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2012年3月10日 (土)

グラン・プリ

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映画 「グラン・プリ」 がBSで放映された。
これもわたしが待望していた映画なので、NHKさまさまというところ。

これはまだF1(フォーミュラーカー) が葉巻型で、ナショナルカラーに塗られていた、まだ牧歌的だった時代のF1レースを扱った映画である。
役に立つことはさっぱりのくせに、役にたたないことはよくおぼえているわたしは、その時代をよくおぼえている。
現代のF1カーはスポンサーカラーにステッカーだらけで、走る広告塔そのものだけど、当時はそれぞれチームの国籍によって色が決まっていた。
イタリアは赤、イギリスはグリーン、フランスはブルー、ドイツは白、あとから参加した日本は白地に赤い日の丸という具合。

映画を観てびっくりしたのは、この当時のF1にはシートベルトがぜんぜん付いてないということ。
まだ不完全だったベルトよりも事故のさいの脱出を優先させたのかもしれないけど、天才レーサーのジム・クラークが死んだのもシートベルトがなかったからという説もあるようだ。

この映画はドラマ用の映像と、じっさいのレースの映像をごちゃまぜにして作られているから、注意しているとあちこちに当時の本物のレーサーの顔が見られる。
マニアとしてはそれを見つけるのも楽しい。
まずタイトルバックに、この翌年に事故死するロレンツォ・バンディーニ、のちに事故死しながらチャンピオンになるヨッヘン・リント、そしてホンダのF1開発に尽力のあったリッチー・ギンサーなどが、ほんのちらりと出てくる。
映画の中で英国人ドライバーがかぶるヘルメットには、タータンチェックのテープがまかれている。
本人は出てこないけど、これはゆくゆく偉大なF1チャンピオンになるジャッキー・スチュワートのヘルメットだ。

レース前のパーティやドライバーズ・ミーティングの場面は、それこそ本物のレーサーたちの顔見世興行みたいなもん。
グレアム・ヒルがいる、ヨアキム・ボニエがいる、リントもギンサーもいる、いちばん前に座っているいかついアメリカンはダン・ガーニーじゃないかなんて。
タイトルクレジットをながめると、ほかにクリス・エイモン、ジャック・ブラハム、デニス・ハルム、ブルース・マクラーレン、ピーター・レブソン、ルドビコ・スカルフォッティ、ジョー・シェファート、マイク、スペンスなど、みんな若かりしころのわたしの血わき肉おどらせたレーサーたちだ。
CAR GRAPHICでおなじみのポール・フレールも、パーティの場面で役者のモンタンにおめでとうなんていってるし、映画の中でフェラーリの社長を演じている役者は本物のエンツォ・フェラーリにそっくり。
英国紳士然としたグレアム・ヒルなんて、演技までしてるけど、この人案外ガニマタなのねなんて妙なところに感心したりして。
ところでこのレーサーたちのうち、いったい何人が生きたままレースを引退することができただろう。

この映画の公開は1966年だ。
F1の活躍が華やかすぎて忘れられているけど、この年、ホンダはF2 (F1のひとつ下のカテゴリー) で11連勝という輝かしい記録を打ち立てており、つぎのステップとしてF1への挑戦を開始していた。
そのめざましいF2の活躍のせいで、誰もが将来のF1レースを日本車が席巻することに疑いを持たなかった。
だからこそ監督のジョン・フランケンハイマーは、映画の中で三船敏郎が社長を演じる日本のメーカーの将来性に賭けたのだろう。
この第一期のF1活動でホンダが優勝するのは、残念ながらこの翌年のイタリアGPのみだったけど (これ以前レギュレーション改定前にも1勝がある)、ホンダはF1挑戦第二期の88年に、アイルトン・セナらを擁して16戦中15勝と黄金期を迎える。
そのときフランケンハイマー監督の予想は (ようやく) 的中したといえるのである。

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