな母子家庭を援助したり、家庭ゴミの収集をきちんとやったからといって、そんなものが雇用の促進や景気の浮揚に役立つわけがない。
母子家庭の子供が将来えらい学者か善良な経営者にでもなれば、いくらかモトがとれるけど、それはずっと先の話だ。
つまりムダと考えられているものがじつは必要なものであり、必要だと考えられているものがムダの温床なのだ。
わたしたちはバケツに水をそそがず、ザルに水をそそいでいるのである。
いま世界がなべて赤字に苦しんでいるのも、先進国ほどこのムダな支出が増える傾向があるからだ。
政治家や公務員の削減とか、行政の効率化をいう人もいるけど、それが可能だとしても、それでいったいどれだけ赤字が解消するだろう。
赤字のいちばん大きな要因は、ここで述べたところのムダ、わたしたちが幸福で快適で、完璧な生活を維持するための費用がとめどもなく増大しているからなのだ。
賢明な人にはそんなことはとっくにわかっているのだろう。
しかし新聞などを読むとあいかわらず単純な考えしかもたない人が多いので、ワタシ個人的に、つい非常識を口に出したくなってしまうのである。
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2011年12月24日 (土)
やっと自作カレンダー作りが終了。
メシも食わず、風呂にも入らず (これから入るところです)、一文にもならないことに熱中しちまって、それがアタシの宿命だから仕方ないけど。
いったい全体ナニをしていたのかっていうと、つまり画像のイタズラだよね。
こんな写真を、それも12枚・・・・・・・
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2011年12月22日 (木)
まだカレンダーを作ってます。
人に頼まれたものは終了しましたんですが、自分用のが1月から10月まで作ったところで、あと2カ月分がアイディア不足で困ってます。
ま、ブログもカワセミの写真あたりでしばらくお茶をにごしときましょ。
コンパクト・デジカメでよく撮れたなって感じ。
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2011年12月20日 (火)
いませっせと来年の自作カレンダーを作っています。
なにしろ凝り性のわたしのことですから、手間と時間がかかります。
そういうわけで、ブログも手抜きいたします。
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2011年12月19日 (月)
昼ごろテレビを観ていたら、NHKのアナウンサーが 「たったいま入ったニュースです」 といって金サンの訃報を報じた。
いつか来るものだし、いつ来てもおかしくないって状態だったから、わたしも世間といっしょでそれほどおどろかない。
それにつけても考える。
最近のわたしは胃ガンじゃないかって騒いでいるけど、まあ、とくべつに人生に未練があるわけじゃない。
しかしあちらさんは、後継者はまだぼんぼんだし、世界中が北朝鮮の崩壊に期待しているかと思ったら、くやしくてすんなり成仏できないんじゃないか。
わたしは秦の始皇帝を思い出す (面識があったわけじゃないけど)。
始皇帝は最高権力を手放すのがよっぽど未練だったらしく、不老不死の薬まで探索させていて、探索隊は日本まで来たとか来ないとか。
そんなワラにもすがる思いだったにもかかわらず、やっぱり、けっきょく、地方巡幸中にぽっくり亡くなった。
亡くなったとたんにお定まりの権力闘争で、末っ子のぼんぼんが権力をにぎったものの、関羽と劉備なんて英雄だか強盗だかが興ってたちまち国家崩壊だ。
うん、よく似ているじゃないの。
北朝鮮の旧弊な中央集権体制は、中国の古代中世の王朝にそっくりだし。
あの国の未来について、どっちに賭けるかいわれたら、遺憾ながらわたしは、コインの裏側に賭けるしかないぞ。
