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2012年2月29日 (水)

妹よ

もうずっと昔のことになるけど、わたしの部屋へ友人のひとりが、包丁をたずさえ血相を変えて押しかけてきたことがある。
話を聞いたら、これから女を刺すのだという。 刺したあと自分も死ぬのだという。
なんでもこの男が当時付き合っていた彼女が他の男と浮気したのだそうだ。
こういうのにかぎって、なかなか実行はしないもので、話を聞いてうなづいてやれば、それでツキモノが落ちる場合が多いんだけど。

それでわたしは中原中也の詩を持ち出した。
「妹よ」という詩である。
中也に妹がいたかどうかは知らないけど、このタイトルは本物の妹をうたったものではない。

  夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
    ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
  夜、うつくしい魂は涕いて、
    もう死んだつていいよう・・・・・といふのであつた。
  
  湿つた野原の黒い土、短い草の上を
    夜風は吹いて、 
  死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、
    うつくしい魂は涕くのであつた。

  夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
    ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかつた・・・・・

いいかい。 こんな有名な詩人だって、かなわぬ恋に悶々と苦しんだことがあるんだよ。
そういうわたしの説明に、包丁の彼はおおいに納得して帰っていった。
こんなアホらしいエピソードは別にして、わたしはこの詩が好きである。
この詩はむしろ、若いころのわたしをなぐさめる詩だったかもしれない。
好きな女の子に相手にもされず、部屋でひとりで悶々として、畳の目をむしったことのあるわたしのための。

この友人は後日自殺した。
若い娘との排気ガスによる心中で、相手は包丁のときの相手ではなかった。
ずいぶん色恋沙汰の激しい激情型の男であったけど、ふられてもふられても自殺もできずにだらだら生きてきてしまったわたしには、その生き方がとってもうらやましく感じられる。

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