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2012年3月

2012年3月31日 (土)

なかなかやるな

どじょう宰相の野田クン、なかなかやるじゃないか。
自分の信念にもとずく法案を通す、そのあげくに仲間はみんな去って、政党は空中分解。
現代の政治家はかくあるべしという見本みたいだ。
不安な未来と飽きっぽい国民をかかえ、政権がつぎつぎと交代するこんな時代、政治家はなにかひとつ重要な法案を通すだけで役割は終了、はい、おつぎと、あとの政権や政治家にバトンタッチ。
つぎの政権も、なにかひとつ法案を通したらさっさと交代だ。
権力の維持と自らの保身を図り、あっちにもこっちにも愛想よく、けっきょくなにも決められずもたもたしてるよりはよっぽどいい。
災害地の復興法案を強引に推し進めて、決まったあと自分はさっさと退場という政治家はまだいないみたいだけど(小泉さんちの純クンがなつかしい)、ぎらぎらしていない政治家だってことで、かえって人気も回復するかもしれない。

大阪の橋本クンみたいなのもわるくないけど、あれだけ人気があって強引だと、法案を通すだけではなく、一党独裁や個人崇拝、ファシズムに走らないともかぎらない。
彼なんかも、たとえば地方分権や教育改革をゴリ押ししたあと、いさぎよく身をひいて、今度はべつの人間にべつの法案をまかせてもらったほうが、国民としては安心ではないか。

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2012年3月30日 (金)

・・・・・・・

なにかブログネタはないかと新聞を見る。
こんところ消費税の増税法案をめぐって、小沢クンだとか国民新党の動向がかまびすしい。
「かまびすしい」なんて古風な言い方をするから後期高齢者と思われてしまうのかもしれない。
そのへんは「騒々しい」とか「騒がしい」と改めてもらってもかまわないけど、とにかくまあ、与党も野党も入り乱れて勝手なことをいっちゃって。
いや、うん、こういう騒ぎこそブログで取り上げるに好適である。
ってわけで、またつまんないことを書き始めたんだけどね。
なんかアホらしくなって筆が進みません。
独身のわたしは、メシを作ったり洗濯をしたり、旅行の準備をしたりと忙しいのだ。
もうすこし洞ヶ峠を決め込むか。
ああ、また古風な言い方をしちゃって。
「洞ヶ峠」は「様子見」とか「煮え切らない態度」と改めてもらってかまいません。

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2012年3月29日 (木)

著作権

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たまにはまじめなテーマ。
わたしのブログにはよくネットで見つけた写真が添付されていることがある。
これはもちろん著作権の侵害である。
という意見は承知している。
しかし著作権とはべつに、ネットで配信された情報は万人のものという見方もある。
このへんがむずかしいところだ。

たとえば、わたしが絶滅した鳥のドードーについてうんちくを語るとする。
こんな鳥でしたと文章だけで説明したって、興味のない人にわからせるのは至難のわざだ。
写真でも撮ってくればいいけど、あいにく世界のどこへ行ったって、すでに絶滅した鳥の写真を撮るのは不可能だ。
しかしネットで絵や写真を見つけ、それを添付すれば、ヘタな言葉で説明するよりはるかにわかりやすい。

他人の作品を使用して持ち主の利益を侵害したり、自分の営利目的で使用するのは問題だけど、情報を視覚的に伝えるために、ネットで見つけた写真ですと、但し書きつきで利用するくらいは許されていいんじゃないだろうか。
いかなる場合もゼッタイに使用を許さないというなら、そんなコンテンツはそもそもネットに載せなければよい。
ネットに載せた時点で、それがあるていどは他人に利用されると覚悟すべきじゃないだろうか。

わたしは趣味で YouTube に載せるみじかい映画を作ったりする。
最近はパソコンとコンパクト・デジカメがあれば、それだけで YouTube 用の映画ぐらい作れてしまうのである。
映画は作れてもBGMまではとても作れないから、そのへんは既成の曲でうまく映像に合いそうなものをみつけてくる。
すると、ちょっと前までなら著作権がうるさかった。
いまでももちろん著作権はうるさいんだけど、さて、どうだろう。

たとえばわたしが自作の映画の背景にビートルズの曲を流したとする。
しかし使ったのはBGMとしてだけで、映像のタイトルにも説明にもタグにも、いっさいビートルズという言葉を使わない。
つまり誰かがビートルズの曲を聴きたいと思って YouTube を検索しても、YouTube に上梓された膨大な映像の中から、わたしの映像が引っかかる可能性はほとんどゼロである。

YouTube に映像をアップする目的は、もちろん自分の創作本能を満足させるためだけど、ほかにも、たとえば自分が作った映像を手軽に持ち歩きたいということがある。
YouTube にあげておけば、旅先でも、それが外国でも、相手先にパソコンが、あるいはケータイでもスマートフォンでも iPadでも、そんな端末があれば、かんたんに自作の映像を披露することができるのである。
早い話がメール1本で、世界中のどこにいる友人にでも、自分の作った映像を見せることができるのだ。
YouTube の本来の目的はそうした仲間うちでの映像の閲覧だったのだから、著作権をあまり厳密に解釈するのも考えものじゃなかろうか。

映画やテレビ番組をパクったり、最初からビートルズの歌を聴かせるための映像もYouTube 上にはあふれているけど、それはたしかに問題だ。
しかしあまり規則を厳密にいうと、音楽は作れないけど映像は作ってみたいという若い映像作家の創作の芽を摘んでしまうことになりかねない。
YouTube 上にはわたしなんぞの及びもつかないユニークな映像があふれている。
写真や映画を観るのが大好きなわたしには、著作権の重要性は半分しか理解できないのである。

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2012年3月28日 (水)

CGアニメ

困ったことである。
ときどき政治ネタでブログを書いているから、わたしは時事評論家ではないかと誤解をされる場合もあるらしいが、その反面でCGアニメというのが大好きなのである。
あそこが気にくわん、ここがケシカランと政治に突っ込みをいれたその口をだらしなくゆがめて、ウヘラウヘラとアニメに見入っているのである。
やっぱしオタクなのねというか、好奇心旺盛というか。

ただし、ことわっておくけど、わたしが好きなのはアニメであって、スターウォーズやハリポタやアバターのような、CGを多用した生身の人間が演じる映画は大っキライだ。
このへんが自分でもうまく説明できないんだけど、ふつうの映画とアニメでは最初から求めるものがぜんぜん違うってことかもしれない。

先日放映された映画はピクサーのCGアニメ 「ウォーリー」。
映画の中に日本語のポスターなんかが出てくる。
どうもこの映画にはアメリカ用、日本用、フランス、中国用などと、これが公開された国のためのいくつかのバージョンがあるらしい。
手間のかかることをしたもんだと思ったけど、なにしろCGアニメだ。
内容の一部、ポスターの文字を手直しするなんて簡単なことにちがいない。

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CGアニメでいちばん手間のかかるのはキャラクターの造形だ。
しかしそれさえ完成すれば、その色やパターンを変えるのにそれほど手間はかからない。
ピクサーが使っている3Dソフトとは違うけど、わたしもそういうソフトを少しだけ使ったことがある。
で、わたしもやってみた。
添付した画像は、わたしがいたずらでやってみた3D画像。
まわりの壁とガラス玉の造形さえ決めてしまえば、表面の模様を変えるなんざお茶の子さいさいだ。

