CGアニメ
困ったことである。
ときどき政治ネタでブログを書いているから、わたしは時事評論家ではないかと誤解をされる場合もあるらしいが、その反面でCGアニメというのが大好きなのである。
あそこが気にくわん、ここがケシカランと政治に突っ込みをいれたその口をだらしなくゆがめて、ウヘラウヘラとアニメに見入っているのである。
やっぱしオタクなのねというか、好奇心旺盛というか。
ただし、ことわっておくけど、わたしが好きなのはアニメであって、スターウォーズやハリポタやアバターのような、CGを多用した生身の人間が演じる映画は大っキライだ。
このへんが自分でもうまく説明できないんだけど、ふつうの映画とアニメでは最初から求めるものがぜんぜん違うってことかもしれない。
先日放映された映画はピクサーのCGアニメ 「ウォーリー」。
映画の中に日本語のポスターなんかが出てくる。
どうもこの映画にはアメリカ用、日本用、フランス、中国用などと、これが公開された国のためのいくつかのバージョンがあるらしい。
手間のかかることをしたもんだと思ったけど、なにしろCGアニメだ。
内容の一部、ポスターの文字を手直しするなんて簡単なことにちがいない。
CGアニメでいちばん手間のかかるのはキャラクターの造形だ。
しかしそれさえ完成すれば、その色やパターンを変えるのにそれほど手間はかからない。
ピクサーが使っている3Dソフトとは違うけど、わたしもそういうソフトを少しだけ使ったことがある。
で、わたしもやってみた。
添付した画像は、わたしがいたずらでやってみた3D画像。
まわりの壁とガラス玉の造形さえ決めてしまえば、表面の模様を変えるなんざお茶の子さいさいだ。
ところでこの映画、ゴミ処理ロボットのウィリーが、荒廃して無人となった地球の上で、最新ロボットと出会うあたりまで、とてもおもしろかった。
しかし、宇宙に逃れた人間たちが生活する宇宙船の中の描写になると、コンピューターで管理されたきらびやかなオートメ社会が、どこかで観たようなディズニー・アニメ (モンスターズ・インクなど) を思わせて、あ、またかって感じ。
最後がハッピーエンドなのも、ディズニーじゃ仕様がないけど、屈折したおとなのわたしにはちと不満。
どうせCGアニメだ。
キャラクターさえ決めてしまえば、あとはそんなに手間がかかるわけじゃないといったばかりだ。
べつのバージョンを作ったらどうなのか。
たとえばこんなの。
新型ロボットは宇宙に去り、取り残されたウォーリーは黙々と徒労と思える仕事を繰り返しているんだけど、やがて故障して寿命が尽きて、彼も壮大なゴミの山の一部になってしまう。
ゴミのあいだからのびてきた植物はいつかゴミの山を被い、雨水のたまったウォーリーの眼のあいだで小さな花を咲かせる・・・・なんて結末はどうだ。
ぜんぜんハッピーエンドじゃないし、観客動員も望めそうにないシリアスな物語だ。
でも広い世間にはこんな映画を求めている人もいるんじゃないか。
なんならDVDで売り出すとき、とちゅうで視聴者の好みにあわせて、ハッピー・コースと悲観コースを選べるようにしたら。
さらにいうと、CGアニメは筆やペンで描かれた絵ではなく、ぜんぶコンピューター言語で書かれたプログラムだ。
映画を公開してモトを取ったあとは、プログラム・ソースを公開して、他人がさまざまなバージョンの 「ウォーリー」 を作れるようにしたら、そしてそういう作品のコンテストをやったらどうかしら。
型にはまったディズニー映画ではなく、世界中の創造作家たちのアイディアを観てみたい。
あ、だんだん気宇壮大、荒唐無稽なアイディアになってきた。
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