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2011年12月16日 (金)
ヤフーのネット・ニュースにこんな記事が。
ちらりと出ただけで、夕方には消えてしまったから、あんまり本気にされても困るニュースのようだけど。
モスクワからの時事で、プーチン首相がテレビ会見で国民に向かって、タタール海峡 (間宮海峡) に橋をかけて、ロシア本土からサハリンへ鉄道を開通させ、サハリンから日本までトンネルを建設することもわれわれは検討中だと語ったそうである。
彼は将来のビジョンとして、シベリア鉄道を日本の貨物で満載することが可能だなんていってるらしい。
うれしい話ではないか。
落ち目のプーチン君のリップサービスさという声もあるだろうけど、どうせ気宇壮大なホラをいうならこのくらいのことをいってほしいねえ。
もちろんロシアに、橋をかける技術もトンネルを掘る技術もあるはずがないから、ロシア首相の頭の中には日本の技術協力があることはまちがいない。
ロシアと日本を鉄道でつなぎ、日本の工業製品をロシアへ、ヨーロッパへ、トラックで東名高速なみにピストン輸送 (輸出) すれば、現在の不景気なんていっぺんに解消するではないか。
極東の2国間で協力しあう景気刺激策が、世界を混迷と停滞から救うことになるかもしれない。
じつはわたしも2010年12月29日のこのブログで、北方四島と北海道をトンネルで結んでしまえばいいではないかと書いたことがある。
いつまでもゴタついている四島返還なんかより、よっぽど前向きなアイディアだと思う。
旅好きなわたしにとっては、東京駅から寝台車に寝っころがったまま、ユーラシア大陸を横断してパリまで旅行できることになるゾ。
この計画にもろ手を上げて賛成するけど、早くしてくれないと、ワタシあと30年も40年も生きられないからね。
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2011年12月15日 (木)
なんか童話みたいな光景だけど、今日の散歩で見かけたもの。
うちの近所じゃスッポンもカメもほとんど見られなくなったから、おおかたはもう冬眠に入ったものとばかり思っていたのに。
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2011年12月14日 (水)
「清明上河図」 もいいけど、おい、胃ガンはどうなったんだという人がいるかもしれない。
わたしはずけずけモノをいう性格なので、敵も多いから、中には結果を楽しみにしている人もいるかも。
病院にはちゃんと行ってきた。
問題アリとX線写真を送ってきたのはN病院だけど、どうもいまいち心配なので、今度は近くのもっと大きな日赤病院に行ってみた。
受付にいた看護係長というおばさんが、N病院の検査結果がないと受付できませんという。
しかし正式な検査結果が来るのはいつも 1カ月後である。
そのくせX線写真には、早急に再検査を受けなさいという添え書きつき。
この矛盾をどうすればいいのか。
N病院に電話したら、それでは紹介状を書いておきましょうという。
この時点で、日をあらためて出直すことを考えた。
しかし出直すと、診察に 1日、検査に 1日、そのあと手術になるのか無罪放免か、あるいは葬儀屋を契約することになるのか、いずれにしても日程が 1日づつ後ろにずれて、むだな時間をとられてしまう。
そこでN病院までタクシーで往復して、なにがなんでもこの日に診察を受けることにした。
タクシー代往復3千円ほど。
とんぼ返りでなんとか診察の受付時間に間に合って、担当医に向かい合う。
いろいろ訊かれ、けっきょく全部一からやり直し。
また胃カメラを飲まされることになった。 今月はカメラがふさがってるから来年の 1月だって。
そんなのんきなことをいっていたら胃ガンがどんどん進行してしまうでないか。
この日の診察代は810円で、国民皆保険の日本に住んでよかったとしみじみ思ったけれど。
タクシー代返せ!
