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2012年8月

2012年8月31日 (金)

アイディアと技術

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アップルとサムスンの訴訟合戦は、米国ではアップルの勝訴。
今日の夕刊をみると、日本じゃ逆の結果だ。

まさか竹島問題が、韓国に意趣返しをしたと思われたくないと、裁判官の心証に影響を与えたわけじゃないだろうけど、先駆者というのはツライよな。
ウインドウズではマイクロソフトにおいしいところを持っていかれ、今回はサムスンにせっかく思いついたアイディアを持っていかれる。
わたしは iPodを使ってみて、パソコンと連動するデータ移動をおもしろいアイディアだと思った。

しかしアイディアというのは、どんなに秀逸でも無形のものだから、ほかの方法で同じアイディアを使うことはむずかしくないだろう (とくにコンピューターの世界では)。
現にサムスンは、アップルとはちがう技術を使っているといってるそうだ。
これでは異なる技術を使えば、アイディアはいくらでも盗用できるということになってしまう。

創作の世界では技術よりアイディアが重要なのだいっても誰も聞いてもらえないのか。
マンガを描くことは誰でもできるけど、アイディアを考えることは、血肉をけずるような作業なんだと、このブログにときどき登場するしりあがり寿さんならいうだろう。
地下のスティーブ・ジョブズが歯ぎしりしているようすが目に浮かぶ。

写真は本文とはぜんぜん関係ない、散歩道のとちゅうにあるガード下の落書き。
この手の落書きにしちゃあ、絵ごころがないとはいえない。

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河野談話

前々項で、「だだっ子をなだめるために××がやむをえず出した談話を、鬼の首獲ったみたいにふりまわすな」と書いた。
この××のところには“河野”という文字が入る。
いわゆる「河野談話」のことである。
慰安婦問題については、わたしも強制連行はなかったとの立場で、つねづね韓国の言い分に劣等感まるだしの怨念みたいなものを感じていたから、こんなことを書いたんだけど、今日の新聞に河野談話の全文が載っていた。

で、はじめてこの文章に目を通してみた。
なんだ、全文も読まずに書いていたのかといわれると申し訳ないけど。

最近の傾向からすると、まるで河野談話が強制連行を認めたかのように書いてあるということで、保守派や右翼系から見直しの機運が出ているようである。
わたしも全文を読むまでは、おおかたそうなんだろうと思っていた。
しかしすくなくともこの文章を読んだかぎりでは、しごくふつうのおだやかな文章で、このていどなら何も問題はないと思う。
むしろ、どっちにでも解釈できるような記述もあり、もちろん書いたのは日本の優秀な官僚なんだろうけど、双方の顔を立てた名文であるかもしれない。

たとえば「官憲が直接これに加担したこともあったことがあきらかになった」という文章がある。
したこともあったというと、けっこうあいまいな表現になってしまう。
金は出すけど事業にはタッチしないという場合でも、直接加担したという意味にとれてしまう。
金を出した張本人が、いや、オレは事業に関係ありませんといっても通用しないのと同じだ。

「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が行った」
「その場合も、甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められた事例が数多くあり・・・・・」
わたしは当時の朝鮮の状況からして、日本軍がいい給料を払うからと募集すれば、親の借金の身代わりとなって、自ら慰安婦に応募した女性もたくさんいたと思うけど、ここでも表現はあいまいで、まあ、中にはそういうこともあっただろうなあと思うしかない。

「いずれにしても慰安婦の問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題である」
当時の軍が関与してなかったと断言できる人は、保守派にも極右の中にさえいないだろうから、これも間違っていない。
多数の女性の中には、生活に困窮した貧しい日本人の娘もたくさんいたんだけどね。

このあと河野談話は、ありきたりのたてまえ論みたいなかたちで終わっている。
だから問題は河野談話の見直しではなく、文句をいうならその後の韓国の対応にあるというべきだ。
大阪の橋下クンも強制連行はなかったといっているけど、彼も河野談話を読むまえのわたしと同じレベルらしい。

新聞の記事によると、韓国政府に登録された慰安婦は234人で、現在の生存者は61人だそうだ。
正確な数字がわかっているとは思わなかった。
このていどなら、今度こそこれが最後ですよといって、公式の謝罪と賠償でカタをつける手もあるのではないか。

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2012年8月29日 (水)

他人のブログ

わたしの知り合いでブログを持っている人がいるけど、どうもなにか書きたいという気持ちが先行しているようで、内容はいまいち (わたしのブログも威張れたもんじゃないことはわかっているけど)。

ひょっとするとこの知り合いはお酒を飲んだときに、半分酔っぱらってその勢いで書いているのかもしれない。
間違いのあきらかな単語が使われていて、これはワープロの変換間違いかなと思ったけど、2カ所で同じ間違いが使われているから、確信犯のようだ。
洒落や意識的なわるふざけとも思えない。
みっともないから注意してやろうかと思うけど、そんなにファンの多いブログでもなさそうだから、余計なことをいって恥をかかせるのもまずいと思って遠慮している。
わたしもときどき間違いをすることがあるけど、あとで読み返して、気がついたものはしょっちゅう訂正しているのである。

