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2013年1月

2013年1月20日 (日)

弁解

ロシアに行くまえに弁解しておくか。
いったいおまえは何なんだよ。
金がない、ないといいながら、海外旅行にばかり行って。
ホントはプチブルじゃねえか。
てめ、この。 プロレタリア人民の敵だ。 ロシアで強制収容所にでも放りこまれてこい。
そんな声が聞こえてきそう。

わたしが貧乏人であることは事実だ。
わたしは自爆覚悟で海外旅行に行ってるのだ。
すくない貯金をみんな下ろして、つまり家族や家屋敷をもつ夢をさらりと捨てて、老後の安泰な生活もぜんぶ放棄して、元気なうちにおおいに遊んじまえという覚悟なのである。
どうだ、真似できるか。
くやしかったらやってみろ!

人間には (平均的な人間には) いっぺんに二つのことはできないのだ。
きれいな姉ちゃんを嫁にもらい、ローンで家を建て、子供を大学にやって、老後はのほほんとした生活をするか、あるいはわたしみたいな自由気ままな生き方をするか。
中途半端な生き方をする人もいるけど、そうした人の中には、ある日とつぜん、これじゃいけない、人間はなんのため生きるのかと愕然とする人も出てくる。
そうした人がコツコツ貯めた貯金でもって、海外を見てこようと思い立っても不思議じゃない。
そう、わたしみたいに。

何度もいうけど、わたしの未来はまっ暗なのだ。
うらやましがってもらっちゃ困るのだ。
ああ、そんなヤケッパチ・ロシア旅行の出発がもうまもなくだ。

スイマセン。
しばらくブログもお休みです。

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2013年1月19日 (土)

アエロ

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明日からロシアだと友人に連絡したら、飛行機は大丈夫なのかいと訊かれてしまった。
ここんところボーイングの787型機がトラブル続きで、世界中で飛行停止になっていることは知っていた。
うーんである。
そういえばイスタンブールに行ったときも、直前に北朝鮮がミサイルをぶっ放つなんて騒ぎがあって、おたおたしたことがある。

それでいちおう調べてみたら、アエロフロートが使っているのは主としてエアバスのほうだそうだ。
787も導入する予定があるらしいけど、それは2016年になるらしい。
アエロフロートのホームページにも、特別なお知らせは出てないから問題はないみたい。

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でもネットで調べているうち、アエロフロートはいちばん安いかわり、飛行機がいちばんボロで、サービスもわるいなんて記事を見つけてしまった。
http://4travel.jp/traveler/lonelyvagrant/album/10191349/

この記事では、アエロフロートもロシアの空港もけちょんけちょんだけど、でもこれが書かれたのは07年になっていた。
わたしは2010年にトルコに行ったとき、アエロフロートに乗ったことがある。
そのときは、ちゃんと映画も観られたし、現在位置の表示もあったし、金髪のスッチーもいたしで、それほどボロだとも、待遇がわるいとも思わなかった。
ただし、帰りの飛行機が離陸するまえに、翼についた氷を高速熱湯噴射機みたいなもので落としていたのにはおどろいた。
さすがはロシアと、なんだかえらい原始的な作業をやってるようにみえたもので。
★添付した画像は当時のアエロ機内と、そこからながめたシベリアの大地。

たとえ不安な場面があったとしても、わたしはいま生きているのだから、事故にも遭わずにちゃんと帰国できたことになる。
あんまりボロ、ボロといいなさんな。
就航まもないコメットがころころ落ちたように、だいたい飛行機事故なんてものは新しい機体ほど起こりやすいんだ。
今回のトラブルでも最新バッテリーに問題があったのだそうだ。
古くてボロっちい飛行機ということは、それだけ機械の信頼性は増しているはずだなと、わたしはホッとしてしまうほうである。
落ちるもんなら落ちてみろ!

このヤケッパチ発言は次項まで続きます。

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2013年1月18日 (金)

アルジェの戦い

映画 「アルジェの戦い」 は、フランスから独立しようとする植民地アルジェリアの戦いを描いた1965年の映画である。
モノクロ、ドキュメンタリータッチで、迫真の傑作である。
もちろん最近の若いもんが、こんな映画のことをおぼえているはずがない。
残念だけど仕方がない。
時代はどんどん変わっていて、ベトナム戦争やソ連の崩壊でさえ過去のものになりつつあるのだから。

1962年にフランスから独立したアルジェリアは、その後どうなったのか。
イスラム勢力が台頭したり、おさだまりの軍部によるクーデターが起こったり、さらに90年代にこの国ではテロが激化して混乱をきわめた。
だからなんでもかんでも独立っていうのはよくないよとはいわないけど、いろいろ考えさせる国である。

わたしは90年代の写真週刊誌 「フォーカス」 の記事をおぼえている。
テロ集団は手当たりしだいにそのへんの小さな村を襲い、住人を虐殺した。
ある村で、殺されたあげく、首を切断されて井戸へ投げ込まれた女性のなま首写真がフォーカスに載った。
美しい女性だった。
残忍さがきわだつような写真だった。