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2011年12月13日 (火)
今朝の新聞の1面に大きく 「神品、日本へ」 とあった。
なんのことやらと思ったら、故宮博物館の収蔵品である 「清明上河 (せいめいじょうか) 図」 という絵巻物が日本にやってくるのだそうだ。
なるほどと納得しつつ、またあまり役に立たないことを思い出す。
むかし中国にしょっちゅう出かけていたころのこと。
あるとき3週間ほどかけて、西安につぐ中国の古都・洛陽へ行くことにした。
洛陽だけでは時間があまるので帰りに鄭州という街に寄ることにした。
鄭州なんて街の名前は聞いたことがなかったけど、ここは河南省の省都であるから大きな街らしい。
鄭州に寄ってもまだ時間があまりそうなので、どこか寄れるところはないかと地図をながめて、開封という街に目をつけた。
当時は知らなかったけど、ここも西安、洛陽とならぶ有名な古都なのである。
そんなわけで開封の街をぶらついてみた。
この街のホテルでは、バスルームの赤い蛇口から水、青い蛇口からお湯が出るという国際常識を無視した体験をしたし、なにを間違えたのか夜中にオカマが訪ねてきたりしたけど、そんなことはさておいて。
この街に鉄塔というお寺があり、観光ポイントらしいので出かけてみた。
鉄塔というから鉄でできているのかと思ったら、やはりレンガの塔だった。 外壁のレンガにこまかい文様が描かれていて、遠方からみると鉄さび色に見えるから鉄塔というらしい。
みやげもの屋の女の子をからかいながら歩いていると、どの店でも、コレ買えといって小さな絵巻物のレプリカを見せる。
そのころのわたしは中国について、その歴史を真剣に勉強したわけではなく、興味のあるところだけをあっちこっちからかじるみたいな状態だったから、まだ「清明上河図」なんてさっぱり知らなかった。
帰国した直後にNHKが放映した 「故宮/至宝が語る中華五千年」 というドキュメンタリーを観た。
この番組は中国の歴史を基本から勉強するのにひじょうに有益な番組で、わたしのシノロジー (中国学) はこの番組によって新しい段階に入ったといってもオーバーじゃない。
このシリーズの8回目の副題が「夢の都・北宋」で、そこに行ってきたばかりの開封と、「清明上河図」 が紹介されていた。
「清明上河図」 というのは、繁栄をほこった北宋時代の開封を描いた絵巻である。
レプリカはせいぜい50センチぐらいだったけど、実物は5メートルもある長い絵巻物であるそうだ。
描かれているのはのどかな農村風景から街の繁華街まで、数えてみたら人間だけで700人も描かれているという。
神品というくらい有名な絵なので、開封をぶらついているときそれを知っていれば・・・・ たぶんそれでも買わなかっただろうなあ。
わたしは中国の絵画があまり好きじゃないし、海外旅行でみやげをほとんど買わない人間だし、以前登山のたんびにペナントを集めて、やがてそれを飾るスペースがなくなり、最後はみんなゴミ箱にたたっこんだというニガイ体験があるもんで。
※添付したのは 「清明上河図」 のほんの一部。
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2011年12月12日 (月)
田舎に帰省してきた。
やぼ用をすませたあと、農家をしている親戚に上り込んで懇談する。
この親戚はわたしが子供のころ、いや、赤ん坊のときから慣れ親しんだ家で、というのはわたしはこの家で生まれたのである。
そういうわけでいまでもいちばん親しみを感じる親戚なんだけど、ご多分にもれず後継者不足に悩んでいる。
所帯主はベテランといっていい農民だから、いろいろ現代の農家がかかえる問題などについて話した、というと聞こえがいいけど、わたしに理解できたのは出荷時のお米の値段がいくらいくらで、路地栽培の野菜でおぎなわなければとっても生活できませんということぐらい。
都会で気楽なサラリーマンをしている部外者には、あいづちをうつくらいしか対処しようのない問題なので、適当なところで水を差して昼メシをごちそうになる。
ただいま胃ガンを心配中のわたしだけど、つい茶碗に2杯もおかわりをしてしまった。
そんなわたしに、アレも食えコレも食えといってつぎからつぎへとお菓子や果物が出てくる。
