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2012年6月

2012年6月29日 (金)

みんな若かった

うちの部屋にはストーンズのハイドパーク・コンサートのDVDがある。
ストーンズの絶頂期というと語弊があるけど、“前期の”というただし書きをつければ、その絶頂期をとらえたライブといってかまわないと思う。

昨夜放映されたのは2006年のニューヨーク公演のライブ。
このふたつの演奏のあいだには、40年ちかい歳月が流れている。
それはもう、ういういしい英国青年からしわしわの国際人になっちゃったミック・ジャガーの顔を見れば一目瞭然。
でも動きだけ観ていると若いころのまんまで、あいかわらず現役だなって感じ。
若いのは彼らだけじゃない。
それを観ているわたしもまだまだ若いぞ。

じつは明日はライブを聴きに行く予定なんだけど、その演奏というのがストーンズよりさらに古いベンチャーズだ。
演奏するのは若いころテケテケに凝っちゃった熟年バンド。
メンバーはほかに仕事を持っているセミプロらしいけど、ほとんどわたしの人生に重なっちゃいそうな息の長いバンドだ。
みんなみんな若かったなあ。

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2012年6月27日 (水)

未来

あまり具体的に書くと、改正著作権法に抵触するかもしれないから書かないけど、まだYouTubeとiPodに凝ってます。
なにしろ珍しい映像がいくらでも見つかるし、それをiPodでかんたんに持ち運べるのがタノシイ。
iPodをじっさいに使ってみてわかったことは、これは新しいライフ・スタイルになるなあということ。
もちろん音楽にも映像にも関心のない人には猫に小判だけど。

ただ、iPodで音楽や映像を持ち運ぶためには、あるていどパソコンの知識が必要だ。
カセットを放り込んだり、パソコンの中のファイルをドラッグ&ドロップで移動すればいいわけじゃないから、まったくパソコンを使ったことのない人には使いこなすのがむずかしいかも。
使い方がわからないのでマニュアルを調べようと思ったら、それさえネット上にある始末だから、とにもかくにもパソコンがなければ始まらないのである。

話題が変わるけど、アメリカに行くためには、現在ではESTA(電子渡航認証システム)なるものが必要だそうである。
パソコンさえあれば、インターネットを使って個人で勝手に申請できるそうだから、便利といえば便利だけど、パソコンのない人はどうするのか。
その場合は代理申請サービスを利用することになるそうで、パソコンがないとかえって手間がかかることになってしまう。
どうもアメリカじゃ、パソコンなんて一家に一台があたりまえ、使えて当然という社会にとっくになっているらしい。

逆に考えると、これからの時代、旅行やライフスタイルを満喫するには、パソコンの知識が必要不可欠なものになる。
そのうち電気釜でご飯を炊いたり、雨の日にコウモリ傘を開くのにも、パソコンの知識が必要な時代がくるかもしれない。
オレには囲碁や盆栽があるからいいさなんてのんきなことをいってる場合じゃない。
パソコンを使ったことのない人は、最低限の人間らしい生活や尊厳も認めてもらえないってことになり、IT機器にヨワイ老人はますますかたすみに追いやられていくのだ。
これは新しい「1984」だな。
あ、SFのネタです。

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2012年6月26日 (火)

花ふたつ

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辛気くさい話題ばかりじゃ健康によくない。
さいわい今日はいい天気になった。
ここんところおかしな天気が続いてちょっと運動不足だったから、ぶらぶらと自然観察園まで出かける。
午前中はまばゆいばかりの光の中にひんやりした風が吹いていて、天国に風が吹くならこんな感じだろうなと思うくらい。
じつに気持ちがよかった。

花については端境期なのか、目立ったのはナデシコくらい。
これはわたしの好きな花だけど、遊歩道から離れたところに咲いていたので、わたしのコンバクトデジカメでは撮影に不適格。
ホタルブクロは撮影に適格だったけど、わたしの好きな花ではないので無視。

花好き以外から無視されそうなのは、カタバミとネジバナ。
両方とも小さな花だけど、わたしの好きな花だからブログに載せる。
こういう独断と偏見のブロガーにもてあそばれる花たちも気のドクだ。

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2012年6月25日 (月)

母親

不肖の息子にも親はいる。
わたしにも高齢の母親がいて、彼女はわたしのこころのいちばん底辺をいまでも支配している。
といってもわたしはいわゆるマザコンというタイプじゃないから、母親にべったり頼るような生き方はしてないけど、彼女の存在はつねにどこかで、わたしの精神状態にかかわっているということだ。

いいトシこいた人間が母親の呪縛にとらわれているなんて、あまりいい傾向ではないから、郷里に住んでいる彼女は他の兄弟にまかせて、わたし自身はできるだけ彼女を無視し、関わりを持たないことにしていた。
ここ数年は、親子の対面なんて年に数回だ。
これじゃあ親不孝といわれても返す言葉がない。

それでも転んでケガをしたとか、熱を出したなんて知らせが舞い込むことがある。
するとわたしは仕事も手につかなくなってしまう。
暗い気持ちになって食欲までなくなってしまう。
それは親に対するとうぜんの反応ではなく、これまでずっと親不幸を続けてきた、親の期待を裏切ってきたという、自分への嫌悪感がぶり返してしまうためらしい。
自己嫌悪というのはわたしの生涯を通じてのトラウマであり、若いころはそんな自分を生んだ母親をうらんだこともある。
さすがに最近では怨嗟の気持ちはなくなったけど、それはそもそも、残り少ない人生をくよくよしたってなんになると開き直ったせいでもある。

ヤケッパチでつぎはどこへ行こうかなんて海外旅行の計画をもてあそんでいる最中、また母親が肺炎で入院したという連絡だ。
がっくりと落ち込んで、とりいそぎ帰省することにした。
さいわい今回もたいしたことはなかったけど、やっぱり母親の呪縛から逃れるのは容易なことじゃない。
彼女がいなくなった場合、わたしのこころに一大変化が起きるんじゃないか。
それは精神的開放なのか、さらなる自堕落なのかと、なかばおそれる昨今だ。

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2012年6月20日 (水)

思うこと

最近YouTubeでいろんな音楽、映像をながめるのに凝っている。
するとそのうち、ルイ・アームストロングとベルマ・ミドルトンが掛け合いで歌っている「セントルイス・ブルース」の映像を見つけてしまった。
ということは、以前にこのブログでも書いたことがあるけど、この映像はジャズの好きな人にとってお宝映像だろうから、貴重な映像をYouTubeに放出してくれた人、あるいは放送局には感謝感激ってところ。

