ミキの2
東京にまいもどってしまったおかげで、わたしの大宮時代は終わりのはずだったけど、ところが話にはまだ続きがある。
わたしのあとを追うように、Hとミキが東京のわたしの家から遠くないところに引っ越してきたのである。
彼らはふたりとも地方の出身だったので、東京で知り合いというとわたししかいないというのが、近所に越してきた理由らしい。
Wとの三角関係はなんとか無事に解消したようだった。
このまま無風状態で推移すればメデタシメデタシだけど、ところがやはり彼女はマノン・レスコーだったのである。
ある晩Hが、血相をかえてわたしの部屋にやってきた。
なんでもミキがおなじアパートの男と浮気したのだそうである。
短気なHは、これから彼女を包丁で刺して自分も死ぬという。
これから刺すなんてわざわざ告げにくる男に、本気はあまりないのがふつうだから、まあまあというわたしの説得で、この件は一件落着になった。
ミキのほうはHの剣幕におそれをなして、まもなくどこかへ出奔してしまったそうである。
これだけの話である。
ミキがどこへ行ったのか、Hもわたしも知らないし、その後わたしは彼女にいちども会ったことがない。
ただHは彼女のことを調べるために、わざわざ彼女の生まれ故郷まで訪ねたらしい。
わたしは他人の過去なんかに興味がない人間だから、これから先の、ミキという娘についてはHから聞いたことである。
ミキは関西の地方都市出身で、母親といちばん上の姉は、精神を病んで施設に収容されていたそうである。
彼女は小さいころから孤児同然に育ちましてねえと、これは施設の人の話だったそうだ。
彼女の奔放さ自堕落さは、そうした悲惨な生い立ちが原因だったらしい。
自分もいつかコワれるかもしれないという恐怖をかかえて、いったい誰が平穏な幸福なんてものを信じられるだろう。
男から男へと渡り歩くことで、その瞬間だけ、彼女はようやく生きているという実感を感じていたのにちがいない。
でもまあ、これ以上彼女について詮索するのはよそう。
わたしに作家の素養があれば、これは小説のいい材料になったかもしれないけど、わたしにそんな能力はないし、これまでにじつにさまざまな人生を見てきたから、彼女の人生だけが特異だったともいえないのである。
Hについて付け加えると、その後さらに紆余曲折があって、やがて彼は福井の山中で心中自殺をしてしまった。
相手はミキではなかった。
臆病な性格のわたしは、人生に冒険なんかしたことはほとんどないので、ときどきHの人生をうらやましいと思うことがある。
最後が悲劇であったにしても、彼の人生はまちがいなく彼のものだったのにくらべ、わたしの人生はつねに傍観者であったようだから。
わたしの部屋にみつはしちかこの 「小さな恋のものがたり」 がある理由は、ミキの荷物の中にあったといって、Hが置いていったのである。
奔放な彼女にもこんなマンガを読む一面があったのかと意外な気持ちがした。
べつに読もうとは思わないけど、捨ててしまおうという気にもなれないで、本はなんとなくそのままになっているのである。
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