いまのところ24時間以上たって、まだ本人は気がついてないようだ。
ブログは世界中の人たちが読むものだから、早く気がつかないかなと彼のために心配しているところ。
彼がわたしのブログを読んで気がつけばいいのだが。

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2012年8月28日 (火)

ネトウヨ

夕刊にSAPIOについての記事。
SAPIOのことはこのブログでもときどき書いているけど、わたしから右翼雑誌と評価されている雑誌である。
新聞では右翼ではなく保守系雑誌になっていた。
どっちだっていいけど、ナショナルジオグラフィックとならんで、わたしが図書館でよくタダ読みする本である。
ゼニを出してまで読むことはないけど、国際問題や経済情勢などけっこう役にたつ本なので、みなさんもたまには本屋で立ち読みしたほうがいい。
といってもSAPIOは喜ばないだろうなあ・・・・・・

夕刊がわざわざ取り上げたのは、最近の号で、SAPIOが 「ネトウヨ」 批判の特集を組んだことについて。
ネトウヨというのはネット右翼のことである。
SAPIOもフツー人からするとかなり過激なところがあるけど、ネトウヨの活動はさらに過激である。
あまり過激なナショナリズムに陥ってはいけませんよと、あの桜井よし子さんまでがSAPIOらしからぬ発言だ。
内容の是非もさることながら、いろいろ裏の事情がおもしろい。

わたしはもともと革新であったり保守であったり、つまり相手によって行き当たりバッタリの人間だけど、同じ夕刊に、韓国が××発言 (ふせ字にしたのはいちいち説明すると長くなるから) に猛反発なんて記事を読むと、ふざけんな! だだっ子をなだめるために××がやむをえず出した談話を、鬼の首獲ったみたいにふりまわすなと、これはもうネトウヨみたいな発言になってしまう。
最近ネトウヨ的発言ばかりしたくなることが多いよな。
水風呂にでも入るか。

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2012年8月27日 (月)

オハグロトンボ

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暑くて部屋にひきこもっています。
たまに散歩には出ます。
散歩に出ると写真を撮ります。
これ、その1枚。
またマクロかいといわれそうですが、これはふつうのズームによるアップ。
それをさらにトリミングしたものですから、おもしろくもおかしくもない写真です。

今年はヘビもナマズもあまり見ません。
ブログのネタに窮すると、つい彼らのことを考えてしまいます。

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2012年8月26日 (日)

空蝉

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またセミかいといわれそうだけど、文句もいわずにおとなしく撮らせてくれるモデルはなかなかいませんからねえ。
それにしてもこうやってアップでみると、うぶ毛までくっきり。
空蝉なんていうと文学的だけど、現物はSF映画の怪獣みたいで、小さな子供が見たらひきつけを起こすかも。
鍬のような前足にはドロがこびりついていて、地中からようようはい出てきた彼 (彼女?)の生存への執念を物語っています。

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穴のあいだから

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「晴れた日には永遠が見える」 という映画があったけど、散歩していると虫食いで穴だらけになったサクラの葉がたくさん目についた。
その穴のあいだから、晴れた日に永遠ならぬ、夏の白い雲が見える。
熱中症をおそれずに歩き続けるわたしです。
いや、ホント、暑いねえ。
今回はありえない写真、つまり合成写真なんだけど。

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2012年8月25日 (土)

反論

日本と韓国のごたごたはメンツの張り合いになって、収まりどころがみえない。
どうしてこんなことになったのか。

韓国では大統領が代わると、前任者はこてんこてんに叩かれるのが普通で、刑務所に入れられたり自殺に追い込まれることもある。
そこで李大統領サンは、交代まえに可能なかぎりいいところを見せ、あわせて親日の後任者 (かもしれないとされる)にやっかいな問題を引き継いで、自らの保身を図ったというのが正解なのだろう。
こういうときに「日本」という駒はほんとうに使いでがある。

日本のほうでは、自民党の谷垣クンと密約した野田クンにとって降ってわいた僥倖。
ここで毅然とした態度をみせれば、国民の人気も上がり、落ち目の民主党にとって起死回生のチャンス、“近いうち”に選挙なんかしなくてすむかもしれない。

おたがいに選挙をひかえたこういう時期だから、決着はそう簡単にはつかない。
いい点は、韓国にこれまでの日本ではないということを示してみせたこと。
妄言という言葉を持ち出し、だだっ子みたいに大声を出せば、うんざりして引き下がったこれまでの日本じゃないんだぞという意思をはっきり示したこと。

これまでの日本は、泣く子と地頭には勝てないと大人の対応をしすぎた。
うまうまと相手のプロパガンダにのせられて、おかげで日本人は戦争中にひどいことをしたというイメージが、欧米を含めた世界中の国々の認識になってしまった。
竹島だってそのとき強制的に自国領にしたんだろうと思っている人が多いんじゃないか。
こんな状況では、ヘタをすると日本はますます孤立するだけかもしれないけど、やっぱり反論だけはいつもきちんとしておくべきだと思う。