それはべつにして、iPodを買って以来、著作権についていろいろ思うことがある。
サッチモとミドルトンの場合、とっくに著作権は切れているみたい(切れてないか)だけど、もしもこの映像の所有者が、著作権を気にして、まだ金ヅルになると判断して、この映像を放出しなかったらどうなるか。
おおげさにいうと、人類の宝というべき映像が、いつまでもお蔵入りになって、人々の目に触れないことになってしまう。
いまやネットは万能の、巨大なデータベースであって、世界中のすべての人間がありとあらゆる情報を手に入れられるそんな時代に、人間のケチなおもわくや販売部の事情で、情報を隠匿するっていうのはどんなものか。

かってウォークマンで世界を席巻したソニーが、著作権にこだわってもたもたしているうち、そんなものに義理もしがらみも感じていないアップル(スティーヴ・ジョブズ)に先を越されちゃった。
法律的に問題があっても、とにかく情報を集め、それを誰にでも開放するという強引な信念を、コンピューター先駆者であるジョブズは持っていたにちがいない。

それじゃ著作権をメシの種にしている音楽家や演奏家はたまらない。
それももっともだ。
彼らが食い扶持を稼ぐためには何かべつの方法を考え、いまはとにかく、知識や情報を狂ったように収集しているコンピューターさまの御意向にさからうべきじゃないと思う。
ジョブズは最先端のポジションにいただけに、コンピューターが成長過程にある、人間を超越した有機体であると思っていたかもしれない。

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2012年6月19日 (火)

また上海

またBSの「世界ふれあい街歩き」で上海だ。
人々の服装からすると冬の旅なので、再放送かもしれない。
今回は四川北路あたりがメインで、冒頭に時計のついた大きな建物が出てきた。
わたしがよく出かけていたころは、これは郵便局だったはずが、現在は郵政博物館になっているらしい。
このあたりは戦前に日本人街があったあたりで、しかもわたしが上海でよく利用していた新亜大酒店というホテルもここにある。
上海フリークのわたしとしちゃ、ついなつかしくなって古い写真をひっぱり出した。

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写っているのは上海の女の子。 いえ、ふつうの女の子で、けっしてわたしとみだらな関係だったってわけじゃありません。
だいたいこの写真は1994年に撮ったものだから、すでに18年まえで、彼女もいまではいいトシのおばさんになっているはず。
見てほしいのは彼女ではなく、背景に写っている景色。
東方明珠のテレビ塔が見えますが、まだその周囲にほとんどビルが建ってない。
下の写真はネットで見つけたもので、こちらが現在の東方明珠のまわり。
光陰矢のごとしを証明する写真です。
あ、また上海に行きたい。

ところで最近ぜんぜん更新してないけど、わたしのもうひとつのブログはまだ健在です。
興味のある人は以下から。 いえべつに、無理に読めとはいいませんが。
http://blogs.yahoo.co.jp/libai036/folder/1132098.html?m=lc&p=141

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百年の計

野田クンとプーチン君が会談をしたそうである。
相手の言い分をのんで消費税増税に道をつけた野田クンのことだから、暗礁に乗り上げたままの領土交渉もこのへんでかたづけてほしいものだ。
痛み分けってことでいいではないか。
北方四島の半分はロシアに渡すってことで。
とうぜん国民は、あるいは反対勢力は、おおよろこびで首相を攻撃するだろう。
そしたら、責任をとりますって、さっさと辞めちまえ。
そのいさぎよさが民主党の人気回復につながるかもしれない。

それ以上に、日本という国の百年の計に、これ以上ふさわしい政治決定はないと思う。
四島一括返還にこだわっているかぎり、何ひとつ展望なんか見えやしない。
中国に追い越され、ロシアから相手にされず、アジアで孤立したままになるのが関の山だ。
いろいろ政策上の事情もあるんだろうけど、プーチンは日本びいきのようにみえる。
彼がなんとか日本と仲良くしたいと考えているのに、ガンコな石になったようにそれに応えないのが日本のいき方か。
いつまでもこっちの言い分にこだわる人たちをみていると、ロシア人に対する偏見を感じてしまうけど、もはやかっての日本じゃないんだと、自分の実力についてもうすこし謙虚になるべきじゃないかい。

ロシアの不法占拠は許さないという人の意見は聞きあきた。
歴史というのはそういうもので、ヨーロッパの国境なんて、現在は平和な世の中だからみんな黙っているけど、文句をいいたい国はたくさんあるんじゃないか。
アメリカという国だって、現在あるのはアングロサクソンの不法占拠じゃないのか。
南米でポルトガル語やスペイン語が話されているのはどういうわけだ。
だいたい日本とロシアで国境を定めたとき、その土地にもとから住んでいた原住民の都合は聞いたのか。

ああ。
わたしは生きているあいだに北方四島にも行ってみたい・・・・・・

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2012年6月18日 (月)

アップル

アップルのスティーヴ・ジョブズ君は死んじゃったけど、彼の遺産は脈々。
最近iPodを買って、目下のところは毎日ネットから音楽を収集しているところである。
ジョブズ君の信念は不動、不敵なものであったようで、あたるをさいわいなぎ倒し、けちらかしながら進んでいたんだなあってしみじみ。
くわしい説明はしないけど、アップル公認のソフトでいくらでも音楽が集まっちゃう。
あの、これって困るんですけどと、わたしがミュージシャンならいいたくなってしまいそう。

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2012年6月17日 (日)

クレズマー

土曜日の新聞にイスラエル民謡の 「マイム・マイム」 についての記事があって、胸騒ぎする哀愁の音楽であると書いてあった。
その手の音楽は好きだから、どんな曲なのかと YouTubeに当たってみた。
すぐに見つかった。
まことに YouTubeのデータベース、あるいは百科事典としての能力はおそるべし。

「マイム・マイム」 について調べると、必然的にユダヤ人の音楽であるクレズマーにも行き当たる。
両方ともバイオリンやアコーディオンを前面に出した、一聴すればすぐわかるけど、フォークダンスで使われている軽快な音楽ではないか。
軽快といってもその底に哀愁が流れているところはジンタの調べみたいである。

