2012年5月31日 (木)
フェリー埠頭のあるエミノニュからは、地形の関係でブルーモスクやアヤソフィアはよく見えない。 そのかわり金角湾を見下ろす高台に、ブルーモスクに匹敵するようなどうどうとしたモスクが見える。 このモスクはスュレイマニエ・ジャーミーといって、けっこう由緒のあるものらしいけど、あまり観光コースには入ってないみたいなので、ひとつ出かけてみることにした。
地図をみると、このモスクはわたしが泊まっているイギタルプ・ホテルから、せいぜい1キロちょいだ。 そんなら歩けると、ぶらぶら徒歩で出かけた。 わたしの旅はぶらぶらが多いけど、ガイドさんに追い立てられるような旅は好きじゃないし、わたしは路地をだらしなくのぞきながら歩くのが好きなのである。 自立心のある欧米人観光客にもこういうタイプが多いようだ。 あまり観光客に出会わない路地をてきとうに歩いてちゃんと目的地に着いた。 目立つ高台にあるモスクだから間違えようがない。
このモスクは4本ミナーレである。 モスクの横に円形の屋根がならんだ建物がある。 これはもともとは救貧院といって、集まった信者や貧民に食事をさせる調理場の建物だったらしいけど、現在ではレストランやカフェになっていた。 門から境内に入ると芝生がきれいで、少数の観光グループが三々五々建物を見学していた。 日本人はひとりもいなかった。
このモスクには、ステンドグラスやアーチ型の柱など、いろいろ見どころも多いらしいけど、寺院の詳しい縁起は、また勝手に調べてほしい。 わたしがひとつ注目したのは、つまならいところに注目しているなと思われそうだけど、建物の入口の大理石がすりへっていて、どれだけ長いあいだ、どれだけ多くの信者が出入りしたかということを物語っているところ。 この点はブルーモスクやアヤソフィアも同じである。 よく注意していると、歴史を感じさせるものは足もとにも転がっているものだ。
本殿の中には大きな絨毯が敷きつめられていた。 お祈りの日には大勢の信者が、床に頭をすりつけてメッカの方角にひれ伏すのだろう。 床が大理石じゃ頭が痛いもんなとまた余計なことを考える。
下からながめて威風堂々の建物だから、てっきり見晴らしがすばらしくいいのだろうと思っていたのに、意外とそうでもなかった。 なぜかというと、このモスクは塀にかこまれていて、景色を眺める場所があまりないのである。 金角湾を眺めようと思ったら、塀が低くなっている部分からのぞくしかない。 ドーム屋根に展望台を設ければ、第1級の見晴らしになることは間違いないのにと思う。
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1時間ほどしてベリーダンスが一段落すると、日本人の団体がぞろぞろと帰っていった。 わたしも立ちあがったら、ボーイが制止して、まあまあ、お座り下さいという。 ベリーダンスの2部でも始まるのかと思ってすわり直したら、つぎに若いころのペギー葉山みたいな、ショートヘアの元気のいい女性歌手が出てきた。 このあとはこの歌手のワンウーマン・ショーだった。 2年前はわたしも日本の団体の一員だったから、このショーは観ていない。
登場したのはいかにもベテランらしい、かっ達洒脱、サービス満点の歌手で、まず客のためにいくつかの言語で挨拶をした。 日本語でコンバンワといったのがはっきり聞こえた。 どうやらボーイがわたしを引き留めたのは、この挨拶を聞かせるためだったようだ。 いつのまにはわたしのテーブルには、トルコと日本の小さな国旗が立ててあった。
わたしも音楽は好きである。 トルコ語なんかわからなくても、音楽は世界の共通言語だから誰にでもわかるのである。 だからおおいに楽しんだけど、そのうち歌手が客をステージに上げてデュエットを始めた。 わたしは歌うほうはひどい音痴だから、ヤバいなと思う。 さいわい前のほうにもうひとりの日本人女性が残っていて、彼女が引っ張り出されて童謡なんか歌わされていた。 歌手もいっしょになって歌っていたから、この人は世界中の歌に対応できるらしい。 さすがはプロである。
わたしのテーブルに絶世の美女が2人すわっていた。 店内でも髪にスカーフをまいたままだからイスラム教徒らしい。 ただし、それぞれに男の連れがいて、男のほうはどうも東洋人のような顔をしている。 彼女たちは何者だろう。 つい、またわたしの推理癖が始まってしまった。 彼女たちのスカーフのまき方は厳格なイスラム教徒のものではなく、なんとなくインドネシアあたりのスタイルを思わせる。 たぶんインドネシアの富豪の男性が、美女をともなってイスラムの祭典を見物にきて、ついでに夜のトルコに繰り出したのだろう、とわたしの推理はそんなところだ。 うらやましいことである。
歌手はまだステージを飛びまわっている。 こういう場所では欧米の女性は積極的だから、そのうち座席にいた若い白人女性も立ち上がっていっしょに踊り出した。 どこかヨーロッパの王族のお姫さまみたいな、高貴な感じの美人である。 個人情報を守るのも大切だけど、昨今のそれはすこし行きすぎじゃないかと憤怒に堪えないわたしは、ここであえて歌手とお姫さまの写真を公開してしまう。 なんでもかんでも秘守していたのではドキュメンタリーは成り立たない。 開高健の釣り紀行に、行き先々に女を囲っているアマゾンの絶倫おじさんが出てきて、どんなおじさんなのか興味があったところ、このおじさんの写真はちゃんと本の中に載っていた。 そんなに遠慮する必要はないさ。 もちろん女性の顔写真の場合は、できるだけ美人に写っている写真を使うとか、いろいろ気遣いは必要だけど。 みなさんも国旗だけじゃつまんないでしょ。
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2012年5月30日 (水)
ぶらぶらと、今日も元気で散歩に行ったら、グリーンのシャツのカワイ子ちゃんが川の中をざぶざぶ。 シャツの背中のグラフィックからすると、どこかの大学の野生生物研究会なんてところの所属女子が、どうやらヘビでもつかまえようという魂胆らしい。 ヘビも迷惑です。
彼女がむなしくざぶざぶやっているあいだに、わたしは自然観察園で、長々と横たわっているのを見つけてしまいました。 ああいう乱暴な娘につかまるんじゃないよと、よく言い聞かせておきました、ハイ。
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ベリーダンスというものがある。 トルコ、というよりトルコに住んでいたジプシーの踊りが起源らしいけど、半裸のオンナの人が腰をくねらせて踊る、きわめて官能的な踊りである。 体操だって男を悩殺する魅力がないとつまらないという欧米 (そして日本) の女の子たちは、最近ではこの踊りをダイエット体操とみなしているそうである。
ホテル・イギタルプに移動したとき、フロントで、ベリーダンスを観ますかと尋ねられた。 トルコに来てベリーダンスを観なかったら男がすたる。 と、勝手に決めつけて公演を予約した。 これが50ユーロ (5300円ぐらい) だったけど、食事、飲み物つきのようなので、まあ、こんなもんじゃないだろうか。
予約券をみたら、劇場はガル (GAR) となっていた。 これは2年前にも行ったことのある店ではないか。 たしか橋の下、いや、ガードぎわにある場末のストリップ小屋みたいな劇場だった。 しかし考えてみれば、ベリーダンスにはこういう劇場がふさわしいかもしれない。 わたしはそこで有名なベリーダンスの先生で、NHKのテレビ番組にも出演したことのある、セマ・ユルドゥズさんを見たものだった。http://libai.cocolog-nifty.com/oosawamura/2010/02/post-5505.html
あらかじめ予約すると、ちゃんと劇場の車が迎えにきてくれる。 夜になって迎えの車に乗ったのはわたしひとりだった。 ベリーダンスはきわめて健全な娯楽だから、同じホテルに泊まっている欧米人の家族がいっしょに行くかと思ったのに、それはなかった。 健全な娯楽というのはホントである。 イスタンブールでは、大きなホテルになると自前のショー・レストランを持っていて、子供たちを含めた家族連れの宿泊客でにぎわう。
たったひとりで迎えの車に乗り込んだところは、なんだかギャングに拉致された銀行員みたいで不安だったけど、それでもあっという間に劇場に到着した。 以前の記憶では、ガルは金角湾の向こうだと思っていたのに、じつはアクサライの駅から5、600メートル南へ行ったところだった。 これならいざとなれば徒歩でも帰れる。 安心する。
ガルは、いちおうはショー・レストランなので、前方にステージがあり、観客はテーブルに座って食事をしながらダンスを鑑賞することになる。 月曜日のせいか、それともたいていこんなものか、200人は入れそうな座席にこの晩は3分の1ていどの入り。 団体旅行でトルコに出かけた日本人にとってはおなじみの店のようで、この晩も日本人のグループがふた組ばかりいた。
わたしが行ったとき、すでにショーは始まっていて、この晩のベリーダンサーは3人。 ほかににぎやかな民族舞踊やナイフ投げの曲芸などがあって、そのほとんどは2年前に見覚えのある顔である。 そういえば2年前には、なんと、わたしがステージに引っ張り上げられて、ナイフ投げの標的にされたものだった。
ベリーダンサーのうち、いちばん若い娘は記憶になかった。 どこか東洋的なおもだちの、ということはロマ (ジプシー) を思わせる黒い髪のカワイ子ちゃんで、まだお菓子を食べ過ぎてないのか、腰のあたりはじつにスマート。 つぎのベリーダンサーは、2年前に見たおぼえがあり、たとえるならば若かりしころのエヴァ・ガードナーとでもいうか。 そんな古い女優はわからないという人には、きわめてクールで、端正な西欧的美人とでもいっておくか。 ふっくらした肉感的なボディもE・ガードナーなみだった。
美女にこころやさしいわたしは、ここで思い切り彼女らを紹介してしまおう。 と思ったけど、なにぶんにもスペースにかぎりがあるから、フォトショップでえいやっと加工してまとめて紹介てしまう。
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2012年5月29日 (火)
長らく書きつづってきたけど、イスタンブール紀行もいよいよ終章に入りますからね。
ホテル・アルバトロスからイギタルプに移動したとき、近くに古い水道橋があるのを見たけれど、これはヴァレンス水道橋というものだった。 似たようなものはローマやスペインにもあり、そういうものを写真で見たことがあるから、水道橋ということはすぐわかった。 イスタンブールのそれは、完成したのが西暦378年だというから、まだキリストが死んで間もないころではないか。 ホテルから近いので、夜のベリーダンスまでの時間つぶしに、この橋の見学に出かけてみた。
ホテルのわきの通りをいくと、つきあたりにシェフザーデバシュ・ジャーミー (あいかわらず舌を噛みそう) というモスクがある。 2本ミナーレだけど、威圧されるようななかなか立派なモスクである。 じつはこのモスクに入ったのは、歩いているうちオシッコが近くなって、トイレを借りるためだった。
トイレは塀にかこまれた境内のすみっこのほうにあり、トイレ先進国の日本人からみると、ひとむかし前のトイレという感じ。 ふだんは使用料の徴収人がいるみたいだったけど、このときは誰もいなかったから金を払わなかった。 こういうのも観光の一環になるのかしら。
境内に太い幹を持った古木があった。 こんな木があるということは、トルコ人がむかしから樹木を大切にしていたことの証しである。 戦乱に明け暮れ、無政府状態が何度もあった中国なんかでは、どさくさにまぎれて材木にされることが多かったようで、このようなりっぱな木はほとんど見られない。 アンズのような白い花をつけた木もあった。 足もとにはクローバーが敷きつめられていたけど、葉のかたちが日本のものと違うような気がする。
このモスクに対面してイスタンブール市庁舎があった。 日本にもいくらでもあるお役所的建物だけど、ここを警備するガードマンは本物の自動小銃を携えていた。 カッコいいなあって、こういうのも観光の一環になるのかしら。 獅子ににらまれても動じないネコの写真はこの市庁舎で撮ったもの。
さて、水道橋である。 これはもう見上げるような建造物で、それなり見応えがあるけど、上に登るのは禁止されているそうで、下からながめていると、けっきょくそれだけで終ってしまい、なにか書こうと思うけど書きようがない。 ただ、わが日本の徳川幕府もそうだったけど、まじめな為政者にとっては、大都市に水を供給するにはたいへんな手間をかけたんだなって思ったくらい。 わたしの紀行記では学術的、歴史的なことにはできるだけ触れないことにしているし、文章で書くより1枚の写真のほうが雄弁に物語るだろうから、ここは簡単に写真を見せるだけでオシマイにしよう。
橋げたのあいだから、はるか遠方にノッポビルがならんでいるのが見える。 橋げたのあいだをバスでさえくぐり抜けていく。 そんな光景をながめながら、さすらいの日本人は途方に暮れるのでありました。
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2012年5月28日 (月)
トルコ料理は世界の3大料理のひとつだという。 おいしいという意味じゃない。 味覚というのは人それぞれで、たとえばわたしのように、ケバブよりアジの開きのほうがいいという人間だっているのである。
誰が言い出したのか知らないけど、世界の料理をおおざっぱに分けると、まずヨーロッパの料理がひとつで、こちらの代表としてフランス料理を選ぶ (こんなことを言いだしたのはたぶんフランス人なのだろう)。 つぎにアジアの料理がひとつ。 こちらは、人口比からしてとうぜん中国料理ということになる。 これで2つは決まり。
2大料理じゃおさまりがわるいからもうひとつ選びたい。 トルコはヨーロッパとアジアの架け橋といわれる。 それじゃこの両者の中間にある国 (トルコ) の料理を、というとかなりふざけた理由になってしまうけど、これならヨーロッパ (キリスト教社会)、アジア (それ以外の宗教社会) に加えて、除外するのがむずかしい世界三大宗教であるイスラム社会の料理を含めることになるから、万事円満にかたづくのである。 こんなところがトルコ料理を3大料理に含めた理由であるらしい。
イスラム料理とくればトルコということも必然で、トルコにはオスマントルコやそれ以前に、強力な長期王朝があった。 どの国でも権力者というやつは、美味しい食べもの (と美女) が好きだから、強力な王朝があるところでは美味しい食べもの (と美女) が集まるのは当然である。 フランスにブルボン王朝、中国にも漢や唐などの長期安定政権があったことはご存じのとおり。 例外は日本の徳川政権で、こちらは世界的にもめずらしい質素倹約を旨とする政権だったから、食べものもロクなものが発展しなかった。 以上はわたしの勝手な想像もあるけど、3大料理なんておおかたそんなものだろうと思う。
ボスポラスクルーズからもどった日の夕食は、ホテルの近所のレストランでとることにした。 洗濯屋へ行った帰りに、この店のまえで食事を誘われたのがきっかけだけど、昼間からけっこう家族連れの客が入っていたから、わるい店ではなさそうだった。 じっさい味もわるくなかったし、値段もまあまあだったから気にいって、イギタルプに泊まっているあいだに、このレストランには2回通うことになった。