このたびのアルジェリアの事件でも、軍部、テロ集団とも短絡的な暴力志向で、理性のかけらもないようにみえる。
こんな連中のあいだにはさまれた外国人たちこそいい迷惑。

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ロシア語

ロシアで使われているのはキリル文字だ。
見たことのある人も多いだろうけど、英語圏のラテン文字に似て異なる(異なりすぎる)文字だ。

А Б В Г Д Е Ё Ж З И Й К Л М Н О
П Р С Т У Ф Х Ц Ч Ш Щ Ъ Ы Ь Э Ю Я

ロシアにあこがれているわたしのことだから、むかしすこし勉強したことがある。
すぐにわかるのは、Nをひっくり返したり、頭に点々、お尻に尻尾、円のまん中に縦棒なんて、一見すると科学記号みたいな文字があること。
すこし勉強しただけでも、英語のNがロシア語のH、PがRになることなんかがわかる。
それじゃ英語のRはどこに行ったのかと思うと、これが裏返しになっちゃってアルファベッドのおしまいにくっついている。

うん、こりゃおもしろいと勉強にも熱が入った。
イクラ丼のイクラ、インテリ、アジト、わたしの所属している団体はしょっちゅうカンパを要請してくるんだけどこのカンパ、同じ団体から課せられるノルマなど、みんなロシア語がもとになってるんだそうだ。

このくらいだけなら我慢するつもりでいたら、いろんな固有名詞にも女性名詞と男性名詞、場合によっちゃあ中性なんてオカマみたいな名詞があるということがわかった。
ロシアにはネヴァ川だとかドン川なんてあるけど、こんな川の名前にまで男、女の区別があるらしい。
このあたりで前途多難であることを察して、あきらめのいいわたしが、さっさとロシア語を放棄したのはいうまでもない。
なんとかなるだろうと、あきらめがいいと同時にわたしは、出たとこ勝負にも強いのだ。
待ってろ、ロシア。

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2013年1月17日 (木)

いちゃもん

『安倍クンの景気浮揚策に危惧の念をしめす人が多い。
 そりゃわかる。
 わかるけど、ほかに方法がないことも事実。
 なにもしなけりゃ現状維持で、あいかわらず不景気が続くだけ。
 だからわたしも様子見で、将来にますます負担を残すだけにならないか、ヘタすりゃ日本経済の崩壊だと思っても、とりあえずやってみなはれというしかない』

ブログにこんなことを書こうと、2、3日まえに下書きを準備していたら、なんと今朝の朝日新聞にこれとまったく同じような記事が載った。
書いたのは経済社説担当の駒野サンという人で、「やってみなはれ」 というのはサントリー創業者の言葉だそうだ。
おかげでわたしの文章は出鼻をくじかれてボツである。
くそっ、あと 1日早くわたしのブログに載せていれば、先見の明のあるところを証明できたのに。

ボツになった文章の替わりに、そのとなりにあったクルーグマンという経済学者のコラムにいちゃもんをつけることにする。

クルーグマンという人はうちの新聞に不定期にコラムを書いているみたいだけど、わたしは以前にもこの人の意見にいちゃもんをつけたことがあって、その発言に重きをいだいてない。
今回のコラムで彼はいう。

世界的な不況の中で、主要国の政権担当者たちがいずれも手をこまねいているとき、日本の安倍クンだけが横並びから脱して、新しい政策に打って出ようとしている。
そしてそれは効果があらわれ始めている。
というものだけど、これは例のアベノミクスのことを言ってるらしい。
効果があらわれ始めているというのは、安倍クンの政策によっていくらか円安になり、株価が上がったってことらしいけど、こんなことは現状追認で、経済学者でなくったって誰にでもわかる。
経済学者なら、まったく新しい提言や不況脱出の効果的な療法を考えてくんなくちゃ。
博奕うちトレーダーのおもわくで上がり下がりするものが、ほんとうに経済の指標になるのか。

同じ新聞の経済面に 『「安倍バブル」はや一服か』 という見出し。
クルーグマンさんの予想があやぶまれると同時に、現在の不況は経済学者ですら手をこまねいているしかないのかと絶望的な気分になってしまう。

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カトー君

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カトー君はわたしの中学時代の学友である。
先日ひさしぶりに電話してみたら、わたしのことをよくおぼえていて、めずらしいなあってことになった。
めずらしいはずだ。
わたしはできのよくない中学生だったし、そのころつきあっていたのは、どっちかというと進学組 (エリート組) と対極にある、気のおけない連中が多かった。
しかもわたしは極端なひっこみ思案だったから、エリート組で積極的なカトー君とは、あまり熱心につきあった記憶がないのである。

しかし彼のほうは、当時から変人だったわたしに注目していたような節がある。
ある晩、彼はもうひとりの学友とともにわが家にやってきて、いっしょにギターのバンドを組まないかと提案してきた。
極端なひっこみ思案だけではなく、極端な音痴でもあるわたしは、その提案をことわってしまったけど、いまから考えても惜しいことをしたもんだと思う。
なぜならその後のわたしは、ベンチャーズから始まって、ビートルズ、ストーンズ、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックス、さらにジャズやクラシックまでをも含む音楽の徹底的探求者になるからである。