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2012年8月24日 (金)

トリミング

写真にはトリミング (不要な部分を切り取って構図をととのえること) が欠かせない。
プロの写真の多くは雑誌や広告媒体に掲載することを前提にしていて、その場合レイアウトの必要性からトリミングすることもある。
三脚でカメラを固定して撮影する山岳写真でもあればともかく、ふつうの写真でまったくトリミングしないですむ写真はあまり多くないはずだ。

絵ごころのある人なら、ファインダーをのぞいたとたんに自然に構図を決められるだろうけど、露出やピントとちがい、個人の主観がかかわってくるので、こういうのがよい構図ですと説明するのは簡単ではない。
100人の撮影者がいれば100の構図があるという人もいるけど、しかし、どうしようもない構図というのもまちがいなくあるのである。

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ここに1枚の写真がある。
これはウィキペディアの 「阿波踊り」 の項に添付されていたものだけど、これぞプロの仕事といえるみごとな写真だ。
これをじっとにらんで思うんだけど、この写真は90パーセント以上の確率でトリミングされている。
なんでそれがわかるのか。

この写真では画面の上下、つまり中央の人間の手と足の先が、わずかに画面から切れている。
動いている人物を撮りながら、こんなに微妙に上下を切るのはプロの写真家にもむずかしい。
おそらく撮影された時点では、手か足のどちらかだけが切れていたのだろう。
あるいはちゃんと手も足も画面の中に入っていたのかもしれない。
どちらかが切れていたのではアンバランスだし、両方とも入っていたのでは、左右のひろがりと縦のひろがりの関係がしっくりしない。
というような理由で、撮影者は上下を均等に切って構図をととのえたのだと思われる。

これは一例だけど、構図をととのえるためにトリミングは重要なことなのである。
なんでこんなことを書くかというと、わたしの知り合いの中にも写真は一発で決めるのが大切で、あとでトリミングなんかするのはヘタクソな証拠と思っている人がいるようだからなのだ。
そうじゃないと力説しても、もちろんわたしの言い分なんぞに耳も貸してもらえない。
トリミングをして作品をさらに完璧なものに近づけるのはなかなか楽しいことなのに。
もちろんトリミングをするのにも構図のセンスは問われる。
しろうとが構図を学ぶためには、よい写真、つまりナショナルジオグラフィックや各種サロンなどに入選した写真を、ひたすらながめるのがよい。

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2012年8月22日 (水)

ハミルトンとレーピン

水曜日の夕刊は芸術特集らしくて、いろいろ芸術に関する記事が多い。
美術館ピックアップという小さな記事に、ビートルズのホワイトアルバムを手がけた芸術家リチャード・ハミルトンのことが。
彼は、まあ、いろんなことをやっているけど、絵についてはヘタウマみたいであまり感心しない。
それよりもアイディア勝負のポップアーチストというべきで、どっちかというとわたしのニガ手なタイプ。
わたしもブログに、つまらないことをつぎからつぎへと書けるもんだと感心されているらしいけど、アイディア勝負だけでいいなら、わたしみたいなマンガ家くずれにだって出来るぞ。

同じ夕刊にロシアの画家イリヤ・レーピンのことも。
いま渋谷の文化村でレーピンの絵が公開されているから、その太鼓持ちみたいな記事だけど、こちらには「皇女ソフィア」という重厚な歴史画が掲載されている。
わたしはこういう物語性があって、しかも天才が長年の修練の果てにようやく到達したような、熟練の技量がなければ描けない絵が好きだねえ。
レーピンのほんとうに観たい絵が来てないみたいなので、留保していたけど、やっぱり渋谷まで出かけなくちゃいけないかしら。

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大声

ニュースをみていたら、韓国の大統領選挙(前哨戦)で、野党が、親日家の娘が政権につこうとしていると、暗殺された朴大統領の娘を攻撃しているそうだ。
親日ってのはわるいことなのかいとあきれてしまう。
世界中の人たちが仲良くするってことはいいことだと思っていたのに。

李大統領サンや外交通商相サンは、天皇が謝罪するのは当然だといってるけど、現在の天皇は戦争中の天皇じゃないんだぜ。
かりに父親が不正をしたのなら、息子が責任の一端をになうということはあるかもしれないけど、だとしても言い方に変更があってしかるべきじゃないかい。
いつまで天皇の謝罪、天皇の謝罪と同じことをいい続けているつもりなんだ。
落ち目の権力者が日本を起死回生の道具にするのは、いいかげんやめてほしい。

韓国内では常軌を逸した人たちの声が、ますます大きくなっているらしい。
そういうことは日本にもある。
原発やその再稼働に反対する人の声は大きいけど、原発がなくてホントに大丈夫なのかねえという人の声はなかなか聞こえてこない。
この時期に世論調査をすれば、原発反対の声が大きいのはあたりまえだ。