写真は1回目の食事で、魚料理を頼んだら、出てきたのは (たぶん) ホッケだった。 こいつは日本ではコンビニでも売ってる安い魚である。 トルコでホッケが獲れるかどうか知らないけど、肉ばなれのいいことと、味はわたしがよく食べているコンビニのホッケと同じだった。
例のラヴァーシュという空気でふくらんだパンも写っている。 こちらはまだ穴をあけるまえの状態で、広角レンズのおかげで小さく見えるけど、じっさいの大きさは30センチくらいある。 これにビールとサラダをつけて、とうぜんながらこれだけでわたしの腹は一杯。
2回目に行ったときは、ベジタリアンのわたしにふさわしい料理をガイドブックで調べて、カルヌヤルクというナスに挽肉を詰めた料理を頼んだ。 美味しくないとはいわないが、ナスがでっかすぎた、わたしには。 世間の胃袋が大きすぎるのか、わたしの胃袋が小さすぎるのか、外国に行くたびに悩むんだけどね。
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うちの近所にほたるの里というところがある。 三鷹市が里山を復活させようといろいろ手を加えているところで、東京ではめずらしくなった田んぼもあるし、カラーの白い花が咲くわさび田なんかがあって、ちょっとした名所になっている。
この里山のすぐわきに2階建てのアパートがぽつんと建っていた。 古い、汚い、座敷わらしでも住みつきそうな家で、こんな家で育った作家がもしいれば、彼が老人になったとき絶対に小説に書きそうなアパートだけど、そんな思い出のぜんぜんない一般大衆にとって、またはるばる里山を尋ねてきた家族連れなんかには、もう目ざわり以外のなにものでもない建物だった。
今日ぶらぶらと散歩に行ってみたら、このアパートが取り壊されて跡形もなかった。 ここ1、2週間のあいだに、とうとう司直の手が入ったらしい、というとオーバーだけど、アパートの持ち主が建て替えをするつもりじゃ、まさかないだろうから、つまり里山整備の障害をとりのぞこうと、三鷹市もいよいよ本気になったってことのようである。 アパートの跡地がどんなふうに模様替えされるのか、もうすこしようすを見ていこう。
目ざわりな建物でも無くなってみると、やはり絶滅危惧種の最後の1頭が倒れたようで、こころなしかさびしい気がする。 写真の○印で囲んだのがそのアパートで、わたしたちはもう永遠にこの建物を見ることはできないのである。
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2012年5月27日 (日)
イスタンブールと直接の関係はないけど、帰国してから iPod を買った。 アップルの、iPad ではない、iPod のほうである。 じつはイスタンブールまでの12時間もかかる飛行機のなかで、いちばんいいヒマつぶしは音楽を聴いていることだとわかった。 最近の飛行機にはモニターがついていて、たくさんの映画が観られるけど、正直いってわたしの好みの映画なんてほとんどない。 ノートパソコンや文庫本も持っていったけど、機内の照明の下で見たり読んだりすると、老眼ぎみの目が疲れてたまんない。 それで往復の飛行機のなかで、わたしはほとんどICレコーダーや機内の機器で音楽を聴いていた。 音楽に身をまかせながら、深淵な思索とよからぬ妄想にふけっていると、時間はどんどん過ぎてゆく。 音楽があると退屈しない人間なのである、わたしゃ。
iPod を買うといったら、友人たちが馬鹿な真似はするなという。 iPod は音楽を聴くための機器だけど、現在はスマートフォンでも同じことができる。 値段もたいして変わるわけじゃないし、電話がついているスマホのほうが断然便利ではないかとのことである。 電話のキライなわたしはそうは思わない。 電話には金がかかる。 音楽なら、わたしのパソコンの中には膨大なMP3の蓄積があるので、それを iPod に移せばあとは1円もかからない。
だいたい最近ではケータイでもスマホでもパソコン、テレビ、CATV、ビデオカメラにさえネット接続ができるものがあって、あらゆるものに課金という名のお金がかかりすぎる。 そのうち電気釜やヒゲ剃りまで課金がかかるかもしれない。 そんな強欲な風潮のなか、ひとつぐらいお金の心配をしないでこころゆくまで楽しめるものがあってもいいではないか。 iPod でもネット接続さえしておけば、メールを送ったり、YouTube を観たり、地図や天気予報を参照したり、もちろんネットを通じて音楽を購入できるけど、わたしには手持ちの音楽が聴ききれないくらいあるのだ。
ネット接続しなくてもいろいろ楽しみはある。 わたしは自分で作った短編映像を、小さな端末でお手軽に持ち運びたいと考えていたけど、iPodはそれにぴったりである。 音楽を聴く、写真を見る、映像を観る、これだけでも値段以上の価値は十分にあるではないか。
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エジプシャン・バザールの続き。 2枚目の写真は、これはなんだろう。 なんでしょうねえ。 3枚目は肉屋もありますという証明ですが、なんの足だろうねえ。
4枚目、5枚目はトルコの漬物。 こういうものがあるなら和食も可能って気がします。 6枚目はバザールを出たところにある園芸ショップ。 トマトの苗やさまざまな植物の種子など。
バザールを一巡してイエニ・ジャーミー前の広場にもどってくると、ここはいつでも人だかりがしていて、ハトがたくさんいる。 ハトの餌を売るおばさんが、お兄さん、ひとついかがという (たぶんそういったのだろう)。 わたしは野生動物に餌をやってはいけない主義の日本からきた旅人だから、買わなかったけど、あとで後悔した。 わずかなはした金で、ハトとおばさんの両方の生活を援助できたかもしれないではないか。 ほどこしというと言い方がわるいけど、富める者は貧しいものにほどこしをというのは、イスラムの重要な教えのひとつなのである。
そういえば米国に「2ペンスを鳩に」という歌があった。 show them you care and you’ll be glad if you do. 小鳥たちにやさしさを見せれば、あなたも幸せになれるでしょう 日本にも、なさけは人のためならず (あなたのためなんですよ) ということわざがある。 うじうじした性格のわたしは、いつもこうやってあとになってから悩むのである。
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2012年5月26日 (土)
エジプシャン・バザールの続き。 1枚目と2枚目の写真はチーズ。 3枚目はガラウキョイでも見たブドウの葉の塩漬け。
何度も書いたけど、わたしはこういうところをぶらついているのが好きである。 ここでも日本語はかなり通じるようで、歩いていると店員が声をかけてくる。 ある店のショーウインドーの中に、4番目の写真のごときものが収納されていた。 外見から見当もつかないけど、これはカラスミだそうである。 カラスミを食べたことがありますかと訊かれたから、台湾で食べたと答えると、うちのカラスミは台湾のとは味がちがいますと、店員が熱心に売り込んでくる。 トルコのカラスミは蜜蝋でパッケージされているそうで、見た目も台湾製とはだいぶちがうらしいけど、みやげを買わない主義のわたしが、うっかり味見をするわけにはいかない。
八百屋もあります。 最後の写真で、キャベツかでっかい植物のつぼみに見えるのはアーティチョーク。 日本じゃあまり見かけないけど、外国の市場じゃよく見かける。
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ボスポラスのクルーズを終えて、帰りにエジプシャン・バザールへ寄ることにした。 バザールというのは市場のことで、たいていの国にある。 中国にもある。 ないのは日本だけかもしれない。 日本にだって築地の魚河岸や、淀橋のやっちゃ場があるっていう人がいるかもしれないけど、あれとは雰囲気も形態も異なる。 イスタンブールのバザールは、いつでも誰でも入れる屋根つきのショッピングセンターで、せまい空間にごちゃごちゃと商店を押し込んだとこが特徴だ。 しいて日本で似ているものを挙げれば、秋葉原にあった密集型電気部品街や、わたしが住んでいる三鷹市のとなりの吉祥寺にあるハーモニカ横丁みたいなもんか。
イスタンブールには有名なグランド・バザールがあるけど、この日にわたしが目指したのはエジプシャン・バザール。 グランバザのほうが観光客相手のみやげもの屋に堕落したのに比べ、エジプシャンのほうは食品や香辛料など日常の生活必需品が多く、スパイスバザールなんていわれるのだそうだ。
ここではエジプシャン・バザールで見たものを3回に分けて報告してしまう。 また市場かいといわれてしまいそうだけど、先日テレビ放映された西原理恵子のガーナ紀行なんて番組を観ていたら、彼女もさっそく市場の見物をしていた。 市場が好きというのはインテリの証明なのである (らしいよ)。 このバザールはガラタ橋のたもとにあるイエニ・ジャーミーを経済的にささえるために設立されたそうで、いちばん最初の写真はそのモスク。
続いてスパイスバザールの名前にふさわしい香辛料の写真から。 4番目の写真で、ヒモでくくられている木の枝みたいなものは肉桂。 いわゆるニッキというやつで、中国でもあちこちで見たし、わたしも子供のころおやつ替わりにしゃぶったおぼえがある。 最後の写真は、ひょうたんみたいなものがぶら下がっているけど、はて、なんでしょう。
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2012年5月25日 (金)
わたしが知っているかぎり (またつまらないことをおぼえてといわれそうだけど)、これまでいちばん長い映画のタイトルは『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』 というもので、英語で書くと THE PERSECUTION AND ASSASSINATION OF JEAN-PAUL MARAT AS PERFORMED BY THE INMATES OF THE ASYLUM OF CHARENTON UNDER THE DIRECTION OF THE MARQUIS DE SADE となる。 このブログに書くと4行になってしまう。 ただこの映画は1967年の映画だから、その後もっと長いタイトルがあらわれたかどうかわたしは知らない。
この映画が登場するまでのタイトルホルダーが、キューブリックの『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』で、英語にすると DR. STRANGELOVE: OR HOW I LEARNED TO STOP WORRYING AND LOVE THE BOMB ということになる。
そんなことは映画ファンなら誰でも知っている。 わたしがいいたいのはタイトルの長さではなく、今日BS放映された『博士の異常な愛情』が映画史に残る傑作であるということ。 それも映画ファンなら誰でも知っていることだけど、内容は喜劇なので、こういうセンスが苦手な日本人の中にはふざけてると思う人がいるかもしれない。 そんな映画をベタ褒めすると、浮き上がってしまうおそれがあるので、ここでは作家の開高健さんも激賞していたといっておこう。
この映画ではピーター・セラーズのひとり三役がよく知られているけど、わたしがスゴイと思ったのは基地司令官を演じるスターリング・ヘイドンの発狂ぶり。 だいたいセラーズって人の演技はちょっとクサいところがあって、わたしはあまり好きじゃないんだけど、ヘイドンのそれは、慌てず騒がず、冷静なようでいて、しだいにおかしくなっていく人間を演じてじつに見事。
わたしが初めてこの映画を観たのは、三鷹オスカーっていうとっくになくなった名画専門館で、まったく予備知識なしに入ったんだけど、映画のラストシーンでいきなり画面が切り替わって、ヴェラ・リンの 「また会いましょう」 って歌が流れたとき、わたしは不覚にも涙を流してしまった。
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まだボスポラス・クルーズの船の上にいますよ。
ところでクルーズはどこまで行くのだろう。 ボスポラス海峡は黒海までつながっているから、そこまで行ってくれるとおもしろいけど、所用時間は2時間ぐらいと聞いていたから、こんなスピードじゃとても行けそうにない。 案の定、船はスルタン・メフメット大橋できびすを返した。
帰路はボスポラス海峡のアジア側にそって航行することになる。 このあたりからぼちぼち帰路の写真で、逆光になるけど、新緑が美しいのはこちら側もいっしょ。 わたしが日本をはなれたのは、今年の遅いサクラがちょうど満開になりかけたころだったけど、さて、日本はどうなっているだろう。
船は海面に群れるカモメたちをおどろかしつつ進む。 水ぎわに別荘のような建物が多く、それらの中にはこじんまりとしたプールや、船が接岸できるような設備をそなえた家もある。 豪華ヨットでちょいとそこまで買い物にという具合らしく、さすがは本場欧州のセレブの家って感じ。 岸壁で釣りをしている人もいた。 そういうのはたいてい一般庶民のようである。 持てる者と持たざる者の格差がいまいろんなところで問題になっているけど、はからざるもイスタンブールでキビシイ現実を垣間見たって感じ。 まだ日本なんて可愛いもんかもしれない。
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2012年5月24日 (木)
船に乗ったまま、移りゆく、いかにもヨーロッパ的風景をながめているのは楽しい。 2年まえのツアーではホテルで寝ていて、ボスポラス・クルーズに参加しなかったけど、その日は氷雨もようの天気だった。 今回は快晴である。 クルーズの魅力は天気によるところも大きい。 やっぱりわたしはどこかついているのである。
このあたりでも豪華なクルーザーを見た。 最近では日本の旅行会社もよく豪華客船によるクルーズなんて募集をしているけど、わたしは連絡船もどきで結構。 そんな金があったらひとつでもふたつでも、余分に海外旅行をするほうがエエ。 どうせ好んで貧乏生活をするような人生を送ってきたんだしね。
6番目の写真は、ボスポラス海峡にかかるふたつ目の橋、スルタン・メフメット大橋。 この橋の建設には日本の技術と円借款が使われていて、日本とトルコの親密な交流を物語る橋だそうである。 現在、日本の技術協力で海峡の下にトンネルも掘られているという。
7番目は、スルタン・メフメット大橋のたもとにあるルメリ・ヒサルの要塞。 このあたりはボスポラス海峡のもっともせばまったところで、古来より重要な要衝だったそうである。 城内を散策している人も見られたから、これは観光ポイントとして開放されているらしい。
8番目は、とちゅうで出会った日本の貨物船で、船名に 「さんこうみねらる」 と書いてあった。 乗り合わせた日本人の娘に、ほら、日本の船だよと教えてやると、嬉しそうである。 調子にのって、あとでお茶飲みにいかないと聞いたら、結構ですといわれてしまった。