そんなことはどうでもいいや。
現在のカトー君は芸術家になった。
それも半端な芸術家ではなく、メキシコの国際平和版画展で第1位に輝いたことのある版画作家だ。
わたしの見果てぬ夢をかなえてしまったような男なのだ。

わたしはマンガ家くずれである。
そっちのほうはまるで才能がなかったみたいだけど、芸術に対してはいまでもすっごいあこがれを持っている。
そのおかげでわたしはこのトシになっても、絵画、音楽、写真、映画、コンピューターなどへの興味を失わないでいられるのだろうと思う。
見るべき財産のないわたしだけど、芸術に対するあこがれだけは、わたしの人生をゆたかなものにしてくれたと信じているのである。

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そんなカトー君から版画展の招待状がきた。
わたしがひとっ走り田舎に帰省して、ン十年ぶりの邂逅を果たしてきたことはいうまでもない。
彼はいまでは家庭をかまえ、家族にもめぐまれて、常識的な市民生活を送っているようだけど、話をしてみるとやはりどこかに常人ばなれしたところがあった。
変わってないなあと思う。
ここまでいったいどれだけの風雪がわたしたちの上を通り過ぎただろう。
にもかかわらず、彼はやはり彼のままだった。
あいつはやっぱり変人同盟の盟友のままだったかと、納得したひさしぶりの再会だった。
依然としてひきこもり傾向のわたしにとって、それはひさしぶりの、とっても楽しい対話でもあった。

カトー君の作品はもっと多様性に富んでいるけれど、ここにあげたのはそのうちでも、わたしが独断と偏見で選んだ作品の一部。
なまめかしい女性の表情や肢体を描いて、これならお金を出しても買いたいと思ったもの。 わたしの手もと不如意なのが残念だ。

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2013年1月15日 (火)

第五福竜丸

夕刊に 「第五福竜丸」 の大きな記事。
団塊の世代ならたいていこの船の名前をおぼえているだろうけど、わたしにはもうすこし私的な思い出がある。

若いころハチャメチャな生活をしたわたしは、一時ダンプカーの運転もしていたことがある。
そのころ残土を捨てるために夢の島に通ったことがあり、あるとき海岸で、ぼろぼろになった廃船を目にした。
なんとなく近づいてみたら、船首に “第五福竜丸” という船名が読み取れた。
ちょっとショックだった。
もちろんわたしはこの船のことを知っていて、本来なら歴史の証人たるはずの船が、人っ子ひとりいないこんな海岸で朽ち果てているなんて。

その後この船の保存運動が起こり、船は廃船のせとぎわからかろうじて救われて、現在は記念館で人々に原水爆のおそろしさを伝える役割を担っているというから、こちらはひとまず安心だけど、さて、当時のわたしはいったい何を見たのだろう。
顧みられることのない不遇なもの同士の出会いとして、わたしは夢の島で見つけた第五福竜丸のことをなつかしく思い出す。

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ロシアン・ティー

ロシアについていろいろ調べている。
ロシアン・ティーというものがある(そうだ)。
そんなものがあることすら、わたしは知らなかった。
バカにする人がいるかもしれないけど、わたしの友人たちをながめても、焼酎を飲む人間はいても、紅茶なんか飲む人間はいそうもない。
彼らもロシアン・ティーなんて知らないに決まってる。
そう考えてなんとなく安堵した。

ロシアン・ティーはジャムをなめながら飲む紅茶だそうだ。
お腹の中に入ってしまえば同じじゃんと、日本人はすぐ紅茶の中にジャムをいれてかきまわしてしまうそうで、それはペケだという。
むずかしいもんだな。
まもなくロシアに行くので、そのまえにリプトンでも買って練習しとくか。

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2013年1月14日 (月)

雪の日

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雪ですよー。
ふだん見なれた景色もまるでちがって見えます。
めったにないことだから、その写真も載せときましょね。

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2013年1月13日 (日)

防寒対策

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ロシアに行くとなるとまた服装でなやんでしまう。
なにしろ寒い国らしいし、そんなところへ冬のまっただ中に行こうというのだから。
調べてみると、メガネのフレームで凍傷をおこしたとか、脳みそが凍って脳障害をおこしたとか、イヤなうわさがぞろぞろ。
とにかく手持ちの防寒用具をフル出動させなければならない。
さいわいわたしは登山が好きだったので、ダウンジャケットや防水のトレッキングシューズなど、いちおうの冬山装備ぐらいは持っている。
ほかにもヒートテックや、ふだんはめったに着用しないラクダのももひきの出番だ。

わたしにとっての気がかりは、カメラが凍っちゃって、うっかり素手でつかんで手のひらが凍傷をおこすこと。
そうでなくても低温はバッテリーにもよくない。
椎名誠さんの本によると、シベリアみたいな極端な寒冷の地では、潜水用の二重カプセルに入ったカメラがけっこう役に立つそうだ。
去年の夏に買った防水カメラはこの点でも有利かも。