田舎の人は親切なんだけど、わたしみたいな小食の人間には荷が重い。
田舎の人の習性、他人のうわさ話やつまらない見栄、他人に対する嫉妬心、そんなせせこましい話も荷が重い。
人間ギライの当方としては、そんな面倒なしがらみばっかりの生活はとても勤まりそうもない。
ご飯をいただきながらわたしが思ったのは、この家で過ごしたなつかしい日々のこと。
カヤふき屋根だった家のこと、ススでまっ黒になった天井の梁のこと、踏み固められた土間の土のこと、柱にまかれたワラ束に何本もの鎌が差してあったこと、同じ屋根の下にウシが飼われていたこと、庭にうず高く積まれた堆肥のこと、はなれの二階に枝をのばして美味しい実をつけたビワの木のこと、井戸水で炊いたご飯の独特の味わいなど、そんな江戸時代から連綿と続いていた古い農家の生活である。
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2011年12月10日 (土)
山口文憲さんの 「空腹の王子」 って本を図書館で借りてきた。
わたしの知り合いが、コレ、おもしろいから読んでみたらと薦めてくれたものである。
たぶんその知り合いは、わたしがそうとうひねくれた人間であることを知っているから、同じような傾向のこの本をおもしろがると考えたのだろう。
たしかにこの本は世間の常識をひっくり返すようなおもしろい本だけど、ひねくれ者のわたしは、ひねくれ作家の書いた文章を、そのまま感心するほど素直な人間ではないのである。
「空腹の王子」 は食べ物について書かれた本だけど、じつは食べ物よりもその周辺の些細なことばかりで、そういう本ではないということを著者も書いている。
この本を読んでもじっさいに食べてみたいと思うようなものはほとんど出てこない。
それにひきかえ、この本にも名前の出てくる邱永漢の 「食は広州に在り」 には、読んだだけで思わずよだれの出そうな食べ物がたくさん出てくる。
だからわたしに 「王子」 を薦めてくれた知り合いにもぜひ 「広州」 を読んでもらいたいのだが、あいにくこの知り合いは中国ギライで有名な人間で、中国に関係するものはゼッタイに読まないのである (中華料理は好物のようだ)。
もったいない話ではないか。
山口文憲さんの本では 「香港・旅の雑学ノート」 がおもしろかった。
これ1冊読んだだけで著者の作風というものが明瞭になってしまう。
著者は世間の常識をひっくり返すことにいきがいを感じているような人で、それ自体はわたしもしょっちゅうやっていることだし、中には目からウロコなんて話もあり、そうだそうだと喝采を叫ぶにちゅうちょしない。
ただ、読んでいて思ったんだけど、この本からは外国語を知っているくせに知らないふりをしたり、高級レストランや豪華な食事も知っているくせに、いや、オレってそういうのがキライでねといって、ことさらなんでもない店を尊重するようないやらしさが感じられる。
このへんは現実に外国語を知らず、ほんとうに豪華な食事を知らないわたしのやっかみかもしれないけど、こういうひねりの効いた文章は、新聞記事のひとコマ漫画みたいに、まっとうな文章のあいだにひとつかふたつぐらい置いてあれば意義あるもので、こればっかりまとめて読まされるとイヤミのほうを感じてしまうのである。
そのへんを読者に感じさせないような文章が書けるようになれば、著者がどこかで書いていたように、純文学の道も芥川賞も遠くはないだろうにと思ってしまう。
ちなみに邱永漢の 「食は広州に在り」 には、しょっちゅう香港、広州あたりの有名レストラン、豪華な料理が登場するけど、けっしてイヤミではない。
食べたことはなく、これからも食べられる可能性はなく、しかもけっこう偏食のわたしに、しかもしかも目下胃ガンかなと心配しているわたしにさえ、食べたいと思わせてしまうのが本格的な文学というものじゃなかろーか。
※添付した画像は本場中国で食べた焼きそば (らしきもの)。 見るからにまずそうで、じっさいに美味くなかった。 ワタシ、油っこいものキライだし。
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2011年12月 8日 (木)
先日、健康診断をしたばかりだけど、病院からX線写真が送られてきて、ただちに再検査してくださいだって。
なんだよう、また胃ガンか。