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首をすくめてガラタ橋をくぐり抜けた船は、新市街のカバタシュという港に立ち寄った。 ここにはクルーズという言葉にふさわしい、まっ白な豪華客船が係留されていた。 こっちの船は矢切の渡しがふさわしい連絡船みたいな船で、だいぶ見劣りがするけど、なんせ料金20リラだからかなわない。
カバタシュでさらに数人の客をひろって、いよいよボスポラス・クルーズの開始。 船はヨーロッパ側の陸地にそって進むけど、山の斜面にヨーロッパの別荘ふうの風景が続き、しだいに緑が濃くなってくるのがわかる。 上から6番目の写真は、なにか赤い花が咲いている山の斜面で、イスタンブールではめずらしい緑あふれる光景である。
やがて前方にボスポラス大橋が近づいてきた。 7番目と9番目の写真がボスポラス大橋。 わたしは2年前にバスでこの橋を渡ったことがある。 通勤時間帯にはものすごく渋滞するようだけど、橋の上にまでバス専用道路、ほかの車は入れない本物の専用道路があって、通勤の人はバスを使ったほうが便利なようだ。
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2012年5月23日 (水)
クルーズが出発する場所は、フェリー埠頭と反対側のガラタ橋のたもとである。 ここを起点とすると、出港してすぐにガラタ橋をくぐることになる。 橋と船との間隔は20センチぐらいしかない。 考えてみるとこれは不思議なことである。 このあたりの海には潮の干満がないのだろうか。 あるとしたら、いくらトルコ人でも無神経すぎるくらい、たくさんの船がスピードも落とさないで、橋の下をくぐり抜けてゆく (橋にこすった跡もたくさんある)。
そのへんを考察してみると、まずガラタ橋がかかる金角湾は、黒海とマルマラ海をつなぐボスポラス海峡の一部である。 黒海は大きくてももともとせまいボスポラス海峡で封鎖された海で、マルマラ海は細いダーダネル海峡によって地中海とつながっているだけである。 さらに地中海は、大西洋とせまいジブラルタル海峡でつながっているだけだから、これでは海水も移動のしようがない。 海水が移動しなければそもそも潮の干満など起こりようがない。 イスタンブールに潮の干満が目立たないのは当然かもしれない。
クルーズ船が橋の下をくぐり抜ける映像を YouTube に上げてあるので、興味のある人はそちらも参照のこと。http://www.youtube.com/watch?v=1AcDN2RBcm8
クルーズ船は、まずはボスポラス海峡のヨーロッパ側の陸地にそって航行する。
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イスタンブールは細長いボスポラス海峡によって、ヨーロッパ側とアジア側に分かれている。 この海峡はかなりむかしからヨーロッパでも知られていたらしく、明治時代に日本にやってきた西洋人のなかには、瀬戸内海をボスポラス海峡にたとえている者がいるくらいだ。
このボスポラス海峡を船で周遊するクルーズは、イスタンブール観光の目玉である。 わたしは2年前の団体ツアーでこのクルーズに参加しそこねた (ホテルで寝ていたもんで)。 それでリベンジのつもりで、今回はこの遊覧に参加することにした。
クルーズに参加するのは簡単である。 フェリー埠頭のあるガラタ橋のたもとあたりをうろうろしていれば、兄ちゃん、船に乗らないかと客引きが声をかけてくる。 料金は20リラ。 これもどうやら公定料金らしい。 初めてでは心配だと思う人がいるかもしれない。 最初に声をかけてきた客引きについていったら、参加者はわたしひとりだったので、わたしも心配だったけど、なにも問題はなかった。 すぐに欧米人観光客で参加者はいっぱいになった。 そもそも参加者があるていど集まらないと出港しないクルーズなのである。
クルーズ船の数は多い。 わたしが乗り込んだのは午前10時半だったけど、月曜日であるにもかかわらず、前後して出港する船がたくさんいた。
参加者の顔ぶれをながめてみたら、全部で30人ぐらい乗り合わせた客のなかに、東洋人がわたしを含めて4人いた。 そのうち2人連れの娘は 「るるぶ」 なんて旅行雑誌を読んでいたから、まちがいなく日本人。 もうひとりはサングラスをしたちょっとミステリアスな美人で、あまり日本では見かけないぶ厚いガイドブックを読んでいたから、日本人ではなさそうだった。 若い女性にすぐひかれてしまうわたしは、この娘に注目していたけど、サングラスをはずすとちょっとひょうきんな顔をした娘であった。 この娘はひとり旅のようである。 ほかはすべて年令さまざまな白色人種だ。
このあとはボスポラス・クルーズの写真をながめながら、つまらないことをおしゃべりすることにしよう。
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2012年5月22日 (火)
ホテル・イギタルプの朝食もバイキングである。 けっしてわるくないバイキングだけど、いくら料理の品数が多くても、わたしみたいなベジタリアンが相手じゃ努力の甲斐がない。気のドク。
食堂はとってもきれいである。 こういうホテルに泊まると、料理の写真を撮ってよろこんでいる田舎者がかならずいる。 撮るだけなら我慢しよう。 そうしないとわたしも田舎者ということになってしまう。 我慢できないのは、そういう写真をホームページやブログに載せて、あれが美味しい、これがまずかったなんて採点をしているアホどもだ。 味覚なんて人それぞれなのだから、西洋料理、とくに肉の嫌いなわたしがやったら、トルコ料理なんてほとんどペケということになってしまう。 すべての人間が味覚のプロでもあるまいに、そんな風潮はホテルにとってもありがたいものではないだろう。
イギタルプで食堂の写真を撮っていたら、ボーイがやってきて何かいう。 てっきり上記の理由で、撮影はご遠慮下さいといってるのかと思ったけど、どうもそうではないようだ。 ボーイが指しているのは壁に掲げられていた絵で、××ミリオンユーロという言葉が聞き取れるところをみると、これは何百万円もする絵なんですよといっているらしい。 あらためて絵を観た。 ばくぜんと印刷だろうと思っていたので注意しなかったけど、イスラムの風俗を描いたひじょうに細密な具象画 (いちばん上の写真) で、なるほど、肉筆ならそのくらいの価値は十分にありそうな絵だった。 そんな絵が食堂の壁をずらりと飾っている。 イギタルプの食堂はギャラリーでもあったのだ。
きどるわけじゃないけど、わたしは絵については、少なくてもホテルのバイキング以上に興味がある。 ブルーモスク近くの公園には画家のタマゴがいて、通行人の似顔絵を描いている。 パリには行ったことがないけど、セーヌの河畔にはやはりこんな風景が見られるらしい。 ぶらぶら派のわたしには、こんな光景を見て歩くのも楽しい。
またスルタンアフメト駅から、トラムの軌道にそってほんのすこし西に歩くと、「アンティーク」 という名前のギャラリーがあって、絵や写真、文字なのかグラフィックなのかよくわからないアラビア書道の額などを売っている。 絵は好きでも買う金はないから、のぞくだけのつもりだったけど、たまたま筆でさっと仕上げたセマー (旋舞=このブログのもっとあとに出てきます) の絵に安いのがあったから、2枚ばかり旅の記念に買っておいた。 そういうものをブログに載せると、また著作権がどうのという人がいるかも。 しかし、わたしのブログのおかげで彼らが世に知られるきっかけにならんともかぎらない。 ま、硬いことはいいなさんな。
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2012年5月21日 (月)
イスタンブールの名物はたくさんある。 ただし、食べものについては、わたしには詳しい報告をする資格がない。 ベジタリアンのわたしに食べられるものは多くないから。
食べもの以外なら、名所旧跡は数えきれないし、グランドバザールやボスポラス海峡クルーズ、ベリーダンスやセマーなどという踊りも名物のうち。
ハマムなんて名物もあって、これは垢すりマッサージのこと。 2年まえのトルコ旅行では、添乗員さんからわざわざ注意があって、ハマムのマッサージ師には男性が多く、女性が行くといやな思いをすることがあります。 だからあまりお薦めしませんとのこと。 なんだ、男のマッサージ師か。 気色わるい。 それじゃ話のタネにもなりやせんなと、今回はいちども行ってみなかったから、この体験談はナシ。
イスタンブールをぶらついていて感心するのは、みんな愛想がいいということである。 お菓子屋さんや街のレストラン、ぜんぜんわたしに縁のない貴金属店や洋品店でも、店員にカメラを向けるとみんなニッコリしたりVサインを出したりする。 広場なんかで屋台を出しているおっさん、お兄さんなどは、自分の職業を卑下しているんじゃないか、カメラなんか向けたら怒り出すんじゃないかと心配したけど、そんな余計なことを考えているのはこっちだけだった。 じつにだれもかれも気持ちいいくらい愛想がよい。 そのへんで見かけたネコでさえ、日本のものより人なつっこい。
街を歩いていたら白バイに2人乗りした警察官がいた。 警察官がにたにたしていたのでは抑えがきかないから、これは愛想がわるいにちがいないと思ったら、やはり愛想がよかった。 市役所のわきを歩いていたら、自動小銃 (本物) をかまえたガードマンがいた。 いくらなんでもこういうのは微笑まないだろうと思ったら、やっぱりニッコリした。 観光立国としての教育が行き届いているのだろうか。 トルコ人には、スペインやポルトガルのような陽気なラテン系の血がまじっているようである。
例外は女の子だ。 イスラム圏でナンパはまずいだろうと、こちらもあまり女性を相手にしなかったせいもあるけど、とっても米国みたいに、見知らぬ同士がハーイなんて調子じゃない。 例のぞろりとしたイスラム・ファッションの女性たちにいたっては、とりつくシマもないという感じ。 いちばん下の写真は母娘みたいだけど、あっ、わたしたちを撮ってるわよ、シカト、シカトって感じです。 中国ではすっごくモテたわたしも、かたなしだ。
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金環日食を見ました。 ちゃんと起きていましたからね。 ただ、メガネがないので、テレビで実況中継されているものを見ました。 ずるい? 鹿児島じゃ雲にかくれて見えませんだって。 そういうこともあるし、やっぱりテレビの中継のほうがまちがいないから。 写真はNHKテレビのものです。 ずるい? おおきなお世話だ。 熊本のKさんは今回もちゃんと撮っていたかしら。
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2012年5月20日 (日)
日曜日だしな。 どこへ行っても混雑してるだろうしな。 そんなわけでどこかへ行くのもおっくうになって、ホテルにもどり、ベッドの上でパソコンを打ったり文庫本を読んだり、これが優雅というやつさとうそぶいていたけど、やっぱりわたしにもせっかちな日本人の血がすこしは流れているのか、だんだん退屈してきた。 そのうちホテルから遠くないところにグランド・バザールがあることを思い出した。 で、ヒマつぶしにひやかしに行ってみることにした。
どうせヒマつぶしなので、ホテルからぶらぶらと歩く。 するといつのまにかイスタンブール大学のあたりをさまよっていた。 まわりに学生らしい若者がたくさん往来していて、イスラムの戒律おかまいなしって感じで、男女が平気でべらべらおしゃべりしている。 このあたりは米国や日本のキャンパスとあまり変わらない。 そのへんで気がついたけど、トルコ人の風貌の特徴のひとつに、顔の下半分が黒いヒゲだらけというのがある。 具体的にいうと、イランのアフマディネジャド大統領の顔だ。 ああいうのは年配者かと思ったら、20前後の大学生にもそういう顔がけっこういた。
大学の門のまえに婦人警官が立っていた。 スイマセン、グランバザはこっちでいいですかと訊いてみた。 どうしてもイスラムの戒律がちらちらしてしまうので、わたしがトルコで女性にものを尋ねたのは、これが最初で最後である。 彼女はほかのトルコ人同様、なかなか親切で、ここをこうしてああしてと丁寧に教えてくれたけど、わたしがぜんぜん英語を解さないことがわかると、アッチといって通りの先を指さした。 トルコの女の人も親切であることだけはわかった。
そのうちにトラムのベヤズット駅のわきに出てしまった。 じつはグランド・バザールに行くのは、この駅のそばの門から入るのがいちばん便利なのである。 ところが門は閉まっていた。 訊いてみたら日曜日は休みなんだそうだ。 オイオイ。 日本じゃ日曜日に休みのショッピングセンターなんて聞いたことがない。
仕方ないので、ベヤズット駅のまん前にあるバイエズィド・ジャーミー (舌を噛みそうだ) のあたりをぶらぶらする。 おかげで偶然見つけたんだけど、このモスクのわきには古本屋が店を出していた。 ガイドブックに古本屋街と書かれていることもあるけど、そんなだいそれたところじゃない。 路地の奥に数軒の本屋がならんでいるていど。
いくら読書家のわたしでもトルコの本は読むことはできないから、本屋を横目でながめながらモスクの裏庭へ抜けたら、そこでは骨董市が開かれていて、大勢の人々が集まっていた。 骨董市というより、ガラクタ市といったほうがいいかもしれない。 売られているのは、壊れたケータイ、電池切れの電卓、安いボールペンだとか、手作りのペンダント、コインやキーホルダーなど、わたしの部屋の机のなかに入れっぱなしになっているガラクタみたいなものばかり。
どれどれと手にとって吟味したくなるようなものはほとんどないけど、たまたま古そうな燭台と天秤量りを売っているおっさんがいた。 これはおもしろかったけど、日本に持って帰るのはがさばって大変そうなので、買うわけにはいかない。
いちばん最後の写真は、古本屋に展示してあった・・・・・ これはなんだろう。 ショーウインドウの中に飾ってあって、一見貴重なもののようだけど。
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金環日食だそうだ。 これとはべつに皆既日食というものもある。 金環日食は太陽と月が重なって、そのとき太陽のほうが月よりもわずかに大きく見える位置にあるから、月の向こう側に太陽の外縁がのぞいて見える現象で、皆既日食の場合は月のほうが大きい位置にあるから、完全に太陽をかくしてしまう現象だ。
現在の地球は、金環日食と皆既日食の両方が見られる。 なんで両方が見えるかというと、地球と月の距離が一定ではないからだ。 たまたま地球と月の距離が近いとき日食が起きれば、皆既日食になるし、地球と月の距離が遠ければ金環日食になる。 アイザック・アシモフの本に、これはとっても貴重なことだとあった。 長い年月のあいだに月はゆっくりと地球から遠ざかっており、やがて地球では金環日食しか見られなくなるそうである。 さらにいくと、金環というより蛇の目みたいな日食になってしまうはず。 それはおもしろい。うんと長生きして、その蛇の目日食を見よう。 と考えてもダメである。 長い年月というのは天文学的年月なので、それまで人類がこの地球上に存在しているかどうかもわからないのだ。