先達の意見の中には、モスクワの寒さは北海道の釧路や網走と同じくらいで、部屋の中は暖房が効いているからTシャツでもOK、ゴキブリもいるというものもある。
とても耐えられないと思ったときは、ホテルにひきこもっていれば大丈夫のようだ。
なにしに行くんだといわれそうだけど、同じひきこもりでも日本でこもっているより新鮮味があっておもしろい。

せっかく芸術の国のロシアに出かけるのに、ダウンジャケット+登山靴の山男スタイルでは、由緒ある劇場、ホールには入れてもらえないのではないか。
うーむと考えてしまう。
そんなもの無理に観なくてもいいけど、でもやっぱり機会があるなら観てみたい。

東京で冬になるといつも着用しているコートは、いくらかフォーマルに使えそうなので、とりあえずこれで出かけ、寒さがあまりひどければダウンジャケットを持ち出すことにしよう。
靴を2足も持参する気にはなれないから、足もとだけはトレッキングシューズのままで、それじゃダメといわれたら劇場はあきらめるしかない。

わたしがほんとうに見たいものは、例によって市場だとかふつうの街並みで、名所旧跡なんぞにあまり興味がない。
今回はスケジュールにしばられない行き当たりばったりの旅なので、そのへんはどうにでもなるんじゃないか。
夏のモスクワってのはひじょうに汚い街だけど、冬は雪におおわれてしまうのでトッテモきれいだそうだ。
もう出発まで1週間になった。

写真は今年のマクロの第一弾、まだ本格的な開花にはちと早いんだけど、ロウバイ(蝋梅)。

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2013年1月12日 (土)

笑っていいとも!

夕刊を読んでみたら、昼のバラエティー番組 「笑っていいとも!」 が31年目だという。
同一司会者により、もっとも多く放送された生バラエティー番組として、ギネスブックにも承認されているんだそうだ。
ふうんというところ。

んならば、その31年も続いた番組を、ただのいちども観たことがないってことで、わたしもギネス入りだあ。

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ロシアの歴史B

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「イワン雷帝」 はエイゼンシュテインの映画だけど、彼のもうひとつの映画に出てくる 「アレクサンドル・ネフスキー」 ってのはイワン雷帝より古いのか、新しいのか。
これは生年月日を調べれば一目瞭然で、ネフスキーは1200年代の人、雷帝のほうは1500年代の人だから、ネフスキーのほうがずっと古い。

アレクサンドル・ネフスキーはまだロシアが統一されるまえ、タタールのくびきよりもさらにまえの群雄割拠の時代の人らしい。
それでもロシアの敷地内に侵入したドイツ、スウェーデン連合の北方十字軍を撃退したってことで、いまでもロシアの英雄とされているのである。
ちなみに北方十字軍というのはカトリックをひろめようという勢力で、これがネヴァ河で撃退されちゃったために、ロシアはいまでも古いロシア正教のまんまなのであるらしい。

アメリカ映画で 「隊長ブーリバ」 っていうロシア (ウクライナ) が舞台の映画もあった。
ブーリバってのはいつの時代の人か。
彼は小説中の人物で、架空の人物だから生年月日をうんぬんしても仕方ないんだけど、録画してあった映画を観たかぎりでは、オスマントルコやポーランドなどとの三つ巴の争いが背景になっているから、ピョートル大帝のすこしまえ、ロシア国内が騒然としていたころの人ってことになるらしい。

ピョートル大帝については、肖像画の服装からしても、ネフスキーやイワン雷帝より新しそうな人であることがわかる。
彼の在位は1720年ごろで、これは徳川政権が安定して、五代将軍綱吉さんが生類憐みの令なんかを布告していたころよりちょっとあとだ。
おおざっぱにいえば、日本人が天下泰平に浮かれていた江戸時代のころの人といっていい。
ピョートルの功績はロシアの近代化で、日本の明治維新をひとりでやっちゃったような人であるらしい。
勉強不足なのでイワン雷帝の時代とピョートルの時代の王朝制度のちがいがよくわからないけど、いちおうこのあと300年も続くロシアの王朝制度の始祖といってもいい人のようである。

ピョートル後のロシア王朝 (ロマノフ朝) がこうむった最大の国難が、「戦争と平和」 にえがかれたナポレオンのロシア侵攻だ。
ナポレオンがロシアに侵攻したのは、ピョートル大帝の死後80年ぐらいで、日本ではそろそろ徳川政権の屋台骨がグラつき始めたころ。

このあとは日露戦争ということになる。
日露戦争に敗北し、第一次世界でごたついたあと、革命家が輩出し、ニコライ2世が処刑されてロマノフ王朝は終焉をむかえる。
このあたりの事情を知らない人は、エイゼンシュテインの 「戦艦ポチョムキン」 や、「ニコライとアレクサンドラ」、D・リーンの 「ドクトル・ジバゴ」 などを観ればよい。
あんまりしゃべるとわたしの知識はみんな映画からきていることがバレてしまう。