こんな調子だから、わたしたちは世間の意見の大勢というやつについて、つねに何割かの疑問を持ち続けなけりゃいけないと思う。
韓国だってじっさいには過激な人より冷静な人々のほうが多いと思うけど、そうした人たちの声はなかなか日本に届かない。
おたがいに過激な言い分しか相手の耳に届かないとしたら、これはコワイぞ。

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2012年8月21日 (火)

山本美香さん

YouTubeで山本美香さんという女性ジャーナリストの遺体を観た。
腕に大きな傷をおった残酷な映像である。
YouTubeには彼女の元気なころの映像もある。
生きているときと死んだあとの映像を交互にながめて、複雑な気持ちになる。
どういうふうに複雑かは説明しているヒマがない。
今日はこれから出かけるのだ。
ただ、わたしがマクロ写真なんか撮ってうれしがっているこの瞬間にも、この世界のどこかで派手なドンパチが行われているのだと愕然。
やれやれ。
わたしはそのうちハワイに行くのだ。 お遊びに。
やれやれ・・・・・

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マクロ

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まだマクロに凝っています。
最初はヒオウギの花。
これははなびらを撮ったのか、めしべおしべを撮ったのかよくわからない。
けっして素晴らしい写真てわけじゃありません。
専用のストロボがあればいいんだけど、そんなもん買う金がありませんし。

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つぎはミズヒキソウ。
被写界深度が浅すぎて、ほんの一部にしかピントがあってません。
コンパクトカメラでは被写界深度の調整がむずかしい。
まだ手探りでやってますからね。

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つぎは草葉のかげで獲物を待ちかまえるアシナガグモ。
背景とのバランスがよくないけど、まあ、彼のすね毛まで写っているからいいんじゃないでしょうか。
こうなると、わたしもいちおう野生カメラマンです。

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最後は直径が1センチにもみたないヨメナの花。
撮っているときには気がつかなかったんだけど、花のうしろにちゃんと獲物を待ちかまえるハナグモが。
ったく、自然界ってやつは油断もスキもありやしません。

ろくな写真がないけど、ぜんぶ手持ち撮影だからこんなものでしょう。
まあいいや。
べつに芸術写真を撮ろうってわけじゃないし、ナショナルジオグラフィックに投稿しようってわけでもないんだから。
それでも、こんなものを撮っていると、新しい世界を発見したみたいでなかなか楽しいです。

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2012年8月20日 (月)

三鷹の阿波踊り

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せっかくだから三鷹の阿波踊りの写真も載せておきましょう。
組み写真ですが、わたしがこういう写真を載せるのは、たいていいい写真が撮れなくてごまかすときです。

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2012年8月19日 (日)

新しいカメラの2

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いちばん上の写真では画面が上下に分かれて、上は水面上、下は水面下が写っている。
つまり、わたしが買ったのは水中カメラってわけだ。
もちろんニコノスのような本格的なものではなく、15メートル防水ってやつ。
ダイビングをとっくに止めちゃったわたしが、このさき海に潜るとしたら、せいぜい5、6メートルだろうから、15メートルがホントなら立派な水中カメラだ。

ハワイへ行くことになったからカメラを買ったというのは、あっちでわたしもいっぱしの水中カメラマンになろうってわけである。
どうせお遊びだ。
このていどの遊びは人生(残りの)を豊かにしてくれるじゃないか。

ところで水中では、光の屈折の関係で遠くのものが近くに見える。
せっかく広角レンズで撮っても、標準レンズの写真になってしまうのである。
だから水中で広角写真を撮ろうと思ったら、超広角が必要だ。
超広角写真を撮ろうと思ったら、超々広角、つまり魚眼みたいなレンズが必要なのだ。
若いころは見さかいがなかったから、わたしもいちどはニコノスを所有していたことがあり、その超広角レンズの威力をようく知っているのである。

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深く潜るばかりがダイビングじゃない。
波のうちよせる海岸、岩礁の上の小さなタイドプールにも生命はあふれているものだ。
そんなものを写真におさめたい。
それで新しいカメラのマクロ機能にも注目したけど、2番目、3番目の写真がマクロ撮影をしたもの。
なかなかのものではないか。
防水とマクロを組み合わせれば、本格的な水中カメラにも負けないぞ。
空き缶の中に棲むちっぽけなダボハゼなんかこれでバッチリだ。

それにしても、やな人生だねえ。
わたしの人生は、実生活にまるで無縁のまま、衣食住をけずって、趣味と道楽に明け暮れてきたのである。
そのうちバチが当たります。

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新しいカメラ

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まだ先の話だけど、ハワイに行くことになったのでカメラを買った。
海外旅行に行く人がカメラを買うのは不思議ではないけど、おまえはカメラなんぞとっくに持っているじゃないかといわれそう。
そうか、おまえもいよいよ一眼レフを買ったのかともいわれそう。
そうじゃない。
わたしが買ったのは、またしてもコンバクトデジカメである。
一眼レフにあこがれているけど、いったんそんなものに手を出したら、交換レンズだ、外付けストロボだなどと、際限なくエスカレートすることがわかっているから、貧乏人のわたしはぜったいに手を出さないことにしているのである。