去年も似たようなことがあり、胃カメラを飲むはめになったけど、けっきょく何もなかった。
ただ去年の場合、それほどせっぱつまった状況ではなく、健康診断のあと1カ月もたってからお知らせがきて、念のため胃カメラを飲んだほうがいいですよといわれたものである。
ところが今回は健康診断をして3日目だ。
なんとなく緊急事態発生って感じである。
今回はガセネタではないのかも。 わたしもいよいよ胃ガンかも。
そういえば胃のあたりが痛いような気がする。 食欲も減っているような気がする。
昨日まで元気はつらつで、快便快食、ご飯が美味しい、散歩に出るたびに行きかう若い女の子をながめるのがタノシイなんてほざいていたのが、病院から通知がきたとたんに、あれもこれもおかしいと感じるようになった。
ったく、罪だよな。病院てのは。
とりあえずほうっておいて、来週にでも病院に行くことにしました。
そのうちこのブログも、「末期患者の日々」なんてタイトルになるかもよ。
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2011年12月 7日 (水)
ぼちぼち喪中のお知らせが舞い込んでいる。
年賀状の季節なのである。
わたしは原則として、来た年賀状に返事を書くだけだから、喪中なんてあまり気にしないけど、それでもそろそろ年賀状のアイディアを考えなくちゃならない。
ベネトンという服飾メーカーがある。
この会社の広告写真は意表をつくことで知られている。
服飾の宣伝でありながら、残酷な戦争写真やAIDS、人種差別を告発する写真などを使い、世界がかかえるさまざまな問題を提起しているのである。
先ごろは敵対する国家の首脳たちがキスをする合成写真を使って、いくらなんでもふざけるなと非難されたこともある。
内容はともかく、その姿勢には感心しているほうだから、わたしも年賀状をありふれたものにしないことにした。
年賀状というと、干支の絵をあしらい、月並みな文句をならべたのがほとんどだけど、そんなものを見るとつくづくつまらないと思う。
若い娘なら自分の裸体写真をあしらうような、そんな思い切ったアイディアの年賀状があふれれば、きっと来年は明るい年になるだろうに。
あ、添付した画像は思い切ったアイディアの見本です。
ひと足先にアラブじゃ春だそうだけど、いけませんか、こんなの。
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2011年12月 6日 (火)
右翼雑誌SAPIOが図書館に置いてあるってことは、ちょい前のこのブログに書いたばかりだけど、ぜひ置いてほしいのに置いてないのは 「CAR GRAPHIC (以後CG)」 だ。
車を扱った本のしにせだけど、なんで図書館に置いてないんだろう。
扱っている内容がベンツやポルシェやBMWのような外車が多くて、図書館を愛用する庶民にとってはあまり実用的じゃないというのだろうか。
しかしこの雑誌の読者は現実に外車に乗っている人ばかりとはかぎらない。
CGのポリシーは、たとえばわたしみたいな貧乏人に、買ったつもり、乗ったつもりの夢を見させてくれるということなんじゃないか。
そういう本がひとつぐらい図書館にあってもいいんじゃないか。
高級車に縁のない当方としては、読んでいるだけで楽しい本だし、自分で購読するには高価すぎる雑誌なのである。
何号かまえのCGにトヨタの豊田章男サンの記事が載っていた。
この人は創業者のひ孫にあたる人だけど、社長 (CEOともいうらしい) に就任したとたん、例のプリウスのリコール問題で米国に謝罪行脚という試練にあった。
おかげでだいぶ人間も揉まれたようで、会社の金をばくちにつぎこんだどこかの御曹司に比べると、なかなか謙虚な人柄のようである。
章男サンは “モリゾウ” という名前でブログを持っている。
大トヨタの社長がわたしみたいに八方破れなことを書けるわけないから、たぶんつまらないブログだと思うけど、それを通じて、たとえばわたしみたいな庶民がちょくせつトヨタの社長と会話することも理論的には可能だ。
こんな経営者はホンダにもいなかった。
なかなかユニークな経営者だと思うけど、もうひとつ、この人の趣味は自社の車でレースに出ることである。
レースの監督ではなく、ドライバーとしてレースに出てしまうのである。