だから金環と皆既の両方が見られるわたしたちは、とっても幸運な時代に生まれついたのだそうだ。 ナルホドと喜んでも、とりあえず何か御利益があるわけじゃない。 カルト宗教のメシの種にされるのがせいぜいだから、気をつけること。 そんなん、ただの偶然じゃんと、そう、それでいいのである。
いちばん最近の皆既日食は09年7月22日で、それについてはこのブログでも書いたおぼえがあるから、ちょいと読み返してみたら、その日のその時刻にわたしは部屋で寝ていた。 めずらしい天文現象でも、わたしの怠惰を断ち切るほどの魅力はなかったようだ。 今度の金環日食は月曜日の朝の7時半ごろだから、かろうじてわたしの起きている時間帯かもしれない。 どうしようかねえ。
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2012年5月19日 (土)
空港でリコンファームもすませたし、物産展ものぞき、洗濯物も出してきた。 とっくに昼食の時間はすぎていたので、どこかでメシを食おうと思い、そういえばホテルの近くにおもしろそうなレストランがあることを思い出した。
空港からもどってきて、アクサライの駅からホテルに向かって歩いているとき、右側の路地の奥にバザールという文字が見えた。 はてね、こんなところにも市場があるのかいと、ちょっと寄り道をしてみたら、これはバザールといっても普通名詞ではなく、固有名詞、つまりショッピングセンターの名前のようだった。 トンネルのような通路があり、ずけずけ入っていくと、その奥にブティックやレストランがならんでいて、このレストランの雰囲気がなかなかよかったのである。
どんなふうによかったかということは、わたしの文章より写真のほうがわかりやすい。 よくイタリア映画なんかに出てくるけど、建物の中庭みたいな場所にあって、まわりは回廊でかこまれているレストランだ。 こんなところで優雅にワインでも飲み、のんびりと本でも読めば (美女でもはべらせればもっといいけれど、現地で調達できなかった)、わたしもいっぱしの映画スターだ。 わたしってけっこうミーハーなのである。 で、昼食はここでとることにした。
いろいろ案件をかたづけてのどが渇いていたので、ビールを注文した。 メニューの中から、とりあえず野菜サラダを頼んだ。 すると、頼んでもない30センチもあるような大きなパンがついてきた。 このパンはラヴァーシュというらしいけど、前夜のレストランでもついてきたもので、ようするに料理のおまけみたいなもの。 見た目は巨大でも、穴をあけるとプシューッと空気が抜けてペシャンコになってしまうパンである。 いちばん下の写真にそのパンが写っているけど、すでに空気が抜けたあと。 まだ空気の抜けるまえのパンの写真は、このブログのもっとあとで出てきます。
このパンは温かいうちに食べるとひじょうに美味しい。 こいつをちぎっては食べ、食べてはちぎっているうち、わたしの胃袋はこれだけで一杯になってしまった。 で、けっきょく注文したのは野菜サラダとビールだけ。 店の主人にしてみれば、金持ちの日本人かと思ったものが、とんだ貧乏神だったわけだ。
すこし離れた席で3人連れの女性がおしゃべりをしていた。 スカーフをまとっているからイスラム教徒だけど、昼間っからレストランで食事をしているこの女たちは何者だろう。 またわたしの推理癖が頭を持ち上げそうだったけど、モデルというほど美しくもないし、有閑マダムというほど金持ちにも見えない。 どうみても、うちの亭主が、うちの嫁はんが、うちのガキがと、ぐちをこぼしあっているそのへんのおかみさんたちである。 これじゃあ推理する気にもなれない。
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2012年5月18日 (金)
わたしの紀行記には 「ぶらぶら」 とか 「のんびり」 という単語がたくさん出てくる。 午後になるとひと眠りという記述もある。 だらしない旅だけど、それがわたしの旅のスタイルなのだ。 きちょうめんな予定を組んで、せっかちに見てまわるのはわたしの性格に合わない。
トルコ在住の日本人女性のブログを読んでみたら、トルコ人はバカンスでも、どこかの貸し別荘にいすわって、のんびりゆったり過ごすほうを好むとあった。 これはわたしのやり方に近い。 わたしの旅は時間をフルに使って観てまわることではなく、思索のきっかけを求める旅なのだ。 そして思索というものは、ホテルでごろごろしているときがいちばんはかどるものなのである。 あまりいいたくないけど、もうトシで、とっても強行軍の旅はできそうもないってこともある。
しかし、のんびり歩いていても危険はいたるところにあるのである。 イスタンブールにはビルの半地下になった商店が多くて、歩道のまん中あたりからもう階段が始まっているところがある。 そんな店がホテル・イギタルプのあるアクサライの周辺にはとくに多いような気がする。 よそ見をしていると、階段でつまづいて店の中までまっさかさまということになりかねない。 写真を見てわかるとおり、歩道の上からもうカーペットを敷いて、歩道もうちの領分だぞって主張している店もある。
歩道の敷石が波打っているところもあり、街を歩くのに危険がいっぱいだ。 最初に泊まったホテル・アルバトロスのあたりには、みごとな石畳の、古そうな道路がたくさんあって、しかもこちらは車が走ってもびくともしてないから、道路の舗装に関してはむかしの職人のほうが腕がよかったようだ。
またホテル・イギタルプのあたりには、なぜか露店の行商が多い。 売っているのは時計だとか皮製品だとか、たぶんインチキ商品じゃないかと思えるものがほとんどで、しかも売っているのは本来のトルコ人ではない異邦人である場合が多い。 ガイドブックに、このあたりは治安がよくないと書かれることがあるのは、彼らのせいかもしれない。 下の写真はただのスイカ屋さん、さらに下はザクロ屋さんですけど。
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こうやってながめると東洋系の顔も多い。 アジアの参加国でインドネシアが目についた。 じつは世界最大のイスラム国家はインドネシアである。 この国は民主主義を信奉する世俗主義の国だけど、数字だけを取り上げれば、イスラム教信者の数が世界一なのである。 そんなことはたいていの人が知っていると思うけど、わたしの知り合いの中には、知らない、というよりそんなことに興味ももってない輩が多いから、あえて書く。 イスラム発祥の中東の国々は、たいていが砂漠の国なので、生存条件がきびしく、とても多くの人口を養えないけど、東洋人は繁殖能力が強いこともあって、信者の数からいったらとてもインドネシアにはかなわないということらしい。
わたしは以前、インドネシアをあつかったテレビ番組を観たことがある。 そこではスカーフで頭をおおった女の子が、ほかの宗教の人も尊敬していますなんて発言していた。 そんなおおらかで明るいこの国の女性たちを見ていると、あまり厳格な規律にしばられているようでもなく、これこそイスラム国家のあるべき姿ではないかと思ってしまう。 爆弾を投げたり自爆なんかして喜ぶより、なぜ他の宗教を尊敬し、共存しようという気になれないのだろう。
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話が前後するけど、ズボンを前のホテルに忘れてきて、それを引き取りにアルバトロスまで往復したときのこと、ついでにブルーモスクのわきで開かれていた白いテントの催し物を見物してきた。 これはイスタンブールに到着した翌日から、いったい何をしてるんだろうと気になっていたものである。
看板やのぼりに書かれた文字の意味なんかわかるわけがないけど、どうやら世界各地のイスラム国家による物産展のようなものらしかった。 街にやけにイスラム教徒の数が多いなと思ったのは、この催し物のせいらしい。 それともなにかイスラムの祭典があって、それにあわせて物産展が開かれたのかもしれない。
物産展は日本のデパートなんかでもよくやっているものと同じだ。 イスラムは世界の3大宗教というだけあって、参加している国がさまざまなのがおもしろい。 中東だけではなく、アジア、アフリカからの参加があり、カザフ、キルギス、トルクメニスタン、わたしのあこがれる青の都サマルカンドのあるウズベキスタンなど、シルクロード沿線の国家からの参加も多い。
どのテントでも説明係りは、それぞれの国家のアイデンティティを誇るべく、その国の民族服で飾りたてている。 イスラムでは女性は家はおとなしくしているものという戒律があって、ひきこもりを強制された女たちは衣装に手間をかけることになるのかどうか、彼女たちは衣装にじゃらじゃらとアクセサリーをつけるのが好きだから、そのファッションはひじょうに華麗なものである。 わたしにとってありがたいのは、イスラムの女性はカタブツが多くてなかなか写真を撮れないんだけど、ここではおおっぴらであることだ。
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2012年5月17日 (木)
わたしは写真を撮るのが趣味で、しかも美しい女性の写真を撮るのが大好きで、海外に行ってもそんなチャンスがあれば、恥や外聞は忘れて、可能なかぎりチャレンジすることにしている。 しかしトルコの場合はちと条件がちがう。 なにしろ相手は男女7歳にして席を同じうせずのイスラム国だ。 どうもこの条件が脳裏にちらついて、道ですてきな美人を見かけても、おいそれと声をかけられない。 相手のほうも、これっぽっちも肌を見せない完全ガードで、あたしは身持ちが固いんです、近寄らないで下さいっていうオーラを発揮しているみたいで、近寄りがたいのである。
そういう国だけど、さすがに小さな子供は無防備だ。 幼児はスカーフで頭を隠してないから、けっこう金髪、もしくは茶髪の子が多いことに気がつく。 子供が金髪なら母親もそうかと、かたわらの母親を見ると、こちらはもう完全防備だ。 3番目の写真がいい例だけど、いったい母親の髪の毛は何色なのだ。
スカーフで頭を覆っている女性は、スカーフの下にさらに帽子のようなものをかぶっていて、髪の生えぎわまでぜんぜん見えないことが多い。 4番目の写真は前に紹介したアルマーニのポスターだけど、この女性を見ればスカーフの下にさらに帽子をかぶっていることがよくわかる。 なにもそこまでやらなくってもといいたくなってしまう。
トルコ人というと、ロマ (ジプシー) のイメージから、ついわたしは黒髪を連想してしまうんだけど、じっさいには黒髪ばかりじゃない。 スカーフを脱ぎ捨てれば、じつは5番目の女性たちのように、トルコの女性は茶髪、もしくは金髪であることも多いと思われる (写真がうしろ姿ばかりなのは前から撮りにくいからなのだ)。
女性の美の探求に熱心なわたしは、こんなふうにしょっちゅう人の思いつかない発想をしているのである(?)。
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イスタンブールのトラム (路面電車) に乗っていると、つくづくこの国は自己責任の国だなと思ってしまう。 ギュルハーネ駅からスィルケジ駅にかけては、トラムはせまい通りを、それこそ商店やレストランの軒下すれすれに走っていく。 トラムの窓から歩行者の肩をたたけるといっても、ぜんぜんオーバーじゃない。 これじゃ年に数人は、不注意な人間がトラムと接触事故を起こしてるんじゃないか。 日本だったらすぐ、危険だ、政治家はなにをやってるんだ、どうしてこんなせまいところにトラムなんか作ったんだと大騒ぎになる。 しかしトルコの政治家なら、たぶんこういうだろう。 トラムは毎日同じところを走っている。 注意しないのは注意しないほうがわるい。 子供が轢かれれば、子供にちゃんと注意をしこまなかった親がわるい。
こういう考えは世界の主流であると思われる。 日本の常識は世界の非常識なのだ。 なんでもかんでも行政におまかせで、何かあったら責任追及だ、補償だ、弁償だ。 いくら国民のための行政でも、まだ起こってない事故にまで備えていたら、その費用は甚大なものになり、税金がいくらあっても足りやしない。
これが強権的な社会主義の国なら簡単だ。 そこどけってわけで、住民を強制的にどこかへかたづけて、広々とした場所を確保してからトラムを作るだろう (いまの中国みたく)。 トルコはいちおう民主主義の国であるから、住民をかたづけるわけにもいかず、そうかといって名所旧跡からはなれた郊外に路線を作ったのでは、なんのためのトラムかわからない。 ここはやっぱり自己責任が妥当であると思われる。
トラムと車と人間が混然一体となったギュルハーネ駅あたりの、いかにもヨーロッパ的光景がおもしろいので、写真撮影に行ってみた。 ながめているとトルコ人は、トラムの直前を平然と横断する人種であることがよくわかる。 いちばん下の写真なんか、トラムの軌道上で荷下ろしを始めちゃった車だ。 こういう人種が相手じゃトラムもたまらない。
トラムの中から撮影したこのあたりの動画をYouTubeに載せてあるから、興味のある人はどーぞ。http://www.youtube.com/watch?v=iHHTQ1D-yzA&feature=relmfu
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2012年5月16日 (水)
空港からホテルにもどってきて、今度は洗濯屋に行くことにした。 ホテルに泊まっていて洗濯ものを出したいときは、備え付けの袋に入れて部屋のまえに出しておけばよい。 しかしこれだと手数料をとられ、しかも中国なんかではぜったい確実の保証がない。 それでわたしは外国へ行くと、自分で洗濯屋を探して、ちょくせつそこへ持ち込んでしまうことにしている。
そのつもりだったけど、気がついたら洗濯に出すつもりのズボンが見つからなかった。 どうやら前のホテルに忘れてきたらしい。 そこでひとっ走り、アルバトロスまで往復することにした。 こういうときイスタンブルカルトのありがたさがよくわかる。 アクサライからスルタンアフメト駅まで、あいだに駅が3つか4つあるだけだ。
もうトラムにも乗り馴れているから、ほいほいとズボンを取り戻してきて、そのあと近所を探しまわってランドリーはすぐ見つかった。 こういう店でも仕事をしているのはほとんど男で、たとえ受付といえども女性は応対に出てこないようである。 さすがはイスラムの国だけど、店内のようすは日本の洗濯屋とほぼいっしょ。
ズボンとシャツを出す。 白いヒゲの、洗濯屋らしからぬ職人タイプの男性が出てきた。 いかにも偏屈そうで、そういう点ではわたしもたじたじ。 でもまあ、わたしはぶっきらぼうな応対というのがキライではない。 洗濯ものはこの日の夕方までに出来上がるという話だったけど、無理して今日中に受け取る必要もないので、はあはあと了解しておく。
洗濯屋からもどるとちゅう、チャドル姿のイスラムの人妻からもの乞いをされてしまった。 小さな子供を連れていて、この子のためにいくらかをといっているらしい。 もの乞いはトルコという国の影の部分かもしれないけど、外国では貧乏だからではなく、職業としてこれをやっている人もいる場合があるから、いちがいに福祉政策に難をいうわけにもいかない。 ここでもホテルのボーイに硬貨をみんなやってしまったことを後悔した。