レーニンが登場してからソ連が消滅するまでの歴史は、たいていの人が知っているだろうから、もうこのくらいにしておこう。
あいかわらずいいかげんだけど、このていどでもやらないよりはマシだ。

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2013年1月11日 (金)

ロシアの歴史A

200a

ロシア旅行が本決まりになったものの、よく考えたら、わたしはロシアという国についてほとんど知らないことに気がついた。

わたしのロシアについての知識は、たとえば 「アレクサンドル・ネフスキー」、「イワン雷帝」、「隊長ブーリバ」、「戦争と平和」、「戦艦ポチョムキン」、「ニコライとアレクサンドラ」、「ドクトル・ジバゴ」 なんていう映画によるところが大きい。
ところでネフスキーとイワン雷帝ってのはどっちが古い人なのか。
ピョートル大帝なんて人もいるけど、彼は前記の2人より古いのか、新しいのか。
ナポレオンがロシアに侵攻したのは、日本のいつごろの時代なのか。
こういうことになるとサッパリ。

それでもロシアが好きだっていえるのかといわれそう。
じつはわたしは旅行が好きだけど、夢遊病患者のように異国のことを空想して楽しんでいるだけってことが多く、じっさいに行けることが確実になるまでは、なかなか具体的な知識を得ようって気にならないのである。
以前、中国の西安に行ったときは、現地に着くまで有名な兵馬俑のことを知らなかったくらい。

そういうわけなのでロシアの歴史について少々勉強してみた。
こういうのをどろ縄というのだけど、わたしの旅ではめずらしいことではないから気にしない。

わたしの知っていたことでは、ロシアも世界帝国時代のモンゴルによって蹂躙され、「タタールのくびき」 につながれていたことぐらい。
同じモンゴルは当時の日本にも襲来しているから、タタールのくびきは日本の鎌倉時代のことだろうという見当はつく。
ロシアと日本の歴史を対比させるならモンゴルがキーワードになりそうだ。
もっともタタールのくびきは200年以上も続いているから、いちがいな対比は危険だけど。

そのモンゴルを追い払って、ロシアをタタールのくびきから開放したのがイワン雷帝の親父の親父のころで、おかげでようやくロシアは独立することができた。
だからロシアの歴史はイワン雷帝のころからはじまるといって過言じゃない。
そんなことを書くと、なんかずいぶんいいかげんだなといわれそうだけど、でもわたしゃロシア史を研究しているわけじゃない。
わたしがロシアに行くとしたら一般観光客だからねえ。
現在のモスクワ、サンクトペテルブルクに残る歴史遺産といったら、ほとんどがイワン雷帝以降のものでしょ。
いいんだ、ロシアの歴史は雷帝時代あたりからってことで。

イワン雷帝が権力を掌握していた時期は、調べてみたら、日本の豊臣秀吉の時代とほぼ一致しているから、ロシアの歴史は日本の安土桃山時代に始まったといっていいかもしれない。
意外と短いんだよね、ロシアの歴史ってのは。
しかしアレクサンドル・ネフスキーや隊長ブーリバが出てこねえな。

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2013年1月10日 (木)

八方ふさがり

汚染物質の除去作業に手抜きがあったと、新聞 (うちの朝日) が騒いでいる。
ゴモットモといいたいけど、これは八方ふさがりの見本のようである。

 ①除去した汚染物質の持ち込み先がない。
 ②どこへ持って行っても、ご当地の住人は反対する。
 ③持ち込み先がないくせに、さっさとなんとかしろと世間は騒ぐ。 新聞も書く。
 ④国としちゃあ、とりあえず業者に一任して、あとは知らんふり。
 ⑤一任された業者は、作業だけはやらなくちゃならん。

この問題については①から⑤を、ぐるぐると堂々巡りさせること。
手抜き以外にいい方法を思いついた人は、当ブログにご一報を。

こんな袋小路みたいな問題で騒ぐより、原爆の落ちた広島・長崎にも20年後にはもう人間生活がもどっていました。
史上最大の水爆実験があったアムチトカ島を探検した椎名誠サンは、いまでも元気で生きてます。
2001年のボーマン船長なんか、危険な放射線がいっぱいの宇宙空間にノーヘルで飛び出して、それでも無事でしたって、新聞はそう書くべきじゃないか。

同じ新聞に、地球温暖化で日本のサンゴは60年後に絶滅?なんて記事もあった。
日本人がそうとうに太っ腹にならないかぎり、これも原発問題とつながる八方ふさがりの見本のひとつだ。

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カード

去年の10月にハワイに行ってレンタルバイクを借りた。
借りるまえにいろいろ手続きをしなくちゃいけないけど、全部英語だから相手のいいなり。
支払いはカードにした。
そもそもカード大国のアメリカでは、現金はむしろ相手にされないのである。

支払いの中に保証金というものもある。
これがバカにならないけど、もちろんバイクを無事に返却すれば、それはもどってくるお金である。
ホントにもどってくるのか心配になった。
自慢じゃないけど、わたしはあまりカードを使ったことのないアナログ人間だ。
しかも一過性の旅人で、まもなく日本に帰ってしまうのだ。
インチキ業者が英語もろくすっぽわからない日本人をカモにして、保証金ごとレンタル代をふところに入れても、こちとら契約書の中身さえサッパリなのである。