「マイム」 やクレズマーについて、これ以上エラそうなことをいう資格はわたしにはないけど、そのうちに (またつまらないことを) 思い出した。
クリント・イーストウッドが監督した映画 「バード」 の中に、クレズマーが登場していたってことを。
この映画はジャズの巨人チャーリー・パーカーの生涯を描いたもので、劇中にミュージシャンたちが食うためのアルバイトとして、教会で結婚式の音楽を演奏するシーンがある。
この結婚式は黒い服を着たユダヤ人のものだったから、クレズマーが使われるのは当然だけど、この映画の中ではバードことC・パーカーのジャズ演奏より、この曲のほうが印象に残っているくらい楽しい曲だった。
正式の名称については知識はなくても、その音楽はとっくにどこかで聴いたことがあるっていう実例のひとつみたい。

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2012年6月15日 (金)

このごろ

やることがなくて退屈なときには、机のまえで旅行について考えるのがわたしのヒマつぶしである。
それはいいんだけど、ギリシャだとかスペインだとか、わたしの行きたい国はみんな経済的に不調で、ユーロから脱退なんて騒がれているところばっかり。
でもこれは当然といえば当然といえる。
あしたはあしたの風が吹くってノーテンキな国がわたしの希望で、仕事に追われ、時間に追われているようなきっちりかっちりした国に行きたくないってのが本音だから。

目下のところはギリシャに行きたくて、パソコンでいろいろ調べているけれど、あの国の人たちは国からの手厚い支援に満足して暮らしていて、それじゃあ破産するのは当然だから、緊縮財政に移行しようというのを、ふざけるなって抵抗しているらしい。
そういう身勝手な言い分で国内はごたついていても、部外者の日本人観光客にはたいして影響がないのではないか。
いまでもギリシャ旅行、地中海クルーズなんてのはちゃんと募集しているし。

それにしてもわたしのパソコンは気のきいたやつだ。
そんな気がないときでも、しょっちゅう画面にギリシャ旅行の広告が出る。
オレの気持ちがどうしてわかるの? と訊きたいけど、これはつまり、わたしの好みを探知するソフトが、わたしの知らないあいだに組み込まれちゃったってことらしい。
YouTubeだってそうでしょ。
このあいだ馬の種付けの映像を感心してながめていたら、つぎからいろんな動物の種付け場面ばかり出てくるようになった。
便利でいいけど、わたしの好みが他人に漏れていると思ったら、あまりうれしくないぞ、こりゃ。

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2012年6月14日 (木)

いいんだろうか

わたしは仲間うちでは著作権にうるさいほうで知られている。
ところがiPodを買って最近気がついたんだけど、ネット上、たとえばYouTubeの中などには、iPod用の音楽がこれでもかっていうくらいあふれている。
ネットというのは広大なデータベースだから、音楽も古今東西のあらゆる音楽が網羅されているといって過言じゃない。
詳しく説明しないけど、わたしの音楽ファイルは増える一方だ。
こんなことでいいんだろうか。
もはや著作権というものは奔流の中のちっぽけな木の葉にすぎないようだ。
いや、ホント、すばらしい時代、いや、ひどい時代に生まれついて幸せ、いや、不幸であると、著作権協会のおじさんたちの代弁をしてしまう・・・・・・

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2012年6月13日 (水)

上海

NHKのBSで放映している 「世界ふれあい街歩き」 というテレビ番組に、昨夜は上海が出てきた。
わたしは上海という街が好きで、これまでに10数回も出かけている。
はじめて出かけたのは1992年だから、もう20年も前のことだ。
当時は鄧小平の改革開放がようやく軌道にのったころで、まだ人々がおずおずと市場経済へ足を踏み出したころだった。
そのころの上海には現在のように高層ビルが乱立しているわけでもなく、黄浦江ぞいにそびえる戦前からのビルがまだその存在感をきわだたせていたから、わたしはここでもぎりぎりで古い時代をのぞき見ることのできた世代ということになる。

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わたしは同じ中国の都会でも、北京にはあまり興味がない。
なんで上海が好きなのか。
つらつら考えると、冒険小説の舞台にふさわしいロマンがあったからってことらしい。
かっての上海には租界というものがあり、それは中国にあって中国ではない不思議な空間であり、その内部には、特権階級の欧米人がおり、秘密結社やギャングや日本の間諜が暗躍し、よごれた苦力たちがうごめき、阿片窟があり、金髪の娼婦がおり、グロテスクな見世物があった。
上海にはまさに魔都という名にふさわしい都市だったのである。

魔都なんていう言葉はどうも人間をひきつけるものらしい。
そのころの上海の悪名は欧米にまで鳴りひびいていて、その名前は書物や映画や演劇にしばしば登場する。
『上海リル』 という歌で知られるアメリカ映画「フットライトパレード」や、本邦の 「上海バンスキング」 は、そんな上海を舞台にした物語だ。
日本の流行歌、ついいま熱中している懐メロになっちゃうけど、そこでも 『上海帰りのリル』 だとか 『夜霧のブルース』 なんて、みんな上海をテーマにした歌だ。
むかしの上海では寝ているうちに拉致されて売っぱらわれちゃうということがあったみたいで、英語には Shanghaing=拉致する なんて単語もあるそうである。
そんな歴史を知らない人には北京も上海も同じようなものだろうけど、なにしろわたしはロマンチストなのだ。

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わたしが上海を訪ねているあいだにも、この街ははげしく変わっていった。
最初に出かけた1992年から、最後に訪問した2008年まで、わたしははからずも、ひとつの都市が、この場合は北朝鮮の平壌ような閉鎖された都市から、ニューヨークのような繁栄と退廃の近代都市に変貌するまでを、ずっとながめ続けてきたことになる。

前述のテレビ番組の中に、人民公園わきの上海美術館が出てきた。
なんでも租界時代は競馬場のクラブハウスだった建物そうだけど、わたしが最初に行ったころは、この建物はたしか華僑飯店というホテルだったはず。
そのころはまだ市内に、戦前からの建物がたくさん残っていたのである。
近代化されて古い建物が消滅してしまうのは嬉しくないけど、番組を観るかぎり、路地の奥にはまだまだ古い中国人の生活はたくさん残っているみたいだ。
あ、またひとっ走り上海に出かけたくなった。
なにしろいまでは上海は、日本からもっともお手軽に出かけられる外国のひとつなのだから。

いちばん上の写真は、中央に小さく見えるのが建設中の東方明珠テレビ塔。 現在のこの付近と比べると、まさに隔世の感がある。
つぎの2枚はいずれも20年前の上海市内にて。

