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2013年1月12日 (土)

ロシアの歴史B

200b

「イワン雷帝」 はエイゼンシュテインの映画だけど、彼のもうひとつの映画に出てくる 「アレクサンドル・ネフスキー」 ってのはイワン雷帝より古いのか、新しいのか。
これは生年月日を調べれば一目瞭然で、ネフスキーは1200年代の人、雷帝のほうは1500年代の人だから、ネフスキーのほうがずっと古い。

アレクサンドル・ネフスキーはまだロシアが統一されるまえ、タタールのくびきよりもさらにまえの群雄割拠の時代の人らしい。
それでもロシアの敷地内に侵入したドイツ、スウェーデン連合の北方十字軍を撃退したってことで、いまでもロシアの英雄とされているのである。
ちなみに北方十字軍というのはカトリックをひろめようという勢力で、これがネヴァ河で撃退されちゃったために、ロシアはいまでも古いロシア正教のまんまなのであるらしい。

アメリカ映画で 「隊長ブーリバ」 っていうロシア (ウクライナ) が舞台の映画もあった。
ブーリバってのはいつの時代の人か。
彼は小説中の人物で、架空の人物だから生年月日をうんぬんしても仕方ないんだけど、録画してあった映画を観たかぎりでは、オスマントルコやポーランドなどとの三つ巴の争いが背景になっているから、ピョートル大帝のすこしまえ、ロシア国内が騒然としていたころの人ってことになるらしい。

ピョートル大帝については、肖像画の服装からしても、ネフスキーやイワン雷帝より新しそうな人であることがわかる。
彼の在位は1720年ごろで、これは徳川政権が安定して、五代将軍綱吉さんが生類憐みの令なんかを布告していたころよりちょっとあとだ。
おおざっぱにいえば、日本人が天下泰平に浮かれていた江戸時代のころの人といっていい。
ピョートルの功績はロシアの近代化で、日本の明治維新をひとりでやっちゃったような人であるらしい。
勉強不足なのでイワン雷帝の時代とピョートルの時代の王朝制度のちがいがよくわからないけど、いちおうこのあと300年も続くロシアの王朝制度の始祖といってもいい人のようである。

ピョートル後のロシア王朝 (ロマノフ朝) がこうむった最大の国難が、「戦争と平和」 にえがかれたナポレオンのロシア侵攻だ。
ナポレオンがロシアに侵攻したのは、ピョートル大帝の死後80年ぐらいで、日本ではそろそろ徳川政権の屋台骨がグラつき始めたころ。

このあとは日露戦争ということになる。
日露戦争に敗北し、第一次世界でごたついたあと、革命家が輩出し、ニコライ2世が処刑されてロマノフ王朝は終焉をむかえる。
このあたりの事情を知らない人は、エイゼンシュテインの 「戦艦ポチョムキン」 や、「ニコライとアレクサンドラ」、D・リーンの 「ドクトル・ジバゴ」 などを観ればよい。
あんまりしゃべるとわたしの知識はみんな映画からきていることがバレてしまう。

レーニンが登場してからソ連が消滅するまでの歴史は、たいていの人が知っているだろうから、もうこのくらいにしておこう。
あいかわらずいいかげんだけど、このていどでもやらないよりはマシだ。

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