それじゃあなんでまたコンパクトカメラなんか買ったのか (わたしはすでに2台のコンパクトカメラを所有している)。
その理由はあとまわしにして、とりあえず新しいカメラで撮った写真をお目にかけよう。

いちばん上の写真では画面がゆがんでみえることから、ちょっと写真に詳しい人なら、超広角レンズがついていることがすぐわかる。
これはカメラの前に、ほとんど魚眼といってもいいような超広角のコンバージョンレンズをつけたのである。
このレンズの性能については、いいたいこともあるけど、ま、文句はいわないことにしよう。
本格的な魚眼レンズが1万ナンボで買えるわけがないし、まがりなりにも魚眼の特性をちゃんとそなえているのだから。

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2番目の写真はこのレンズをつけて撮ったもの、3番目の写真は同じ場所から、以前のカメラの目いっぱい広角側で撮ったもの。
画角のちがいは歴然としている。
じつはハワイへ持っていくにはこの超広角がぜったいに必要なのである。
それはなぜか。
そのへんの事情は次回だ。

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2012年8月18日 (土)

反論の時期

竹島だとか尖閣列島だとかがかまびすしい。
日本にいるから日本政府の冷静な対応ばかりが目につくのか知らないけど、公平客観的な第三者に判断してもらおうという日本の立場について、韓国政府はぜんぜん相手にしないつもりらしい。
これでは自らに非があることを認めているようなもんじゃないか。

このさいもめている地域はみんな国際司法裁判所におまかせしてしまったらどうか。
第三者がそういうんだから仕方ないでしょと、双方とも国民を納得させやすいし、あきらめがつくのも早いのではないか。
敗訴したほうが司法裁判所の判決なんざ認めないってことになりそうな気もするけど、いいだした手前、日本は納得するしかないだろう。
竹島の場合は日本に有利だから提訴するけど、尖閣や北方四島はヤバいかもしれないから提訴しないというのでは、いまの韓国と同じだ。
たとえ敗訴したとしても、ナショナリズムが手におえなくなって、双方ともにっちもさっちもいかなくなって、ドンパチまでエスカレートするよりはいいさ。

今回の騒動はもうひとつのことを教えてくれる。
韓国はともかく、台湾・香港などは日本のよさを理解する国だと思っていたけど、時間とともにそうした記憶はどんどんうすれ、それらの国でも戦後の誤った歴史しか知らない人がどんどん増えているようである。
戦争に負けたおかげで、これまではおもてだって反論できなかったという事情はあるにせよ、いうべきことをいわないからこうなってしまう。
なにかというと「妄言」という言葉を使って、発言そのものを封じようとする国もあるけど、それがいかに非論理的なものかをそろそろ徹底的に抗議するべき時期ではないか。

自民党の石破クンなんか、ここぞとばかりに民主党をだらしがないと責め立てていて、それはそうかもしれないけど、ホントに大丈夫かねえ。
つぎの選挙で民主党の凋落は必至で、原因はあまり大ボラを吹きすぎたせいでしょ。
かりに自民党がまた政権をにぎることがあれば、現在の国境問題はそっくりそのまま自民党の仕事になるわけだ。
そのときに、やっぱりコトを荒立てずに、とうぶん棚上げにしておきましょうなんていってたんでは、これじゃあ民主党以前に自民党がやってきたことをそのまんまなぞるだけだぞ。
自民党が復活したあかつきには、たぶん石破クンなんぞは徹底抗戦の急先鋒になってくれるんだろうなあ。
おてなみ拝見しましょ。
まだ早いか。

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2012年8月17日 (金)

吉井勇

新聞に吉井勇の名前は与謝野鉄幹が名づけ親という記事。
これだけじゃなんのことかわからない人もいるかもしれない。
吉井勇は明治の大歌人・与謝野鉄幹のまな弟子で、このブログでも取り上げたことがあるけど、放蕩のあげく身代をつぶした歌人である。
萩原朔太郎などとならぶ破滅派作家の代表といえる人だろう。
彼のもっとも人口に膾炙したうたは、コレ。
 かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる
「かにかくに」 というのは石川啄木の短歌にも出てくるけど、“なんだかんだいってはみても” という意味。
このうたは呑兵衛のプレイボーイが性懲りもなく祇園を恋しがっている歌である。
彼の場合、酒と祇園の芸妓に入れこんで財産を失ったそうだから、そこまで徹底できないわたしにとって羨望の人でもある。

もっとも経歴をくわしく調べると、きれいな女性と再婚したり、晩年も日本芸術院会員になったり、都おどりの再興に尽力をしたりと、著名作家としていろいろ文化事業に熱心だったらしいから、すかんぴんで野たれ死にしたわけじゃなさそうだ。
破滅型というと語弊がありそう。
だからあまり経歴には立ち入らず、彼の歌人らしい部分、伝説の部分だけにスポットを当てて、その耽美的な歌世界に没入するほうがよい。

