2012年2月29日 (水)

ところでネットで検索していたら 「アル・ゴアに不都合な真実」 という記事が見つかった。
これはビョルン・ロンボルグという人が書いた、「不都合な真実」 に対する反論を翻訳したものだけど、なんとなく新興宗教の屁理屈のようなものを感じる。
このロンボルグという人にいわせると、この映画はデタラメだ、プロパガンダだということである。
彼はそのつもりでいろいろ反論してみせるのだが、それはたとえばこんな具合だ。
地球温暖化によって死ぬ人が増えるだろうというゴアの主張に対し、ロンボルグは、暑さで死ぬ人は増えるかもしれないが、寒さで死ぬ人が減るからそれはまちがっているという。
現実社会では、暑さよりも寒さで死ぬ人のほうがずっと多いのだそうだ。
わたしはしろうとだけど、この意見はおかしいと思う。
暑さで死ぬというのは字義通りの意味ではなく、暑いところには疫病が多く、蚊やダニだのの疫病を蔓延させる害虫も多いということである。
そういう点を考慮すれば、寒さで死ぬ人のほうが多いとはとても信じられない。
温暖化がすすむと、そうした害虫がますます勢力範囲をひろげるということは映画にも描かれていた。
ロンボルグの意見の中には、京都議定書の推進運動より堤防を強化するほうがいいというものがある。
しかし強化された堤防が、自然災害のまえになんの役にも立たなかったことは、日本人なら誰でも知っている。
温暖化への対応は遠い未来に対する観念的なものかもしれないけど、現実的な対応がいつでも役に立つわけではないのである。
ロンボルグは他にもさまざまな文献やデータを引用して、この映画に反論する。
ゴアももちろんそういうものを引用しているのだが、引用に対して引用で応戦するのでは、どっちもどっちだ。
たとえば 「温暖化がハリケーンを増強するという説には根拠がない」 とロンボルグはいうけど、それならば根拠がないという説には根拠があるのか。
問題は大局から俯瞰して見るべきで、地球温暖化に警告するゴアの姿勢はまちがっていない。
それを、ほかにやることがあるとか、発展途上国をちょくせつ救うほうが重要だというのは、たんなる屁理屈である。
もちろん途上国への支援も欠かすわけにはいかないけど、だからといって温暖化を食い止める努力をしなくていいわけはないのだ。
地球温暖化は地球規模の災害で、最終的にこの災害から逃れられる人はいない。
世間にはさまざまな学説があるけど、根拠の決着がつくまでは、とりあえず用心しておくに越したことはないのである。
ロンボルグの意見のほうがよっぽどプロパガンダではないか。
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雪に降り込められて、ブログでも書くぐらいしかやることがない。

アル・ゴアさんの名前をおぼえているだろうか。
倅ブッシュと米国大統領の座を争い、史上にのこる僅差で落選した大統領候補である。
この人がナレーターを務める 「不都合な真実」 という映画を観た。
ずっと気になっていた映画だけど、DVDを買ったり借りたりしてまで観る気になれなかったので、ついそのままになっていたのである。
これは地球温暖化をあつかったまじめなドキュメンタリーだ。
最近は世界同時不況だとか欧州の金融危機、日本の原発事故などで影がうすいけど、地球の温暖化はストップしたわけじゃない。
たまにはこちらにも目を向けてほしいものだ。
この問題は原発事故の対応ともけっして無縁ではないのである。
景気をよくしようと経済活動を活発にしたり、原発の代わりに火力発電に力を入れると、温暖化はますます加速される。
世界同時不況でどこかの国が破たんしても、その国民はしぶとく生きていくだろうし、フクシマの事故はまだ終息してないけど、少なくともこれまで放射能のちょくせつの影響で死んだ人はいない。
しかし地球の温暖化は、地球上の全部の人間が確実に絶滅する危険性をはらんでいるのである。
どっちが大切かという問題じゃないけど、××シーベルトだとか○○ベクレルだと大騒ぎをするお母さん、あなたの子供の未来をほんとうに心配するなら、目ん玉を左右にくばって、両方の問題からつねに目をはなさないことだ。
目先のことにとらわれず、バランスをとることが必要だ。
それを政治家に強要すべきだ、どうせオシャモジをふりまわすなら。
え、ワタシ?