今朝の新聞に米国のカード会社の仕事ぶりが書かれていた。
カード大国のアメリカではスキミングと呼ばれる、カード情報の抜き取り詐欺も多い。
ある人がガソリンスタンドでスキミングをやられて、誰かに勝手に買い物をされてしまった。
この買い物というのがちょうど100ドルだったので、ガソリンスタンドでそんなぴったりの買い物はおかしいと、カード会社は自主的判断でカードの使用制限をかけてしまったそうだ。
またべつの例で、フロリダとロサンゼルスでほぼ同じころ買い物をした人がいて、カード会社はこれもおかしいと気づき、ただちにカードの所有者に確認の電話を入れたという。

さすがはカード大国。
このくらい利用者保護システムがしっかりしていると、利用者も安心だ。
日本のカード会社もこのくらいしっかり監視してるんだろうか。
わたしのハワイの件も、あとで請求書を確認したら、保証金は引かれていなかった。
うんと安心して、あ、またハワイに行きたいと思ってしまう。

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2013年1月 9日 (水)

ロシアへ

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ロシアに行くことがどうやら決定的になった。
この国はわたしの積年のあこがれなのだ。
去年も行こうとしてツアーに申し込んだところが、なにしろ冬のまっ最中だったものだから、けっきょく参加者不足でツアーそのものが中止になってしまった。
しかし、わたしにはやっぱりどこかにツキがあるのである。

わたしのアパートの階下に金髪の若者が引っ越してきて (彼のことは何回かこのブログでふれたことがある)、訊いてみたら出自はロシアなのだという。
この若者の家庭的なことや、その後のいきさつについては語らずにおくけど、間接的には彼のつてでロシア旅行の機会がめぐってきたのである。

しかも今回の旅は個人旅行のかたちだ。
ロシアの場合、個人旅行は不可能ではないらしいけど、いつものわたしのようにふらりと気楽に訪れることのできる国じゃない。
だからこのたびの旅はやっぱり幸運なのだ。
いったいどんな手を使ったのかと訊かれそうだけど、そのへんを子細に語るとロシア当局から手がまわって、官憲の横やりが入らないともかぎらないので・・・・・・
やっぱり教えない。

まだ出発まで日にちがある。
おおいそぎでロシアについて勉強だ。
ロシア語について 「スパシーボ=ありがとう」、「ダスビダーニャ=さようなら」 ぐらいで、わたしは英語以上になんにも知らないのである。
しかし英語だってわかるわけじゃないのだから、けっきょく意思の疎通に事欠くことは、どこへ行ったっていっしょさと開き直るしかない。

そんなこととはべつに、現在もロシアは女性がみんな護身用に拳銃をもっている国であるという。
なんか開拓時代のアメリカに乗り込むみたいで、そのあたりがちと不安である。

写真はコワモテの大統領さん。
あ、ゴメンナサイ、わたし、あなたのファンです。

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2013年1月 8日 (火)

検索ランキング

さっぱりわからない。
このブログの左下のほうに 「検索フレーズランキング」 というものがある。
これっていったいなんなのか。

ふつうに考えると、いちばん検索にひっかかる言葉のランキングってことだけど、これって誰が検索してるのか。
これもふつうに考えると、世間の一般大衆がネットで検索する言葉のランキングってことのようである。
つまりこのランキングが高いフレーズほど、世間の関心をひいている言葉ということになる。

わたしのブログの検索ランキングに 「ハゲワシと少女」 あるいは 「ケビン・カーター」、もしくは 「スーダン」 なんて言葉がずっと引っかかっている。
ケビン・カーターは内戦時のスーダンで、倒れる難民少女とその死を待つハゲワシの写真を撮って、ピューリッツァー賞を受賞した報道カメラマンだ。
この写真を撮ったあと、彼は自殺してしまったけど、写真のインパクト、彼の生き方、そしてその死が世間を騒がせたから、彼にかかわる言葉が検索ランキングに引っかかるのは不思議じゃない。

しかし彼が死んだのはもう20年ちかくもまえである。
その後も世界中にさまざまな事件が起こり、さまざまな人物があらわれては消え、わたしのブログだけにかぎっても、じつに多種多様な固有名詞が取り上げられている。
それなのになんでケビン・カーターにかかわる言葉だけが、いつまで引っかかっているんだろう。

難民はまだなくなっていないし、こういう問題に関心をもつ人が多いということ結構なことだけど、じつをいうと、もういいかげんにしてくれって言いたくなるくらい、わたしはカーター君にはうんざりしているんだけどね。
たまたま今日のランキングに 「ロリコン映画」 なんて言葉がひっかかってる。
けっしてそういうものにばかり関心があるわけじゃないんだけど、もっと最近の事件にも関心をもってほしいと、せつに願っちゃうよなあ。

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2013年1月 7日 (月)