最近、わたしのブログは品格をうんぬんされそうな傾向があるので、たまには耽美派歌人のうたできよらかな気持ちになってもらおう。
ただし、このあとに取り上げたのは酒屋や酒造会社推薦のうたばかりだから、アル中傾向のある人にはおすすめできない。
 何ごとも あきらめ果てて すがすがし 土佐焼酎の 舌ざはりかも
 酔びとよ かなしき声に 何うたふ 酔ふべき身をば 嘆けとうたふ
 弱きかな 恋に敗けては 酒肆に 走りゆくこと いくたびかする
 わびずみの 夕さびしく 縁にゐて 焼酎酌みぬ 友なしにして

祇園をうたった吉井勇の歌の数々は、わたしに深酔いからさめたあとの虚脱感と後悔、そのあげくのしみじみとした無常感を感じさせる。

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2012年8月15日 (水)

冷ややかな目

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オリンピックは終わったし、世間はお盆休みだってことで、昨日は図書館で本を読んでいた。
家にいるとエアコンを使うから省エネにならない。
図書館で大勢が集まってひとつのエアコンを使うほうが電気を使わないだろうという殊勝なこころがけ。

ここでSAPIOを読んでいたら、さもありなんという記事が。
オリンピックの期間中、オリンピックに興味のないわたしは国賊みたいに肩身がせまかった。
わたしだって女子競技のいくつかに興味がないわけでもないけど、それは彼女らが想像力豊富なわたしにとってひじょうに官能的であるという、どこかイヤラシイ気持ちがあるのである。

そんなことはどうでもいいけど、SAPIOの記事。
オリンピックの直前にあったソフトボールの国際試合で、日本女子が宿敵の米国を下して優勝して、これはなかなかの偉業だそうである。
ただ、ソフトボールがオリンピックの種目からはずれてしまったおかげで、このことはほとんどニュースにならなかった。
オリンピックの正式種目だったときはあれだけ大騒ぎをしたくせにと、SAPIOはいやみな指摘。
そんなもんさ。
オリンピックでも高校野球でも、テレビに映れば大騒ぎ、そうでなければハナもひっかけない。
日本人のわるいクセだ。
だからわたしはオリンピックをイヤラシイ目、いや、冷ややかな目で観ているのである。

添付した画像はネットで見つけたもので、神棚に飾っておきたくなるような、しわやシミひとつない神々しい肢体だ。

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2012年8月13日 (月)

コミケット

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お盆の日曜日には先祖の霊をまつるのが世間のならわしだけど、わたしはぜんぜん反対方向へ。
日本が世界にほこるマンガ文化と、そのへんから派生したおたくの祭典 「コミケット(コミックマーケット)」。
なにしろ世界最大のマンガの同人誌即売会だそうだから、往年のマンガ青年のわたしとしちゃほうっておけない。
というとウソで、なんでも日ごろは日かげの身のコスプレのカワイ子ちゃんが、この日ばかりは舞台の主役におどりでる祭りだというから、目当てはそっちのほう。
最近、このブログの品格を疑わせる記事が多いけど、それはともかく、暑いなか、有明のビッグサイトまで。

カメラを持って取材のつもりだったんだけど、行ってみたらやたら制約が多いのにまいった。
撮影するときはちゃんとコスプレの相手にことわってから撮ってくださいってのがその最たるもの。
わたしゃピンナップを撮りに行ったわけじゃないんだぞ。
コスプレの後ろ側とか、モデルがあくびをしているところとか、望遠レンズまで持ち出してなにを狙ってんのかねというおたくカメラマンなど、スナップとしてはおもしろい対象が山ほどあるんだ。
そんなコミケット全体の雰囲気などを伝えたいのに、高いところから狙っていたら、たちまち監視員が飛んできた。
撮られて困るならおおっぴらにやるな!

ところでカワイ子ちゃんはどこにいるのか。
可愛い子もいくらかいたけど、大半は人三化七で、なかには女かと思ったらひげ剃りあとが青々なんて不気味なのもいて、真夏にイップクの清涼をもたらす化け物大会だよ、あれじゃ。
日本の文化なんておだてられているけど、ホントは外国人もその異常ぶりに驚いているだけじゃないのかねえ。
先祖に逢うこの時期に、お化けに遇うのも一興かもしんないけど。

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2012年8月11日 (土)

自然観察園

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キツリフネの花まであと一歩のところで息絶えちゃったセミの子供。
じっさいにはここから彼の第二の人生が始まったんだから、これはキリストの復活みたいな写真なんだけどね。
大空へ飛び立った彼はいまごろどこを飛びまわっているのか。

自然観察園ではいまヒオウギが満開です。

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2012年8月10日 (金)

女子サッカー

明け方にテレビをつけたら、女子サッカーの準決勝をやっていた。

米国チームというのは、おおきな図体のあちこちにタトゥーをいれ、中には可愛い顔をしたのもいないわけじゃないけど、首から下は男だか女だかわからないアマゾネス軍団で、これでは対する日本選手がみんな純情可憐な小娘に見えてしまう。
試合は極悪非道な荒くれ女が、おとなしい小娘をいたぶっているような感じ。
わたしも判官びいきだから、これじゃ日本を応援しないわけにはいかない。