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2012年6月12日 (火)

ホタル

今年もホタルの季節だ。
はたしてどのくらいわいたものかと、ほたるの里までぶらぶら出かけてみた。
わいたなんて書くとボウフラみたいだけど、うちの近所はあまり有名ではないホタルの名所である。

昨夜確認したところでは10コぐらい、ヤブの中でひそやかに光っていた。
なんだ、10コかなんていっちゃいけない。
そんなに広い場所ではないし、10コも光ればりっぱなもの。
そのうちホタル祭りなんてものが開かれるはずだけど、べつに祭りの日でなくても、 ホタルはひと晩中無料で光っている。                                             
観に行くなら今月中だ。

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2012年6月11日 (月)

踊子

ここんところ懐メロに分類される音楽を聴くことが多いんだけど、不思議な気持ちになってしまうことがある。
たとえばいま iPodで、三浦洸一 (知らねえだろうなあ) の 「踊子」 って曲を繰り返し聴いているんだけど、この曲の発想もとはもちろん川端康成の 「伊豆の踊子」 だ。
「伊豆の踊子」 は創作小説だから、この踊子は架空の人物だ。
架空といっても康成さんが若いころは、まだ伊豆あたりには似たような境遇の旅芸人が足しげく往来していたものと思われる。

康成さんの青春時代にわたしはまだ生きていなかったけど、旅芸人というのはいったいいつごろまで存在していたのだろう。
たとえば昭和の中ごろまで、まだテレビもなく、娯楽といったら芝居や寄席ぐらいしかなかった時代には、まだ各地に旅芸人というものが存在していたかもしれない。
ひょっとするとわたしは、乳飲み子のころ父親に背負われて旅芸人の踊子を見られた最後の世代かもしれない。

そんな最後の世代の旅芸人の踊子がいまも生存していたとしても、こりゃそうとうのおばあさんだ。
ここでふたたび川場康成の 「伊豆の踊子」 にもどるんだけど、主人公の踊子がおばあさんになって、どこかの老人ホームで余生をおくったとすると、彼女はどんなふうに青春時代の学生さんとの邂逅を思い出すのだろう。
原作があまりにも新鮮な青春小説であり、歌の歌詞はまたそれをよくほうふつさせる名曲であるので、わたしの連想はついつい時空をさまよってしまう。

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2012年6月10日 (日)

菖蒲祭り

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家にひっこんでブログばかりに熱中していたのでは体によくない。
新聞を読んだら東村山市で菖蒲が、府中ではアジサイが開花したそうなので、どっちにしようか迷ったあげく、ま、府中は最近行ってきたばかりだからなってわけで、今日は東村山まで菖蒲を観にいってきました。

菖蒲祭りは始まったばかりで、いろんな屋台が出ていて、だいぶにぎやか。
それにしても日本人はどうして、なんでもお祭りにしてしまいたがるんだろう。
もっとひっそりと地域の人たちだけで楽しもうという気にならんのかねと、人ごみのキライなわたしは、ついそう考えてしまいます。
観光客が落とすお金を頼りにするなんざさもしい考えだ。

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メシを食ってなかったので、屋台をうろうろのぞいて歩いたら、欧米人の若い美人がドネルケバブの店を出していました。
トルコに行ってきたばかりのわたしは何んとなくなつかしくなってというとウソですが、彼女の屋台にはあまり人が寄っていませんでした。
近郊の人はぜひ東村山の菖蒲祭りに行って、ケバブを食べてやってください。

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2012年6月 8日 (金)

値上げのお願い

うちにもとうとう来ました。
いえ、召集令状じゃありません。
東京電力から電気料金値上げのお願いってやつ。
これがそうか、これがいろいろ問題になっているアレかって、眼光紙背に徹するいきおいでにらんでみる。
見出しがゴシックである以外は、ほとんど丸ゴシックだ。
なるほど、ソフトな印象を与えるためにフォントまで考えたなと思う。

内容は、もちろん専門家が頭をしぼって考えた文章だ。
もっともらしい値上げ理由が列挙してあって、マスコミに叩かれているようなことは、いっさい、お首にも出してない。
これでは人のいいわたしなんか、そうか、東電も大変なんだなって、つい同情したくなってしまいそう。
そうやってごまかして、なんとか値上げを通したら、あとはもう知らん顔、またぞろ役人体質の経営を続けるんだろうなあって思ってしまう。

トヨタ自動車が円高やリコール問題に苦しんで、経営者が地べたをはいずりまわるような努力をしたってのは知っているけど、東電がそんな努力をしたなんて聞いたことがない。
オレたちがいなけりゃトヨタもソニーも存在できんよ、ふっふっふっとほくそえむ東電の経営陣の傲慢な顔が目にうかぶけど、こういうのに鉄槌を下す方法はないもんかね。
値上げなんか認めませんといってみようか。
でもどこへ主張すればいいのかしら。
ウチの光熱費は銀行自動引き落としだし、このままずるずるといってしまいそう。

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2012年6月 7日 (木)

水車

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今日の新聞に深大寺の水車が新しくなったという記事。
わたしの散歩道のとちゅうにある水車も最近新しくなったから、てっきりこれのことかと思ったら、どうもそうではないらしい。
新聞記事のほうは調布市深大寺の水車館の水車とある。
ここんところちょっと足が遠のいていたから気がつかなかったけど、深大寺もわたしの散歩コースで、そういえばあの近くにも水車があったっけなあと思いだす。

今日のブログで紹介するのは、大沢村の水車。
ほたるの里の近くにあって、この春に新しくなったばかり。
新しすぎる水車というのはまわりの風景になじまないので、もうすこし時を経て、コケでもついたほうがいいようだ。

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2012年6月 6日 (水)

たくましさ

やっぱり描いてますよ。
新聞のマンガでしりあがり寿さんが。
オウムの菊地直子サンが、どうやったらあんなに痩せられるんだろうって。
わたしの知り合いの女性の中にも、なんとか痩せようと四苦八苦してる人がいるけど、直子サンはさしづめそんな女性たちのあこがれの星だな。

