イスタンブール/セマー
セマー (旋舞) について説明しようかと考えたけど、これも調べる気があれば、ウィキペディアにも詳しい解説が出ている。
「メヴレヴィー教団」 というキーワードで検索してもいい。
なんで旋回するのかということも、調べりゃわかる。
そういうことで、わたしのブログで説明はなし。
もともとは宗教儀式だけど、そういわれりゃ日本にも踊り念仏というものがあった。
信仰にいちずに没頭して思いつめると、人間はついわれを忘れて踊りたくなってしまう場合もあるらしい。
原宿のホコ天や、よさこいなんとか祭りで踊る女の子たちも、遠因をつきつめれば同じ心理なのかも。
神聖な宗教儀式を、レストランで酒を飲みながら見物していいのかという意見もあるかもしれない。
そんなこといったって。
わたしは断言するけど、イスタンブールでセマーを観る観光客の99パーセントは、ショーとしてこれを観ているのである。
イスタンブールの側にも、数えきれないくらいセマー専門のダンサーがいるのではないか。
彼らの中にも、これはビジネスと割り切っている者がいないとはいえない。
だからそのへんはお互いに納得して、見ても、踊っても、かまわないだろうと思う。
夜になってバイラム氏のレストランに行ってみると、氏は不在だったけど、承っておりますってことで、わたしはいちばん前の席に案内された。
フロアの中央に空間がこしらえてあって、そこがダンスフロアである。
やがて登場したのは、まず、写真で見たとおりのスタイルの、いずれもたけの高い帽子をかぶり、黒いガウンをはおった楽士が3人で、まん中の楽士は歌手兼司会者。
ほかに、ギターというか琵琶というか、伝統的な弦楽器がひとつと、シンセサイザーのような、これは電子楽器のようだったけど、そういう楽器がひとつ。
この演奏は宗教音楽であるから、のんびりした御詠歌みたいで、よほど関心のある人でないと、聴いて楽しいものじゃない。
演奏にすこし遅れて、4人のセマーゼン (ダンサー) が登場した。
すべて男性で、もったいぶった所作で床に座り込み、ゆるゆるとガウンをぬぎ、やがて立ち上がってゆっくりとフロアで旋回を始めた。
白い衣装にスカートという特異なスタイルで、めずらしい行為だから、これはわたしも興味をもって真剣にながめた。
旋回はすこしづつ早くなる。
ダンサーたちは旋回しつつも、まじめに瞑想しているようである。
目がまわらないのかなあと、また野次馬的心配をしてしまう。
こんな調子だから、無神論者を自負するバチ当たりのわたしには、人生を7回やりなおしてもセマーの意義はわかりそうにない。
でもそれでいいのだ。
わたしは宗教に深く立ち入りたくない。
西洋人が日本の “禅” に興味をもつように、わたしは文化のひとつとしてこれを見るのである。
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