けっきょく負けちゃったけど、こんな荒くれ女たちを相手にしては善戦したほうだろう。
泣くな、なでしこ。
女らしさもポイントになるならば、きみらが金メダルを取っていたことはまちがいないぞ。

話は変わるけど、グーグルのトップページはサッカー・ゲームになってるね。

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2012年8月 9日 (木)

ソラリス

わたしにワインの味なんかわかるわけがないんだけど、ずっと以前に山梨まで旅行して、マンズワインのワイナリーに寄ったことがある。
ここでワインの試飲ができたので、どうせならいちばん高いやつをと、飲んでみたのがソラリスって名前の、けっこう高級なワイン。
飲んだ瞬間、なんというか、なにかの薬みたいな (というと語弊があるけど) 香りがかすかにした。
この香りはそれ以前に飲んだことのあるもらいものの高級ブランデーでも経験がある。
そうか、これが高級な酒の香りなのかとひとりでガッテンして、それ以来 「ソラリス」 というワインの名前を深く脳裏にきざんだ。

その後あちこちでデパートなどをのぞいてみたけど、ソラリスを扱っている店は見たことがない。
しかし、現在はネット通販がお手軽な時代だ。
さいわい飲み代ていどの臨時収入があったので、なにに使うか考えたあげく、知的好奇心を満足させることに、つまり早い話がこのワインにつぎこんでしまうことにした。
カベルネ・ソーヴィニヨン、5250円。
貧乏人には清水の舞台から飛び降りるような値段であるけど、ブログのネタに使えるから我慢しよう。

それが届いたのでさっそく飲んでみた。
ん?
あの独特の香りがないね。
ソラリスといっても種類・値段がたくさんあるから、わたしが山梨で飲んだものとはちがっていたのかもしれない。
でも、これじゃあふだん飲んでいるハーフボトルで700円ぐらいのワインとあまり変わらないじゃん。
やっぱりわたしは高級ワインなんて柄じゃなかったのか。
ワインなんざ安物でいいという英国作家の格言は、けだし名言だったのか。
知的好奇心てのは高くつくもんである。
わたしのブログはけっこうモトがかかっているのである。

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2012年8月 8日 (水)

広告

ここんところ、おまえのブログはいやらしいなといわれそうな記事ばかりなので、たまにはまじめなことを書こうと、死刑制度や、ある文庫本についていろいろ文章をひねっているんだけど、こういうことになると不真面目に書くわけにはいかないから、なかなか仕上がらない。
で、まにあわせにまたお手軽なことを書こうとして、新聞からネタを探す。

今日は新聞に週刊文春と週刊新潮の広告が載る日だ。
今回の文春は新聞のページ半分を使ったでっかい広告だ。
両誌とも新聞にはぜったいに載らないような、へんてこなニュースの見出しがずらりと並んでいるけど、これをながめただけで読んだ気になってしまう場合が多い。

文春のほうでは「米兵レイプ犯を逮捕させない日本政府」だとか、「ロンドン五輪20のタブー」、新潮では「報道ステーションは闇金融に手を染めた」、「朝日新聞カラー写真で巻き起こった木村沙織のワキ毛論争」なんて見出しが気になるけど、ま、買って読みたいほどじゃないな。
じっさいには羊頭狗肉だったってことを何度も経験してるからね。
広告がでっかければいいってもんでもない。

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2012年8月 7日 (火)

女子サッカー

テレビで女子サッカーの米国カナダ戦を観ました。
スポーツにあまり興味がないわたしですが、NHKはオリンピックの中継ばかりだし、録画しておいた「岩合光昭のネコ歩き」は観てしまったし、ほかに観るものもないので。
で、ヒマつぶしに女子のサッカーとバレーボールの比較論でも書こうと思うんだけど、バレーの選手はどこか女っぽくて (女だけど) ステキ。
サッカーはそうじゃないねえ。
日本の選手なんて可愛いほうだ。
視線がいやらしいってことで、あ、また競技関係者から塩をまかれそう。

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2012年8月 6日 (月)

真珠の耳飾りの少女

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上野にある東京都美術館で「真珠の耳飾りの少女」を観てきた。
暑いなか、わざわざ出かけたのは、ブログのネタになるかもというのがひとつ、ハイブロウな人間であると錯覚したいという願望がひとつ、カワイ子ちゃんの絵であるからというのがひとつで、知的な好奇心ではないみたい。
午後の遅い時間に行ったせいか、館内は想像していたよりもすいていて、楽な気分で観られたのはこちらの作戦勝ち。
1~2時間ならんでも観ようという熱狂的な野次馬のピークは過ぎたのかもしれない。