世間は不景気で仕事がないって四苦八苦している学生さんも多いみたいだけど、直子サンなんか指名手配されているにもかかわらず、ちゃんと仕事をみつけて、しかも同棲相手と併せると40万円もの月収があったそうだ。
これなら国民健康保険も年金もちゃんと払えて、たまには海外旅行だってできるんじゃないか。
もうひとりの手配犯の高橋克也クンも、いろいろ不自由な状況であるにもかかわらず、なんと貯金が1千万円もあったうえ、15年以上もちゃんとアパートを借りて自活していたらしい。
彼らのたくましさだけは見習う必要があるみたいですよ、就活中の学生さんは。

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2012年6月 5日 (火)

旅のムシ

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イスタンブールの紀行記が一段落して、早くもまた旅のムシがむずむず。
懲りない男といわれそうだけど、本気で出かけるのは年に数回。
たいていは部屋で机にむかってぼんやり空想しているだけだから罪がない。 金もかからない。

ナショナル・ジオグラフィックという雑誌は写真がすばらしいことで知られているので、わたしはそのホームページを「お気に入り」に登録して、しょっちゅう写真を閲覧している。
添付した写真もNG誌で見つけたもので、最初見たとき、なんじゃこれはと思った写真である。
海岸で遊ぶ親子連れと飛行機がアンバランスで、超現実的な光景に見える。
でもこれはトリックや合成ではなく、広角レンズを使って遠近すべてにピントをあわせた無修正の写真だ。

こんな光景がじっさいに見られる場所が存在するらしいので、調べてみたら、これはカリブ海にあるセント・マーチン島というところで撮られた写真だった。
かっての香港の啓徳空港が、やはり建物の屋根すれすれに飛行機が離着陸することで知られていたけど、ここもビーチすれすれに飛行機が着陸するらしい。
どうもこの島ではこの超現実的な光景が観光の目玉らしく、画像を検索したら、同じようなビーチすれすれの飛行機の写真や映像がいくつも見つかった。
しかもこの事実は日本でもけっこう知られているらしく、日本人でもホームページにこんな写真・映像を載せている人がたくさんいる。

世界にはまだまだ驚きがいっぱいだ。
ほかに楽しみのない当方としては、やっぱり出かけるっきゃない!
ダメなら、せめて空想して楽しむっきゃないのである。

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2012年6月 4日 (月)

イスタンブール/旅に出る

旅に出る。
いい身分だねえと皮肉られてしまいそう。
世間には、それどころじゃない。
ダンナと別れ、小さな子供をかかえ、明日の生活に追われる人もいるだろう。
認知症の母親をかかえ、介護と自分の生活でてんてこまい、海外旅行なんか夢のまた夢という人もいるだろう。
そういう人に対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、お気楽な生活をしているわたしは、きっといつかその報いを受けるにちがいないから、うらやましがる必要はアリマセン。

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人間なら誰でも歳をとる。
自分の体力のおとろえは、ある程度まで自分でわかるものである。
3年前の自分の足ではこのくらい歩けた。
今年の自分の足ではこのくらい。
だとすれば3年後には、そのあいだにジョギングでもして足腰を鍛えようという気でもおこせば別だけど、たぶんこのくらいになっているだろうという予測はつく。

もしもあと数年で、自分の足では歩けなくなると考えたとき、人間はいったいどうするだろう。
もちろん、旅なんかに興味はない、家で家族といっしょにいるのがいちばん幸せだという人もいるだろう。
そういう平和で小市民的な人々はここでは無視して、放浪癖のある人、それが普通なら歳とともに衰退するはずなのにぜんぜん衰退しない人、いくつになっても少年のこころを持った精神的未熟児の人、つまりわたしみたいなタイプの人にお尋ねしたいのだけど、あなたならどうする。
西行や芭蕉ならどうしただろう。
元気なうちにすこしでも多く旅に出ようと考えるのではないだろうか。

人間はせっせと働いて老後に備えるべきだという人が多い。
老後というのはなんだろう。
人生とはいったいなんなのか。
せっせと働いて小金を貯め、いつかかならず来るはずの寝たきり生活に備えるのか。
元気なうちに思いきりやりたいことをして、あとは野となれ山となれでいくか。
アリとキリギリスの話って、ほんとうに真理をついているんだろうか。

悩みつつ、わたしもいつか人生の後半をむかえてしまった。
この長寿社会で、かりにわたしが100歳まで生きるとしたら、わたしの人生はまだまだ先があるという考えもある。
しかしその大半を、腰がイタイ、心臓がワルイ、目がショボショボ、足がガクガク、自分の足で歩くこともままならないで送るとしたら、そんな人生になんの意味があるだろう。
だいたい仕事もできなくなって、国民年金や健康保険を浪費するために生きていたんでは、あとから来る若いもんに迷惑だ。
結婚をせず、子供もつくらなかったわたしは、切実にそう感じている。

わたしはこれまでの人生で、わたしよりずっと苦労をしてきたと思える友人が、病死したり自殺したりしたのを見てきた。
まじめに働き、家庭のために粉骨砕身の努力をし、ようやくひとかどの人生を築きあげてきた人が、一瞬の津波ですべてを失った現場も見た。
これでは運命というのはまったくランダムなもので、幸せも不幸もあらゆる人間に平等におとずれるという確信を持たざるを得ない。
せっせと老後にそなえた人間が、かならず幸せな老後を送れるとはかぎらないのだ。
だから元気なうちにせっせと遊んでしまうのだというのは、危険で反社会的な考えであり、そう考えるに至った自分の精神に忸怩たる思いがいっぱいだけど、それに対して弁解もへ理屈をいうこともしない。
わたしにはもう時間がないのである。

これまで何もできなかったわたしが、いまさら世間のお役に立つようなことができるとは思わない。
運命という大河をただ無為に流されるだけの人生を送ってきたわたしは、残りの人生を、やはり無為に流されていくしかないのである。
そんなわたしがゆいいつ生きがいを感じるのが旅をしている瞬間だ。
だからわたしは旅に出たい。
そのかわり、審判の日なんてものがあるならば、そのときはすべての罪を肯定して、あまんじて罪に服そうと思う。

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2012年6月 3日 (日)

イスタンブール/旅の終わり

イスタンブールとお別れの日。
飛行機の時間は17時すこしまえである。
時間がありすぎるので、午前中にひとっ走り、トラムでブルーモスクのあたりまで往復してきた。
前日に見かけたギャラリーで、筆でさっと仕上げたセマーの絵を買ってきたのはこのときだ。
グランバザールものぞいてみたけど、荷物になるだけなので、もうみやげも買う気にはなれない。

