踊子
ここんところ懐メロに分類される音楽を聴くことが多いんだけど、不思議な気持ちになってしまうことがある。
たとえばいま iPodで、三浦洸一 (知らねえだろうなあ) の 「踊子」 って曲を繰り返し聴いているんだけど、この曲の発想もとはもちろん川端康成の 「伊豆の踊子」 だ。
「伊豆の踊子」 は創作小説だから、この踊子は架空の人物だ。
架空といっても康成さんが若いころは、まだ伊豆あたりには似たような境遇の旅芸人が足しげく往来していたものと思われる。
康成さんの青春時代にわたしはまだ生きていなかったけど、旅芸人というのはいったいいつごろまで存在していたのだろう。
たとえば昭和の中ごろまで、まだテレビもなく、娯楽といったら芝居や寄席ぐらいしかなかった時代には、まだ各地に旅芸人というものが存在していたかもしれない。
ひょっとするとわたしは、乳飲み子のころ父親に背負われて旅芸人の踊子を見られた最後の世代かもしれない。
そんな最後の世代の旅芸人の踊子がいまも生存していたとしても、こりゃそうとうのおばあさんだ。
ここでふたたび川場康成の 「伊豆の踊子」 にもどるんだけど、主人公の踊子がおばあさんになって、どこかの老人ホームで余生をおくったとすると、彼女はどんなふうに青春時代の学生さんとの邂逅を思い出すのだろう。
原作があまりにも新鮮な青春小説であり、歌の歌詞はまたそれをよくほうふつさせる名曲であるので、わたしの連想はついつい時空をさまよってしまう。
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