「真珠の」についていうと、行くまえからNHKの特集番組を観たり、わたしが購読している朝日新聞の記事を読んだりして(朝日新聞はこの絵画展の共同主催者なのだ)、それなりの知識を得ていたから、なにをいまさらという感じがしないでもなかった。
ゴーギャンやゴヤのときもそうで、話題になっている絵画展の場合、いつもだいたいそう思う。
今回の絵画展ではレンブラントの自画像なんてものもあって、それだけでも観る価値があったから、がっかりはしなかったけど。

カワイ子ちゃんの細部をながめると、なんとなくあいまいなタッチで、写真でいうところのソフトフォーカスみたいな効果を出しており、半開きにした口もとがじつになまめかしい。
このへんの作画のテクニックについては、ほんの小さな光のポイントが絶大な効果を発揮しているんですよなどと、NHKの番組に詳しかった。
青いターバンにはひじょうに高価な染料が使われているそうだけど、そんなことは絵を観たってわからない。
薄暗い部屋の中で、そこだけ照明をあてられ、みんなの視線を一手に引き受けて、彼女はなんとなく恥ずかしそうだった。
わたしは描かれた人物に感情移入できてしまう人なのだ。

こういう絵は、自分の部屋の壁に展示し、ひとりで後生大事に鑑賞するのがふさわしい。
美少女をアパートに監禁し、独占したいという変態男の願望みたいだけど、そのつもりで帰りに彼女の絵をあしらったマグネットを買ってきた。
これを部屋のどこかにペタンとはりつけて、朝な夕なに鑑賞するつもり。
ところが帰宅していささか困惑。
わたしの部屋はIT機器ばかりで、そんなものに磁石をはりつけるわけにはいかない。
仕方がないから冷蔵庫の扉にはりつけた。
これでも暑い日中、ビールを飲むたびに彼女をながめられるわけだ。

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2012年8月 3日 (金)

エアコン

暑い夏にはエアコンを使いたくなる。
しかし原発事故やらなんやらで、省エネに配慮しないと肩身をせまくしたまま生きなければならない。
わたししはずぼらな独身男だから、きっちりした省エネを実践するのは不得意なんだけど、それでもこれ以上肩身のせまい思いをしたくないから、エアコンはいつも除湿のままにしてあった。
ところが先日知り合いにそんな話をしたら、冷房よりも除湿のほうが電気を喰うんだよとのこと。
ほんとかよー。
目からウロコってとこだな。

インターネットで調べたら、たしかにそのようなことが書いてある。
しかしエアコンのタイプや、冷房にしてもこのくらいまでならという条件があるようで、よくわからない。
うちにあるエアコンで、同じ室温を維持したまま比較してくんないとわからんよなあ。
試してみればいいではないかといわれそうだけど、わたしの部屋ではエアコン以外の電気製品がしめる割合が多いから、試したってわかりそうもない。
けっきょくどうでもいいやってことになって、とうぶんずぼら生活を維持することになるだろう。
日本で省エネを徹底しようと思ったら、ずぼらな独身男をまず殲滅させなければダメだ。

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2012年8月 2日 (木)

アスリートは美しい

ちょっと前にパリのキャバレー、クレイジーホースについて書いて、そのおりにスノッブ (俗物) とそうでない人の見分け方に触れた。
わたしの友人にはそのものズバリを見せないと満足しない人がいる。
それは想像力の不足であって、つまりなにかを見て想像をふくらませられる人に比べると、脳みその中の知的な部分が足りないのである。
隠された部分を想像でおぎなって、ひとりで満足してしまえない人は、いつまでたってもスノッブといわれて仕方がないだろう。

わたしを見よ。
オリンピックの競技のあれこれ、たとえば水泳だとかバレーボールを見ていると、六尺豊かな大女たちの美しいこと、官能的なこと。
水着やユニフォームの下の彼女らの肢体がありありと想像できてしまうのだ。
そして、やっぱりアスリート、健康美人てのはいいなあと、ひとりで身もだえしちゃっているのだ。
わたしぐらい想像力の豊かな人はいないね。うん。
競技関係者から塩をまかれそう。

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2012年8月 1日 (水)

レーピン

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新聞にレーピン展開催の広告が。
レーピンはロシアの画家である。
ロシアの画家ってのはフランス、イタリア、スペインあたりの画家に比べると知名度が低い。
わたしは瓢箪から駒で、もうだいぶ昔だけど、偶然に入ってしまったトレチャコフ美術館展に感動して以来、彼の名前を知っていた。
添付した絵が彼の作品 (部分)で、ロシアの庶民の生活を描いたど迫力のリアリズム絵画といっていいもの。
ロシアに興味があり、行ってみたくてたまらないわたしにとって、帝政時代のロシアを知るには、彼の絵などを観るしかないのである。
「真珠の耳飾り」 もいいけど、こちらにもひとつ顔を出してみるか。

ところで今回の展覧会ではレーピンのどんな絵が観られるのだろう。
新聞にはおいしそうなことが書いてあるけど、大作 「ヴォルガの舟曳き」 や 「復活大祭の十字行」、豪胆なコザックたちを描いた絵も来てるんだろうか。
どうも Bunkamura にはガッカリさせられることがあるからねえ。

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