本末転倒

夕刊にSNS (三つまえのこのブログ記事参照のこと) がストレスという記事。
わたしはSNSに関心がないけど、それをしている人たちのあいだでいろいろトラブルが増えているのだそうだ。
そんなことだろうと思っていた。
どうもSNSの世界では、友達の数の多さがステイタスになっているみたいで、ま、それは本人の勝手だけど、増えた友達、それが上司や同僚である場合も多いので、うっかりしたことも書き込めなくなっているらしい。
うっかりしたことを書いて、いやがらせを受ける場合もあるんだとか。
本末転倒って感じだけど、そんなに友達や、「いいね!」 を増やしたいかねえと考えてしまう。

わたしのパソコンもスカイプ環境がセットしてあって、以前はパソコンを起動しているあいだはずっとオンラインにしてあった。
ところがそれだと、わたしが何時ごろ起きるのか、いつごろパソコンを使っているか、何時ごろ寝るのかなんてことが、CIAや秘密警察にみんなわかってしまう。
知られて困ることはなにもないけど、やっぱりいい気分じゃないので、現在はこちらから使うとき以外はオフラインにしてある。
それじゃやっぱり本末転倒じゃんといわれそう。

わたしはケータイも持ち歩かない人間だから参考にならないけど、わたしが特別に用心深いわけじゃない。
友人が多けりゃエライというわけでもない。
情報を仕入れたいなら、ネットには一方通行で仕入れる方法がいくらでもある。
コミュニケーションが欲しいならわたしのブログに書き込む方法もあるぞ。
若いオンナの子なんかすぐに返事をしてあげるのに。
いや、べつに住所・電話番号や顔写真を教えろなんていいませんからね。
これネットの常識。

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スカイツリー

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昨日の休日は、ちょっと江戸東京博物館に用事があったので、電車で両国まで行ってきた。
帰りに、せっかく来たんだから、スカイツリーでも見ていくかと、隅田川ぞいの遊歩道をぶらぶら。
まだ明るい時間帯だったので、ツリーがライトアップされるまで、浅草の浅草寺をのんびり散策・・・・・ じゃないな。
まだ初詣の時期だから浅草寺はごったがえしていて、もみくちゃにされそう。
人混みのキライなわたしが、はじっこのほうをうろうろしているうち、ようやく暗くなった。
ところがツリーの照明がさえない。
以前遠くのほうからながめたことがあるけど、江戸切子のように美しくライトアップされているはずなのに。

そのへんの店で、あまりきれいじゃないみたいですけどと訊いてみた。
ライトアップされるのは6時半からだよと、はきすてるような対応。
まだ1時間半もある。
なんかの間違いじゃないか。
未練たらしくべつの店でも訊いてみた。
こんなもんですか。
こんなもんだよという返事である。
そんなバカな。

訊いた相手がわるかったのかもしれないけど、スカイツリーって、なんか地元の人に嫌われる原因でもあるのだろうか。

写真はヤケッパチで昨日の午後4時半ごろの浅草寺。

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2013年1月 6日 (日)

マグロ

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昨夜はマグロを食べてきた。
刺身の盛り合わせってヤツ。
もちろん1億5千万円もの値がつくマグロじゃない。

そのうちマグロの完全養殖がはじまって、誰もマグロに見向きしなくなる。
マグロの餌にするイワシやアジが不足して、ご祝儀相場はこっちに移ること必至。
いまのうちせっせとイワシ、アジの類を食べておくことだ。

写真はヤケッパチでナショナル・ジオグラから無断拝借。

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2013年1月 4日 (金)

SNS

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フェイスブックや mixi なんていう、いわゆるSNS (ソーシャル・ネットワーク・サービス) なるものが大はやりで、うちの新聞も新年 1日からそればっかり。
ところで、先取の気のある若者のわたしが、SNSにだけは飛びつかない。
いや、ブログだってSNSの 1種かもしんないけど、世間のかたすみでしこしこと自分のブログを更新してよろこんでいるばっかりである。

世間の人たちは、人と人のコミュニケーションに渇望しているようたけど、どうもそのへんが人間ギライのわたしにピンと来ないのかも。

以前ツィッターや2チャンネルに首をつっこんでみたことがあるけど、ぶったまげた。
なんだなんだ、この低次元の会話は!
もちろん中にはまともなものもあるんだろうけど、大半はネット上の禁止用語、禁止条項も知らず、他人のうわやさ中傷をふりまいて平然としている手合いばかり。
いっぺんでへきえきしてそれっきりになった。

今朝の新聞にもあったけど、外国在住の人が子供の写真をSNSで日本の親戚に送って、「いいね!」が増えたんだと。
そんなもん家族だけでやればいいことで、ネットを使うならメールで送ればすむことじゃん。
SNSに熱中する人の中には、「いいね!」 を増やすことにヨロコビを感じ、それで友達が増えたって錯覚している人が多いらしいけど、これっていったいなんなのさ。