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アタチュルク国際空港は、この旅で最初に到着した空港である。 わざわざ空港まで行ってリコンファームをする人はあまりいないと思うけど、空港を下見しておくとなにかと便利なものだ。
メトロから地上に出るとそこは到着ロビーで、トルコ航空のカウンターはありそうになかったから、エスカレーターでさらにひとつ上の階に行ってみた。 カウンターはあったけど、数人の客が並んでいた。 ほんの4、5人なのにいつになっても列が進まない。 しびれを切らして、やっぱり電話ですませるかと思う。 わざわざ空港まで行って、しかもそこから電話でリコンファームをしようという人はますますいないと思うけど、このさい仕方ないではないか。
電話をしようにも硬貨がひとつもない。 ホテルでボーイに硬貨をみんなやってしまったのが悔やまれる。 電話ぐらいカードかなにかでOKなのかもしれないけど、わたしはトルコの電話に詳しくないから、とにかく硬貨がないとはじまらないのである。
お金をくずそうとフロアをうろうろしていたら、べつの場所にもトルコ航空のカウンターがあった。 ここで聞いてみたら、OKということで、リコンファームは簡単にすんだ。 馬鹿馬鹿しいという人がいるかもしれないけど、リコンファームを最初から電話ですませて、帰国日はぶっつけ本番だったら、また渋滞のカウンターに並んでいたかもしれないから、やっぱり下見はしておいてよかったと思う。
リコンファームが無事にすんで、懸案のひとつが片付いて、しかも帰りのメトロでは天候も回復のきざし。 車窓からながめる新緑の木々の若葉が風にゆれていた。 ここはイスタンブール、あこがれのトルコの大地。 またそう叫んでしまう。
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2012年5月15日 (火)
ホテル・イギタルプに落ちついたあと、すぐにアタチュルク国際空港へ出かけた。 この日は日曜日なのでどこも混雑しているだろう。 今日はひとつ観光以外の目的に使おうと、わたしも余裕である。 空港に行かねばならない理由もあって、じつは今回の旅ではリコンファーム (帰路の飛行機の予約確認) が必要ですといわれた。 電話で不慣れな英語を使って、なにかソゴがあっては困るから、空港まで行って、リコンファームと同時に空港がどんなところなのか確認しておこうと思ったのである。 空港までは、後学のためにメトロを使うことにした。 もちろんイスタンブルカルトは地下鉄でも使えるのである。
ホテルからメトロの駅まで、2回ほど道を尋ねながらぶらぶら。 このあたりにもモスクがある。 露店が出ていたりする。 靴みがきも店を出していた。 イスタンブールの靴みがきは、金ピカの、一見豪華そうなみがき台を置いて商売している。 靴をみがくのにどうして金ピカが必要なのか考えこんでしまったけど、わたしの靴は布製のトレッキング・シューズだから、試しにみがいてみるわけにはいかない。
とちゅう、これこそ地下鉄という感じの地下通路の入口があった。 入ってみたら、ただの地下商店街だった。 日本のJRのように、3カ国語くらいで表示しておくべきではないのかとぼやく。
そんな苦心さんたんの末に、そのわりには15分ほど歩いただけで、ようやくメトロの駅にたどりついた。 ちゃんとエスカレーターも動いていた。 ホームに立ってどっち方向が空港かと迷ったが、考えてみたらアクサラムは始発駅で、終点が空港だった。
列車がきた。 始発駅だから空席があったけど、女性のとなりに座っちゃまずいだろうと、わたしはまだイスラムの原理主義にこだわっている。 わたしがちゅうちょしているあいだに、きれいな女性のすぐ前の席はどこかのおじさんに座られてしまった。 こちらの人はイスラムだろうがヘチマだろうが、あまり気にしてないようだ。
乗り込んだメトロの中に東洋人のような顔をしたお姉さんが2人いて、そのうちのひとりが、おや、この人も同類かしらという感じで、わたしを意識したようなそぶりをみせる。 しかし日本人ではなさそうだった。 旅行者にしてはラフなスタイルだからトルコ人らしいけど、しいていえば中国人のようである。 イスタンブールではわたしも何度か、日本人ですかと訊かれるまえに中国人ですかと訊かれたことがあるくらいだから、ここで中国人に遇っても不思議じゃないけど、いったいこの女は何者だろう。
ハードボイルド小説の私立探偵のように、そんなことを考えているうち空港に着いてしまった。 思索に富む人はなかなか退屈しないものである。 メトロといってもほとんどは地上を走り、所用時間は30分ていど。 窓から見える景色は、郊外の住宅群、工場、大規模スーパーなど、つまらないところばかりだ。
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イスタンブールの4日目(日曜日)は、朝からまずホテルの引っ越しだ。 わたしは日本で3晩づつ、ふたつのホテルを予約したのである。 つぎのホテルは、アクサライというトラム駅から近い「イギタルプ」である。
タクシーで乗りつけてみたら、イギタルプはビルの谷間のビジネスホテルのような建物だった。 まわりの景色はつまらないけど、ホテルの内部はきれいで、なにも問題はない。 フロントで予約確認書を見せると、ここでもふたつ返事で、ロシア人みたいなお姉さん (おばさん?) が、××さーんとわたしの名前をいう。 ボスポラス海峡のクルーズはいかがですか、どこそこの観光はどうですかと訊くから、わたしはすでにあちこちを自由に歩きまわってるんだという意味で、イスタンブルカルトを見せると、あらあ、あははと笑った。 まだ朝の11時まえだったからチェックインは無理かなと思っていたけど、すぐに部屋に入れた。
このあとの光景は映画などでよく見かけるとおり。 お姉さんがカウンター上のベルをチン!と鳴らすと、ボーイが飛んできて、わたしの荷物を持ってこちらへどうぞとエレベーターに案内する。 わたしの部屋はエレベーターを2階で下りてすぐ左の、001号室だった。 これくらいなら階段のほうが早い場合もある。
ボーイは部屋まで荷物を運んでくれて、すぐに出ていかない。 これはひょっとするとチップを待っているのではないか。 わたしは原則としてトルコではチップを払わない主義だけど、荷物を運んでもらった手前、やはりいくらか払うべきではないか。 払うとしたら、トルコのチップの相場はいくらくらいだろう。 たしかポケットに硬貨が何枚かあるはずだが、1リラ (47円) じゃケチと思われやしないか。 どうしよう、どうしようと、これらをコンピューター並みの速度で思案し、思案してもわからないものはわからないから、えい、めんどくさい、持ってけ、ドロボーってことで、ポケットにあった硬貨をみんなやってしまった。 ボーイはサンキューといって、部屋のエアコンの説明をはじめた。 部屋からすぐに出ていかないのはそれが理由だったようだ。
イスタンブールに到着した007は、最初に部屋のなかを点検して、盗聴マイクを発見するけれど、あれは冷戦時代の話である。 平和な現代にそんなものはありそうにない。 それでもわたしは、ボーイが出ていったあと、もったいぶっていちおう部屋を点検する。 アルバトロスは古風な鍵だったけど、イギタルプの部屋のドアは最新式のカード型キーである。 風呂場をのぞくと、小さいながらもバスタブがついていて、どっぷりつかるわけにはいかないが、湯船に腰をおろして洗濯をするには便利。 冷蔵庫もあって、ジュースやコーラ、酒のミニボトルなどが最初から入っていた。 窓からの景色はロクなもんじゃない。
とにかくイスタンブールにはホテルが多い。 ありきたりの旅ではおもしろくないと考えているアナタ。 ガイドブックで紹介されているホテルなんかを参考にせず、(日本で予約するにしても) 行き当たりバッタリで見ず知らずのホテルを予約してみることだ。 へたすると散々なホテルに当たるかもしれないけど、それこそユニークな体験になることは間違いない。 トルコの安ホテルでは、トイレの便がわるく、水が流れないので、始末した紙はかたわらの容器に捨てるなんてところもあるらしい。 そんなトイレが現代の日本にあるだろうか。 そんなホテルに泊まったあなたは、ひじょうに珍しい体験をしたことになる。 そう思えるようになれば、あなたも立派な国際人 (コスモポリタン) だ。 どこへ行っても日本と同じ待遇を要求する人と、世界にはさまざまな人のさまざまな生活があるのだと理解できる人の、いったいどちらが国際人といえるだろう。
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2012年5月14日 (月)
イスタンブールのタクシーは黄色く塗られているからすぐわかる。 いちばん多いのはイタリアはフィアット社の車で、日本でいうとトヨタのヴィッツやニッサンのマーチ・サイズのコンパクト・カーがほとんど。 その他の車もたまに見かける。 たとえばヒュンダイなんて車もあったけど、日本の車は見なかった。 4番目の写真はいくらか大きめのバンタイプのタクシーで、いちばん下はドルムシュとよばれる乗合タクシー。
料金はふつうのタクシーで、初乗りは3リラ (130円) もしない。 メーターが上がるのはあちらのほうが早いそうだから、一概にはいえないけど、日本よりだいぶ安いことだけは間違いないようである。 わたしは外国でタクシーを利用するとき、あまり料金を気にしない。 理由は、日本よりタクシー代が高いところはほとんどないし、外国の場合、2.7だとか5.4だとか、端数の出るところが多くて、下車時にいちいち計算なんかしちゃいられないからである。 そろそろ認知症だかんね、わたしゃ。
タクシーというと、外国から来た旅行者は、ボラれるんじゃないかと心配をするものの代表だ。 しかし、トルコではわりあい行政のしつけがいいようで、少なくてもわたしが乗ったタクシーには問題がなかった。 ガイドブックなどに不良タクシーに注意せよと書かれたものもあるけど、東南アジアの途上国や、一部先進国に比べれば、トルコのタクシーはかなりマシなほうだと思う。
ここでトルコの治安についてひとこといっておくけど、どんな国でも、たとえば日本でさえ、旅行者が強盗にあったり交通事故に遭遇することが、絶対にないとはいえない。 旅行のガイドブックにはそういう注意や体験がかならず書かれている。 だからといって警戒しすぎるのもどうだろう。 わたしはトルコに2回しか行ったことがないけど、雰囲気としては治安はかなりいいほうだし、比較論でいうならば、世界にはトルコより危険な国のほうが圧倒的に多いと断言してもいいと思う。
わたしがイスタンブールでタクシーを利用したのは2回で、最初は空港からホテル・アルバトロスまで。 空港から市内までというのは妥当なところで、運転手も気をわるくすることはないだろう。 2度目に乗ったのは、アルバトロスから、つぎに予約したホテル・イギタルプまで。 このふたつのホテルはトラムの駅にしてほんの4つしか離れていない。 トラムの駅で4つというのは徒歩でも歩けない距離ではない。 こういう場合はタクシーはあまりいい顔をしないものである。 ましてホテルの前でつけ待ちをしているタクシーにおいておや。
アルバトロスの前にはいつも数台のタクシーがたむろしている。 手近のタクシーをつかまえてイギタルプの名前と住所を印刷した紙を見せると、運転手はあごをしゃくって、いちばん先頭の車をさした。 いちばん先頭のタクシーもいい顔をしなかったけど、それでも乗車拒否はしなかった。 このあたりは観光立国トルコの、観光客は神さまですという交通行政のなせるわざかも。 ただ、やけに飛ばしたのは、やっぱり腹の中ではおもしろくなかったのかもしれない。 こちらとしては、そういうことはよく承知しているから、助手席であまり居心地がよくなかった。
たいした距離でもないのに、運転手はイギタルプの近くで、べつのタクシーに道を訊いていた。 トルコのタクシー事情はよくわからないけど、イスタンブールにホテルが多すぎることは事実だ。
イギタルプの近くで、わたしはローマ時代の建造物のような古い水道橋があるのを見た。
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雨のなか、ほうほうの体でホテルにもどり、部屋でひと眠りしたあと、夜になって夕食をとるために外出する。 まだ雨はやんでないから傘をさして出かけた。
トルコには 「ロカンタ」 という大衆食堂がある。 店内にずらりと料理が並んでいて、コレちょうだいといえばいい。 エラそうなことをいってるが、今回の旅ではロカンタにはいちども入ってみなかった。 カドゥキョイで雨宿りした食堂は、ロカンタといえなくもないけど、並んでいるのはムール貝と、目の前で揚げていた串カツみたいなものだけだった。
べつにロカンタを敬遠したわけじゃなく、たまたま入る機会が、いや、機会はあったんだけど、混雑している店は迷惑だ、すいている店はまずいんだろうと、へ理屈をこねて行きそびれた。
この晩もわたしにふさわしい店を探して、スルタンアフメト駅のあたりをうろうろ。 イスタンブールにレストランは多い。 路地をのぞくと、女の子が喜びそうなオープンカフェ形式のカッコいい店がたくさんある。 あまりカッコいい店は入りにくいから、なかなか決められない。 たまたまあるレストランに海鮮料理という札が出ていた。 海鮮の好きなわたしが立ち止まったら、店内から支配人みたいなおっさんが飛び出してきて、たちまち店のなかへ引っ張り込まれてしまった。 どうせ食事をするつもりだったのだから、まあいいかとテーブルに座る。
このレストランはスルタンアフメット地区にある某ホテルの1階にある。 こじんまりとしているけど、天井まで壁画で飾られ、豪華なシャンデリアがぶら下がって、ベルサイユ宮殿のようなデラックスな店である。 いくら高くてもひとりで1万円ということはないだろうとヤケクソになって、とりあえずメニューを持ってきてもらう。 わたしは肉がキライだから、メニューの中にベジタリアン・ピザというものを見つけたときは嬉しかった。 ほかになにかの盛り合わせ、そしてワインを頼んだ。 イスタンブールのレストランで優雅にワインを飲むというわたしの夢が、まさに実現した瞬間だ。
なにかの盛り合わせが出てきた。 メニューに写真が載っていたから、酒のつまみのつもりで頼んだんだけど、なに、コレ。 チーズの切れっぱし、すりつぶしたトマト (らしきもの)、ピクルスの断片、そのほか得体のしれない “なにか” の盛り合わせだ。 和食に親しんでン10年だぞ、わたしゃ。 しかもそれをナイフとフォークで食べろというのだ。 おたおたしているうち、赤いペースト状のものをズボンに落としてしまった。 誰も見てないのを確認して、紙ナプキンでこっそりふき取る。 ピザはただのトマトピザだったけど、ハーフサイズのわたしの胃袋にダブルサイズのピザである。
支配人が寄ってきて美味しいですかと訊く。 まずいともいえないから、トルコ人にはとても理解できまいと思える日本人特有のあいまいな微笑みを浮かべる。 ワインを2杯飲んで、これで勘定は80リラ (3600円) だ。 なんだ、高くない、日本とたいして変わらないじゃないかという人がいるかもしれない。 しかしここはトルコだ。 タクシーや公共料金は日本の半分ていどの国なのだぞ。 くそっ、日本に帰ったらブログに書いてやる! と、腹の中でいきまく。
