仏壇
仏壇というものがある。
ご先祖さまを祀るものであるから大切にしなさいなどという。
うーんである。
以前、知り合いの引っ越しを頼まれて行ったことがある。
知り合いは一戸建ての借家に住んでいたんだけど、奥さんと死別し、息子も独立し、本人は年金暮らしになったので、一戸建てでは不経済ということで、小さなアパートに引っ越すことになったのである。
わたしは4tトラックを運転して、荷物を運んでやることになった。
いろんなものを積みこんで荷台がほぼいっぱいになったとき、仏壇をどうするかという話になった。
床の間いっぱいおしこめられた大きな仏壇である。 とてもトラックに乗りそうもない。 だいいち新しいアパートに入りそうもない。
どうしましょうかと訊くと、知り合いも返答に窮していたが、けっきょくほっぽらかしていこうということになった。
不運な仏壇が、その後どうなったか知らない。 おそらく粗大ごみとしてしかるべき処理をされたのであろう。
前の年のおかざりなんかを神社仏閣で年末年始に燃やすように、仏壇を廃棄する場合も、お寺に頼んで魂抜きみたいな方法をとるべきかもしれない。
しかしわたしは仏壇なんてものにありがたみも尊敬の念も感じてないから、同じような場面に直面したら、たぶんこの知り合いと同じようなことをするだろう。
バチ当たりめと思われるかもしれない。先祖を大事にしないのかと叱責されるかもしれない。
でもわたしは亡くなった人たちに対する畏敬の気持ちが他人におとるとは思わない。
わたしの親父はとっくに死んだけど、若いころは甲斐性なしで、いろんな職業を転々とした人だった。
魚の行商までしたことがあり、わたしは幼いころ、親父に連れられて近郊の町の市場まで仕入れにつき合わされたことがある。
冬の寒い朝で、列車から見た朝焼けの空がとてもきれいだった。
わたしは親父にもういちど会いたいと思う。
ただ会うだけじゃつまらない。
あのころの親父とわたしにもどって、会いたいと思う。
親父と会うだけじゃつまらない。
あのころの近所の知り合いの人たちと、あのころの風景の中で会いたいと思う。
日本がまだ貧しかったけど、家族のきずなが今よりもずっと強かった時代にもどり、水田がいちめんに広がっていた関東地方の農村のかたすみで、わが家で飼っていたネコまで含めたすべての人たちと再会したいと思う。
わたしが仏壇を尊重しないのは、つまり、形式にこだわったり、見栄を張ったりするのが死ぬほどキライだからなのである。
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