ところでこの映画、ゴミ処理ロボットのウィリーが、荒廃して無人となった地球の上で、最新ロボットと出会うあたりまで、とてもおもしろかった。
しかし、宇宙に逃れた人間たちが生活する宇宙船の中の描写になると、コンピューターで管理されたきらびやかなオートメ社会が、どこかで観たようなディズニー・アニメ (モンスターズ・インクなど) を思わせて、あ、またかって感じ。
最後がハッピーエンドなのも、ディズニーじゃ仕様がないけど、屈折したおとなのわたしにはちと不満。

どうせCGアニメだ。
キャラクターさえ決めてしまえば、あとはそんなに手間がかかるわけじゃないといったばかりだ。
べつのバージョンを作ったらどうなのか。
たとえばこんなの。
新型ロボットは宇宙に去り、取り残されたウォーリーは黙々と徒労と思える仕事を繰り返しているんだけど、やがて故障して寿命が尽きて、彼も壮大なゴミの山の一部になってしまう。
ゴミのあいだからのびてきた植物はいつかゴミの山を被い、雨水のたまったウォーリーの眼のあいだで小さな花を咲かせる・・・・なんて結末はどうだ。
ぜんぜんハッピーエンドじゃないし、観客動員も望めそうにないシリアスな物語だ。
でも広い世間にはこんな映画を求めている人もいるんじゃないか。
なんならDVDで売り出すとき、とちゅうで視聴者の好みにあわせて、ハッピー・コースと悲観コースを選べるようにしたら。

さらにいうと、CGアニメは筆やペンで描かれた絵ではなく、ぜんぶコンピューター言語で書かれたプログラムだ。
映画を公開してモトを取ったあとは、プログラム・ソースを公開して、他人がさまざまなバージョンの 「ウォーリー」 を作れるようにしたら、そしてそういう作品のコンテストをやったらどうかしら。
型にはまったディズニー映画ではなく、世界中の創造作家たちのアイディアを観てみたい。
あ、だんだん気宇壮大、荒唐無稽なアイディアになってきた。

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2012年3月26日 (月)

誕生日

昨日はだれかさんの誕生日。
これで選挙権をもらえるとか、おおっぴらにタバコが吸えるとかいう若者ならいざしらず、人間というものはある年齢になると、誕生日なんかぜんぜんうれしくない。
ご馳走してもらったり、ケーキを頂いたりしても、なんだか世界中から皮肉られているような気がする。
素直じゃないねえ。
だれかさんて、イエ、けっしてわたしのことじゃござんせん。
わたしゃ(先日放映された)CGアニメの「ウォーリー」を観て、むむむと、つい涙腺を緩めちゃった青少年でござんすヨ。

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2012年3月25日 (日)

100,000

このブログのアクセス数が100,000まで秒読みに入った。
このブログを開始したのは07年の6月だから、5年目の快挙ってことになる。
5年で10万ではほめられたものではないかもしれないけど、わたしのブログは読者に媚びないことで知られたブログである (知られてないかも)。
ネット上にあふれるブログの中には、なんとかしてアクセス数を稼ごうと、どうか見てチョーダイ、クリックしてチョーダイ、お気に入りに登録してチョーダイと、訴えたり仕掛けたり涙ぐましい努力をしているものもある。
わたしのブログはそういうことを一切しないでこの数字だから、まあ、ほめていいだろう (と自分で勝手に考えている)。

わたしのブログは、もともと自分の欲求不満を解消させるため始めたもので、書いていることはロクなもんではないし、なにか人生のお役にたつわけでもない。
われながら下らないことを書きつづってきたもんだと感心するけど、一見無神経にみえても、これでけっこう気を使っているのである。

じっさいはそうでなくても、理論的にはブログというものは世界中の人が読むものだから、ふざけたことを書くと 「炎上」 することがある。
「炎上」 というのは世界中から非難や抗議が殺到して、ブログの継続が事実上不可能になることだ。
たとえば、根拠のない中傷で他人を貶めたり、違法行為を自慢したりすると、よく「炎上」ということが起こる。

「炎上」 はネット上だけで収まるわけではない。
以前、自分のブログで、どこそこの犯罪事件の犯人はオレだなんてホラをいった馬鹿がいて、たちまちブログが 「炎上」 したばかりか、その馬鹿の顔写真、住所までが暴露され、いったんネット上にこうした情報が流れ出すともはや収拾がつかないから、彼の社会的立場までが危機にさらさられたという事件があった。
世間はそういうことをよく見ていて、けっして寛容ではないのである。

とくに、わたしのブログはへそ曲がりで知られ、世間とは異なる意見をずけずけ書くことで有名だ (有名でないかも)。
むしろそれが売りのブログかもしれないけど、それでも 「炎上」 しないためには、日ごろから言葉使いやちょいとしたものごとの解釈、皮肉やあてこすりをいう場合でもどのへんまでなら許されるのかなどと、細心の注意が必要なのである。

そうかといって平凡な当たりさわりのないことばかり書いていたのでは、そんなもの誰も読んでくれない。
自分の欲求不満解消のためとはいいながら、やっぱり読まれないよりは読んでもらえたほうがタノシイ。
アクセス数が増えるとやっぱり励みになるものだ。
そういうわけで、10万の大台も間近というところでいよいよ図に乗って、毎日ああでもないこうでもないとない脳みそをふりしぼり、これからも一文にもならないブログ書きに精を出すことになるのだろう。
ま、おかげでボケないですんでいるのだと思えば、文句はいえないけど。

ついでにいうと、若い女の子からもっと反応があるともっといいのだが、どうも世間の娘たちはわたしのことを、そうとうに偏屈な後期高齢者であると思っているみたいだ。
MIXI だの FACEBOOKだのって、いまどきの若者は人と人との交流にあこがれているらしいのに、わたしのブログにぜんぜん反応がないってのはどういうわけだ。
せいいっぱい若作りの文章を書いているつもりだけど、これからは絵文字でもじゃんじゃん使って、もっと軽薄なイメージでせまってみようかしら。 2チャンネルみたく。

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2012年3月24日 (土)

唇からナイフ

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最近、あげ足を取りたくなるような政治ネタがないので、また映画の話。
もちろん最近のCG多用映画じゃなくて、古い、あまり最近の若い人の知らない映画ってことになるけれど。

若いころ観て、どうにも忘れられない映画というものがある。
DVDなんかであらためて観るとガッカリしてしまう場合が多いけど、「唇からナイフ」 はその例外のひとつだ。
これは英国のコミック 「MODESTY BLAISE」 を、有名な監督 (ジョセフ・ロージー)、豪華なキャスト (モニカ・ヴィッティ、ダーク・ボガート、テレンス・スタンプら) で映画化したものである。
芸術映画専門みたいだったアンニュイな魅力のモニカ・ヴィッティが、意表をつく女スパイ役だ。

この映画についてネットの映画評を読んでみると、あまりかんばしいものは見つからない。中には酷評というべきものもある。
でも、あらためて観ても、わたしはなかなかおもしろい映画だと思った。