帰りにブルーモスクをのぞいてみた。 ブルーモスクは寺院なので、建物のなかはともかく、庭にはいつでも入れるのである。
時刻は夜の8時過ぎで、さすがにモスクの中はがらんとしていた。 夜間の照明と、それが水たまりに反射して、ブルーモスクは昼間にもまして荘厳だった。 どこかの無神論者が迷いこんできても、これならただちにイスラムに帰依しようって気になるかもしれない。
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2012年5月13日 (日)
ちょっと肌寒いけど、天気は快晴。 ぶらぶらと森の中を歩いていると、さわやかな風につつまれるよう。 上の写真は野川公園内にある自然観察園で撮ったものだけど、身近にこんな逍遥にふさわしい場所があるってことは幸せなことだ。
野川のほとりじゃ釣り人が数人。 ナニが釣れますかと尋ねる先に、たちまち小魚を釣り上げた。 クチボソだそうだ。 釣り人のいう魚名と学名はしばしばくいちがう。 クチボソの学名はモツゴだそうだ。 そんなことはどうでもいいけど、いいのか、公共の公園で魚釣りなんかして。 ま、いいか。 元気な後期高齢者たちにとって、金のかからないささやかな楽しみなんだから。
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2012年5月12日 (土)
カドゥキョイの市場を見て歩いているうち、おそれていた雨が降り出した。 降らないほうに賭けていたわたしは傘を持っていなかったから、雨宿りをかねて、そのへんの食堂の店頭にならべられたテーブルに坐る。 雨がふるとキャンバス製のひさしをテーブルの上に張り出すから、ここならぬれる心配がない。 通りに面しているから、店の中と通行人の両方をながめられるので、ヒマつぶしもいい。
ただで坐るわけにもいかないから、目の前に積まれていたムール貝を食べてみることにした。 ほんとうは生牡蠣でもあればよかったけど、簡単に食べられるものとしてはムール貝が手っ取り早かったのである。 ムール貝は炒めて味付けしてあり、レモンをしぼって食べる。 わたしは魚や貝が好きだから、これはとても美味しかった。
ムール貝を肴にビールを飲みながら、ぼんやりとまわりをながめる。 店ではおやじさんがひと口カツみたいなものを揚げている。 人気のある食べものらしく、買いにくる人がひきも切らないが、わたしは揚げものがニガ手なので、ながめるだけである。 そこへ高校生ぐらいの娘が飛び込んできて、ムール貝を3つ4つ立ち食いしたあと、また風のように飛び去っていった。 この食堂は日本や米国のマクドナルドに相当するものであるらしい。
いちばん最後の写真は、雨にうたれながら、わたしのすぐ近くでケータイをかけまくっていた女のヒト。 わたしとなんの関係もないんだけど、わたしの前を行ったり来たり。 はからずもトルコ人と日本人、イスラム教徒と仏教徒、いずれも女の子はケータイが大好きという、どうでもいい真理に思いあたったのでありました。
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2012年5月11日 (金)
2012年5月10日 (木)
ハイダルパシャからカドゥキョイのフェリー埠頭まで、だらだらぶらぶらともどる。 このあたりの地形は陸に向かってゆるやかな傾斜になっていて、ほそい通りの両側にびっしりと建物がならんだ、どこか欧州ふうの風景がながめられる。 いちばん上の左は、ハイダルパシャの近くにあるモスクで、そのほかは埠頭までの道々で見た景色。
3番目の写真は本屋。 品揃えは日本並みで、トルコ人もなかなか読書家が多いみたいだ。 わたしはヒマをもてあまして街をぶらついているときは、たいてい本屋にしけこむ主義だけど、トルコ語は読めないからさすがに遠慮。 手前に並べてあるのはポスターで、イスラムの女の子も部屋にアイドルスターの写真なんか飾っているらしい。
そんなものを見ているのも楽しいけど、はて、カドゥキョイの市場はどこにあるのだろう。 そのへんの路地で背中のザックから 「地球の歩き方」 を取り出して調べてみたら、市場はフェリー埠頭から陸地に向かって右側あたりになっていた。 そんな見当で歩いたら、すぐに見つかった。 埠頭からもう目の前という感じ。 4番、5番目はそろそろ市場の近くで、やたらに人が多くなってくる。
市場の近くにはクラシック・スタイルの路面電車が走っていた。 この路面電車にもイスタンブルカルトが使えるんだけど、まず市場を見たかったから、今回は乗ってみなかった。 これって環状線で、同じところをぐるぐるまわっているらしいから、遊園地の乗り物とたいして変わらず、いながらにして街を見てまわるのに利用価値大なんだけどね。
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ハイダルパシャの駅はフェリー埠頭から、徒歩20分ぐらい。 海岸にそって歩いていたら、陸から30メートルくらい離れた場所に筏が浮いていて、カモメ、ウ、バンなどがそのまわりに仲良く共存しているのが見えた。 イスラム教徒もキリスト教徒もこうでなくちゃの見本みたいだった。
ハイダルパシャは2年前のトルコ旅行のさい、夜行列車で到着した駅である。 駅の建物は2010年の11月に火災に遭っており、トルコ人と結婚してトルコに住んでいる日本人女性が、たまたまその現場に居合わせて、写真を自分のブログに載せている。http://blog.livedoor.jp/istanbulcafe/archives/2010-11.html
オイオイオイってところだけど、歴史遺産というべき建物はなんとか健在で、いまも威風堂々とその場にそびえている。 やはり列車が着く時間ではないのか、駅のまわりは閑散としていた。
駅舎に入ってみた。 重厚な石造りの建物だから日本みたいにかんたんに改築しないようで、内部も芸術品のように立派な装飾がそのまんまである。 残念なことに、この伝統ある建物も、すでに新しいべつの駅が建設中で、近いうち骨董品になる運命だという。
圧倒されるような重厚な待合室に、金髪の娘がひとりぽつん。 大きなバックパックをとなりに置いているから、欧米の勇気ある女性ツーリストであろう。
駅の正面に往年のオリエント急行で使われていたと同じタイプのSLが展示されていた。 また、結婚式があったのか、ウエディングドレスの女性と新郎がうろうろ。 イスラムの国にしちゃ、ほとんど裸体といっていいドレスだ。 結婚式にしては他の親族の姿が見えないから、なにかコマーシャル撮影でもしていたのかもしれない。
駅の正面玄関を出たところに小さな売店がある。 店のわきにテーブルが並べてあったので、ミネラル・ウォーターを買ってイップクすることにした。 テーブルのひとつに若い娘が座って、最初は地図を広げていた。 彼女も欧米からきた旅行者かもしれない。 髪を露出したままだから、すくなくとも厳格なイスラム教徒ではない。 つぎに彼女はトルコの新聞を読み始めた。 こうなるとどこの何者なのかわからない。 ひょっとすると地方から出てきたトルコの田舎娘が、バイト先を求めて求職欄でもながめていたのかも。 イップクしながら、あれやこれやと若い娘の消息について推理するのはタノシイことである。
ぼちぼち引き上げようと海にそって歩いていたら、岸壁にイスラム娘がぽつんと座っていた。 なんだか寂しそうである。 厳格なイスラムの教えを遵守していたのでは、彼氏もなかなか出来ないのではないか。 あたしは日本のオンナの子みたいな自由恋愛がしたいのよお、イスラムなんてキライ! という声が聞こえてきそうだった。
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2012年5月 9日 (水)
カドゥキョイはボスポラス海峡の入口を横断した先にある、アジア側の町である。 ここには市場以外に、わたしが2年まえのトルコ旅行で、アンカラからの夜行列車で到着したハイダルパシャという駅がある。 徹底的に下調べをしておいたわたしは、カドゥキョイに到着するまえに、遠方からその特徴的な建物を認めた。 新建材の安っぽい建物とちがって、古色蒼然とした石造りの建物で、しかも孤立無援でそびえているからよく目立つのである。
わたしは若いころ (いまでも若いぞ)、上海から列車に乗ってユーラシア大陸を横断し、シルクロードの果てまで旅をしたいと考えていた。 そんなヒマもお金も度胸もなかったから実行しなかったけど、実行していれば長い旅路のすえにハイダルパシャの駅頭に立つことになったわけだ。 そんなあわい感傷とともに、わたしは海に向かってそびえるハイダルパシャを見つめる。 見つめているうちフェリーはカドゥキョイに着いた。 なにしろ20分だ。 いちばん下の写真はカドゥキョイ側のフェリー埠頭。
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旅に出るまえにいろいろ下調べをした。 ネット上に、トルコ人と結婚してトルコに住んでいる女性のブログがあって、彼女の情報はいろいろ役に立った。http://blog.livedoor.jp/istanbulcafe/
このブログによると、カドゥキョイという町がおもしろそうである。 わたしは市場や道の駅なんてものを見るのが好きだけど、この町にはよく知られた市場があるというし、それ以外にも、フェリーに乗っていくところだというから、これも楽しそうである。
そういうわけでイスタンブールの3日目 (土曜日) は、エミノニュからフェリーに乗ってカドゥキョイへ渡ることにした。 ここに載せた写真はべつの日のものも交じっていて、本来のこの日は曇り空で、いまいち不安を感じる天気。 でも、わたしは降らないほうに賭けた。
カドゥキョイ行きのフェリーは、昼間の繁忙時間帯にはほとんど20分間隔で往復している。 いちばん上の写真は待合室。 イスタンブルカルトはここでも有効なので、もう、まるっきり地元の人みたいな顔をして船に乗る。 わたしと同じような情報をかぎつけたのか、乗客のなかには観光客も多い。 乗船時間はおおむね20分くらいで、出港してまもなく、わたしは海面にイルカがはねたのを見た。 まわりの人に教えてやろうと思ったけど、ドルフィンなんて単語を思い出すころにはもう影もかたちもなかった。
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イスタンブールにはお菓子屋さんが多い。 ショーウインドの中に、お菓子が山に積み上げてある。 イスタンブールにはトルコ人と結婚した日本の女性が少なくないようだけど、もしかするとお菓子に目がくらんじゃった人も少なくないのかもしれない。 わたしは甘いものがけっしてキライじゃないけど、山盛りのお菓子を見ていっぺんに食欲を失った。 イスラムの国では酒が御法度だから、そのかわりお菓子をたくさん食べろってことなのか。 ホテルの朝食でもお菓子だけがべつの皿に山盛りになってるし、以前の旅でアンカラから夜行列車に乗ったときは、食堂車の朝食にもお菓子がついていた。
ひとつ方程式を組み立てよう。 トルコには甘いお菓子が多いという事実が、まず定義の1。 つぎにイスラムの教えでは、女性は家に引っ込んでいなければならないということが定義の2。 「セックス・アンド・ザ・シティ」 の米国みたいに、女性が積極的におもてで活動してはいけないのである。 水着とたいして変わらない格好で、飛んだり跳ねたりしてもいけないのである。
この2つの定義から導き出される結論は、なにか。 それはおそるべき女性の肥満ということである。
お菓子が原因かどうか、もちろん原因だろうけど、トルコの女性は歳とともに太る傾向がある。 イスタンブールの名物はベリーダンスだ。 ベリーダンスは女性の美容にいいってことで世界的なブームだそうだから、そのダンサーはいつまでもスマートかと思っていたら、そうではなかった。 あとで観にいったベリーダンスのダンサーのうち、いちばん年長の人はやっぱり腰まわりがどうどうとしていた。
写真はイスタンブールのスィーツ群。 7番目の写真は、ブルーモスクの前で売っていた水飴。 いちばん最後の写真はブルーモスクで見かけた、黒髪の、どこかロマ (ジプシー) を思わせる美人だけど、やっぱりいくらか太めの傾向が出ている。 気をつけなすって、お嬢さん。
イスラム女性の美しさに畏敬の念を抱いていたわたしも、イスラム女性てんこ盛りの風景の中で、じょじょに考えを是正しつつある。 国民の肥満は国家の未来の不安定要因だ。 お菓子を制限しないと国民健康保険がもちませんよとトルコ政府に勧告しておく。 日本の年金も心配だけど。
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2012年5月 8日 (火)
映画007 「ロシアより愛をこめて」 はイスタンブールを舞台にしていて、オリエント急行のなかの死闘シーンが有名だ。 オリエント急行が発車するのが、イスタンブールのヨーロッパ側の駅 (欧州とアジアをまたぐイスタンブールにはその両方に駅がある) スィルケジだ。
映画というのはいろいろ事情があって、撮影に本物の駅を使うとはかぎらない。 セットを組んで撮影したり、似たようなほかの駅を使うことがよくある。 映画好きのわたしは、そういう点に興味があったので、スィルケジ駅を訪ねてみた。
この駅はなかなか貫禄のある石造りの建物で、残念ながらたまたまなにかの工事中だったけど、わたしはづかづかと駅舎のなかに入ってみた。 映画はまちがいなく本物の駅を使っていた。 なんせ50年もまえの映画だから、細部に変化はあっても、駅の基本的なたたずまいは映画のままだった。 DVDを持っている人は観返してほしい。
いちばん上の写真は、ただいま工事中のスィルケジ駅、2番目は待合室で、このふたつは映画に出てこないけど、3番目はホームのようすである。 ジェームス・ボンドとロシア人美女のタチアナは、画面の手前からホームに駆け込んでくる。 4番目はホームにあるカフェで、そこにロシア保安局のベンツが座っているのを発見して、思わずタチアナが立ちすくむのである。 この日は発車する列車のない時間帯だったのか、映画にくらべると駅は閑散としていたけど、カフェの配置なんかは現在でもほとんど当時のままだ。
つまらないことに興味をもつようだけど、007映画を通していろいろ見えてくることもある。 あとで見学することになる地下宮殿もこの映画のなかの重要なシーンに使われているが、こうした古い遺跡での撮影は、国の許可がなければ簡単にはできないことだろう。 当時の英国とトルコの関係はどうだったのか。 トルコ国内はどんな状況だったのか。
英国とトルコというと、とっても仲がわるかったことは、映画 「アラビアのロレンス」 に描かれている。 ここで英国の軍人ロレンスが、ゲリラ攻撃を仕掛ける相手はトルコ軍なのである。 もっともこれは第1次世界大戦のころの話だから、007のころとは歴史がふたまわりぐらい転換している。 第1次世界大戦でオスマントルコが崩壊して、ケマル・アタチュルクの共和国になったトルコは、第2次世界大戦では極力中立を守り、007のころには西欧に接近して、国内の近代化にいそしんでいた。 イスタンブールを舞台にした映画を作るとき、アタチュルクの意を継いだ指導者たちの頭の中には、歴史遺産や奇勝景勝に富むトルコを、まず観光立国として発展させようという配慮があったかもしれない。 だとすれば、トルコ政府が007映画の製作に協力したことはすこしも不思議じゃあない。