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ふたたびトラムでホテルにもどった。
これでイスタンブールカルトも使い納めである。
カルトは16リラ分くらい残っていて、これはまた引き取ってもらえるそうだけど、いい旅の記念になるから日本に持ち帰ることにした。

ホテルのチェックアウトは12時なので、ぎりぎりまで部屋でねばる。
チェックアウトの手続きをしたとき、タクシーを呼びましょうかといわれたけど、まだ飛行機の時間まで5時間もある。
いえ、メトロで行きますと答えた。

荷物をごろごろとひきづってメトロの駅まで歩く。
いかにも旅行者という感じで、ぶっそうな国だったら心配になるところだけど、トルコ人でもけっこう大きな荷物をひきづっている人をよく見かけるし、にぎやかな通りだから問題もないだろうと思う。
いちど下見をしているから、メトロに乗って順調にアタチュルク空港に着いた。

時間がありすぎるので、まずフランス女優のジェーン・バーキンみたいな、ちょっとトルコ人ばなれした美人が働いている喫茶店でコーラを飲む。
彼女の写真を撮りたかったけど、となりにコワイ顔をした店の親父がいたので、うじうじ。
テーブルでパソコンを打って時間をつぶす。

コーラも飲み終わり、あとはさっさと出国手続きをすませ、出発ロビーの乗客待合室で時間つぶしをすることにした。
出国審査のカウンターはやたらに混雑していた。
いつも混雑しているのかどうかわからないけど、この日は異様な風体の人間が行列していたから、やっぱり何かイスラムの祭典があったのかもしれない。

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あるカウンターに、頭のはげたショーン・コネリーみたいな顔のおじさんが並んでいた。
顔だけ見るとなかなかいい男であるけれど、なにか審査官にいちゃもんをつけられたのか、おじさんはいきなり着物の前をパッとはだけた。
着物といってもインドの行者みたいな白い布きれをまとっただけで、その下ははだかで胸毛がもじゃもじゃ。 もちろんパンツははいていたけど。
3枚目の写真がそのコネリーおじさん。

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この日の空港にはこういうわけのわからない人間がたくさんいた。
待合室の床にもどこかのへんてこな宗教の信者みたいな連中がごろごろ。
4枚目の写真はその1例。
空港というのは人種のるつぼみたいで、こういう人間をながめているのはいい時間つぶしになった。

往路でこりているから、帰りは窓ぎわの席にしてもらった。
早めに手続きするとわりあい自由に席を選べるようだ。
飛行機は40分ほど遅れたけど、もはや驚かない。
飛行機が離陸したのは、現地時間の18時半だった。

かくしてわたしのイスタンブールの旅は終わり。
あまりにもだらだらと間のびした旅だったかもしれないけど、わたしはマイペースで十分に楽しんだ。
わたしの信念のひとつ、家や車はどんな立派なものでもあの世には持っていけないけど、思い出は持っていけるだろう。
そんな思い出がまたひとつってわけだ。

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イスタンブール/宴のあと

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セマーは50分ほどで終わった。
ビールもワインもなくなった。
帰る客もいた。
わたしも帰ろうかと思ったけど、店のオーナーのバイラム氏の姿が見えない。
彼にひとこと挨拶してから帰ろうともたもたしているうち、なんだかにぎやかなお囃子が始まった。
演奏はテープのようだったけど、これに合わせて2階から半裸の美女がベリーダンスを踊りながら下りてきた。
このレストランではまだショータイムが終わったわけではなかったのだ。 帰らないでよかった。

それにしてもべリーダンスは官能的な踊りである。
イスラムでは女性が肌を見せることを禁じているくせに、その一方でこういう露出過多の踊りが存在するってことは、ダブルスタンダードではないか。
そのへんをどう考えるのかと、トルコ政府関係者や宗教指導者に問い詰めてみたいけど、もちろんそんな野暮をいってヤブヘビになっても困る。
このさいのわたしは、やっぱり無心で鑑賞するにかぎるのである。

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ベリーダンサーはひとりだけだったけど、それが終るとさらにショーの続きがあった。
今度はセマーのときとは異なる、ラフな服装の3人の楽士があらわれて、バイオリン、鼓のお化けみたいな打楽器、琴のような民族楽器の3種で、これは宗教とはぜんぜん関係のない軽快な音楽を演奏し始めた。
おそらく、ロマ (ジプシー) たちの伝統音楽だと思うけど、思わず踊り出したくなるような楽しい音楽である。

バイオリンを弾く若者が演奏をしながら客席をまわり始めたので、慌ててわたしもチップの用意をした。
こういう場合はいくらチップを払わない主義のわたしでも、ちゃんと出すのである。

彼らの演奏が終わるころ、ようやくバイラム氏があらわれて、おおげさにわたしの肩を抱いて、よく来ましたねという。
こういう挨拶に馴れてない極東の島国の住人としては、とまどうことしきり。

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すぺてのショーが終ると、バイラム氏に案内されて店の外のテーブルに移動した。
そこに先ほどの3人の楽士が集まっていて、ここでは仕事をはなれ、まったく自分たちの余暇として楽器を鳴らしていた。
ここでトルコ・ワインを1杯ご馳走になる。
わたしがうぶな若い娘だったら、シンデレラになったような気分だっただろう。
楽士たちと同席して、くつろいで音楽を聴くなんて、じっさい映画のワンシーンのようである。

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まだチップを絃にはさんだままのバイオリンを弾く若者は、見たところまだ少年のようである。
彼はいくつですかとわたしが訊くと、バイラム氏が答えて16歳だという。
黒い髪の、まだ幼さの残るその風貌は、おそらくロマ (ジプシー) の末裔にちがいないと思うけど、さてみなさんはどう思う。
こんな話をしても信用してもらえないかもしれないから、わたしもいっしょに記念写真を撮っておいた。

彼らと別れて、いくらか千鳥足でホテルにもどった。
ここはイスタンブール、あこがれのトルコの大地。
わたしがひとり旅でなかったら、はたしてイスタンブールでトルコ・ワインをご馳走になるなんて僥倖に出会えただろうか。

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2012年6月 2日 (土)

イスタンブール/セマー

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セマー (旋舞) について説明しようかと考えたけど、これも調べる気があれば、ウィキペディアにも詳しい解説が出ている。
「メヴレヴィー教団」 というキーワードで検索してもいい。
なんで旋回するのかということも、調べりゃわかる。

