« 冷ややかな目 | トップページ | 反論の時期 »

2012年8月17日 (金)

吉井勇

新聞に吉井勇の名前は与謝野鉄幹が名づけ親という記事。
これだけじゃなんのことかわからない人もいるかもしれない。
吉井勇は明治の大歌人・与謝野鉄幹のまな弟子で、このブログでも取り上げたことがあるけど、放蕩のあげく身代をつぶした歌人である。
萩原朔太郎などとならぶ破滅派作家の代表といえる人だろう。
彼のもっとも人口に膾炙したうたは、コレ。
 かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる
「かにかくに」 というのは石川啄木の短歌にも出てくるけど、“なんだかんだいってはみても” という意味。
このうたは呑兵衛のプレイボーイが性懲りもなく祇園を恋しがっている歌である。
彼の場合、酒と祇園の芸妓に入れこんで財産を失ったそうだから、そこまで徹底できないわたしにとって羨望の人でもある。

もっとも経歴をくわしく調べると、きれいな女性と再婚したり、晩年も日本芸術院会員になったり、都おどりの再興に尽力をしたりと、著名作家としていろいろ文化事業に熱心だったらしいから、すかんぴんで野たれ死にしたわけじゃなさそうだ。
破滅型というと語弊がありそう。
だからあまり経歴には立ち入らず、彼の歌人らしい部分、伝説の部分だけにスポットを当てて、その耽美的な歌世界に没入するほうがよい。

最近、わたしのブログは品格をうんぬんされそうな傾向があるので、たまには耽美派歌人のうたできよらかな気持ちになってもらおう。
ただし、このあとに取り上げたのは酒屋や酒造会社推薦のうたばかりだから、アル中傾向のある人にはおすすめできない。
 何ごともあきらめ果ててすがすがし土佐焼酎の舌ざはりかも
 酔びとよかなしき声に何うたふ酔ふべき身をば嘆けとうたふ
 弱きかな恋に敗けては酒肆に走りゆくこといくたびかする
 わびずみの夕さびしく縁にゐて焼酎酌みぬ友なしにして

祇園をうたった吉井勇の歌の数々は、わたしに深酔いからさめたあとの虚脱感と後悔、そのあげくのしみじみとした無常感を感じさせる。

| |

« 冷ややかな目 | トップページ | 反論の時期 »

深読みの読書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 吉井勇:

« 冷ややかな目 | トップページ | 反論の時期 »