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鮮魚店街と道路をはさんで反対側に、やはりこうこうと明かりをつけたにぎやかな通りがある。 こちらはいったい何なのか。
日本に帰国したあとで、ずっとむかしに録画した 「上原多香子・ベリーダンスの××」 というテレビ番組を見返してみたら、この通りが出ていた。 これはクムカプ (近くにこの名前の鉄道駅がある) のレストラン街というべきもので、にぎやかな通りの両側はすべてレストラン、バー、カフェなどの飲食店だった。 どの店も路上にまでテーブルを出して、大勢の客でごった返しており、楽士まで入ってにぎやかな宴会がくりひろげられていた。
どれどれと混雑のなかに分け入る。 わたしはどっちかというとネクラな人間かもしれないけど、ここで浮世のうさを忘れて飲み食いしている人たちを見ているうち、さすがに気持ちが弾んできた。 できればそのへんのテーブルに坐って、軽快な音楽に身をまかせ、ちょっぴりキューバにおけるヘミングウェイの気分を味わってみたかった。 しかしどの店もイスタンブール中のトルコ人が押し寄せてきたようなにぎわいで、おずおずとした日本人が座れそうな席はぜんぜんなかった。
通りの長さは、よくって百メートル。 わたしはぶらぶらと、はじからはじまで往復した。 イスタンブールには餅みたいにねばっこいアイスクリームがあることが知られているけど、ここにもそれを売る店があった。 しかしわたしが買ったのはアイスクリームではなく、ラク (RAKI) という酒。 これもトルコの名産で、水で割ると白濁するユニークな酒である。 度数はかなり強いから、ホテルにもどって毎晩ちびちびやるつもり。 イスタンブールの夜は長いし、旅はまだ始まったばかりなのだ。
「地球の歩き方」 には特別な記述がないけれど、クムカプはトルコ人のあいだでけっこう有名なところらしい。 けっして安そうな店ばかりじゃないけど、地元のトルコ人で混雑しているということは、観光客を相手にぼったくりをする店とも思えない。 問題があるとすれば、ここに書いたように、とくに週末はひどく混雑するということだ。 それでも行ってみたいという人のために、場所はトラムのベヤズット駅から、まっすぐ南下した海辺のそば。 たぶん、ふつうに歩いて20分ぐらい。 宝くじでも当たってもういちどトルコに行く機会があったときのために、わたしもこの場所もしっかりおぼえておいた。
この晩はトルコの飽食が集まったようなクムパクで何も食べず、ホテルの近所のスーパーで買った酒のつまみのウインナソーセージをパクパク食ったら、それだけで腹いっぱいになって、けっきょく正規の晩餐抜きの夜になった。
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2012年5月 7日 (月)
鮮魚店街の2。 えいっとまとめて見せてしまおう。
つまらないものを並べるなという人がいるかもしれないけど、日本の築地の魚河岸は、外国人観光客に大人気だ。 つまり、これが知的好奇心というものなのサ。
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イスタンブールに到着した最初の晩、タクシーでホテルへ向かう途中、わたしは海岸道路ぞいに、こうこうと明かりをつけた市場のようなものがあるのを見た。 魚が並べられているから市場のようだけど、夜の9時ごろ営業している魚市場なんてあるのか。 タクシーの運転手が道路の反対側をさしてなにかいう。 見ると、そちら側にも明かりのついたにぎやかな通りがあった。 ホテルに着いてから時間を推し量ると、この場所はホテルからそれほど遠くない。 で、わたしは翌日の午後、ひと眠りしたあと、そこまでぶらぶら出かけてみた。 時刻は夜の8時ごろだったけど、すでにトルコの治安の良さには絶対の信頼を置いていたから、ひとりで出かけることになんの不安もなかった。
海岸にそって30分ほど歩くと、シーフード・レストランがあった。 見るからに高そうで混雑している店だったので、そんなところで食事をする気にもなれず、レストランの海側の細い路地をつたって先へ進んだ。 するとまもなく前方に、ずっと遠方まで店も市場もなにもありそうにない、だだっ広い空地が広がってしまった。 距離を測り間違えたかとガッカリしてホテルにもどることにした。
帰りは道路の陸地側を行くことにした。 じつは魚市場は先刻のシーフード・レストランのすぐわきにあったのである。 わたしはレストランの海側の路地を抜けたので気がつかなかったのだけど、この市場はその道路側にあったのだ。 1枚目と2枚目の写真はそのシーフード・レストラン。
ところで夜の9時に開店している市場ってなんだろう。 ここには魚を食わせる小さな食堂が軒を接していて、この魚市場は食堂に併設された鮮魚店のものだった。 つまりそこでは店頭に並べられた魚を、目の前で料理して食べさせてくれるのである。 わたしは魚市場が見たいと切望していたのだけど、イスタンブールに到着した翌日の晩に、もうそれに準ずるものを見ることができたのだった。
鮮魚店を見てまわる。 からだ中に発疹のようなものがある大きなカレイがいた。 これってなんかの病気じゃないのと訊こうとしたけど、ほかのカレイもみんな同じだったから、けっして水銀中毒のカレイってわけじゃないようだ。 すこし古くなったようなサメやウツボも売られていた。 アンコウは居坐りのよくない魚だから、日本と同じようにかぎ針でぶらさがって売られていた。 コイやマス、はてはザリガニのような淡水産の甲殻類も売られている。 こういうものを見ているとわたしはぜんぜん飽きない。
ある店で、人のよさそうな顔をした親父が、これはスズキだという。 見るとほんとうにスズキだったから、トルコと日本で同じ名前の魚があるのかいと感心していたら、親父は続けて、これはトヨタ、こっちはニッサン、あれはホンダだという。 つまりわたしを日本人とみて冗談をいっていたのである。
ここには魚屋ばかりではなく、八百屋もあったし、イスタンブール名物のサバサンドもやっていた。 パンに魚をはさむというのが、わたしの嗜好に合いそうもないので、食べてみなかったけど、トルコの住民もわが大和民族と同じ魚食の民らしいから、刺身でもやってくれるといいのにと思う。
余計なことはさておいて、この鮮魚店に併設された食堂街は、おぼえておいて損はない。 このあとで見物に行くことになる道路の反対側のレストラン街と比べても、値段はきわめてリーズナブル、新橋や新宿の一杯飲み屋街的雰囲気で、気安く、おいしい食事が楽しめること請け合いだ。
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昨日はめまぐるしい日だった。 いい天気なんで散歩に行ったら、一天にわかにかき曇りってヤツ。 あわてて帰宅したけど、とにかく最近の天気ときた日にゃ。
そんなせせこましい散歩でもいろいろと収穫があります。 1枚目はそのへんの野草の花、じゃない。 もともとはれっきとした園芸植物の花だけど、種がこぼれて、路傍で花開いちゃって、こうなるともうたくましい野の花と変わりません。
2枚目は欧州の政局に思いをなすカメさん。 ギリシャも混迷の一方だし、サルコジ君も負けてしまいそうだし、欧州の前途はクライなあって、天をあおいで嘆息のみ。
3枚目はテニスコートのわきに咲いていた花。 名前がわからない、調べるのがメンドくさいってんで、なんだかわからない花だけど、やっぱりきれいな花はきれい。
4番目は、もう何度かこのブログに登場している、石垣の水抜き穴にひそむヤモリくん。 すこしはポーズを変えてくれないと、去年の写真を使ったんだろうと思われてしまいます、コラ!
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2012年5月 6日 (日)
とくにイスタンブールの野良ちゃんたちの報告をする気はないんだけど、こういうのが好きだという人も多いので、閑話休題のつもりで載せておきましょう。 猫の矜持を忘れたネコ、犬のプライドを捨てたイヌ、こういうのがイスタンブールにはたくさんいます。
インドのほうには野良ウシなんてのもいるそうですから、このくらいは可愛いもんかもしれないっすけど。
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2008年の北京オリンピックが、競技ではなく競美だったら、イランの女性選手たちがメダルを受賞したことはまちがいがない。 そのくらい、おそろいの、肌をかくしたユニフォームで行進するイラン選手たちは美しかった。
さて、わたしはイスラムの国にいる。 イスタンブールにいる。 わたしにとってイスラム女性の美しさはあこがれの的だ。 そんなイスラム女性がまわりにうじゃうじゃ。 で、欣喜雀躍、随喜の涙ぽろぽろっていうかというと、これがなかなかむずかしいのである。 くわしいことは省略するけど、つまり、女性の美醜は世界のどこでも共通ってコト。 ふだんのままの大勢のイスラム女性のなかに立ってみれば、やっぱりみんな美人ばかりじゃないということがよくわかる。 現実は残酷なものだという、わたしはまたひとつの真理に追突してしまったのである。
美醜はともかくとして、どうしてイスラムの女性はあんなに暑そうな服を着るのだろう。 砂漠の民がTシャツ、短パンではなく、男までやはりぞろりとした民族服なのは、れっきとした理由があって、そのほうが体の表面から水分が奪われにくいからだそうだ。
トルコはイスラム原理主義とは一線を画した国だから、強制はしてないはずだけど、やはり多くの女性がぞろりとした衣装で全身をかくしている。 高温多湿の日本から来た当方としては、さぞかし暑いだろうと余計な心配をしてしまう。 彼女たちは熱帯性の生きものなのだという人がいるかもしれない。 しかし、上から6番目の写真を見よ。 暑いってんで、スィミット (ドーナツ型パン) の屋台の手前を歩く女性なんか、服を脱いで手にかかえてしまっているではないか。 おかげで彼女がジーンズにナイキのスニーカーであることも一目瞭然。 伝統的な民族服の下の彼女らは、アメリカや日本の娘たちとほとんど変わらない服を着ているのだ。 トルコの女性たちがきゅうくつな (かつ暑苦しい) 民族服を脱ぎ捨てる日は近いのかも。
わたしは最近の米国の映画やテレビ番組にまゆをひそめるほうだから (そのわりにはドラゴン・タトゥーなんていやらしいのが好きだけど)、世界にはまだまだ固い宗教の禁忌のもとに生きている女性が多いということをうれしく思ってしまう。 しかし、このへんはむずかしいところである。 「アラブの春」 がトルコにまで波及して、トルコの女性たちが自由 (とハレンチ) を満喫するほうがいいか、ベールにつつまれたひそやかな魅力でもって、男たちをひきつける現状のままがいいか。 いったい彼女たちはどっちがいいと思っているのだろうか。
そういうテツガク的な話題は別にして、やはりあちらの女の子もブランド好きなようで、いちばん下のイスラム娘なんか、スカーフだって、あたしのはバーバリーよ、バーバリーって自己主張しております。
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2012年5月 5日 (土)
ブルーモスクやアヤソフィアのあたりをぶらぷらしていると、しょちゅう日本語で話しかけられる。 絨毯屋の客引きである。 ワタシは日本の△△にいたことがあります。 ワタシの兄弟 (あるいは親戚) が日本の○○に住んでいます。 こういうのが彼らのおおむね常套句。
イスタンブールに到着した翌日、朝の7時まえに散歩にいったら、もう話しかけられた。 早起きは感心だけど、わたしも大陸中国に何度も旅をして、執ような中国商人を振り切ってきたつわ者だから、そういう連中をあしらうすべは心得ている (つもりである)。 英語のわからないわたしにとって、たとえばイスタンブルカルトを買うときのように、うまく活用すれば彼らにも利用価値はあるのである。
街を歩いていたらパク君という大きな若者に話しかけられた。 絨毯ならダメだぜというと、なんでわかりましたかと、なかなか正直そうである。 なんでって、昨日からそこらを歩くたんびに絨毯屋に呼びとめられているぞというと、ワタシをそういう人たちと一緒にしないで下さいという。 しないで下さいといったって、図体の大きさ以外はけっきょく同じようなものだったけど。 いまから地下宮殿を見学に行くんだといって逃げようとしたら、それならワタシの行く方向です、いっしょに行きましょうという。
地下宮殿を見学したあと、人ごみにまぎれて逃げようとすると、出口のあたりで見張っていたらしく、やあ、待っていましたとほがらかにいう。 それじゃ見るだけだぞといって彼の案内する店まで行ってみた。
大きな絨毯がたくさんぶら下がっている部屋で、チャイをご馳走になりながら話をする。 ここであなたに会ったのもなにかの縁ですと勝手に決めつけるから、つまりアラーの神のおぼし召しってやつかいと返事すると、やっこさん、アハハと笑った。 わるい人間じゃなさそうだ。
もっとも、イスタンブールにほんとうにタチのわるい客引きはあまりいそうもない。 彼らにとって、とにかく店に引っ張り込めば、売れる売れないはべつにして、ひとつ仕事をこなしたことになるらしい。 怒らせちゃまずいけど、適当に話し相手になって、いいかげんにあいづちを打って、最後にはっきり拒絶すれば、それ以上強引に売りつけようとする客引きはあまりいないようである。
わたしは2年まえのトルコ旅行で、絨毯屋の講釈をとっくに聞いているから、最高級品はヘレケだろう、見方によって色が変わるんだろう、手でさわると縫い目がどうしてこうしてと、先手をうって知識をずばずばと披露してしまう。 そんな大きなものを買えるわけがないともはっきりいう。 小さなのもありますというから、小さな絨毯をなにに使うんだと訊くと、風呂上がりの足拭きなんかにいかがでしょうだって。 そういうものはわたしはいつも近所のスーパーの、千円か2千円のもので間に合わせているよと答えると、絨毯は断念したのか、奇妙なものを持ち出してきた。
横7、80センチもある長方形のズタ袋みたいなものである。 ごてごてとした色のぶっ太い毛糸で編んであって、しかも毛糸のあちこちがほつれているようなだらしないものである。 まん中に開口部が2つある。 なにに使うんだいと訊くと、品物を入れてラクダの背中で振り分け荷物にするのだそうだ。 日本にラクダなんかいないぞというと、部屋の壁にかけて物入れにするといいでしょうという。
そんなものは要らんと取り合わないでいると、また話題を変えて、自分は29日に日本のテレビに出演しますと言い出した。 なんとかいう司会者の名前が出てきたけど、わたしは民放の番組はほとんど観ない人間だから、そういわれてもサッパリ。 帰国したあと、29日になってテレビ欄を探してみたら、民放の番組にトルコを旅するものがあった。 しかしわたしはその日は用事があったし、録画もしなかったからぜんぜん観られなかったのである。
チャイを飲み終えて店をあとにした。 客引きをアタマから敬遠する人も多いけど、ぜったいに買いませんとはっきりいえない人、あるいは見栄っぱりですぐ高価な品物に手を出す人でないかぎり、イスタンブールの客引きはけっこう楽しい連中である。