あんまり先が長くないからねえ。
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もうずっと昔のことになるけど、わたしの部屋へ友人のひとりが、包丁をたずさえ血相を変えて押しかけてきたことがある。
話を聞いたら、これから女を刺すのだという。 刺したあと自分も死ぬのだという。
なんでもこの男が当時付き合っていた彼女が他の男と浮気したのだそうだ。
こういうのにかぎって、なかなか実行はしないもので、話を聞いてうなづいてやれば、それでツキモノが落ちる場合が多いんだけど。
それでわたしは中原中也の詩を持ち出した。
「妹よ」という詩である。
中也に妹がいたかどうかは知らないけど、このタイトルは本物の妹をうたったものではない。
夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだつていいよう・・・・・といふのであつた。
湿つた野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであつた。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかつた・・・・・
いいかい。 こんな有名な詩人だって、かなわぬ恋に悶々と苦しんだことがあるんだよ。
そういうわたしの説明に、包丁の彼はおおいに納得して帰っていった。
こんなアホらしいエピソードは別にして、わたしはこの詩が好きである。
この詩はむしろ、若いころのわたしをなぐさめる詩だったかもしれない。
好きな女の子に相手にもされず、部屋でひとりで悶々として、畳の目をむしったことのあるわたしのための。
この友人は後日自殺した。
若い娘との排気ガスによる心中で、相手は包丁のときの相手ではなかった。
ずいぶん色恋沙汰の激しい激情型の男であったけど、ふられてもふられても自殺もできずにだらだら生きてきてしまったわたしには、その生き方がとってもうらやましく感じられる。
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2012年2月28日 (火)
2年前に団体旅行でトルコへ行って以来、わたしはずっとトルコにあこがれてきた。
こういうものはあこがれているだけではいつになっても近づいてこない。
人間の明日なんてわからないものだ。
いまは元気なわたしでも、また胃カメラを飲めといわれるか、いつ往来でダンプに轢かれないともかぎらない。
えいっと決心して、とりあえずイスタンブールへ行ってみることにした。
時期的には春休み(空港が混雑する)をはずし、ゴールデンウィーク(空港が混雑する)をはずし、その中間ごろにした。
具体的には4月12日から19日までである。
時差や機内泊を考慮しても、たっぷり5日間はイスタンブールをうろうろすることができる。
帰国するころには、わたしはいっぱしのトルコ通になっているであろう。
すでに航空券は予約した。
これからホテルの選定をしなければならない。
なにしろ今回はまったくのひとり旅だ。
いま慌てて英語の勉強をしてるけど、若いころとちがって集中力もないし、ぜんぜん頭に入らないので困ッテイル。
困っているけど不安はない。
むしろ、ひさしぶりに体中にアドレナリンがみなぎるような気がする。
これからしばらく、このブログはイスタンブールの旅の準備から、帰国までの報告ということになりそうである。
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最近の映画は、なんてため息をついていると歳がばれちゃうけど、「ドラゴン・タトゥー」 の続き。
観ているときはアップテンポに引っ張られて欠点に気がつかなかったけど、あとで考えてどうしても納得できない部分が。
ヒロインは鼻ピアスのパンク娘だ。
映画には出てこないけど麻薬をやったり男と乱交したり、映画にも出てくるけど同性の娘を部屋に引っ張りこんでレズっちゃったり、いろいろイケナイことをしているらしい。
それでお金がなくなって、自分の目付役をしている民生委員みたいな男に泣きついたりするのである。
この男がとんだ助平なやつで、お金と引き換えに彼女をもてあそんでしまうのだ。
そんな身持ちを崩したパンク娘が、一方では優秀な調査員だそうで、この映画の冒頭でもひとつ仕事をこなしている。
仕事というのは大富豪の依頼で、主人公の007役者が信用に足る男かどうかを調べるのだ。
彼女がOKを出したおかげで映画はスタートするのだから、彼女の優秀さは本物らしい。
彼女が組織に属しているのかどうかよくわからないけど、どっちにしたってこれだけ優秀な調査員なら、仕事はひきも切らないだろうし、その日の生活に事欠くことはないだろう。
しかもこの映画の最後では、悪徳実業家の資産をごたごたにまぎれて (フィッシングで) かすめ取る才覚をみせている。
こんなパソコンにも通じたスーパーマンみたいな娘が、なんで助平男に蹂躙されなくちゃいかんのだ。
原作がわるいのか脚本がわるいのか知らないけど、へんにトラウマをかかえた過去なんか持ち出さずに、優秀すぎてモテすぎて、お金にも不自由してなくて、かえって人生がつまらない、道楽でパンクをやってんだよという設定のほうが、ずっと異色でおもしろくなったように思う。
それじゃイロっぽい主人公が活躍するフランスのコミックみたいという人がいるかもしれないけど、満たされすぎた人生に生きがいを見いだせないというのは、永遠の哲学的テーマでもあるんだ。
そのへんをどう料理するかは監督の力量にもよるけどね。
タイトルにある “龍の彫りもの” にしたって、映画の中ではなんの意味も持ってない。
パンク娘のタトゥーが事件解決の重要な伏線になるような話にすれば、ミステリーとして完璧なのに。
これじゃあ金をかけて丁寧に作られたエロ映画だ。
イヤらしい場面を無理に押し込んだみたいだ。
ちなみに彼女をもてあそぶ助平男のエピソードを削除してごらん。
ほれ、ちゃんと映画の意味は通じるでしょ。ぜんぜん変わんないでしょ。