新聞の国際面にもフェイスブックの話題が。
どうやらうちの新聞 (朝日新聞) は、SNSこそ未来を変えるなんて信じているようだけど、情報伝達が容易になり、人々のコミュニケーションが盛んになったって、わたしみたいなへそ曲がりにはますます危険な兆候としか映らない。
そういう世界に氾濫するのは、書物なんぞに興味はなく、ネットニュースばかり読んでりゃOKだとか、2チャンネルやツィッターの情報をやみくもに信じるとか、いかにも問題提起みたいで、カッコよくて、常識的で、通俗的で、最大公約数的意見ばかりじゃないのかねえ。
識者という人があっちこっちでサイトを立ち上げ、ネット場に議論の場が広がっているなんて記事もあったけど、上記のような凡庸な輩から意見が殺到したって、わたしだったらその中から傾聴に値する意見を拾い出すだけでくたびれちまう。

へそ曲がりが多数派になっちゃ困るぐらいのことは、こちとらちゃんと心得ておりますけど、SNSの世界でも少数派が疎外されることは確実で、それはますます迅速で広範囲って気がして仕方ないんだよね。

写真はヤケッパチでどこかから見つけてきたものです。

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2013年1月 3日 (木)

今年も

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生きがいは与えられるものではなく、見つけるものである。
エラそうなこといっちゃって・・・・・

わたしもどっちかというと、棚からぼたもちの生きがいなんてものに縁のない男だから、なにか見つけなければならない。
テレビはつまらないし、新聞を朝から3回も読み返しているのに、いいブログネタもない。
絵でも描くか。
今年も無気力の予感だなあ。
写真はヤケッパチでどっかから見つけてきたものだ。

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2013年1月 2日 (水)

中間層に

朝まだ暗いうちにおきて年賀状を出しにいく。
えらくない。
そのぶん昨日は昼間ぐうぐう寝た。 小原庄助さんにならないかと心配だ。

先日の新聞にどこかの国の経済学者さんが意見を述べていた。
中間層をゆたかにしなければ景気はよくならないというのである。
これはよく聞く意見である。

たとえば自動車会社の社長さんがいくら儲けようとしたって、車を買ってくれる人がいなければ儲かりようがない。
一般大衆が車を買えるほどゆたかにならなければ、社長さんも儲けようがない。
金持ちだけがゆたかになり、貧乏人はますます貧乏という国では、景気はよくならないのである。
そういうことは、考えてみればわたしみたいな素人にもわかることである。
わたしも一般大衆で、中間層 (並みの下というところ) のはしくれだから、わたしみたいな人間の給料を上げなければ世の中はよくならないのである。

わかりきった問題じゃないかって気がするけど、例外もあるみたいだ。
アメリカという国がある。
正月にBSで放映されたチャップリンの 「モダンタイムス」。
そこに流れ作業で製品をつくる、たぶん戦前のフォード自動車を想定してるんだろうけど、徹底的にオートメ化された会社が出てきた。
この時代、格差はますます広がり、一般大衆はけっしてゆたかにならなかった。

だって、いくら車を作っても売れなければ仕方ないでしょといわれそうだけど、ここに例外のひとつのモデルがある。
一般大衆は貧乏なままだったけど、フォードはT型フォードという、貧乏人でも買えるていどの安い車を大量生産したのである。
この方法ならば、中間層をゆたかにしないまま、金持ちはどんどん儲けることができたのだ。
もちろんその裏には「モダンタイムス」に描かれたような、非人間的で過酷な作業があった。

中間層をゆたかにしないまま、お金持ちがますます儲ける方法はないわけじゃないのである。
現在でも米国の金持ちたちはそんな夢をみているように思える。
日本はさいわい金持ちだけがゆたかになっているわけじゃなさそうだけど、わたしたちはそんな社会にならないようにつねに注意しなくちゃいけない。

ところで、わたしの芸術的な年賀状を見せてやりたいと思っているのに、わたしの家にくるそれはあいかわらず少なくて返信を出しようがない。
このブログを読んでいる一般大衆には、わたしの住所がわからないんだから当然といえば当然か。

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2013年1月 1日 (火)

元旦

さて、新しい年。
わかっていると思うけど、わたしのブログにまちがえても前向きの記事なんか期待しないでくれる?
前向きの記事が読みたい人は今朝の新聞でも見ることだ。
あいかわらずというか、お正月だからというか、オメデタイ記事が満載である (そうでもないか)。

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昨日の大晦日に街まで買い物に出たけど、デパートの階段の踊り場につくねんと坐りこむ人がいた。
仕事がなくて、家にいたのでは光熱費がかかるから、デパートで暖を取る人にちがいない。
すわりこむ人のかたわらを、手にいっぱい買い物をかかえた家族連れが通る (わたしはマグロのブツを買っただけだけど)。

レ・ミゼラブルの世界だな。
失業者さんたちに本格的な冬の寒さはこたえるだろう。
世間がそうやって耐えしのんでいるのに、こんなお気楽なブログをいつまで続けさせていいのかと悩んでしまう。

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でもいいのさ。
きっとそのうち天罰がくだる。
その日を楽しみに生きようじゃないの。
これはヤケッパチでなければ書けないブログなのだ。
今年もがんばるぞ、後ろ向きに。

写真は初詣風景というか、元旦の〇時から7時までのあいだに見かけた光景。

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