写真は街で見かけた絨毯を編む女性。 彼女らに敬意をあらわすけど、日本でも手編みの絹、麻、木綿等の製品は、もはや実用品ではなく、芸術品、民芸品、骨董品の範疇に入るべきものになってしまった。 貧乏人においそれと手の出せるものではない。 パク君の顔写真を載せるのはまずいかなと思ったけど、まあ、いいや。 どうせ日本のテレビに出るんでしょ、アンタ。
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ブルーモスクからアヤソフィアに行けば、つぎはとうぜんトプカピ宮殿ということになる。 この3つはみんなとなりあっているのである。 しかし、このころわたしはアゴを出しかけていた。 若いころなら、養老渓谷から天津小湊まで房総半島を横断した、あるいは南アルプスの広河原から白鳳峠をへて地蔵岳まで縦走した、そんな強靭なわたしであったけれど、さすがにもうトシである。 このころには、ここはイスタンブール、あこがれのトルコの大地、なんてセリフを吐く気力もなくなっていた。
だいたい今回の旅では、トプカピ宮殿はハナっから見物する気がなかった。 ここは2年まえに訪問したことがあり、歩くと疲れるだだっ広い敷地の中に、オスマントルコ時代の王宮の建物が点在して、その装飾には見るべきところがあるけど、そのほかはあまり感心しなかったという記憶がある。 たとえばハレムなんて、どこかの風変わりな刑務所じゃないかという程度の感想しかなかった。 トプカピというと、メリナ・メルクーニ主演の映画 「トプカピ」 が有名だ。 しかし映画のなかで盗賊たちに狙われるエメラルドつき短剣は、なんだかやけに警備がおろそかで、あれはきっとレプリカだろうと思ったくらい。
そんなトプカピ宮殿のなかで、ゆいいつイカしてると思ったのは、海を見下ろすレストランだったけど、しかしここはいつでも団体観光客で混雑していて、英語の得意でないわたしがもたもたと注文できる場所じゃないのである。
そういうわけでトプカピ宮殿については省略。 興味のある人はわたしの2年まえのブログを読むか、例によってネットで調べるとよろしい。
見学を省略したので、とうぜん写真はありません。 代わりにメリナ・メルクーニおばさんの写真を載せておきます。 彼女が生きていれば、現在92歳になっていたはず。
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2012年5月 4日 (金)
ブルーモスクからぶらぶらとアヤソフィアに行く。 アヤソフィアもブルーモスクと並ぶ (文字どおり並んでいる) イスタンブール観光の花形である。 あまり触れたくないけど、この寺院はトルコ以前の建築物で、と説明すると話がずるずると長くなってしまうんだけど、そもそもイスタンブールの歴史は古い。 ただし、トルコ人がトルコにやってきたのは、イスラムの勃興以降の11世紀ごろで、それ以前のトルコはギリシヤやローマの勢力圏だったのだそうだ。 ギリシヤ神話でおなじみのトロイやエフェソスの遺跡は、じつはトルコにあるのである。
そんなわけでイスタンブールにはトルコ以前の遺跡が多い。 アヤソフィアも、もともとはギリシア正教の建物だったものを、10世紀にこの地を占領したオスマントルコがイスラム寺院に改修したものである、そうだ。 わたしたちはつい、丸いドーム型の屋根をイスラム寺院の様式と思ってしまうけど、これはイスラムよりもっと古いキリスト教世界の様式であって、たとえば日本の神田にあるドーム型のニコライ堂も、ロシア人のキリスト教司祭さんの名前からきたもので、イスラムとはなんの関係もない。
理屈はそのくらいにして、アヤソフィアに行こう。 この日のアヤソフィアの周辺は、あちこち掘りくり返して、庭を整備中だった。
わたしは2年まえのパックツアーで、もちろんこの寺院 (現在は博物館) を見ている。 そのときは、となりにあるブルーモスクと比べると、建物の美醜でおとると思った。 あとから無理やりイスラム寺院に改修されたせいではないだろうけど、外観がボロっちく、内装も古めかしくて、あまり感心しなかったのである。 ところが今回また入ってみて (20リラ払って)、考えを改めた。 照明が少ないせいもあって、内部はおごそかというか、いかにも寺院らしい荘厳さに満ちている。 興味と探求心のある人にとっては、キリストのモザイクだとか、聖母マリアの手形だとか、いろいろ歴史の遺産が建物の内部にちりばめられていて、ブルーモスクよりはおもしろそうである。
こんなアヤソフィアを見たい人は早目に行っておくことだ。 なんでも未曾有の震災によって、建物全体が60年以内に崩壊するという学説もあるそうだから。 そうならないように、日本も協力して耐震補強をするとかしてるとか。
この日、アヤソフィアの中にはイスラム教徒たちの団体がつめかけていた。 ここは現在は博物館で、寺院ではないのだけど、なにかえらいお坊さんが説教をしているように見えた。 ブルーモスクといい、アヤソフィアといい、この日は金曜日という以上に、なにかイスラムの特別な日だったのだろうか。
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腹がいっぱいになったら眠くなってしまった。 ホテルでひと眠りしようと思ったら、まだ部屋の掃除がしてなかった。 それでまたブルーモスク (スルタンアフメット・ジャーミー) に出かける。
ブルーモスクのまわりには、アヤソフィア、トプカピ宮殿、地下宮殿など、イスタンブールの見どころがたくさん集まっている。 しかしこのブログではそういうものについて、いっさい解説はしない。 2年前のトルコ旅行の報告ですこし触れたことがあるし、ネットには詳しい情報や解説があふれている。 ブログで紀行記を書こうなんて人はマニアックな人が多くて、学者そこのけの調査や説明をしてくれる人も多い。 調べればわかることには触れないのがわたしのブログなのである。
正直いって上記の名所旧跡には、いちど見れば十分というものが多い。 わたしは2年まえにパックツアーで、これらのほとんどを見学したことがある。 それなのにまたブルーモスクへ出かけたのは、なにしろホテルから徒歩5、6分だ。 せっかくイスタンブールに来たのだから、表敬訪問ぐらいはしておいたほうが、ま、ヒマつぶしにもなるし。
ヒッポドロームという2本のオベリスクがそびえたつ広場に行ってみると、なにがどうしたのか、ブルーモスクのまわりはえらい人だかりだった。 観光名所だから観光客が多いのはわかるけど、この日はイスラム教徒の姿が多かった。 なにか縁日でもやっているのかと思ったら、金曜日はイスラム教徒にとって大切な日だそうで、イスラムのお上りさんが大挙して押し寄せてきているという。 明日あさっての土日には、サウジアラビアから大勢の巡礼団が押し寄せるそうである。 混雑のキライなわたしには迷惑な話だけど、他人さまのやることに文句をいうわけにもいかない。
ブルーモスクは現在も営業中?の寺院なので入場は無料である。 わたしは横のほうの門から入ってしまった。 境内も混雑していて、丸屋根をもった本殿の建物では、入口でカードマンが入場制限をしていた。 そんなところへ仏教徒の日本人が割り込むのはわるいような気がして、このときはとうとう本殿には入らず終い。
写真はブルーモスクとその周辺で見たもの。 いちいち説明はいたしません。
アヤソフィアを見物したあと、帰りにまたブルーモスクに寄り、そのときはだいぶ混雑も緩和されていたから本殿にも入ってみた。
おしまいの2枚の写真はそのときのもので、建物の内部の壮麗さはいうまでもないけど、値段の見当もつかないでっかい絨毯の上でお祈りをしている人数人。 青いスカーフの女性は観光客で、借り物のスカーフ姿。
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2012年5月 3日 (木)
屋上カフェでのんびりしているあいだに、だいぶ昼食時間をまわってしまった。 昼食は前日の夜に目をつけておいた近所のカフェですませることにした。 路地の奥に赤いネオンがまたたいていて、そのわびしい雰囲気が変人のわたし好みだったのである。
店のまえに行ってみたら 「ファーストフード」 という看板が出ていた。 客はひとりもいない。 屋上で太陽にあぶられたあとだから、ビールさえ飲めりゃ、マックだろうがケンタッキーだろうがなんだっていいやと入ってみた。 店内にいたおばさんが慌ててわたしをベランダに案内した。 このあたりは坂道が多いので、一階だと思って入った店のベランダは、建物の反対側では二階にはりだしたすてきなオープンカフェになっていた。 海は目の前だし、すぐ下を鉄道が走っている。 ときどきガラガラガシャンとものすごい騒音をたてて列車が通過していく。
上から3番目の写真は白い花をつけた庭の樹木。
ビールをくれというと、ありませんという。 そうか、イスラムの店だったかと思う。 イスラム国家は禁酒を旨とするところが多いけど、トルコはその点寛容で、外国人観光客はいくらでも酒が飲めるし、トルコ自身もワインやラクとよばれる酒の生産国である。 そういうわけで、ファーストフードの店でもとうぜんビールぐらい置いてあるだろうと思ったのが失敗だった。
仕方ないから店頭に出ていたショーウインドの中の、わけのわからないボトルで我慢することにした。 これは、じつは味のついてないただの炭酸水で、出てきたときにはレモンのスライスでほんのり香りがつけてあり、ジュースやコーラよりむしろ美味しかった。
食事もとうぜんなにがなんだかわからないから、メニューの中の適当なものを注文した。 4番目の写真がソレ。30センチもありそうな巨大なハンバーガーとでもいうか。 これにデザートとしてアイスクリームがつく。 これだけでハーフサイズのわたしの胃袋はいっぱいになってしまった。
勘定をしてもらったら30リラだった。 日本円だと1400円あまり。 炭酸水 (2杯) とハンバーガーとアイスクリームでこれはちと高いような気がする。 総じてトルコは、タクシー、公共機関など、公定料金が定まっているものは日本よりずっと安い。 レストランだけが公定料金がないからといって暴利をむさぼっていいはずがない。 気にいったらまた来ようと思っていたけど、二度と行かないことにした。
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2012年5月 2日 (水)
ホテルにもどったのが昼すこしまえ。 旅に出るまえにネットでいろいろ調べてみたら、アルバトロスの屋上にはすてきなカフェがあることがわかった。 それで昼食まえにそのカフェをのぞいてみることにした。
屋上にカフェはたしかにあった。 すぐ近くに海が望め、ま近にブルーモスクも見えるし、さわやかな風に吹かれて、頭上をカモメが飛び交っている。 この日は天気がよかったから、ロケーションは最高である。 ふと見ると、すぐとなりの民家の屋根ではカモメが抱卵中だった。 周囲の建物が西洋ふう建築ばかりなので、なんてメルヘンチックなと思う。
そんなすてきなカフェなのに、客はひとりもおらず、開店休業の状態で、わたしを客とみなしていないのか、黙っているとなにも持ってこない。 めんどくさいからこっちもあえて注文しなかった。 ワインでも飲みながら優雅なひとときを過ごそうという目論見はあえなく潰えた。
それでも屋上に並べられたソファに座りこんで、しばらくパソコンを打つ。 屋上カフェはわたしひとりの貸し切りである。 ただ天気がいいせいで、のんびりしていたら腕が日に焼けてちりちりしてきた。 海水浴場にあるような大きな日傘でも置いてくれないと、天気のいい日には日光浴目的の人以外はいたたまれないぞ。 写真は屋上カフェと、まわりの景色。
こんがりと焼かれているうち、近所にある、キュチュク・ジャーミーからお祈りの声が聞こえてきた。 どうやらスピーカーで流しているらしい。 ここはやはりイスラムの国であるなと思う。 それもすてきな、すてきな・・・・・・
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歩き疲れたし、イスタンブルカルトも買ったから、いったんホテルにもどることにした。 ひとり旅の気楽さは、こうやっていつでも好きなときホテルにもどれるところにある。
帰りはトラム (路面電車) に乗ることにした。 エミノニュからトラムに乗ってスルタンアフメト駅まで行けば、そこからホテルまで徒歩5、6分だ。 わたしのトラム初体験である。 トラムのエミノニュ駅は、イェニ・ジャーミーの広場とフェリー埠頭をむすぶ地下道の、とちゅうから地上に出たところにある。 いちばん上の写真が地下道の入口。 つぎは地下道のようすで、通路の両側は商店になっている。 トラム駅の改札は3番目の写真のような感じ。
トラムに乗るのはいいけど、心配なのはカルト (カード) に本当にチャージがされているのかということだ。 こればっかりはいくらカルトをひっくり返しても、見ただけではわからない。 もしかすると日本から来たまぬけな旅人は、狡猾なイスラム商人のカード詐欺にひっかかったということもないとはいえない。
おそるおそるやってみた。 カルトを認証機にぺたんと押し付けるところは日本と同じである。 ところがわたしがやってみたら、前方の鉄製のバーがピクリともしない。 やっぱりチャージされてないんじゃないかと、いったん後ろに下がって、あとからくる人のようすを観察することにした。 みんな認証機にぺたんのあと、体でバーを押して入っていく。 てっきり日本のように扉がパタンと開くのを予想していたからとまどっちゃったんだけど、これは日本でも遊園地などでたまに見かける方式、つまり認証したあとバーが一回だけ回転して、人間をひとりだけ通すものだった。 体で押さなければ開かないのである。
おかげで入り直して1回損をした。 しかもホームに上がってみたら反対方向のホームだった。 ヤケになってそのままガラタ橋の向こうのカラキョイ駅まで行ってきてしまった。
こんな失敗も教訓にして、これからわたしのプリペイドカルト生活の始まり。 イスタンブールでも特にわたしが観たいと思っている旧市街は、トラムでまわるに最適なくらいの広さなので、これからわたしは存分にカルトを駆使することになる。
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2012年5月 1日 (火)
今朝は驟雨があったらしい。 ぬれた路面を踏んで、散歩に出かけて、まだ撮ってから1時間もたってないホヤホヤの写真2枚。 カルガモのほうは今年の初モノかな。
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わが家の近所の里山にコイノボリが上がっている。 その足もとにレンゲも咲いた。 レンゲ畑のあいだで、土を踏みしめながら
ありし日よ 幼なかりし日よ 春の日は うまごやし踏み 青空を追いてゆきしにあらざるか
いまはまた その日その草の いづちの里を急げるか いづちの里にそよげるか すずやかの音ならぬ音はつぶやき 電線はこころとともに 空にゆきしにあらざるか
という詩をくちずさんでしまう。 原文とはだいぶかけはなれちゃあおりますが、有名な詩なのでワカル人にはわかるはず。 説明はしません。
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