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2012年9月18日 (火)

レーピン展の1

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渋谷まで出かけて、レーピンの絵を観てきた。
イリヤ・レーピンはロシアでもっとも有名な画家である。
今回の展覧会では、彼の奥さんが椅子の上でうとうとしている絵が売りモノだったようだけど、わたしにはそれより「皇女ソフィア」という絵に興味をもった。

皇女ソフィアというのは、ウィキペディアの受け売りでいうと、ロシアの女君主として有名なソフィア・アレクセーエヴナのことだそうだ。
彼女はまだ幼い2人の弟の摂政になり、女帝として権勢を一身に集めるのだが、たまたま弟のひとりがロシア歴代の皇帝のなかでもとくに大物のピョートル一世だったために、彼が成長するとたちまち権力をはく奪されてしまう。

修道院に幽閉されたソフィアが、ある朝、今日も元気だ、コーヒーがうまいなんて調子で窓から外をながめたら、そこに自分の愛する部下たちが縛り首になってぶら下がっていた。
ぬぬぬっと怒り心頭に発しちゃった場面がこの絵である。
彼女のうしろでは、召使の小娘が、こっちにまでとばっちりが来そう、コワイわぁとおびえている。
本物の絵をまえにすると、召使の印象はわたしが想像していたものとは違っていたけど、まあ、そんな歴史のひとコマを切り取ったような、ひじょうに物語性のある絵である。

レーピンは皇女ソフィアとは別時代の人だから、この絵はすべて想像で描かれたものだ。
だからじっさいの皇女がこんなに太っていたかどうかはわからない。
レーピンは一般論を用いたのかもしれない。
ロシアの女性なら、ある程度のトシになると、とうぜん太っているはずだと。
例外もあるけど、それはあくまで例外なのである。

この画像で見てもわかるけど、皇女の衣装の質感、光沢など、まるで写真のように細密な描写がされていて、いったいどんなテクニックを使ったのかと、絵に興味のある当方にとっては素朴な疑問。
そこで本物の絵の衣装の部分を凝視してみた。
凝視も凝視、30センチまで顔を近づけて凝視した。
ところがその距離で観察すると、絵の具を筆でごたごたと塗りたくったようにしか見えない (あたりまえか)。
それがじりじりと後ずさりして3メートル以上はなれると、たちまち写真のような細密画になってしまうのである。
ううむと嘆息。
これじゃ魔法だ。
まさに名人芸だ。

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