酷評する意見の中には、これがもともとは女スパイの活躍するコミックだったものだから、007みたいな活劇映画であると思っている人が多いようだ。
だからメリハリのないゆるい映画だなんて思ってしまう。
そうじゃない。
これはポップな色彩感覚や、個性的なファッション、気のきいたやりとり、当時流行っていたサイケデリック・アートの影響などを観て楽しむ、大人向けのコメディ (+ミステリー) なのである。
アムステルダムの夜の歓楽街でくりひろげられる殺人のミステリアスな雰囲気なんか、活劇映画としたってなかなかの見ものである。

欠点をあげつらうなら、たしかに出てくるコンピューターなんかチャチだし、女の子の水着もハイレグじゃない。
古くさい感じはいなめないけど、これがあの 「2001年」 より以前の映画ということを忘れちゃ困る。
とくに、最後のおふざけとしか思えないドタバタの評判がわるいみたいだけど、こういう例はパロディ版の 「007カジノ・ロワイヤル」 や、「ビートルズのHELP!」 にもあって、英国流ユーモアのひとつの特徴と思えばいい。
どうもこういうユーモアは、堅物ばかりの日本人のいちばんニガ手とするところのようだ。
わたしは部屋でだらしなくくつろぎながら、たったいまこの映画を観終わったところなんだけど、しばらくはニタニタと、上等のワインでも味わったみたいな後味がしそうである。

PS.MODESTY BLAISE は、あちらではかなり有名なシリーズ・コミックらしく、ネットで検索すると複数の画家によって描かれたさまざまなヒロインの絵が見つかる。
ここに挙げたのはそのうちの1枚で、モニカ・ヴィッティがこの絵に似ているかどうかは別にして、わたしのお気に入りのひとつ。

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2012年3月23日 (金)

気のドク

おまわりさんがストーカー被害の受理を先延ばしにして、慰安旅行に行っちゃって、世間からごたごたいわれているけど、これも原発といっしょ、予想の範囲外ってやつだな。
まさか自分たちが旅行に行っているあいだにストーカーが刃物をふりまわすことはないだろう。
もうすこし先になるんじゃないかと予想していたら、ストーカーのほうにもいろいろ事情があって、さっさと刃傷沙汰に及んじゃったってことだ。
行くまえにストーカーに説明して、帰るまで待つよう説得しておかなかったのがワルイ。
そうでもなければ、まだ出発の時点では犯罪と無関係なストーカーをとりあえず留置場に収容しておいて、帰ってから、さあ、取り直しの一番の再開ですってことにしなかったのか。
刺された人には申し訳ないけど、そうでもしないとおまわりさんは慰安旅行にも行けないぞ。
ろくでもない事件が目白押しで、毎日が死ぬほどマンネリで、なにをしたってつねに世間の注視の的で、うっかりキャバクラ通いも酔っ払い運転もできない。
それで毎日署で待機してなくちゃならないなんて、想像するだけでも地獄だもんね。

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2012年3月22日 (木)

イスタンブール/小林けいサン

旅に出るまえにいろいろ下調べをするのが楽しい。
図書館で「来て見て トルコ」という本を借りてきた。
イラストやマンガでトルコを案内する本で、著者は小林けいという人になっている。
イラストを見ただけでは、最初男なのか女なのかわからなかったけど(ネットで調べると同じ名前の男性も引っかかるのだ)、だんだん女であることがわかった。
女であるならば、どんな風貌の人で、トシはいくつなのかと詮索したくなるのがわたしの欠点である。
でもまあ、やめておこう。
こんなフェミニズムの時代にそんな関心をもってはいけないのだ。

本はおもしろいし、なかなかためになった。
わたしはこのブログでよく無神論者であることを公言している。
しかしトルコのイスラム教徒のまえで、そんなことは吹聴すべきではないそうだ。
イスラム教徒のあいだでは、神を信じない者は人間以下であるとされるらしい。
だから仏教徒でもなんでもいいから、とにかく何かしら神さまを信じているといっておくほうが無難だと書いてあった。
原理主義者のイスラム教徒にまゆをひそめるわたしは、イスラム教徒に向かって、あんまり信じすぎるのも考えものですよなんてお説教をたれるつもりだったけど、やっぱりやめておこう。

著者の小林けいという人は、結婚だとか家庭だとかいう世間の常識よりも、とにかく旅に出ちまうほうを優先するタイプみたいで、そういう点はわたしと共通するから、記事の内容にも共鳴できる部分が多かった。

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2012年3月21日 (水)

イスタンブール/レート

外国旅行で困ることは会話だけじゃない。
お金の価値を瞬時に判断できないと困ることもある。

だいたいわたしは計算に弱い。
以前トルコに行ったとき、お店でまけろまけないと値段の交渉をしているうち、何がなんだかわからなくなって、相手のいいなりになった (ばかりか最初の言い値より高く払ってしまったような気がする)。
だから日本円と相手国のお金のレートについて、しっかりおぼえておかなければいけない。

トルコの通貨はトルコリラ(TL)といって、1TLがだいたい46円だそうだ。
そんな半端な数字をおぼえられるわけがないんだけど、たとえば買い物をする場合、45TLといわれたら、45×46で2070円である。

それじゃあ日本の1万円をTLに変換する場合はどうなるか。
あ、もうわからない。すぐには答えが出てこない。
正解は10000/46で、だいたい217TLだけど、これは計算機がなければ計算できそうもない。
日本の3215円はTLでいくらだといわれたら、しかも面と向かって買い物をしているとき、こんな計算の必要性が出てきたらもうお手上げだ。
なにしろ相手は世界をまたにかけて商売をしてきた狡猾なイスラム商人である。
ガイジン相手に緊張している極東の島国の純朴な日本人のわたしが勝てるわけがない。

さらに困ったことに、わたしは前回の旅行で交換したユーロの余りを持っている。
最近の国際情勢をながめていると、ユーロはそのうち崩壊しないともかぎらない。
崩壊したらユーロはもう紙クズで、ドイツもフランスも交換に応じてくれないかもしれない。
だから今回の旅で使い切ってしまおうと思うんだけど、そうなると日本円とTLだけではなく、ユーロの相場も考えなくてはならない。
ああ、もう頭がパンクしそう。
できるだけ買い物はしないことにしよう。

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2012年3月20日 (火)

オオイヌノフグリ

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春めいてきたのでぶらぶらと自然観察園まで散歩にいく。
数は少ないけど、いまの見ごろはミスミソウ(三角草)。 雪割草はこの花のことだそうだ。
ほかに、そろそろツクシンボウも顔を出しており、たったひとつだけどスミレさえ見た。

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園内のある場所にイヌノフグリの群落があって、遠目には青い絨毯のように見える。
近くでみると、まさに夜空にきらめく花の宇宙という感じ。
しかし、こいつはじつは1年中陽だまりに咲いていて、めずらしくもなんともない花である。
わざわざ紹介するほどの花じゃないんだけど、今回はその花の絨毯がみごとだったので、写真をボツにしないことにした。

ところでイヌノフグリの “ふぐり” は陰嚢のことである。
陰嚢ではわからない人のためにいうと、つまり男なら誰でも持っているタマタマを入れる袋のことである。
そんなもん見たことないわぁって、若い娘ならいうかも。
妙なものを花の名前にしたものだけど、むかしの人の観察はなかなかするどいものがあるから、きっとどこかイヌの陰嚢に似てるんだろうと、じっくりながめてみた。
わっからないね。 どこがそれに似てるのか。

