SNS
フェイスブックや mixi なんていう、いわゆるSNS (ソーシャル・ネットワーク・サービス) なるものが大はやりで、うちの新聞も新年 1日からそればっかり。
ところで、先取の気のある若者のわたしが、SNSにだけは飛びつかない。
いや、ブログだってSNSの 1種かもしんないけど、世間のかたすみでしこしこと自分のブログを更新してよろこんでいるばっかりである。
世間の人たちは、人と人のコミュニケーションに渇望しているようたけど、どうもそのへんが人間ギライのわたしにピンと来ないのかも。
以前ツィッターや2チャンネルに首をつっこんでみたことがあるけど、ぶったまげた。
なんだなんだ、この低次元の会話は!
もちろん中にはまともなものもあるんだろうけど、大半はネット上の禁止用語、禁止条項も知らず、他人のうわやさ中傷をふりまいて平然としている手合いばかり。
いっぺんでへきえきしてそれっきりになった。
今朝の新聞にもあったけど、外国在住の人が子供の写真をSNSで日本の親戚に送って、「いいね!」が増えたんだと。
そんなもん家族だけでやればいいことで、ネットを使うならメールで送ればすむことじゃん。
SNSに熱中する人の中には、「いいね!」 を増やすことにヨロコビを感じ、それで友達が増えたって錯覚している人が多いらしいけど、これっていったいなんなのさ。
新聞の国際面にもフェイスブックの話題が。
どうやらうちの新聞 (朝日新聞) は、SNSこそ未来を変えるなんて信じているようだけど、情報伝達が容易になり、人々のコミュニケーションが盛んになったって、わたしみたいなへそ曲がりにはますます危険な兆候としか映らない。
そういう世界に氾濫するのは、書物なんぞに興味はなく、ネットニュースばかり読んでりゃOKだとか、2チャンネルやツィッターの情報をやみくもに信じるとか、いかにも問題提起みたいで、カッコよくて、常識的で、通俗的で、最大公約数的意見ばかりじゃないのかねえ。
識者という人があっちこっちでサイトを立ち上げ、ネット場に議論の場が広がっているなんて記事もあったけど、上記のような凡庸な輩から意見が殺到したって、わたしだったらその中から傾聴に値する意見を拾い出すだけでくたびれちまう。
へそ曲がりが多数派になっちゃ困るぐらいのことは、こちとらちゃんと心得ておりますけど、SNSの世界でも少数派が疎外されることは確実で、それはますます迅速で広範囲って気がして仕方ないんだよね。
写真はヤケッパチでどこかから見つけてきたものです。
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