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2012年2月27日 (月)

「ドラゴン・タトゥーの女」を観てきた。
公開されたばかりのミステリー映画だから、あらすじについてゴタゴタいうのは控えることにして、感心したのはずいぶん丁寧に作られた映画だなってこと。
最近の映画の中には、ややもすると手待ちカメラで、照明やカメラのセッティングもろくに考慮しないで作られたようながさつなものがよくあるけど、この映画にはそういう欠陥はなかった。
それはいいんだけど、あいかわらずコマ割りが急テンポで、場面展開が目まぐるしく、年配の映画ファンにはついていけないのに閉口。
40年も前の事件を現代の人間があばこうってんだから、登場人物が錯綜して、誰がどれだっけと整理しながら観なくちゃいけないんだから、もうちっとこちらの都合も考えてくれなくちゃ。
観客の考える時間はもちろんのことだけど、意味のないカットや長回しの効果ってものを理解していない監督が、最近は多くって困るねえ。
せっかく風光明媚な北欧が舞台なんだから、ご当地映画みたく、もっとじっくり風景を見せてもらいたかったゾ。
あらすじと関係ないところでは、いやあ、ひさしぶりに本格的なイヤらしい映画を観たなって感じ。
いやがるヒロインが民生委員みたいな親父に強姦されちゃう(しかも後ろから)場面なんて、変態好みで、そういえばこの映画は変態のオンパレードで、昨今の風俗の不健全さをよく象徴してるみたいで不気味。
そういう映画を観てきて、うれしがってこんなこと書いているわたしの人格まで疑われそう。
わたしは北欧に行ったことがないから知らないけど、あちらのパンク娘ってのはけっこう純情なのねと、変なところに感心もした。
ヒロインを演じた女優さんはこれでアカデミー賞候補らしいけど、古い映画ファンというやつはついキャサリン・ヘップバーンやメリル・ストリーブなんかを連想しちゃうから、それに比肩するほど演技がすばらしいとはとっても思えない。
たぶんパンク・ファッションでバイクにうちまたがるという異色のキャラと、すっぽんぽんで男にまたがっちゃうという大胆さが候補になった理由なんだろう。
日本の広末涼子サンあたりも、私生活をみるとけっこうインランな人らしいから、たまには鼻ピアスにタトゥーで、惜しげもなく裸体をさらして、本場のアカデミー賞に挑戦してもらいたい。
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2012年2月24日 (金)
鼻がぐずぐずしている。
わたしもいよいよ花粉症らしい。
腹がたつけど、あの野生的な椎名誠さんでさえ、ビールを飲みすぎて痛風になって、友人たちから、おまえもとうとうかなんて同情されているというし、それよりマシだとあきらめている。
ひとつ奥多摩にでも出かけて、杉林の中でまっ裸になって跳ねまわってくるか。
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2012年2月23日 (木)
ヒマなときは、じっさいに行けるかどうかは別にして、いろいろ海外旅行について調べるのがわたしの趣味。
トルコについて調べていたら、たまたま某旅行会社の格安ツアーが見つかった。
この会社の名前をかりに「5★C」としておこう。
5★Cは格安で、しかも自由行動の多いツアーが専門らしい。
こういう旅行がわたしの理想だなというわけで、この会社のツアーについてさらに調べてみた。
5★Cには口コミ情報のサイトがあって、読んでみたらボロクソの意見が多かった。
サービスがなってない、社員の対応がわるい、トラブルに対処してくれない、現地ガイドの教育がなってない、2度とこんな会社のツアーは利用してやるもんか、などなど。
しかし、これ日本人のわるいクセだけど、格安のツアーを見つけておきながら、サービスは格上のツアーと同じものを要求する。
値段だけはすこしでも安いツアーをといっておきながら、シャワーが出なかった、エアコンが壊れていた、メシがまずかった、ノミがいた、シラミがいたと文句をいうのである。
そんならはじめから格安ツアーなんか探すなといいたくなってしまう。
口コミの中には、最初から大手のツアーにしておけばよかったなんてものもある。
その通りじゃないか。なんでそうしなかったのか。
これだけボロクソに言われながらもまだこの会社は存続しているし、口コミの中には満足したというものも少しはあるから、旅に出たら頼りになるのは自分だけという信念の旅行者にとっては、なかなか使える旅行会社らしいのである。
そんなことをうじうじと考え、いっちょう出かけるか、やっぱしやめておこうかと逡巡しつつ、実現するかどうかもわからないまま、今日もわたしゃ海外旅行の計画をもてあそんでいるのである。
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2012年2月22日 (水)
こないだの日曜日、所用があって (散歩じゃないのが例外だけど) 自然観察園のわきを通ったら、柵の内側に福寿草が咲いているのが見えた。
花というのは仕様のないもので、毎年同じ時期に同じ場所に咲いて、番狂わせというものがほとんどない。
毎年のこの時期に福寿草の写真を載せるのは、さすがに気がひけてしまうので、たまには色ちがいとか、葉っぱの形を変えたらどうなんだといいたくなってしまう。
このように変化のない対象であるから、去年の写真でごまかしてもバレるということがほとんどない。
まさかそんなインチキはしないだろうと、あまい観測のアナタ。
人を信用しすぎるのは考えモノだという教訓のために、これは去年の福寿草の写真だということをお断りしておく。
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「コズミック・フロント」というテレビ番組を観たら、冥王星まで探査機が向かっていて、2015年ごろにはその近くに到達するだろうといっていた。
