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2012年11月27日 (火)

DP

あまりにもひねくれすぎてしまった民主主義について、ま、いろいろ意見のある人もいるようだけど、今日の夕刊に 「討論型世論調査」(略してDP) というものの記事が。
これは米国の大学教授さんが提案したもので
『賛否の分かれるテーマについて、無作為で抽出した参加者が、討議をへて民意をはかる』 というものらしい。
政府にまかせると都合のいい民意しか汲み取ろうとしないので、こんな方法を考えついたらしいけど、これがひねくれた民主主義をときほぐす解決策になるかどうか。

日本の某大学でDPを実践したところ、原発ゼロにすべきという意見が、参加者の半数にせまる勢いだったそうだ。
こりゃマズイと考えた政府は、原発ゼロ以外の意見をみんなひっくるめて、ゼロにすべきでない人も半数ぐらいいるなんて理屈を持ち出し、やっぱり自分に都合のいい結論を押し通したそうである。

そんなDPだけど、さてほんとうに公平なものだろうか。
たとえば原発事故のまえにDPを実施すれば、原発やむなしという意見がおそらく過半数を占めたのではないか。
いや、そんなことはない。 事故のまえの国民は真実を知らされていなかったのだ。
だから事故後のDPの結果のほうが正しいのだという意見もあるだろう。

しかし、これから50年後にDPを実施したらどうか。
そのころには日本がますます右傾化して、世界中からにくまれっ子になっていて、禁輸措置の対象になり、発電所の燃料の輸入もままならず、消費税・老人医療費の高騰、年金・生活保護費は減額され、一億総火の玉時代に逆戻りして、国民の生活はにっちもさっちもいかなくなっているかもしれない。
そんなときは1円でも電気代を下げることが、もしかすると危険でアルという原発の廃止より優先するかもしれず、そうなるとまたDPの結果は変わってしまうだろう。

こうなるとDPもあまり公平なものとはいえなくなってしまう。
経済界などは先に某大学で実施されたDPについて
「もののわからない国民が原発ゼロを支持しているだけだ」 といっているらしいけど、原発事故のまえのほうが、もののわかる国民が多かったとはとても思えない。
どうも民主主義というのはむずかしいものだ。
公平な判断を求めるのもムズカシイ。
50年後の未来に、もののわかる国民が (少なくとも) いまと同じくらいいるんだろうか。

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コメント

初めてコメントを差し上げます。「もののわかる国民」の必要性というのは、どの程度なのでしょうか?わかる人わからない人を含めて国は成り立っています。むしろ、後者がすべてと言って良いかもしれません。
それを良い方向に持っていくのが政治です。

投稿: みさまじんぐ | 2012年11月27日 (火) 20時09分

ときどきわたしのブログに対して、まじめに反応する人がいるので困惑しますが、わたしのブログはそのほとんどが、世相を皮肉ったり、揶揄する目的で書かれているんだということをご理解ねがいます。

そのうえで、あなたのコメントの意味がよくわかりません。
「わかる人わからない人を含めて国は成り立っています」といわれても、わたしにはその通りですねえとしかいいようがありません。
わからない人がすべてだとして、「それを良い方向に持っていくのが政治です」といわれても、ゴモットモとしかいいようがありません。

「もののわかる国民」の必要性というのは、どの程度なのでしょうか、ですって?
まじめに答えるとしたら、わたしのいう 「もののわかる国民」 というのは、たとえば原発の是非について、その危険性をきちんと理解し、また突然それがなくなった場合の状況についても、冷静に考えることのできる人のことです。
ですから、必要性がどの程度なのかと問われれば、すべての国民がそうあるくらいの程度というしかありません。

つけ加えますが、皮肉や揶揄という言葉をきちんと理解できる人であってほしいと思っています。
以前相手をおちゃらかすようなことを書いたら、本気で怒りだした人がいました。
これでは話が通じませんよ、すくなくともわたしには。

投稿: 酔いどれ李白 | 2012年11月27日 (火) 22時20分

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