イザベラ・バードの2
ちょっと前のこのブログで、明治時代に日本にやってきた英国人の女性紀行作家イザベラ・バードに触れて、ついついまだ彼女のことを考えている。
明治時代に日本にやってきた欧米人のほとんどが、日本を天国みたいだと絶賛しているなんて書くと、それはお世辞だったんじゃないか、当人は厭世観の持ち主だったんじゃないかと疑う人もいるかもしれない。
わたしも疑い深い人間である。
だいたい明治時代の欧米と日本を比較すれば、どうひいき目にみてもあっちのほうが文化的に進んでいて、豊かな生活のように思えてしまうではないか。
しかし豊かさというのはなんで計るものなのだろう。
先日ブータン国王夫妻が来日したとき、日本人の中にも考えこんでしまった人は多いんじゃないだろうか。
イザベラ・バードやモースが感激したのは、そういう日本人のこころの豊かさだったはずである。
バードの「日本奥地紀行」を読み返してみた。
ちょっと大きめの文庫本で、厚さはふつうの文庫本の3冊分ぐらいある。
読んだのがだいぶむかしなので、主旨以外のこまかい部分はおおかた忘れていたから、また新鮮な気持ちで読めた。
この本は妹に宛てた手紙というかたちをとっている。
筆者が女性だけに花や植物、風景の描写はこまやかである。
反面、日本人の顔つきや服装、宿屋のありさまについてはなかなか手きびしい。
とある町できれいな宿屋を見つけ、きれいな家もあるじゃないのというと、従者の日本人が、あれは女郎屋ですから女ひとりでは泊めてくれませんと答える。
バードが泊まった宿は、ほとんどの場合さんたんたるものだった。
のみしらみ馬の尿する枕もとという句が芭蕉にあるけど、明治時代の東北の宿屋なんて、大半はそんなものだったらしい。
食べものが西洋人の彼女の口に合わないのはもちろん、不潔でノミや蚊が多く、開けっぴろげでみんなが彼女を見物にくるし、同宿者は夜中までどんちゃん騒ぎをする。
しかも彼女はときどき発作を起こす脊髄の病気をもっていたから、それでも発狂しなかった彼女の旅への執念はおどろくべきものだ。
わたしも旅が好きだけど、わたしの旅は彼女のそれに比べたら、道楽息子の遊蕩みたいなもんだ。
筆舌に尽くしがたい苦難を体験をしながら、それでも彼女は日光では快適な宿に泊まり、秋田市ではもうヨーロッパ人に会いたくないとまで書いている。
また、北海道のアイヌについて、すばらしい人たちであると、純粋の日本人よりはるかに好意的に書いている。
アイヌ人の顔を歴史画家の描くキリストのようだと表現しているくらいである。
純粋の日本人であるわたしが気をわるくしたわけじゃないけど、こんな文章を読んでいると、彼女の意識の底になにか文明に対する嫌悪感のようなものが、必要以上にあったのではないかと考えてしまう。
彼女の生い立ちはけっして幸福なものではなかったようだから、原因はそのあたりにあるのだろう。
それでも彼女の見識の高さは謹聴に値するゾ。
アイヌについて書いた文章の中にこんな小さな一節があった。
アイヌ人は邪気のない民族である。進歩の天性はなく、あの多くの被征服民族が消えていったと同じ運命の墓場に沈もうとしている。
現代人のわたしたちはバードが見たアイヌ人にもう会うことはできない。
ここに描かれた狩猟民族としてのアイヌは、すくなくとも現代の日本には存在しない。
明治時代の英国女性の予言が的中したことを、彼女の本を読みながら、旅好きのわたしは悲しく思ってしまうのである。
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