冥王星というと、水・金・地・火・木・土・天・海・冥と指折り数えて、太陽系のいちばん遠くにある惑星と思っている人が多いかもしれないけど、これは変則的な軌道をもっていて、ときどき海王星よりも地球に近くなってしまうことがある。
しかもその後のごたごたで、これは惑星とはみなされないという処断を下されてしまった。
課長が係長に格下げになったようなものだけど、だからといってわたしの好奇心の対象からはずれるわけじゃない。
NASAの無人探査機ボイジャーの活躍で、これまで知られていなかった惑星や衛星の素顔があきらかにされて、わたしの人生はなんて幸運な時代に遭遇したのかと感動したおぼえがある。
それから、あ、もう30年も経ってしまった。
この先、たぶん生きているうちに宇宙の驚異を目にすることは、もうないだろう。
そう思っていたら、ひょっとするとこの太陽系で残された最後の天体の素顔を見ることができるかもしれない。
それを期待して、おもしろくも楽しくもない人生をもうすこし生きてみるか。
あと3年じゃないか。
※ネットで検索すると、まるでボイジャーが撮影したようなステキな冥王星の画像が見つかるけど、現時点ではまだその表面の詳細はひとつも撮られてないはずである。
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2012年2月21日 (火)
わたしのいちゃもんが効いたわけでは、ゼッタイにないと思うけど、今朝の新聞にまたプーチンの記事。
今回は特派員の報告ではなく、「ロシア大統領選」という大きな記事だ。
3月4日の大統領選を占うというもので、まあ、公平といえば公平、客観的といえば客観的といえる記事だけど、プーチン支持派の極東島国支部員としては気にいらない。
プーチンのことを書かれると、なぜか、朝日新聞にいちゃもんをつけたくなるワタシなのだ。
モスクワの中小商店が入居するビルが、行政のいやがらせを受けて、ワイロを渡すまで勘弁してもらえなかったという実例が取り上げられ、だからロシアの行政は汚職まみれと書いてあったけど、これはプーチンのせいではない。
記事の中でも触れられているけど、ロシア人のど性骨を叩き直すために、強力な「権力の垂直構造」が必要だった。
つまり、ごたごたいうな! オレのいうとおりにやれ!という、現在の中国みたいな独裁構造である。
こうでもしないと、ソ連時代にどっぷりとぬるま湯につかったロシアの行政の怠慢は直らない。
しかしいくら独裁のプーチンでも、食材のひとつひとつを登録しなければならない飲食店の、厚さが20センチを超えるという書類のすべてに目を通して、是非を判断しているヒマはない。
そのために非政府組織を立ち上げ、行政の怠慢や非効率を告発させるようにしているのだから、プーチンはそれなりよくやっているといえる。
自分だけでは間に合わないので、メドベージェフを起用して、別方面からロシアの近代化を図っているのもプーチンである。
しかし官僚組織というのはしぶといものだ。
あっちを責めればこっちと、モグラ叩きみたいに神出鬼没、なんとかして既得権益にしがみつき、オイシイ汁を吸い続けようというのが官僚というものである。
日本でも官僚支配の打破と威勢のいいことをいって登場した新しい政権が、たちまち役人に取り込まれてしまったくらいだ。 ミットモナイ。
民主党に期待するほうがおかしかったのである。
話がつい日本の国政に向かっちゃうけど、前述の記事のとなりに「核抑止力の米国並みを維持」というプーチンの発言が載っていた。
こっちがロシアの権力者の本来の仕事で、官僚の仕事のいちいちに小言をいうのが仕事ではない。
権力者さえ変わればと考える手合いが多いけど、いったいプーチン後に、どんな公正で開明的な指導者が現われる可能性があるというのか。
ヘタすればもとのソ連時代に逆戻りだ。
現在のロシアのかかえる問題は、ひとりで、短時間に片付けられる筋合いのものではない。
プーチンにはまだ時間が必要だ。
やっぱりわたしは、あと1期か2期は彼を支持せざるを得ないのである。
投票権はないけど、わたしはロシア国民のためにもそう思う。
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2012年2月20日 (月)
今朝の朝刊で朝日新聞のモスクワ特派員が、プーチン首相をけなす文章を書いていた。
極東の島国におけるプーチン支持派の代表である当方としては、こういうアホな記事に鉄槌を加えなければならない。
特派員がいうのには、プーチンの政治は「なにをするにもワイロ。 ビジネスを妨げる官僚主義」と、これはあちらの中産階級の言葉を借りているのだが、わたしはそういう書き方にダマされないのである。
ロシアの官僚主義はなにもプーチンの時代に始まったわけではない。
プーチン以前のソ連時代のほうがはるかにひどかった。
現在のロシアはまだその弊害を排除しきってないというのが本当の所だろう。
役人をどやしつけたり、官僚とつるんだ財閥を刑務所にたたっこんだり、プーチンもいろいろ頑張っているけれど、官僚主義を改めるのは自由主義国の日本の自民党、民主党にもできなかったくらいむずかしいことなのである。
だからこそ、プーチンはまだ仕事なかばで、いま統治を投げ出すわけにはいかないというのが本音なのだ。
指導者が変わればなんとかなるとすぐ考える、短絡的な国民の言い分なんぞに耳を貸す必要はない。
この新聞記事の中には最近のロシアの風刺小話がひきあいに出されている。
「ロシアの中央選管委員長を大統領選の監視に送れば、米国の選挙でさえプーチンが勝ってしまうさ」というものだけど、プーチン以前にこんな指導者を揶揄するようなことをいえば、言った当人は即刻シベリア送りだ。
そうならずにすむ社会を作ったのはプーチンだということを忘れていけない。
投票権がないのが残念だけど、わたしはもう1期か2期はプーチンの味方である。
こうやって記事のすみずみまで目を配って、朝日新聞にいちゃもんをつけるのもタノシイことだ。