もともとそんな才能があったというわけではなく、車メーカーの社長として車のことをもっとよく知りたいと考え、プロのレーサーについて手取り足取り教えてもらったというから見上げたこころざしだ。
本田宗一郎さんもそこまではやらなかったゾ。
章男サンがニュルブルクリンクのレースに出場したとき、同じレースに出ていたアストンマーチンのCEOであるウルリッヒ・ベッツさんと意気投合し、アストンがトヨタのiQというチョロQみたいな車を借りて、自社ブランドのシグネットなんて可愛い車を作ることになったなんてエピソードも楽しい。
かって記事より宣伝のほうが多いなんて揶揄されたCGも、現在では社会の動きを知るためになかなか役に立つ本になっているのである。
ぜひ図書館に置くべし。
※添付した画像はアストンマーチンのシグネット。
高性能なスポーツカーで知られるアストンがはじめて作ったミニカーだけど、フロントグリルのまわりはちゃんとアストンを主張しています。
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2011年12月 5日 (月)
東京モーターショーが開催中。
観にいきたいけど、平日は仕事があるから無理。
この土曜日は、翌日の健康診断にそなえて、飲食は夜の8時までにというお達しが出ていたので、家にひきこもってしまったから無理。
その翌日である昨日の日曜日は、健康診断でバリウム飲まされて、そのあと下剤も飲まされたから無理。
来週の土日は田舎に帰省するつもりだから無理。
さ来週は・・・・・ もうモーターショーは終わっているから無理。
来年は・・・・・ モーターショーってのは2年に1度でしょ。 ぜったい不可能だ。
なんだ、けっきょくとうぶん無理か。
ボディをモニターにしちゃった車なんて、まあ、ふざけていておもしろそう。
見に行きたいよな。
きれいなモデルをタダで写真に撮れるチャンスでもあるのに。
でも日本中のおたくと称される人々がカメラをかかえて集まるんだろうなあ。
そんなのといっしょにされたくないなという気持ちもアリマス。
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2011年12月 4日 (日)
健康診断の前夜は酒も飲まず、食事にも注意。
添付した写真は昨夜の晩めし時のもの。
トマト1個、キュウリ1本、アボガド1個、セロリ1本、トロロをすったあとに残ったヤマイモも刻んで入れてある。
これにドレッシングをぶっかけて、わたしひとりで食べるのだ。
おかげで今日の健康診断では血圧は問題のない数値になった。
今夜はウサギになった夢を見なきゃいいが。
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2011年12月 3日 (土)
このブログにときどき登場するSAPIOという雑誌、右翼傾向が強く、思想信条を偏向させるのに効果ありそうな本だから、図書館には置いてないだろうと思っていたら、ちゃんとあった。
あいかわらず中国ギライに徹底していて、櫻井よしこさんあたりが熱弁をふるっているけど、けっこう経済問題などでも役に立つ記事はある。
いま発売中の号の中では落合信彦さんが、わかりにくいTPPについて推進派の立場からわかりやすく解説している。
この人ははっきりものをいいすぎる傾向があるので、優柔不断でこころやさしい (わたしみたいな) 人には受け入れにくい意見もあるけど、今回の解説はなかなか勉強になるものだった。
べつに彼の言い分を丸のみにする必要はないけど、政治に口を出したい人は、いろんな意見に耳をかたむけるべし。
と思うんだけどと、あいかわらず優柔不断なワタシ。
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2011年12月 2日 (金)
夏目漱石は胃弱に苦しんだ人で、「吾輩は猫である」 の中にもそれを克服しようといろいろ努力する話が出てくる。
わたしも少々高すぎる血圧を下げようと、自分を実験台にしていろいろ研究してみた。
まず高血圧の原因について知らなければならない。
わたしの場合遺伝は関係なさそうだから、後天的なもののようだけど、飲酒、喫煙、ストレス、運動不足、肥満、塩分の取りすぎなどが原因になるそうである。