ネットで調べてみたら、じつはこの写真は帰化植物のオオイヌノフグリで、べつにイヌノフグリという日本在来種の植物があるらしい。
つまり似たような植物が名前を混同されちゃっているわけだ。
日本在来種のほうは、ウチの近所で見たような気がするけど、いちおう絶滅危惧種だそうである。
その実は、写真で見ると、なるほど、何かの動物の陰嚢みたい。 毛なんか生えちゃって。
ホント、むかしの人はするどいなあと思う。

陰嚢を見たことのない若い娘は、以下のサイトにイヌノフグリの実の写真が出ているので参考にするとよい。
http://sasurai-bito.at.webry.info/200801/article_8.html

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第9地区

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先日、「第9地区」 という映画が放映された(民放で)。
宇宙人が出てくるハリウッド製のCG (コンピューター・グラフィック) 映画らしいので、またスピルバークやルーカスやキャメロンみたいなアホらしいドンパチ映画だろうと考え、録画なんてことはさらさら考えなかったんだけど、つい新聞の解説を読んでしまった。
なんでもヨハネスブルク (!)上空にエイリアンの宇宙船が現われるんだそうだ。
ふつうの映画なら、エイリアンは映画終了の15分前あたりまではむやみに強くて、地球人は一方的に侵略されるはずなんだけど、この映画ではそうではないらしい。
彼らの宇宙船は故障してエンコしているところで、途方にくれたエイリアンたちは地球に対して難民申請をするのである。
笑っちゃう。
SFの常道を完全に逸脱している。

だいたい、宇宙空間をわたって地球にまでやってきたということは、エイリアンは地球よりずっと科学が進んでいると思わなければならない。
かりに彼らがわたしたちの太陽系のどこかからやってきたとしても、地球人はやっと海王星あたりまで無人探査機を飛ばす程度の技術しか持ってないから、やっぱりエイリアンの科学技術のほうがずっと進んでいるはずなのである。
またこの太陽系には地球以外に酸素のある星はひとつもないから、地球の大気はエイリアンたちにとってものすごい有毒なものであるはずだ。
そんなエイリアンが地球人と対等の関係で、難民として扱われるという設定はナンセンスである。
そんなナンセンス設定がおもしろそうと考えて、つい録画してしまった。

いや、おもしろかった。
出てくるエイリアンは海老とゾンビを足して2で割ったみたいなやつで、これはハリウッドSFではめずらしくないけど、なにしろだらしないのである。
難民として地球人に管理されたり、命令されたりしちゃうのである。
エイリアンの好物がネコ缶であるところも可笑しい。

そんな常識はずれの宇宙人を観ているうち、これはまっとうなSFではなく、ユーモアやパロディに満ちた一種の寓話じゃないかと思うようになった。
難民キャンプに収容されたエイリアンが、スラム化した劣悪な環境に置かれたり、地球人と摩擦を起こして差別デモを誘発させたり、犯罪に走ったりゴミ溜めをあさったり、食料を求めて地球人の悪徳商人と交渉するところなんぞは、本物の難民キャンプの実情にもとづいているのではないか。
だとすれば笑って観ちゃ申し訳ない映画ではないか。

ナンセンス映画が成功するカギのひとつは、アホらしいことを登場人物がいかにまじめに演じるかである。
エイリアンの化学物質をあびてじょじょにエイリアン化する主人公を、いかにもそれらしい顔をした学者や医師たちが、うん、これはサンプルとして保存する必要がある、助かりますか、無理でしょう、体中を切り刻みますからなんて、本人の聞こえるところでまじめに話し合う場面なんか、思わずくすくす。
げらげら笑わせるわけではなく、考えると可笑しいというところが、なかなかハイレベルの知性を要求する映画である。

しかし映画の後半になると、いまどきの映画に欠かせないものらしく、やたら派手なドンパチが始まった。
しかもエイリアンそっちのけで人間同士が撃ったり追いかけたり。
そのへんで何がなんだかわからなくなって、いいかげんにせいよというわけで、ブログに書くのもこのへんで終わり。
やっぱりあんまりハイレベルでもなさそう。

PS. この映画は民放の放映だったのでコマーシャルが入る。
観ていたらどこかの会社のCMがあって、短パンの女の子が床にはいつくばってせっせと便器の掃除をしていた。
この子がカワイくて、うん、民放の番組もいいもんだなあと、あらためて思ってしまった。

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2012年3月19日 (月)

バージョンアップ

パソコンを使っていると、よく「バージョンアップできます」という表示が出る。
わたしはやたらに新しいバージョンを追いかけるほうではないから、たいていは無視してしまう。
パソコンにはそういうものを自動的にダウンロードして、ソフトを自動的にアップしてしまう設定もあるらしいけど、それも遮断してある。
そんなわたしでも、ときどきそんなつもりはないのに、ついはずみでYESボタンをクリックしてしまう場合がある。
するともう止まらない。 なにかのソフトがネットを通じて自動的にバージョンアップ(以後V-up)されてしまうのである。

つい最近も、なんのソフトだったかおぼえてない(たぶんあのソフトだろうと見当はつく)けど、こちらにその気がないのにV-upしてしまったことがあった。
すると、その後パソコンに微妙な変化が起こった。

わたしは旅行が好きで、ツアー検索や調べものをするためによく旅行サイトを閲覧する。
このV-upをしたあと、あっちこっちのホームページを開くたびに、やたらに旅行会社の広告が目につくようになったのである。
ははあ、やりやがったなと思う。
たぶんこのV-upの中に、わたしの好み、つまりわたしがどんなサイトをよくのぞくかということを探知する機能が仕組まれていたのだろう。

知っている人はもちろん知っているだろうけど、ネット企業の大半は広告をおもな収入源にしている。
広告を出すほうにとってみれば、いかに効率的に広告を見てもらえるか、見てもらえるところに広告を載せるかということは重大な問題だ。
個人の好みをデータとして収集できれば、そのネット企業は広告主に対して、うちは広告を見てもらえる確率が高いですよと宣伝することができる。
世界中の個人の嗜好をデータ化できれば、そのデータベースは計り知れない価値をもつ。

個人の好みを集める機能自体は、ウイルスのように悪さをするわけじゃないし、むしろ自分の好みの広告が優先的に出てくるなら便利じゃないかと思う人もいるだろう。
しかしわたしは、自分の知らないところで勝手にそんなことをされるのは嬉しくないし、なにやら得体のしれない巨大な機械が、じんわりと動き出したような不気味さを感じてしまう。
気のせいであってくれればいいんだけどネ。

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2012年3月18日 (日)

イスタンブール/リコンファーム

やだな、やだな、やだな。
と思ってもいまさらどうにもならない。
海外旅行をすると、リコンファームということをしなければならない(場合がある)。
これは飛行機会社に帰りの便の搭乗確認をすることだけど、最近は合理化がすすんで、これが要らないという会社が増えてきた。
米国の飛行機会社なんか、そんな原始的なことをするより、ひとりでも客を確保したほうがいいから、確認があろうがなかろうが希望する客はみんな乗っけてしまえというスタンス。

わたしも経験があるんだけど、のんびり空港に出かけたら、ユナイテッドのエコノミー席が満員になっちゃっていて、すいません、ビジネスクラスの席で我慢(?)してくださいなんていわれたことがある。
こういう我慢ならいくらでもするけど、乗り込んでまたびっくり。
エコノミーの客室乗務員はおばさんスッチーばかりだったのに、ビジネスは若い美女ばかりではないか。
まごまごしていると、わたしも資産家か有名タレントとまちがえられて、美女から暗にお誘いを受けないともかぎらないから、成田に着くまでずっと死んだふりをしていた。