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2012年2月18日 (土)

「禁断の惑星」 と 「惑星ソラリス」。
このふたつはSFの古典というべき映画で、前者は特撮にディズニーも関わったとされる明るい雰囲気の、後者はソ連製の陰鬱なイメージの映画だけど、内容に似通った点がある。
いずれも行方不明になった先達を捜索にきた宇宙飛行士が、惑星上で怪奇な現象に遭遇するというもの。
羽のはえた恐竜や緑色の宇宙人が出てこないところが古典に値するのである。
最後にあきらかになる怪奇な現象の正体は、人間のもつ潜在意識がかたちをもってあらわれたというもので、つまり 「禁断の惑星」 では娘の恋人に憎しみを感じる親父の潜在意識を、「ソラリス」 では死んだ女房に会いたいという亭主の潜在願望を、それぞれ具現化しちゃう能力がこの惑星にはあったというもの。
両方ともCG (テレビゲームも) のない時代の映画なので、昨今の若いモンには物足りないと思うけど、昨夜TV放映された 「アバター」 なんかよりは、ずっと深刻かつ高尚なテーマなのである。
SF作家というやつは、つねに他人の思いつかないアイディアを考えているものだから、このていどで感心しちゃいられないんだけどね。
潜在意識を具現化する・・・・・・
わたしは基本的には平和愛好者だと思う。
しかしどこにでもいるふつうの人間だから、こころのどこかに暴力的潜在意識が潜んでいるかもしれず、それが日本は平和だけど、いたるところに暴力が存在するこの世界に反映されているのかもしれない。
この地球上の森羅万象も、テロも戦争も、ぜーんぶわたしの潜在意識が実現しちゃったものかもしれない。
そうだとしたら、できることなら戦争よりも、絶世の美女というかたちで実現してほしいねえ。
でなければAKBを率いる秋元なんとかさんと取って代わるとか。
ダメかしら。
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2012年2月17日 (金)
BSを観ていたら、なんかの科学番組をやっていて、そこに現在は寒冷でとても人間が住める状態ではない火星を、温室効果で温めたらいいなんていう科学者が出てきた。
地球では温暖化の元凶とされているフロンガスを使えばいいそうだ。
しかしどうやってフロンを火星まで運ぶのかということには触れてなかった。
フロンガスを恒久的に発生させる方法にも触れてない。
ガスを大量に発生させるためには、煙突をたくさん立てなくちゃならないぞ。
しろうと考えでも膨大なプラント建設が必要になりそうだ。
そんなことより、去年の6月15日のこのブログに書いたけど、原発の放射性廃棄物を使うほうが、廃棄物の処理方法にもなって一石二鳥だ。
めんどくさいプラント建設なんか必要ない。
なんなら廃棄物をどかんと火星の表面に打ち込むだけでもいいけれど、これじゃあとから人間が上陸して、火星を緑野に変えるのにさしさわりがある。
だから、せめて火星の表面にブルドーザーで穴を掘り、そこに廃棄物をびっしり並べるぐらいの作業は必要だ。
このくらいなら遠隔操作のロボットにだってできるぞ。
放射性廃棄物は半永久的に(人類が絶滅したあとまで)、他からのエネルギーも整備も管理も必要なしに、火星を温め続けるだろう。
考えてみれば、太陽系の惑星や衛星のほとんどは寒冷の星だ。
放射性廃棄物の活用方法として、こんなに可能性のある世界はないんじゃないか。
やるんなら早くやってくれよな。
わたしが生きているあいだにやってくれれば、偉大な預言者として、わたしだって火星の丘かくぼみに、わたしの名前をつける名誉をいただけるかもしれない。
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2012年2月16日 (木)
以前、このブログでも取り上げたけど、映画「誰がために鐘は鳴る」がまた放映された。
今回は30分もの映像が付け加えられたワールドプレミア版だそうだ。
なにしろ傑作のほまれの高い映画だから、そうかい、闘牛やフラメンコ、スペイン・ロケの場面でも追加されたのかいと考えて、また録画してみた。
ぜんぜん変わってなかった。
あいかわらずゲリラが山の中を走りまわるだけ、爆破される橋はやっぱり模型みたいだし、初めから終わりまで全部アメリカで撮影されたままのようだった。
G・クーパーが機関銃をぶっ放しつつ死んでしまうラストシーンも変わってない。
こういうのって、期待して失望するほうがわるいのか。
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2012年2月15日 (水)
芥川賞を受賞した田中なんとかさんの 「共食い」 っていう作品を読んでみた。
最近のわたしは小説というものをあまり読まないんだけど、このなんとかさんの、どんぐり眼でストーカーみたいな、ちょっと異様な風貌が気になったもので。
親のすねかじりで、いちども仕事についたことがないという、その温室野菜みたいな経歴にも興味があったし、そういう人に小説が書けるならワタシにも書ける、と思ったというのは冗談だけど。
仕事についたことがないという点が気に入らなかったのか、石原慎太郎さんもサジを投げて、芥川賞の審査員を辞任してしまったらしい (というのはわたしの想像です)。
作品の内容は、こういうものに興味がある人はすでに知っているだろうし、興味のない人は知りたいとも思わないだろうから、説明しても仕方ないんだけど、ひとことでいうとセックスと内向した暴力である。
文章の中には上手いなと思わせる部分もあったし、無理して文学的な表現をしたなと思える個所もある。
ただ、セックスと暴力を “文学” って考えるのはどうもいただけない。
最後に息子の彼女をレイプした父親を、母親が包丁で刺すことになるんだけど、母親は息子と彼女がかなりふしだらな関係だったことを知っていたはずで、いったいその殺意はどこから湧いてきたのだろうと思ってしまう。
復讐やあわれみというには、息子の彼女に同情すべき余地があまりないのである。