そういうことで、わたしのブログで説明はなし。
もともとは宗教儀式だけど、そういわれりゃ日本にも踊り念仏というものがあった。
信仰にいちずに没頭して思いつめると、人間はついわれを忘れて踊りたくなってしまう場合もあるらしい。
原宿のホコ天や、よさこいなんとか祭りで踊る女の子たちも、遠因をつきつめれば同じ心理なのかも。

神聖な宗教儀式を、レストランで酒を飲みながら見物していいのかという意見もあるかもしれない。
そんなこといったって。
わたしは断言するけど、イスタンブールでセマーを観る観光客の99パーセントは、ショーとしてこれを観ているのである。
イスタンブールの側にも、数えきれないくらいセマー専門のダンサーがいるのではないか。
彼らの中にも、これはビジネスと割り切っている者がいないとはいえない。
だからそのへんはお互いに納得して、見ても、踊っても、かまわないだろうと思う。

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夜になってバイラム氏のレストランに行ってみると、氏は不在だったけど、承っておりますってことで、わたしはいちばん前の席に案内された。
フロアの中央に空間がこしらえてあって、そこがダンスフロアである。

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やがて登場したのは、まず、写真で見たとおりのスタイルの、いずれもたけの高い帽子をかぶり、黒いガウンをはおった楽士が3人で、まん中の楽士は歌手兼司会者。
ほかに、ギターというか琵琶というか、伝統的な弦楽器がひとつと、シンセサイザーのような、これは電子楽器のようだったけど、そういう楽器がひとつ。
この演奏は宗教音楽であるから、のんびりした御詠歌みたいで、よほど関心のある人でないと、聴いて楽しいものじゃない。

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演奏にすこし遅れて、4人のセマーゼン (ダンサー) が登場した。
すべて男性で、もったいぶった所作で床に座り込み、ゆるゆるとガウンをぬぎ、やがて立ち上がってゆっくりとフロアで旋回を始めた。
白い衣装にスカートという特異なスタイルで、めずらしい行為だから、これはわたしも興味をもって真剣にながめた。

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旋回はすこしづつ早くなる。
ダンサーたちは旋回しつつも、まじめに瞑想しているようである。
目がまわらないのかなあと、また野次馬的心配をしてしまう。
こんな調子だから、無神論者を自負するバチ当たりのわたしには、人生を7回やりなおしてもセマーの意義はわかりそうにない。
でもそれでいいのだ。
わたしは宗教に深く立ち入りたくない。
西洋人が日本の “禅” に興味をもつように、わたしは文化のひとつとしてこれを見るのである。

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イスタンブール/バイラム氏

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バイラム(BAYRAM)氏はレストランのオーナーである。
彼に出会ったのは、トラムのギュルハーネ駅のちかく、スルタンアフメト駅からスィルケジ駅に向かって線路がぎくしゃくと折れ曲がったあたりである (写真参照)。
彼はレストランのオーナーの責務として、店のまえで腹をへらした観光客がやってこないかと目を光らせているところだった。
もっとも黒いサングラスをしていたから、目が光っていたかどうかはわからない。
彼は熟年であるけれど、なかなかハンサムで、黒い背広にサングラスをしていると、フランス映画に出てくるギャングのボスのようである。

ある目的でもって先を急いでいたわたしは、彼に呼び止められた。
腹なんかへってなかったけど、ふと見ると彼の店のまえに 「セマー」 の看板が出ていた。

セマー (旋舞) というのは、なんとかいうイスラムの教団で、男性信者がほとんど恍惚状態になってくるくるまわる、一種の宗教儀式のような踊りである。
ベリーダンスとならんで、その特殊性からトルコの名物になっており、今回の旅ではわたしもぜひ観たかったもののひとつだ。
じつはこのときのわたしは、セマーの公演をしているホジャバシャ文化センターというところへ、今夜の公演があるのかどうか確認にいくところだったのである。

セマーがレストランで、ワインでも飲みながら観られるならそのほうがいい。
で、わたしは彼のレストランで、夜の公演を予約していくことにした。

チャイをご馳走になりながらバイラム氏と話す(もちろんカタコトの英語だけど)。
わたしの職業はと訊かれてちょっと悩んだ。
どうやら彼はわたしのことを、日本から来たインテリゲンチャーと思っているらしい。
そういう人の期待をうらぎることはできない。
で、とりあえずペインター (絵描きのつもり) であると答えておいた。
彼のほうで勝手に理解して、アーチストですねという。
わたしは青春時代にほんとうにマンガ家を目指していたことがあるし、女の子のヌードくらいならいまでもさらさらと描けるから、これなら深く追求されても困らない。

わたしも絵が好きです。コレクションを見せましょうといって、彼は画集のようなものを持ち出してきた。
画集といっても、写真に転写した絵ハガキくらいの小さな絵が、30枚ばかり、スクラップブックに並べてあるだけだった。
わからないのは、これをバイラム氏本人が描いたのか、それとも趣味のコレクションとして集めたのかということだ。
あなたが描いたのかというと、ウンといったような、そうでないような。
しかしどうみても同一人物が描いた絵だし、わざわざ集めたくなるような特別な価値がある絵とも思えない。
目の前の人物は絵描きというより実業家というイメージなんだけど、ま、実業家でも絵を描くものがいたって不思議じゃない。
あるいはトルコの絵描きで、実業家スタイルが好みというものがいるのかも。

無理やり納得して、わたしは夜の公演のチケットを買っておいた。
バイラム氏は、あなたのためにいちばんいい席を取っておきましょう。 そのときトルコ・ワインをご馳走しましょうともいう。
なんだかほんとに映画のようになってきた。

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いちばん下の写真はバイラム氏。
個人情報の遵守なんてものに反発しているわたしも、ここでは彼の写真をおおっぴらにするのは控えることにする。
サングラスをするとちょうどこんな感じである。
この写真は夜になって再会したとき撮ったもので、昼間はスーツにネクタイをしていたからコワモテ。

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2012年6月 1日 (金)

イスタンブール/地下宮殿

ヴァレンス水道橋のところでふれたけど、まじめな為政者にとって、大都市に水を供給するのは大変な仕事である。
人間は水がなかったら生活が成り立たなず、生きていくことさえままならないから、繁栄した都市の背後にはかならず整備された水道があるはずである。
日本では墨田区にある江戸東京博物館に、江戸時代の水道のしくみがジオラマで展示されている。