リコンファームが必要な場合、外国の飛行機会社では日本語は通じないから、とうぜんながら英語でやらなければならないのである。
英語のニガ手なわたしが聞いた話では、トルコ航空はリコンファーム不要だそうだ。
安心していたら旅行会社からあとから電話がかかってきて、やっぱり要リマスだって。
怒るぞ、おい。

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2012年3月16日 (金)

東京ガールズコレクション

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「東京ガールズコレクション」を観た。
テレビで放映されたものを録画して。

ありとあらゆるものに興味をもっているわたしのことだから、今どきの女の子たちのファッションに関心をもっても不思議じゃない。
というのはウソ。
いくらなんでも、そんな青くさいガキんちょの服装にまで興味があるわけじゃない。
それよりつぎからつぎへと登場する日本が誇る美少女たち、足が細すぎるのがわたしの好みじゃないんだけど、そのすっきりすらりの肢体をながめているのが楽しくて。
それじゃただの助平親父じゃないかといわれると、むむむ、屁理屈名人のわたしにも返す言葉がないんだけどね。

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2012年3月15日 (木)

イスタンブール/チップ

チップというものがある。
日本じゃあまり通用してないようだけど、外国へいくとこれがけっこう必要な国もある。
欧米映画で主人公が部屋のボーイにさりげなく小銭をわたす場面なんか、なかなかカッコいいものだ。

そういうわけで日本人の中には過剰に意識して、外国ではかならずチップを渡すものだとこころえている人もいる。
しかしチップはぜったいに必要なものではない。
たとえば大陸中国はチップ不要の国である。
わたしはあの国に数えきれないぐらい旅をして、ただの一度もチップなんか払ったことがないから、よく知っているのである。

ベッドにチップを置くのは日本人のやさしさだとか、美徳だという人がいるかもしれない。
しかし、日本に来た欧米人はそんなもの置かないだろう。
これは美徳ではなくルールである。
チップ不要の国でそんな気をつかう必要はない。

もちろん払いたい人が払うのは勝手だし、最初からチップが必要な国もある。
香港へ行ったときは、あの国はチップが必要と聞いていたから、わたしももちろんチップを払った。
たまたまわたしの部屋係りがインド系のカワイ子ちゃんだったから、もうたまらずにチップを乱発してしまったくらい。

大事なのは、これから訪問する国がチップの必要な国であるかどうか、よく調べておくことだ。
前置きはもういい。
トルコの場合はどうなのか。
調べてみると、いちおうチップの要らない国ということになっていたけど、わたしの経験では必要な場所もある。
たとえば列車の個室に乗ったとき、ガイドさんから必ずチップをと説明されていた。
レストランやホテルは要らないらしいが、またカワイ子ちゃんが担当になったらどうしよう。
ま、わからないときは払ってしまうにかぎる。
わたしのイスタンブールはこういうスタンスで行くことにする。

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2012年3月14日 (水)

イスタンブール/孤独へのあこがれ

イスタンブールのホテル「アルバトロス・プレミア」について調べていたら、3Dでこのホテルを紹介するサイトがあることがわかった。
http://www.hotelalbatros.com/sanal/sanaltur/index.html

建物は小さいけど、なんだかわたしには立派すぎるホテルである。
トルコは日本に比べるとだいぶ物価がちがうみたいだから、日本の民宿なみの料金で探すと、けっこう立派なホテルになってしまうらしい。

このホテルを紹介する3Dは、いわゆる全方位カメラで撮影した画像で、マウスを動かすことによってストリートビューのように画像もぐるぐると動き、すべての方向が見えるというもの。
これでみるとホテルのまわりの様子もわかってしまう。
まわりはなんてことのない普通の街で、こういう街をぶらぶらするのが好きなわたしにとっては、かえって好ましいくらいだ。

このサイトで紹介しているホテルの室内は立派すぎるので、ひょっとするとひとり旅のわたしは、物置きみたいなシングルルームに放り込まれるのかもしれない。
でも文句はいうまい。
建物の屋上にはレストランやカフェがあるようなので、なんならそこで日がないちにち、パソコンを打ち、本でも読んで過ごしたっていい。
屋上からの眺めの中には、海やブルーモスクも近くに見えるから、そのあたりへ散歩に行ったっていい。

せっかくトルコまで行って、つまらないことをしてるなという人もいるだろうけど、これがわたしの旅のスタイルだ。
朝から晩まで観光名所を観てまわるばかりが旅じゃない。
まわりに日本人がひとりもいないという状況は、わたしにとって、とってもこころが落ち着くことなのである。
どういう経歴もしくはトラウマがそんな性格を育てたのかしらないけど、このブログでも取り上げた英国の紀行作家クリスティナ・ドッドウェルも、森の中でひとりぼっちでいるのが最高の幸せなんてことを言ってるし、イザベラ・バードの本からも孤独へのあこがれが色濃く見出せる。
ひとりでぼんやりしているというのは、もしかすると崇高な精神の発露かもしれないのである(と自分で勝手に決めつける)。

出発まであと1カ月。
さあ、いつでも来いってなもんだけど、英語の勉強がぜんぜんはかどってないのが玉にキズ。
生きて帰ってこれるんだろうねえ。

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2012年3月13日 (火)

ミニスキュル

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録画した番組を観ていたら、たまたま 「ミニスキュル/小さなムシの物語」 というアニメの断片が録画されていた。
小さな虫たちを主役にしたフランス産のCGアニメで、1話がほんの5分の短編だけど、そのほのぼの感がとてもタノシイ。
それにしたって、CGがテレビの連続番組として制作されるくらいお手軽なものになっちゃったのかと感慨もアリ。
スタジオジブリの宮崎駿も、さっさとCGに切り替えないと時代に取り残されるって心配してあげてんだけど、徒弟制度に根ざした日本のあしき伝統もあって、なかなかそうはいかないようだ。

スタジオジブリは宮崎駿個人の力量でもっている会社で、彼は手描きアニメのベテランだが、CGにはあまり詳しくないみたいだ。
自分がボスでいるためには手描きアニメにしがみつくしかない。
米国の制作会社ならCGに詳しい若手をどんどんやとって、彼らに制作をまかせるだろうけど、そんなことをしたらいつか彼らがボスより出世して、独立してしまわないともかぎらない。
宮崎駿のジレンマだ。

わたしは手描きアニメを否定しているわけじゃない。
たとえば 「つみきのいえ」 のように、1枚の原画がそのままアートであるような作品がたくさん出現してほしいと思う。
手描きアニメはこれからも芸術に近いものとして残るだろうけど、しかしそれが大劇場で公開され、大観衆を動員するCGアニメに対抗できる時代は去ったと思う。
だからこそ宮崎駿は、息子にあとを継がせるなら、同じ傾向のアニメを作らせるのではなく、CGの勉強でもさせてCG部門の統括者にすべきだった。

栄枯盛衰は世の習いである。
過去の栄光にしがみつき、改革を怠った企業の末路は知れたものである。
宮崎駿も名声や資産が残っているうちにCGに軸足を移し、若手を育て、彼らにすべてをまかせるような度量の広さをみせないと、このままではジブリの未来はないぞ。