冒頭に昭和63年という日にちが出てくるけど、戦後まもなくの設定かと思ったくらい乱雑で汚らしい街が背景で、現代的なものはほとんど描かれていない。
1988年といえばワープロが隆盛で、わたしも愛用したおぼえがあるけれど、そういうものはいっさい出てこない。
安アパートに居座って近所の男たちを相手にしている娼婦なんて、昭和の中間あたりまでの風景じゃないか。
団塊の世代なら70年代、かぐや姫が 「神田川」 を歌っていたころを思い浮かべるかもしれない。
どうもこのへんが外の世界を知らず、内にこもって書いた小説の限界なのかも。
しかしまあ、最近はあまり小説を読まず、最近の傾向や読者の嗜好も知らず、田中なんとかさんの他の作品も知らないわたしが、これ以上この人の作品についてごちゃごちゃ批評するのはやめとこう。
この作者を見ていると、なんだかイジメの対象になりそうなオタクっぽい人に見えるので、わたしまでもが加害者の一員に加わって、ああだこうだいうのは気がひけるのである。
若いころならともかく、最近のわたしはこういう小説を読みたいとは思わない。
わたしが読みたいのは・・・・・ たとえばアップルのジョブズのことを取り上げたテレビ・ドキュメンタリーの最後に、こんな表現があった。
『(彼の死によって) 世界屈指の大企業アップルは孤児になった』
これが小説なら、わたしはぜひ読みたいと思ってしまうのである。
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2012年2月14日 (火)
雪山ドライブに行ってきた。
というとおこがましい。
じつは蔵王スキー場へ行ってきただけで、雪の上を走ったのはほんのすこし。
わたしはスキーを初心者のまま中断してしまったので、残念ながらほとんど滑れない。
滑ってみたかったけど、骨折でもして医療保険を使って、未来をせおう若い世代によけいな負担を強いるのも気のドクだし。
しかし蔵王の樹氷を見るのははじめてである。
雪で難儀している地元の人には怒られちゃうけど、山形市から米沢平野にかけての美しい雪景色を見ただけでも価値のあるドライブだった。
さっそく樹氷を見物に行ってみた。
2台のゴンドラを乗り継いで到着した地蔵山の山頂は、生まれてはじめて体験する雪山の猛吹雪で、駅舎から出たとたんに、鼻から脳天にぬけて、アイスクリームをいきなりかじったような激痛が走った。
ぐええっ!とうなって早々にレストランに退散。
あったかい甘酒を飲んだだけで下山するという、みっともないていたらく。
夜になってからライトアップされた樹氷を見物にいくという予定もすみやかに放棄して、あとはひたすら宿屋で呑み呆け。
翌日もさっさと帰京するつもりが、宿屋のおかみさんの情報によると、蔵王の山頂はすばらしい好天になっているそうですよとのこと。
それでまたゴンドラに乗りこんで、山頂へ向かってみた。
ああ、天国と地獄というのはこういうことか。
上の写真は猛吹雪、下の写真は快晴の蔵王です。
わずか2日でこんな両極端を体験できたのだから、今年もわたしの人生はツいているようですよ。
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2012年2月10日 (金)
数日まえの新聞に、トンネル工事の浸水事故で行方不明になった方々の写真が出ていた。
年齢からするとほとんどの人が、家族や子供のいた人であるように思われる。
そういう人たちが遭難し、道楽で生きているようなわたしがしゃあしゃあとしているってのはどういうことか。
こころが痛むが、責任はわたしにあるわけじゃない。
そんなときにこんなことを書くのは気がひけるけど、明日からのわたしの予定である。
この季節になると雪山が恋しい。
わたしの人生にはひたすら山登りという時期があって、雪山にも何度か登ったことがある。
ただし、わたしはそっち方面のエキスパートではないから、雪山といってもピッケル、アイゼンを使い、技術と体力、場合によっては遺言状を必要とするようなハードな山じゃない。
日本にはハイキング気分で登れて、しかも1級の雪山を体験できる山がいくつかある。
たとえば八ヶ岳の北横岳、中央アルプスの木曽駒ヶ岳、北アルプスでは西穂高などがそうだ。
山好きならご存じのとおり、これらの山には冬でも運行しているロープウエイがあり、その気になればハイヒールの女性でさえ、ま冬に2千メートル・クラスの高山に登れてしまうのである。
なかでも八ヶ岳は、東京から比較的近いこともあって、わたしは何度も通っている。
むかし軽四駆のジムニーに乗っていたので、わざわざ雪を踏むだけの目的で出かけたこともある。
添付した写真は友人と出かけた八ヶ岳の坪庭で撮ったもの。
冬の雪山は幻想的ともいえるくらい美しいので、わたしはまたどこかへ出かけてみたくてたまらなかった。
そんなおり、たまたま四輪駆動車を持っている友人から蔵王へ行かないかとお誘いがあった。
渡りに舟、鴨がネギ、飛んで火に入る夏の虫、なんだっていいけど、そういうわけで明日から雪山ドライブである。
ふまじめなわたしは、自分の車を車検に放り込んで、今夜はのんびり期待に胸をふくらませているのである。
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2012年2月 9日 (木)
いい天気になったので、ひさしぶりに散歩にいく。
本格的な花の饗宴が始まるまでまだ1カ月ぐらいあるけど、水仙やロウバイはとっくに咲いている。
いまも何か咲いているんじゃないか。
そう思って出かけたけど、水仙は終わり、ロウバイも花の盛りをすぎて、いまは端境期らしく、目につく花はなにもなかった。
雨のあとらしく、あっちこっちに霜柱が立っている。
つい童心にかえって、その上をザクリザクリと踏みしめて歩いた。
そういえば冬の山に咲くなんとかいう花、じつはこれ霜が凍ったものなんだけど、なんていったっけかなあ。
俳句の季語にでもなってないかと調べてみたけど、わからない。
のどまで出かかってるんだけど、出てこない。
えい、くそ!