イスタンブールには地下宮殿というものがある。
これは古い時代の貯水池で、ヴァレンス水道橋から導かれた水がここでたくわえられたとある。
なんでも世界遺産だそうだけど、ま、詳しいことはまたネットで調べてほしい。
あまり名所旧跡に興味のないわたしだけど、これは2年前の旅行でまったく見学しなかったところだから、話のタネに出かけてみた。

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地下宮殿の入口はアヤソフィアのすぐ近くにあるけど、モノ置きみたいな建物で、地上から見たのではとてもそんな大きなものが地下に埋蔵されているとは思えない。
そんな入口に欧米人観光客が列をつくっていた。
チケットを買って入場すると、すぐ階段だ。

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階段を下りるとそこに、暗闇の中に、とても貯水池という雰囲気じゃあない空間がひろがっている。
アーチ型の屋根と、それを支えるための無数のコリント式の円柱がならんでいて、これはまあ、たしかに宮殿といってもいいんじゃないかと思えてしまう。
柱がじゃまだけど、ずうっと先まで見通すと、広さはサッカー場くらいあるみたいだった。
うーんと考える。
貯水池用の穴を掘るだけなら誰にでもできるけど、掘った穴に屋根をつけるのは素人にはむずかしい。
あとから屋根をつけたのか、モグラみたいに地面を掘り進んだのか、そのへんがよくわからないけど、掘削機械のなかった時代のものとしては、めっちゃ壮大な土木工事だったはずである。

またしても007の映画になっちゃうけど、ここは 「ロシアより愛をこめて」 のロケ地として使われている。
ホントかウソか、地下宮殿のすぐ上にロシア大使館があることになっていた。
どれどれとジェームス・ボンドがボートをこぎだして偵察にいくと、無数のネズミがあらわれる。
映画の製作当時はドブネズミがたくさんいたのかもしれない。
あ、現在はネズミは一掃されたみたいだから、そういうもののキライな人も心配いりませんよ。

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地下だから、ひんやりとしていて気持ちがいい。
床はぬれている。
そんな暗やみのなか、コンパクトデジカメでいい写真を撮るのはむずかしい。
ここに載せたのはなんとか撮れたもの。

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地下宮殿の奥のほうにメドゥーサの首の彫刻があるそうである。
メドゥーサというのはギリシア神話に登場する怪物の名前で、その姿をひと目見たものは石になってしまうとされる。
わたしは地下の売店の女の子の写真を撮ろうとして、ダメですよといわれ、仕方がないからスルタンに扮したアルバイト君の写真を撮っていたので、そんなものがあるなんて気がつかなかった。
それでもイスタンブール観光をしたっていえるのかと叱責されそうだけど、そんなのこっちの勝手でしょ。
メドゥーサの首を見て石になりたくないもん。
ただでさえ、わたしの人生は Like a rolling stone なんだから。

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イスタンブール/グランバザール

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さて、グランドバザールだ。
せまいところに異国情緒満載の小さな商店が軒を接して、まるで迷路のようになった異次元空間で、イスタンブールに来る観光客でここを知らない人はいないだろう。
というくらい有名なポイントだけど、じつは、つまらないところである。
イスタンブール2度目の訪問のわたしにとっては、つまらないところである。

どうしてつまらないかというと、観光地化しすぎということはもちろん、わたしには買うものがないからなのだ。
わたしは郷土の物産に興味があるけれど、それが目的ならエジプシャンバザールのほうに行く。
グランバザールのほうはまったく観光みやげのバザールに堕落した。
その商売がどんなものか紹介しよう。

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買うものがないと書いたばかりだけど、じつは今回ひとつだけ目的をもってグランバザールに出かけた。
トルコの名産に海泡石のパイプというものがあって、人の顔や文様などを手彫りで彫刻した、これはちょっとした芸術品である。

わたしはタバコを吸わないんだけど、この海泡石のパイプだけは欲しかった。
で、ある日、グランバザまで出かけて、これを買うつもりで値段を聞いてみた。
270リラ (1万3千円ぐらい) だという。
そりゃ高い。
すくなくとも、わたしが買ってもいいと考えていた値段よりだいぶ高い。

そりゃ高いぜ、要らんと、これはかけひきではなく本音だったんだけど、そういうと、相手はいくらなら買いますかときく (ここには日本語のわかる店員がたくさんいるのである)。
(ついでにいうと、店員はすべて男で、女性の店員はまったくいない)。
買う気がないからこちらもいいかげんに50リラだなと返事したら、あなたは日本人から来た友達だからと勝手に友達にして、まけましょうと言い出した。
こうなると引っ込みがつかなくなって、けっきょくその値段で1コ買わされてしまった。

帰国してからいろいろ調べてみたら、海泡石を砕いて粉末にしたものを、型押ししただけの偽物のパイプもあるそうである。
本物の手彫りの芸術作品がそんなに簡単に安くなるはずはないから、わたしの買ったものはおおかた偽物だったのだろう。

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グランバザールというのはこういうところだと理解しておいたほうがいい。
初めて見る人には、グランバザールの雰囲気はめずらしいものだし、値切り交渉も楽しいから、行ってみるなとはいわない。
旅の記念だという付加価値に重きを置くなら、ここでの買い物にはそれなり意味があるだろう。
ただ、たとえばトルコ石なんか、ネットで調べると大手の旅行会社が連れていくみやげもの屋でさえ、偽物をつかまされたなんて情報が見つかる。
グランバザで買い物をするなら、最初から品物ではなく、付加価値に金を払っているのだと割り切ったほうがいいみたいである。

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わたしの場合、もとより貴金属に興味はないし、絨毯はデカすぎる、甘いお菓子はキライ、お皿や食器にはなかなかいいものがあるけど、そんなもので食事をするほどわたしは裕福な生活をしていない。
チャイやコーヒーの道具、水パイプ、民族楽器などはがさばるし、スカーフなんかがさばらなくていいけど、そういうものが中国製でないという保証はない。
わけのわからない小物もあったけど、わけのわからないものなんか買っても仕方ない。
そうやっていちゃもんをつけていくと、けっきょくわたしの買いたいものなんてひとつもないってことになってしまうのである。
魔よけのナザールボンジュのキーホルダーぐらいならお手軽だけど、それは前回の旅で買ってしまったしねえ。
というわけで、海泡石のパイプを買いにいったときに、ちらりと見てきた写真でお茶をにごして、バザールは終わり。 スイマセン。

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