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2012年3月12日 (月)

お母さんパワー

新聞の投書欄に震災のがれき処理について、地方にも分担してほしいとまた岩手県民からの悲痛な訴え。
わたし自身は自分の家の庭で処理されたって文句はいわないつもりだし、世間のこころある人たちにもそうした考えの人は少なくないと思われる。
問題は 「お母さんパワー」 というやつだ。
「お母さんパワー」 ・・・・
これはコワいし、絶大な威力を持っているものなのである。
ウチの子供が病気になったらどうすんの! 子供がガンになったらどうしてくれんの! といわれて、反論できるひと、政治家、学校の先生、その他もろもろはほとんど皆無である。

風評被害を拡散させるのも 「お母さんパワー」 だ。
そりゃ、きちんとした知識に裏付けられているのなら問題ないが、世のお母さんぐらい科学にヨワイ生きものはいないのである。
そのくせ世間話が大好きで、彼女らの知識の源泉は新聞やNHKテレビではなく、民放のバラエティ番組や口コミだけだから困ってしまう。
たまにまともな旦那がいたとしても、口論でお母さんに太刀打ちできるはずもないし、昨今は女房に感化されるだらしない亭主も多いから、「お母さんパワー」 はますます増長する。

がれき処理をえんまんに進めるためには、そう、若いお母さんたちの口にさるぐつわをして、しばらく箪笥の奥にでもしまっておくしかない。
ただ、現在の宰相のあんばいからは、それはとっても無理だと思われる。

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2012年3月11日 (日)

あれから1年

あの日から1年たった。
震災に備えに備えていたはずの三陸を襲った想定以上の大津波。
復興はそんなにかんたんにいくもんじゃないと、わりあい寛容なわたしも、この1年の政治家たちの無能ぶりにはあきれる。
このさい何をさておいても災害非常内閣ってわけにはいかんものか。
せめて政争は棚上げってわけにいかないものか。
これじゃ漫画家のしりあがり寿サンのほうがよっぱど役にたつ。
恥を知れ、日本の政治家たち。

あの日のわたしが何をしていたかというと、このブログにも何度か書いたような気がするけど、ずっとテレビにしがみついていた。
これだけ監視カメラ、防犯カメラの完備した日本では、いつか大津波の生中継が観られるのではないかとずっと思っていたから。
それが図星ということになっちゃったのは悲しいことだ。
なんて他人ごとのように言ってられるのは、その震災でもわたしの生活はぜんぜん変化がなかったからである。
親戚知人にも亡くなった人間はひとりもいないし、部屋も仕事もそのまんま。
翌日にはもういつものコースへ散歩に出かけていた。

震災なんて本当にあったのか。
わたしを陥れるためのマスコミを含めた壮大な陰謀じゃないのかと、5月の連休にわざわざ現地まで行ってきた。
そうやって自分の目ン玉で現地をじっさいに見てきたくせに、まだこころのどこかに信じられない気持ちがある。
そういえば自分の人生さえ、これはいったいなんだろうと考えてしまうことが。
ただ生まれて、ただ死んでゆく、それだけなのかと、ひねくれ者はこれだから困る。

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2012年3月10日 (土)

グラン・プリ

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映画 「グラン・プリ」 がBSで放映された。
これもわたしが待望していた映画なので、NHKさまさまというところ。

これはまだF1(フォーミュラーカー) が葉巻型で、ナショナルカラーに塗られていた、まだ牧歌的だった時代のF1レースを扱った映画である。
役に立つことはさっぱりのくせに、役にたたないことはよくおぼえているわたしは、その時代をよくおぼえている。
現代のF1カーはスポンサーカラーにステッカーだらけで、走る広告塔そのものだけど、当時はそれぞれチームの国籍によって色が決まっていた。
イタリアは赤、イギリスはグリーン、フランスはブルー、ドイツは白、あとから参加した日本は白地に赤い日の丸という具合。

映画を観てびっくりしたのは、この当時のF1にはシートベルトがぜんぜん付いてないということ。
まだ不完全だったベルトよりも事故のさいの脱出を優先させたのかもしれないけど、天才レーサーのジム・クラークが死んだのもシートベルトがなかったからという説もあるようだ。

この映画はドラマ用の映像と、じっさいのレースの映像をごちゃまぜにして作られているから、注意しているとあちこちに当時の本物のレーサーの顔が見られる。
マニアとしてはそれを見つけるのも楽しい。
まずタイトルバックに、この翌年に事故死するロレンツォ・バンディーニ、のちに事故死しながらチャンピオンになるヨッヘン・リント、そしてホンダのF1開発に尽力のあったリッチー・ギンサーなどが、ほんのちらりと出てくる。
映画の中で英国人ドライバーがかぶるヘルメットには、タータンチェックのテープがまかれている。
本人は出てこないけど、これはゆくゆく偉大なF1チャンピオンになるジャッキー・スチュワートのヘルメットだ。

レース前のパーティやドライバーズ・ミーティングの場面は、それこそ本物のレーサーたちの顔見世興行みたいなもん。
グレアム・ヒルがいる、ヨアキム・ボニエがいる、リントもギンサーもいる、いちばん前に座っているいかついアメリカンはダン・ガーニーじゃないかなんて。
タイトルクレジットをながめると、ほかにクリス・エイモン、ジャック・ブラハム、デニス・ハルム、ブルース・マクラーレン、ピーター・レブソン、ルドビコ・スカルフォッティ、ジョー・シェファート、マイク、スペンスなど、みんな若かりしころのわたしの血わき肉おどらせたレーサーたちだ。
CAR GRAPHICでおなじみのポール・フレールも、パーティの場面で役者のモンタンにおめでとうなんていってるし、映画の中でフェラーリの社長を演じている役者は本物のエンツォ・フェラーリにそっくり。
英国紳士然としたグレアム・ヒルなんて、演技までしてるけど、この人案外ガニマタなのねなんて妙なところに感心したりして。
ところでこのレーサーたちのうち、いったい何人が生きたままレースを引退することができただろう。

この映画の公開は1966年だ。
F1の活躍が華やかすぎて忘れられているけど、この年、ホンダはF2 (F1のひとつ下のカテゴリー) で11連勝という輝かしい記録を打ち立てており、つぎのステップとしてF1への挑戦を開始していた。
そのめざましいF2の活躍のせいで、誰もが将来のF1レースを日本車が席巻することに疑いを持たなかった。
だからこそ監督のジョン・フランケンハイマーは、映画の中で三船敏郎が社長を演じる日本のメーカーの将来性に賭けたのだろう。
この第一期のF1活動でホンダが優勝するのは、残念ながらこの翌年のイタリアGPのみだったけど (これ以前レギュレーション改定前にも1勝がある)、ホンダはF1挑戦第二期の88年に、アイルトン・セナらを擁して16戦中15勝と黄金期を迎える。
そのときフランケンハイマー監督の予想は (ようやく) 的中したといえるのである。

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2012年3月 9日 (金)

個人情報

わたしのところへある団体から返信用ハガキが届いた。
わたしの個人情報(そんなもんあるわけない)が必要になったので、書いて返信せよとのことである。
ご丁寧に、書いたものの上にプライバシー保護シールなるものを貼って投函するようになっていた。