わからなくても生活に不自由するわけでもないので、今日はこれからご飯を食べることにします。
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2012年2月 8日 (水)
録画しておいた 「おかあさん」 という映画を観た。
1952年の映画だから、まあ、かなり古い映画である。
出演は田中絹代や香川京子など、いまどきの若者には知識も興味もなさそうな人ばかりだ。
だから役者に興味をもってこれをご覧なさいとはいわない。
最近 「三丁目の夕日」 なんてわるふざけみたいな映画が話題になっているけど、昭和ひとむかしの日本の風景が見たいなら、そのころ作られたこういう映画を観るほうがまちがいない、といっておこう。
「おかあさん」 に出てくる風景は、これすべてCGじゃない本物の昭和の風景で、団塊の世代にとっては涙がちょび出るほどなつかしいものである。
まだ舗装されてないジャリ道や、まるで新開地のようなバラックふう商店街、うすっぺらな板張りの塀、上からカレンダーかなんかをあてて破れをかくしたふすまや障子のある屋内、井戸の手押しポンプなどなど。
風景だけじゃない。
丸いちゃぶ台を囲んでの食事風景や、家族全員が布団をしいて川の字で寝るシーン、演芸大会のある縁日のようす、まだ生息していた純情可憐な女の子など、当時の人間の生活ぶりをふりかえると、現代の日本が同じ国とはとても思えない。
ああ、そうだ、こんなものもあった、あれもあった、これはまるでうちの近所の景色そのままじゃないかって、じっさいにそのころの景色をほんのすこしだけおぼえている当方としては、観ていて熱いものがこみあげることしきり。
それが、なんかふざけた国になっちゃったなと、ひとりで怒り狂うこのごろであります。
ちなみに香川京子さんてまだ生きていて、今日も朝日新聞の夕刊になにか書いていた。
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2012年2月 7日 (火)
今日の夕刊のしりあがり寿さんのマンガ。
寒い日に無性にアイスクリームが食べたくなることってあるよね、という家族の会話。
あるある。
そういうことはよくある。
わたしのパソコンのわきに、2、3日まえの寒い晩に飲んだ缶コーラが、飲みかけのまま置きっぱなし。
とっくに気が抜けちゃっているからさっさと捨てちまえばいいものを、頭が弛緩状態なのか、だらしないだけなのか、いつになっても片付かない。
そういえば近いうちに冬山ドライブに行く予定だけど、むかしほど胸がおどるわけでもない。
トシだよなあ。
同じ夕刊に、ポーランドの詩人、シンボルスカの追悼文。
記事の中に引用されていた彼女の詩の一節がやけにひっかかる。
『またやってきたからといって 春を恨んだりはしない』
あと1カ月もしたら、花の季節の扉がひらく。
また散歩に行こうって気になるかしら。
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2012年2月 6日 (月)
先日バレエを観るために上野まで出かけてきたけど、街の中にあいかわらず白いマスクがめだつ。
放射能やインフルエンザなどで、日本人の中にはマスクが日常の必需品、さらにファッションだと勘違いしている人が増えているんじゃないか。
街の中ならまだしも、劇場の中でバレエを観ている人の中にまでマスクがいるのに唖然とした。
中には音合わせをしている楽団員を見ようと、マスクのままオーケストラボックスをのぞきこむ輩までいる。
考えてもみよ。
熱心にバイオリンかなんかを調整しているとき、かたわらから白いマスクの人間が、無言のままじぃーっとこちらをながめているのを発見したときの不気味さを。
気のよわい楽団員なら、おじけづいて二度と日本には行かないとゴネるかもしれない。
おおきなお世話という人が、現代の日本ならきっといるだろう。
風邪をひいてんだから仕方ないでしょっていう人もいるかもしれない。
風邪をひいて咳が出るのは苦しいものだ。
だけど、そんな病人がなんで劇場に来るんだ。
家で寝てろ!
貧乏人だから大枚を投じた劇場の切符をフイにしたくないってのか。
そりゃ気のドクだ。
中にはそんな人もいたかもしれない。
しかし、貧乏人でしかも風邪をひいてる不運な人がそんなにたくさんいたとは思えない。
大半はファッションのつもりでマスクをしている馬鹿にちがいない。
劇場でマスクってのは演奏者、演技者に対して大変失礼なことである(エチケット読本に書いてなくても、わたしはそう思う)。
ウィーンフィルの新春コンサートをわたしは毎年観ているけど、聴衆の中にマスクなんてひとりもいない。
本物のセレブであるか、ジェントルマンであるかということは、こういうときに顕われるのである。
「白鳥の湖」を観にいって、つくづく日本のために謝罪したくなった。
帰りに上野駅で、顔を頭巾でおおったイスラム女性を見かけ、その美しさに仰天したけど、日本人のマスクはけっしてファッションにはなりえないと思う。
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2012年2月 5日 (日)

以前テレビで観た 「白鳥の湖」 では、湖の場面になると影絵や切り絵で白鳥を動かしたり、王宮にさまざまな民族衣装のダンサーが登場するものもあった。
今回の湖は岩の描かれた背景だけですませてあり、チャチな影絵や切り絵がないのは○、そのかわりバラエティに富んだ民族衣装らしいものが出てこないのは×。
「白鳥の湖」 を観る場合、わたしにはヒロインの美しさも評価のポイントだけど、今回のプリマは○ってところ。
このくらい有名なバレエになると、歌舞伎みたいにあちこちに不動の “型” があるみたいで、そういう場面があるたびにひときわ拍手が盛り上がる。
CDではわからなかったチャイコフスキーの音楽も、なるほど、これは悪魔が登場するときの重低音だったのかって、いろいろ新発見があった。
それにしてもバレエというのは大変だと思う。
ダンサーとオーケストラのメンバーだけで、百人近い人間が必要なんじゃなかろうか。
バレエのチケットが高いのも当然だ。
まわりをながめて (自分のことは棚に上げて)、みんななけなしの給料をはたいて観にきたんだろうなあとニヤニヤ。
ソロの演技については、しょっちゅうバレエを観ているわけでもないわたしに、その上手い下手はよくわからないけど、圧巻はやはりミス・ユニバースに出場してもおかしくない美女たちの、一糸まとわぬ、いや、一糸乱れぬ群舞である。
これはもう、なんというか、水晶球の中の幻影のように、わたしには同じ世界のこととは思えない、エレガンスでシックで、別次元の世界であるという感じ。
音楽と照明の美しさにもまどわされて、ぼうーっと夢をみているような2時間だった。
まだものごころつかない女の子にバレエを観せれば、 彼女が将来名のあるダンサーになれるかどうかは別にして、一生の思い出になることは必至である。
わたしも病みつきになりそうだけど、車検だの所得税だのって、ほかにもいろいろお金のかかることが多いからねえ。
バレエの終了後にうしろをふりかえると、エレガンスとはほど遠い、見慣れたお姉さんお兄さん、おじさんおばさんの群れだ。
やっぱり日本人には落語、歌舞伎や長唄がふさわしく、本場のバレエは似合わない。
なにもタキシードを着てこいとはいわないけれど、えっ、バレエを観るときぐらいマスクをはずしたらどうなんだ、マスクを。
いくらインフルエンザが流行ってるからって、日本人てのは感情をおもてに出さない異様な民族と思われてしまうではないか。 たわけもの!