ああ、しかし、この中でわたしに該当しそうなものは運動不足ぐらいしかないではないか。
運動についてはウォーキングぐらいしかしてないけど、それでも同年齢の友人知人らに比べればまだまだ3キロ4キロはなんでもなく歩いてしまう。
飲酒はほどほど、タバコは 1本も吸わないし、食事は魚や野菜がもっぱらで、肉類やあぶらっこいものはキライである。
高血圧もゼイタク病みたいなものだろうと考え、肥満には注意していて、しょっちゅう食事を抜き、 あまり暴食をしないようこころがけている。
おかげでますます胃袋が退化してきたようだけど、その割には体重が減らないのである。
塩分については、漬けものが大好物だからほめられたものではないけど、そのかわりお茶をがぶがぶ飲む。
おかげで夜中にもオシッコで起こされる。
高血圧は腎臓病を併発させやすいそうだけど、わたしの腎臓はけっこう健康に機能していて、塩分をどんどん排出しているようである。
塩分の対極にあるものは糖分であるからして、最近は甘いものをたくさん食べて塩分を中和させる努力もしている (効果あんのかしら)。
こんな調子だから、高血圧対策の見本のような生活ぶりで、血圧を下げるように注意されても、これ以上何をしていいのかさっぱりわからない。
もうすぐ所属する団体の健康診断だ。
なんかいわれそうな気がして戦々恐々しています。
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2011年12月 1日 (木)
夕刊にかなり大きな見出しで 「日テレ、生中継じつは録画」 という記事。
そんな大騒ぎするような問題か、新聞が取り上げるような事件かといいたくなってしまう。
たかが民放の、それも娯楽番組で。
わたしなんか民放の番組はそういうもんだと信じていて、ハナっから真実を期待するほうがおかしいと考えているから、インチキややらせがあってもぜんぜんおどろかない。
そんな記事にスペースを割くくらいなら、もっとほかにやることがあるでしょ。
えっ、朝日新聞。おまえのことだよ。
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「切腹」って映画を観た。
古い映画だから若いころ観たのかっていうのかと、そうじゃない。
昨夜テレビで放映されたものを録画して、今日観た。
若いころ観た小林正樹の時代劇は「上意討ち」ぐらいなもので、この映画ははじめて観た。
なんでも最近公開されたばかりの、例の海老蔵クン主演の映画「一命」ってのはこのリメイクだそうだ。 しかしそうではないと三池崇史サンあたりは言い張っているそうだ。
物語は江戸時代、生活に困窮した浪人が、大名の屋敷に押しかけてここで切腹させろと言い出す。
体のいいいやがらせである。
体面を重んじる大名が、ま、ま、今日のところはこれでと、いくらかお金をめぐんでくれるのを期待しているのである。
ところがある屋敷で、そんな風潮を苦々しく思う大名(の家老)が、やりたきゃやりなさいと開き直ってしまう。
ひっこみのつかなくなった浪人は・・・・・というのがストーリーである。
のっけからモノクロの、計算されつくした重厚な画面にひきつけられた。
これはすごい傑作だと思ってしまったくらいだ。
ユーモアのかけらもない、ものさしで寸分の狂いもなく作られたような映画だけど、まあ、これはこれでそういう映画だと思えばわるくない。
武士道の非情さを描いた傑作といってもいい。
左翼作家の体制批判映画といってもいい。
ただ、観ていて気分がわるくなった。
けっして残酷シーンのことをいってるわけではなく、当時の武家社会が気のドクになってしまったのである。
映画はフィクションだし、あまり事実に拘泥していたんでは、おもしろくもおかしくもない映画になってしまうことは承知だけど、現実の武家社会というのはあんなに非情なものではなかったと思う。
たかりに来る浪人にへきえきして、勝手にやんなさいと段取りを整えてやることはあっても、土壇場で、もうそのへんでいいだろう、勘弁してやんなさいで終わったんじゃなかろうか。
貧乏浪人を切腹させたなんてことがあると、さっそく近松門左衛門あたりが芝居にして、大名にとって不名誉な事実が長く語り継がれることになってしまうのではないか。
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