心配である。
べつに詐欺を心配するようなハガキではないけど、人間というものは隠すと見たがるものである。
保護シールなんか貼ったら、よけい見たがる人が出やしないか。
そこで貼ったものをまたはがしてみた。
べつに特別な工夫もいらずにはがれそうだった。
つまらんことをするなと思う。

現代の日本人は出生届けから始まって、入学・入社、さまざまな役所の手続き、クレジットやお店のポイントカード作成、パソコンで新しいアカウント作りやネット通販でのお買い物、女の子には生活必需品のケータイを買うにしても、ありとあらゆる場所で個人の情報を記入しているはずだ。
それが洩れないと信じている人がいたら、馬鹿である。
なにがなんでも個人情報を隠匿したかったら、文明から離脱して、どこか山奥の穴ぐらでたき火でもして暮らすしかない。
ウチの子供の入学がなんで他人にわかったのかと怒っている人がいたけど、だいたいそんなもん秘密にするようなことか。
隠すから見たがる、シールを貼るからはがされる、秘密にするから金で売買される。
情報売買会社なんてものが成り立つ社会になってしまう。

ケイマン諸島を利用してるような金持ちならいざしらず、そのへんのサラリーマンの奥さんまで個人情報に敏感すぎる世の中って、なんか変だと思う。

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2012年3月 8日 (木)

いい記事

昨日は所用で忙しかったけど、新聞のかたすみにいい記事が。
若いころ養蚕をしていた女性が、売れ残ったクズ繭で糸をひいて自分用の絹を織った。
その絹で自分の結婚式の白むくを作り、さらにそれを仕立て直して普段着にしたそうである。
喪服も自分で糸をひいて機屋でちりめんに織ってもらい、自分で縫ったとある。
着物も洋服もほとんど自分で手作りしてきたこの女性は、最後にはそうした服に、手編みの靴下と手作りのわら草履をはいて逝きたいと結んである。
現在は84歳だというこのおばあさん、その人生の見事さに感服してしまう。

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2012年3月 6日 (火)

イスタンブール/アルバトロス

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旅行会社に安いホテルをみつくろってもらい、いくつかリストアップしてもらった。
安いといってもわたしはいちおう勤労者で、日本の民宿ていどの料金なら払えないこともないから、ドミトリーや、東南アジアによくある貧乏旅行専用の木賃宿みたいなものは遠慮することにした。

貧乏人のわたしは、五つ星ホテルに泊まり、美味しい御馳走を食べ、ブランド商品をあさるような旅行にはぜんぜん縁がない。
そうかといって、いかに安い費用で上げたかということを自慢するような旅もしたくない。
旅先では、必要ならタクシーを借り切って名所を観てまわることもするし、たまにはレストランでワインを飲んだりする。
浪費する金はないけど、必要と思えばそれなりの金を使う。
つらつら考えてみると、海外でもわたし程度のレベルの旅をする人がいちばん多いのではないだろうか。

さて、宿屋の手配である。
リストアップしてもらったホテルについて、ネットでいろいろ調べてみた。
わかったことは、まずイスタンブールにはホテルがやたらめったら多いということ。
ヨーロッパの人たちから見ると、イスタンブールは欧州とアジアをむすぶ架け橋みたいな位置にあり、そのオリエンタル・ムードがとても魅力的に映るらしい。
しかもイスラムの国でありながら、いちおうは自由主義国で、英語も通じるし、イラクやアフガンみたいに危険な国でもなく、車でそのまま出かけることも可能だから、異文化を体験するのにこれほど便利な国はない。
そういうわけで観光客が押し寄せる。
とうぜん資本主義の論理によって、ホテルが乱立することになるのである。

観光客にとって、ホテルの選択肢はピンからキリまで、ありすぎて困るくらいだ。
リストの中で 「アルバトロス」 というホテルが目にとまった。
ネットに載った写真で見ると、木造で、古い船員宿みたいなユニークな建物である。
場所もわりあい海岸に近いところにある。
ただし、わたしの知っているかぎり、イスタンブールは海辺のリゾートではないから、海岸の風景はあまりきれいなものではない。
だからこそ、捕鯨船に乗り組むために、ナンタケットの港町で宿屋をさがすイシュメールみたいな気分を味わえるのではないか。
うん、これにしようと、わたしはけっこうロマンチストなのである。

ところがさらに調べてみたら、このホテルとほとんど同じ場所に、「アルバトロス・プレミア」 という別のホテルがあることがわかった。
こちらは3階建のきれいな石造りの建物だ。
場所が同じってのはどういうことか。
もしかすると新館と旧館なのかもしれないけど、ネットに同時に載っているから、まさか改築前と改築後ではないだろう。
わからないまま木造のほうにしてもらったら、旅行会社の担当がパソコンをがちゃがちゃさせて、こちらはウチと取り引きがないみたいですよという。
そんならリストに載せるなとぼやいてみたものの、仕方ないから石造りのほうにした。
事情がよくわからないホテルっていうのも、行き当たりばったりみたいでおもしろいではないか。

※写真の左が木造、右が石造りの 「アルバトロス」。

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2012年3月 5日 (月)

イスタンブール/計画

イスタンブールの旅計画はちゃくちゃくと進行中。

海外旅行をするというと、まず訊かれるのが航空券はいくらしたの?ってこと。
返答をすると、必ず、オレならもっと安く買えるなんて手合いが出てくる。
貧乏旅行の達人なんて人の中には、わざわざ東南アジアまで出かけて、現地で格安のチケットを買う人もいるそうである。
わたしはそんなにマメじゃないし、行きたいときにブラリと出かけるのが理想だ。
1円でも安い航空券を探すほどヒマじゃないのである。

それでももっと安いのがあるなんていわれるとおもしろくないから、今回見つけたイスタンブールの航空券の値段については秘密にしておこうと思った。
しかし、こんな旅でも参考にしたいという人がいるかもしれない。
それで思い切って航空券やホテルについても書く。
航空券の値段は、週末であるか観光シーズンであるかどうかでも変わるらしいから、あまりアテにされても困るけど。

そんなわけで日程は、学生の春休みにあたる3月をはずし、五月のコールデンウィークを避け、平日に出発して平日に帰国ということにした。
さらにトルコ航空の直行便にこだわった。
海外旅行の場合、乗り換えがあるのが普通だけど、以前団体旅行でトルコに行ったとき、乗り換えのモスクワで、時間がありません! 急いでくださいとせっつかれたことがある。
そんなことになったら英語能力に欠けるわたしは、アセって見当違いの南米便に乗ってしまわないともかぎらない。
だから直行便にこだわったんだけど、差額はわたしの許容範囲内だったから、それほど高いわけではなかった。
直行便 (往復) で12万円ぐらい。  これは燃料サーチャージを含めた値段だ。

飛行機が決まったら、つぎはホテルだ。
あんまり安すぎるのも問題アリというわけで、そうさね、日本の民宿ていどのホテルが希望ですといってみたら、旅行会社 (HIS) が提示したのは日本円で 1泊6、7千円のホテル。
そのホテルの中からどれにしようかなって考えるのも旅の楽しみのひとつ。
本当は現地に行ってから探すほうがベストだけど、なんせわたしは英語能力がナンだし、イスタンブールは客引きが激しいそうで、言葉のわからないわたしが予約なしで出かけた日には、カモがネギを背負って鍋に飛び込むようなものになる恐れがある。
それでいらん気遣いをしなくてすむように、ホテルも日本で予約していくことにした。