これじゃあ北方四島はいつになっても返ってきません。
※ネットの盗撮・投稿マニアと間違えられないように、今回はカメラを持参しなかった。
添付した画像はネットから見つけたもので、「白鳥の湖」 の中のちっちゃなチャームポイント 『小さな白鳥たちの踊り』 のシーン。
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バレエを観てきた。
ロシア旅行がフイになったのでヤケクソってわけじゃないけど、来日中の本場ボリショイ・バレエの 「白鳥の湖」。
いま公演中の演目には、ほかに 「スパルタカス」、「ライモンダ」 がある。
しかし 「白鳥の湖」 は音楽だけ聴いていても楽しめるので、バレエ初心者が観るならなんといってもこれだ。
このバレエは、1877年のボリショイ劇場が初演だったそうである。
ただし、わたしはバレエについてエラそうにうんちくを垂れるほど詳しいわけじゃないから、この記事は大相撲観戦に続く、しろうとによるしろうとのための野次馬見聞記だ。
わたしが買ったくらいだから、東京文化会館におけるわたしの座席は天井桟敷みたいな場所で、とうぜんステージははるか彼方にかすんでいた。
ダンサーの表情なんかぜんぜんわからない。
こんなこともあろうかと、わたしはバードウォッチング用の強力なニコン双眼鏡を持ち込んだのだ。
おかげでそうそうたる八頭身美人たちの、表情や細かい動きも手に取るよう。
しかも天井に近いわたしの席からはオーケストラボックスの中まで丸見えだ。
もしかすると (なにしろバレエってのは大所帯で費用がかかるもんだから) テープを流してごまかすんじゃないかと疑っていたボリショイ管弦楽団も、ちゃんとロシア人演奏者がモスクワから出張してきていたようだ。
指揮者はインド人みたいな小太りの男性で、フルート奏者の女の子はなかなかの美人であったことも一目瞭然。
このバレエは悪魔によって白鳥に変えられたカワイ子ちゃんと、タイツをはいた王子さまの恋物語だけど、ストーリーはなんかわかりにくかった。
劇のとちゅうで悪魔にあやつられた黒鳥のカワイ子ちゃん (ヒロインの2役) が現われて、王子さまをたらしこんでしまう。
してやったりと踊りながら、流し目で王子さまを見つめる黒鳥さんの妖しい微笑みが、ゾっとするほど魅力的だった。 というのは双眼鏡で確認したのである。
ヒロインを演じたのは、マリーヤ・アレクサンドロワという人だけど、プリマをめぐる激烈な競争に勝ち抜いてきたという自信と誇りがありあり。 これも双眼鏡で確認した。
なんせ映画 「ブラックスワン」 を観たあとだから、わたしは舞台裏については詳しいのである。
白と黒の衣装をとっかえひっかえするヒロインの舞台裏を想像するのもタノシイ。
ところが白鳥さんと再会した王子さまは、ふたたび、こっちのほうがいいやと黒鳥さんをそでにしてしまう。
再会していっしょに踊っただけで、なんでよりがもどっちゃうのか、このあたりの事情が男女の機微に不慣れなわたしにはさっぱり。
ヒロインが2役なので、観ているほうにはどっちも瓜ふたつの美人だからなおさら。
でも、まあ、いいことにしよう。
バレエは踊りを観るためのもので、ストーリーなんかどうでもいいのである。
というわたしの意見に賛同できない人は、どうぞご随意に。
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2012年2月 2日 (木)
まもなく車検です。
考えてみたら、まだなんにもしてないことに気がついた。
ハテ、重量税の納税証明書なんてどこにあっただろう。
いつも知り合いに頼む自賠責の書類もまだ作ってないし。
毎年のことなのに、いつも整備工場に車を持っていく段になってどたばた。
いちおう自営業のはしくれなので、この時期は税務申告でもどたばた。
もう認知症じゃないかって、毎年毎年アセってます。
そんな場合なのでブログも手抜きです。
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2012年2月 1日 (水)
まだ電子レンジがこわれたまんま。
被災地のことを考えて不便な生活に耐えている。
先日、知り合いからもらったアルメニア産コニャックだけど、調べてみたら日本でもネット通販で買えるようだ。
世界中のありとあらゆる商品で、あるていど名のあるブランド商品にかぎれば、およそ日本で買えないモノなんてひとつもないんじゃないだろうか。
思ったよりは安いので、これからは蛮勇をふるう場合はこれにしよう。
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