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2012年3月 4日 (日)

タイタニック

往年?のCG大作「タイタニック」が放映された。
だけどわたしはジェームス・キャメロンが嫌いである。
「ターミネーター」だとか「アバター」なんて、漫画みたいなおもしろい映画をつくる人だってことは知ってるけど、漫画といってもヘタな劇画みたいなもん。
映画なんておもしろけりゃそれでいいっていう人もいるだろう。
いっちゃわるいけど、わたしゃB・ワイルダー、J・ヒューストン、キューブリックやD・リーン、ベルイマン、ゴダール、フェリーニなどの映画を、いちばん感受性の豊かなころに観た世代だ。
観終わったあとのじーんとくる感動を知っている世代なんだよ、お若いの。

しかし、これが世代の断絶なのかもしれない。
じつは「タイタニック」が公開されたとき、ウチの高校生の姪っ子がこれにハマっちゃって、いい映画だよ、すごい映画だよって吹聴した。
なんだ、あんなもの、主人公は青っちょろい鼻たれ小僧みたいだし、ヒロインはぶくぶくの年増女みたいでとけなしたら、それ以来怒ってわたしと口を聞いてくれない。

NHKにとっちゃ満を持した話題作の放映らしくて、本番のまえに「タイタニックの秘密」なんてメイキングみたいな映画も放映した。
こっちのほうがよっぽどおもしろかったな。

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2012年3月 3日 (土)

ウシガエル

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散歩に出かけてカエルを見た。
しかもべつべつの場所で3匹も。
いちばん大きいやつは、ぴーんと足を伸ばしたら30センチはありそうな巨大なやつ。
こんな寒いのにカエルなんているのかと思う人がいるといけないから、論より証拠の写真つき。
ウシガエルらしいけど、そろそろ下半身がうずいてきたらしい。
猫の恋という季語があるんだから、カエルのもの狂いなんて季語も作ってやんないと。
山奥にいるナガレタゴガエルなんてやつは、相手が見つからないと、そのへんの魚にでもなんでもしがみついちゃうそうである。
思えば、わたしだってそんな元気で、悶々とした青春があったなあなんて。

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2012年3月 2日 (金)

入れ墨

大阪の橋下クンが最近は暴走ぎみのようだ。
今日の新聞じゃ公務員に入れ墨厳禁だなんていいだした。
たしかに入れ墨というとヤクザに直結させちまう人が多いけど、ヤクザが即、ぜんぶイケナイ人というのはどういうものか。

ずっと昔、旅先で元テキヤというおじいさんと出会って、いろいろ話を聞いたことがある。
その体験譚はなかなかおもしろかった。
もちろん学のない職人くずれの人だったけど、いかにして分量や材料をごまかすかというテキヤのひけつだとか、パクられたときの状況や刑務所の規則、はては先任も上官もおかまいなしの戦争中の体験だとか、はなしは含蓄に富み、その中には人生の教訓も含まれていて、人間の教師としてはむしろこういう人のほうが役に立つんじゃないかと思ってしまったくらいだ。

大阪じゃたまたま入れ墨をした公務員がセクハラをして問題になったのだという。
しかしセクハラなんてのは、どっちかというと入れ墨なんかに縁のない、青白い秀才に多いような気がする。
公務員の不祥事を厳に取り締まることには反対しないけど、しかし入れ墨(刺青)をもってイケナイというのは、またどこかのPTA(いまでもこういう組織があるのかしら)が言い出した寝言に決まっている。
だいたい刺青がヤクザに直結するように、わたしなんかPTAというと、モンスターペアレントのたまり場を連想してしまうのである。
そういう寝言に左右される政治、そういう政治家じゃやっぱり困ります。

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ライブハウス

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先日、東小金井あたりをぶらぶらしていたら、変わった建物が目についた。
一見するとなにかのスタジオのよう。
こじんまりしているけど色彩が派手だから、まさか物置きじゃあるまい。
ペット屋さんか、あるいは子供のための歯医者さんか。
いったい何をする家なのかと近づいてみた。

窓からのぞいたら、まん中にギターをかかえた若者、まわりに聴衆らしい人数が・・・・・・
窓辺にドリンク1杯××円なんてメニューが出ていて、つまり昼間っからやってるライブハウスだった。
なんか、ぜんぜんやる気のない店である。
音楽好き者の店主が道楽で、近所の若者や大学生に貸し出しているレンタル・ライブハウスなのかもしれない。
若者でも大学生でもないわたしには敷居が高かったので、入ってみなかったけど、帰宅して調べてみたら、いちおうホームページを持っている店だった。
そのスケジュール表を拝見してみると、けっこうまめにライブをやっているみたいである。
「ライブのある日以外はお休みします」
「特にブルース/ジャズ系歓迎です」
「住宅街一階の店なので、大音響ロック系は不可です」
なんかほのぼのしてしまうライブハウスでありました。

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2012年3月 1日 (木)

道化師の蝶

せんだって文藝春秋を買って、今年の芥川賞作品の 「共食い」 を読んだことはこのブログに書いたけど、そういえば同じ本にもうひとつの芥川賞作品である 「道化師の蝶」 も載っていた。
読まないのはもったいないので読んでみた。

冒頭から飛行機の中の描写だ。
しかもエイブラムス氏なる、いかにも中東系らしい人物との会話だ。
おっ、これはひょっとすると、しょっちゅう飛行機で世界を飛び回っているビジネスマンが主人公の、国際的な時事小説かなと思った。
とすれば 「共食い」 とちがって、外向きのハードな小説だ。
たちまち深田祐介や江上剛、堺屋太一らの顔がちらちらした。

しかしすぐに失望した。
なんじゃ、これは。
期待して読み始めてすぐに、わたしが読んだことのある作家としては、南米のノーベル賞作家ガルシア・マルケスの顔がひらめいた。
でもマルケスなら思想があり、瞑想があり、愛、悲しみ、絶望、孤独、皮肉、冷笑、その他の人間感情がこぼれるくらいあって、超現実や不条理の底に詩が流れていたけど、こちらにはなにもないぞ。

この小説に鱗翅目研究者という人物が登場するけど、作者がことさら鱗翅目に詳しいように思えない。
なんで鱗翅目なんて言葉が出てきたのか。
うーむと考える。
こういう小説を書くには、まず百科辞典およびてきとうな外国語辞典を目の前に置いて、その中から無作為に言葉をピックアップし、それをもっともらしい文章でつないでいけばよい。
わたしもやったことがあるから、よくわかるのである。
つまりこれは、知識や体験ではなく、全部が作者の頭の中でつなぎあわせた意味のない言葉の羅列である。
こんな意味もストーリーもない、空っぽの箱のパッケージみたいな小説をもっと読みたいと思う人がいるんだろうか。

ただ、この作家の文章はひじょうになめらかで、言葉は豊富、叙述は明瞭だから、作家としての資質はある人だと思う。
こんな妄言 (これは作家自身が 「受賞のことば」 の中で自虐的に吐露している) みたいな文章を書いていないで、もっと現実に則した物語性のある小説を書けば、おもしろくて売れる作家になれるんじゃなかろうか。
もっともそのときこそ、外向きの真の知識というものが要求されるけど。

アホらしくて途中で読むのを止めてしまったので、これ以上ごたごたいうのも止めます。

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